「何もない」
今回は割と早めに更新できました。まる。
雨の中で汐那が心情を語るのはずっと書きたいシーンでした。
「マジで天気悪いなァオイ」
今にも雨が降り出しそうな曇天を見上げ、舌打ちしつつ涼護はモールから飛び出していく。
飛び出したのと同時に、涼護の頭上へと突然冷たい粒が落ちてきてそのまま弾けた。
「……うげェ」
思わずまた曇天を見上げた涼護へ向かって、雫が一斉に落ちてくる。
バケツをひっくり返したような大雨だ。
「だァ、クソがァ!」
瞬く間にずぶ濡れになった涼護は、ヤケクソ気味にそう叫ぶと土砂降りの雨の中を走りだした。
前もまともに見えないようなこの雨の中で、涼護は懸命に周囲を見渡し汐那を捜す。
「どこ行ったァ、蜜都!」
名前を呼びながら、涼護は目に焼き付いている蒼色を探す。
途中で水たまりを踏みつけ、泥水が勢いよく跳ねてパンツの裾が汚れたが、涼護は気にもせず走り続けていた。
「――――あ、蜜都!」
「っ!」
いったいどれほど走り続けていたのか涼護自身にもわからなくなってきた頃、ついに視界に汐那の姿を捉えた。
名前を呼んだ涼護に気付いた途端、汐那はその場から逃げ出した。その後を追いかける。
「待てやコラァ!」
「なんで追いかけてくるの!」
「あんな声であんなこと言い残して、挙句に逃げ出すような奴放っておけるかァ!」
「うっさい、バカ!」
汐那は速かった。先ほどの騒動のこともあって、涼護が全速で走れていないことを差し引いても速い。
恵まれた高身長と元来の運動神経の良さが相まって、相当のスピードが出ている。
「待てっての!」
「無視してよ、関係ないでしょう君には!」
「知るかァ! できないから追いかけてんだ! 逃げんな!」
とはいえ、どれだけ速いといっても汐那は女性だ。
元々涼護は普段から鍛えているし、女性と男性では後者のほうがコンパスは長い。二人の距離はどんどん縮まっていく。
「来んな!」
「うっせェ!」
汐那に追いついた涼護は、彼女の腕を掴むと自分へと引き寄せた。
いやいやとダダをこねる子供のような汐那の抵抗を抱きしめて抑え込む。
「いや、離して!」
「断る!」
ボコボコと容赦なく胸板を叩かれ、涼護はせき込みそうになるのをこらえる。
しばらくばたばたと暴れていた汐那だったが、逃げられないと諦めたのか次第におとなしくなった。
そうしてお互いの息が整うのを待ってから、涼護がゆっくりと口を開く。
「……蜜都」
「……なぁに?」
「話せ」
「……や」
小さく、けれどはっきりと汐那は首を横に振る。
弱々しい汐那の姿が、涼護にはとても小さく見えた。
「……蜜都、……あー……」
何か言おうとしても、喉の奥でひっかかって言葉が出てこない。
涼護自身、自分が口達者だと思っているわけではないから尚のことだ。
結局出てきたのは、現状においてはどこか的外れのものだった。
「……戻ろうぜ。お互い風邪ひくし」
「……バカは風邪ひかないんじゃない?」
「……憎まれ口叩く余裕は戻ってきたのか」
苦笑いを浮かべながら涼護がゆっくりと歩き出すと、汐那はおとなしくその後をついてきた。
互いに無言のまましばらく歩いてから、涼護は口を開いた。
「……蜜都、お前の言うとおり、俺はバカだ」
「…………」
「難しいこと考えるのは苦手だし、つかそういうこと考えて何かやろうとたいがい大失敗すんのがオチだ」
「…………そう」
「だからさ、はっきり聞く。まっすぐ聞く。……お前、何があった? なんで逃げ出した?」
「…………いや」
涼護がどれほどまっすぐ直球で向かって行っても、汐那は頑なにそれを拒んだ。
けれど、涼護も退きはしない。
「蜜都。……蜜都汐那。話してくれ」
「……君にはわかんないよ、言っても」
「わからないから無駄だってか? ……まァそうかもな」
汐那の言葉を否定せず、涼護はあっさりとそう答えた。
答えながらも、涼護は懸命に自分の考えを言葉にしていく。
「けどな、だから何もしないなんてのは嫌だ。わからないからってなんで諦めなきゃならねェ」
「……っ」
「……蜜都。俺には共感できるとも理解できるとも言い切ることはできないし、味方になれるとも言えない。それでも、一つ言えることがある」
涼護はそう言うと、雨で濡れて貼り付いている汐那の蒼い髪をかき分けて顔が見えるようにした。
ぽんぽんと、その髪を撫でつける。
「歩け。一歩前に踏み出せ。閉じこもってちゃお前の姿は見えやしねェし、見つけられもしねェ。どこにいようが何も聞かなくても助けてくれる白馬の王子様なんていやしねェ」
涼護がこの大雨の中でも汐那を見つけることができたのは、彼女の姿が見えたからだ。
姿も見れないようなところに隠れられてしまっていたら、涼護は見つけることはできなかっただろう。
「…………それって、受け売り? それとも、君が皆といるうちに考え付いたこと?」
ゆっくりと面をあげた汐那の表情は冷たかった。
何も映ってはいない、無機質な瞳が涼護を見つめている。
「君に何がわかるの?」
汐那の声は雨の音で消えてしまいそうなほどの小声だったが、強い想いがこもっていた。
一言も聞き逃さないよう、涼護は耳を澄ませ汐那から目を離さない。
「私には、何もないの。友達も、愛してくれる人も、怒ってくれる人も、受け止めてくれる人も。夢も、したいことも。ただ流されていくだけの自分を認めたくなくて、色んなもので空っぽな自分を誤魔化してるだけ」
酷く冷えた声だった。
身を切り裂くような響きを持ったその声を、涼護は正面から受け止める。
「君を見てると、私は自分が惨めなの。君は眩しすぎて、私は消えちゃう。……そんな気持ちが君にわかるの?」
汐那の冷たい視線も、声も、想いも、そのすべてを涼護は受け止める。
その上で、涼護は言う。
「正直わからない。だから思ったことを言う。お前に何もないわけがねェ」
「……どうしてそう思うの?」
「知ってるからさ」
即答で言い切った涼護の言葉を聞き、汐那が目を見開いた。
汐那の冷え切った手を暖めるように優しく握って、涼護は続ける。
「前にこうやって俺が手を繋いだら、お前顔真っ赤にしてただろ。大笑いしてたことも、いたずらしてきたこともあった。お前の魅力も可愛いとこも俺は知ってる。それでも何もないとか言うのか?」
「……それは」
「あれはお前だよ。モデルでもなんでもない、ただの蜜都汐那。俺の友達」
むしろ他に何か必要なのかとでも言いたげに涼護は躊躇いなく言い切った。
「今思いついただけも三つもある。探せばもっとあるだろうし、なかったら作ればいい」
「……探しても、作っても。それでも何もなかったら?」
「そん時は責任取る」
「……一生養えって言ったら?」
「結婚するか?」
冠婚葬祭、人生の一大イベントの一つを涼護はあっさりと口にした。
そんな涼護をじっと汐那は見つめていたが、おもむろに視線を外したかと思うと呆れたように溜息をついた。
「……なんか、君と話してると色々バカらしくなる」
「そりゃ悪かったな」
「いいよ、もう。ばーか」
ばかで結構だと、涼護は内心でそう呟いた。
次話は重い話になるかと。汐那の過去話。