『桜』
「はーい、オムライス出来たよー!」
「こっちチキンカレー注文でーす」
「はーい、2000円になります」
喫茶店『桜』。
現在涼護は、この店で臨時店員として接客業に励んでいた。
『桜』は陽羽学園の生徒たちの帰り道近くにあり、喫茶店の看板に偽りなしのコーヒーやケーキなどのメニュー以外にも、男子生徒の食欲を満たすメニューも揃っており、味もよいことから、生徒たちには大人気だ。
部活帰りの生徒たちはこぞってこの店に通い、生徒でない他の客も夕飯にと訪れる。この時間帯はそんな客たちで賑わっている。
「オーナー、何度も言ってますけど、従業員増やしたらどうですか?」
「うーん……、考えてはいるんだけど、今の人数でも回ってることは回ってるからね」
涼護の言葉に、この店のオーナーで未央の父親でもある笹月石也は困ったような表情で答える。
それを聞き、涼護は自分以外の店員に目を向ける。
この店特注の女性用制服はスカート丈が短く、ひらひらと脚が見えるのが目に毒だ。その上ニーハイソックスなので、好きな人にはたまらないだろう。
実際、男性客の何人かはスカートの動きを目で追っている。
腕も肘から先が出ており、全体的に落ち着いた色合いをしてはいるが、逆に目を惹く。着ているのが美少女だとなおさらだ。
「未央」
「ん、何涼護?」
「……いや、やっぱいいわ」
名前を呼ばれた未央は、きょとんと首を傾げている。
その可愛らしい姿に、涼護は何も言う気がなくなった。
「涼護、ちゃんと働いてよー?」
「わかってるよ」
溜息をつく涼護の様子に、周囲の危険な視線に気がつかない未央はしきりに疑問符を浮かべていた。
笹月未央。喫茶店『桜』のオーナー夫妻の娘で、名物美少女看板娘だった。
○
「ありがとうございましたー」
カランとカウベルが鳴って、最後の客が帰って行った。
店員四名で見送り、姿が見えなくなると涼護は肩の力を抜いた。
「あー、一段落」
涼護がどかりとカウンター席に腰を下ろし、そのまま突っ伏した。
そんな涼護の頭を、未央が軽くはたく。
「涼護、だらしない」
「いいだろ、別に」
人気がある店とはいえ、流石に常に客がいるというわけではない。
ピークが過ぎれば自然と客も少なくなり、たった今残っていた最後の客が帰ったところだ。これでとりあえず小休止である。
「店長、まかないお願いします……腹減った」
「はいはーい」
奥のキッチンから、店長とシェフを兼任している未央の母親、笹月未花が返事をし、次いでジュウジュウと肉を焼く音と匂いがした。
その匂いを嗅いだことで、ただでさえ空いていた涼護の腹は更に空いてしまう。
「まかない何ですか?」
「ハンバーグ。ちょっと待っててね、ライスとスープも出すから」
この店のハンバーグは涼護の好物の一つである。
というか涼護は肉ならなんでも好きだ。
なんでも好きだが、未花の料理は特に美味いので思わず涎が出そうになる。
「……やばい、それ聞くと余計に腹減ってきた……」
「もうすぐだから、頑張ってねー」
娘が高校生だし、もうそれなりの年齢のはずなのだが、それを感じさせない可愛らしい笑みで未花はそう言った。
その仕草から、本当に料理が楽しくてしょうがないという気持ちが伝わってきた。
「そういえば、涼護。宿題出てわよ」
「それ、俺だけにってオチか?」
「違うわよ。全員に。英語よ」
「うげ。よりにもよってあのババアのかよ……」
英語担当の寺井教諭(50代後半)の姿を思い浮かべて、涼護は悪態をついた。
寺井教諭は陽羽学園の生徒なら(悪い意味で)ほとんどの生徒が知っている教師だ。できる生徒は優遇するが、できない生徒はあからさまに馬鹿にするその授業態度のせいで、生徒間の評判は最悪である。
涼護は授業をさぼりまくっているせいでその教諭に目をつけられており、説教を食らったのも一度二度ではない。
「ババア言わない。提出月曜だから、ちゃんとやっておきなさいよ」
「お前、これから美味い飯食おうとしてんのに、横槍入れんなよ……萎える」
「涼護が悪い」
それに関しては確かにその通りなので何も言い返せない。
可も不可もない程度の涼護の成績ならば問題ないのに、さぼっているせいで目をつけられる羽目になっているのだから。
「だりィ……」
「涼護?」
「はいはい、その辺にして」
未央が説教モードに入りそうになった時、未花が上手く二人の間に割って入り、出来上がった料理をのせたトレイを涼護の目の前に置いた。
「っしゃ来たァ! 待ってました!」
「…………はあ」
出された料理に目を輝かせた涼護を見て、未央は溜息を吐いていた。
流石に今の涼護に説教をする気分にはなれなかったらしい。
涼護はお礼の意味をこめて視線を向けると、未花はにこりと笑って頷いた。
「んじゃ、いただきます」
「はい、どうぞ」
促されて、涼護は料理に箸をつけた。
○
「御馳走様でした。あと、お疲れ様でした」
出されたまかないを米粒一つ残さず食べ終わり、店員の服装から着替えた涼護は『桜』の入り口にいた。
「うん、ありがとう。助かったよ」
「いえ。俺が好きでやってることですし、気にしないでください」
お礼を言う石也にそう返す。
美味い料理を食べさせてくれるし、涼護としても『桜』の仕事を手伝うのは手間でもなんでもない。
「それじゃあ、俺は帰ります」
「うん。またね」
「はい。未央もな」
石也の隣に並んで立っている未央に声をかける。
未央はうん、と頷くと口を開く。
「また明日ね。遅刻しないように」
「へいへい。じゃあな」
そう返して、涼護は帰路についた。
帰り道の最中、未央や石也に背中を向けたままぷらぷらと手を振る。
涼護の今日はこうして終わった。