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Solve  作者: 黒藤紫音
仕事風景
39/77

ハイツ和香

ネーミングセンスには突っ込まないでください。

 何度も繰り返すようだが、涼護の朝は遅い。

 それも、休日なら尚更遅い。


「ごがー……」


 ベッドの中で爆睡中の涼護。布団は寝ている最中に蹴り飛ばしたのか、布団の意味をなしていない。寝間着のシャツがめくれて、鍛えられた腹筋が見えている。


「おい坊主! いい加減起きろちょっと手伝え!」

「ふが!?」


 気持ち良さそうにいびきをかいて寝ている涼護の部屋に、いきなり怒声が響いた。

 ドンドン、と扉を荒々しく叩く音も聞こえる。驚いて涼護は飛び起きた。


「……おやっさん?」

「よし起きたな坊主。じゃさっさと降りてこい」

「ちょっ!」


 言うだけ言って、声の主は扉から離れていったようだ。

 涼護は少し茫然とすると、はァと溜息をつきぽりぽりと頭を掻く。

 まず顔を洗おうと、洗面台に向かった。



 「ハイツ和香」。

 涼護が一人暮らししている二階建てのワンルームアパートだ。

 アパート、ということになってはいるが、元は洋館の建物をそのまま使っているらしく、一般的なアパートのように、扉を開けるとすぐに外というような構造ではない。玄関は大本のが一つで、住人は全員そこから出入りし、内部にあるいくつかの部屋に住んでいる。

 着替えて一階に降りた涼護は、何やら玄関でごそごそ作業している中年男性に声をかけた。


「おやっさん、何ですか?」

「おう、坊主。ちょっとこれ持て」


 涼護が“おやっさん”と呼んでいるこの男性は、毛利刀字(もうりとうじ)。40も半ばを過ぎた中年で、現在「ハイツ和香」に住んでいる住人五人の中でもっとも古参だ。

 涼護に段ボール箱を持たせながら毛利がそう言う。


「重! 何入ってるんですかこれ!」


 サイズ的にはそこまで大きくないが、重量は予想外にあった。

 とはいえ、持てないほどではない。


「ん、荷物」

「いや、具体的な中身を聞いてるんスけど……」

「細かいこと気にするな。禿げるぞ」

「最近頭髪を気にし始めたおやっさんが言うと割と洒落にならないッスね」

「拳骨入れるぞクソガキ」


 ぐっと拳を握りしめて見せる毛利。

 さっと涼護が距離を取る。


「……で、結局何なんですか? これどこ持っていけば?」

「本。以前の仕事のお客さんが処分するとかで、折角だから貰ってきた。管理人の嬢ちゃんのとこ持って行ってくれ」

「へーい」


 頷いて、一階の隅にある管理人室へ向かう。

 管理人室と言っても、一階二階合わせて八部屋あるうちの一部屋を使っているだけだ。

 なので実質、この「ハイツ和香」には最大でも七人しか住めない。

 コンコン、と段ボール箱を片手で支え、もう片手で扉をノックする。


「はい、今開けますね刀字さん」

「あ、いえ」


 涼護がその言葉を否定する前に、扉が開く。

 扉の向こうから一人の女性が現れた。


「あら、乙梨さん?」

「どうも、管理人さん」


 伊宮響音(いみやひびね)。この「ハイツ和香」の管理人である。

 彼女は涼護が持っている段ボールを見て、ああと頷いた。


「刀字さんが言っていた本ですね?」

「らしいです。どこに置いておけばいいですか? それなりに重いし俺持っていきますよ」

「ありがとうございます。じゃあ、とりあえずベッドの上に置いてもらえますか?」


 言われてそのまま部屋にあがる。

 女性の部屋だからか、涼護の部屋のように雑多な感じはしておらず、未央の部屋のように良くも悪くも“女の子”な雰囲気でもない。落ち着いた空間だった。


「相変わらずセンスいいですね……と」


 ベッドの上に段ボールを置く。

 そして長居するものでもないだろうと部屋から出ようとして、何気なく室内を見回すと、机の上に何やら異彩を放つ本が置いてあった。

 本を手に取り、タイトルを見る。

 そこには「中年男性を虜にする1000の方法」と書かれていた。


「………………管理人さん」

「はい?」

「ついにこんなマニュアル本に頼るようになったんですか…………」


 本を手に取ってぽつりと呟くと、伊宮は困ったように笑っていた。


「刀字さんが全然その気になってくれないので……藁にも縋りたくなって」

「藁ですらないでしょこれ……」


 そう言って持っている本を振る。

 なんというか、表紙のデザインからして嘘くさい。


「どした?」


 話していると、開いていた扉から毛利が段ボールを抱えながら顔を出した。

 涼護は机の上に本を戻して、ふうと息を吐いた。


「なんにもないです。他に段ボールは?」

「これで最後」


 言いながら毛利は室内に入り、涼護と同じようにベッドの上に段ボールを置く。

 凝りをほぐすように肩を回していた。


「じゃあ置いておくから、なんか問題あったら教えてくれ」

「問題なら常に起こってます」

「ん、何がじゃ?」


 伊宮がはあ、と溜息をついた。

 心配そうに声をかける毛利を尻目に、二人から慎重に距離を取りつつ涼護は部屋の扉へ向かった。


「それは貴方がいつまで経っても私を襲ってくれないことですよどうしてですかぁぁぁ!?」

「おわ!? ちょ、待て嬢ちゃん!」


 どたどたと後ろから物音が聞こえる。

 その全部を無視して、外に出た涼護はそっと扉を閉めた。



「何やってんだか……」


 相変わらず物音がしている管理人室から離れ、自室に向かおうと階段を昇る。

 その途中で、ぱったりと一人の少女に会った。


「何? うるさ……い…………」

「あ」


 涼護と少女の目が合う。

 次の瞬間、涼護は後ろに跳び、今までいた空間には煌めく何かが走っていた。

 それは、少女が振り回したカッターナイフだった。


「おい待て椎名」

「――――っ!」


 椎名と呼ばれた少女は階段から駆け降りると、ぶんぶんと涼護に向かって問答無用でカッターを振り回す。

 慣れた様子でその攻撃を避け、涼護は少女が腕を目いっぱい振り切った瞬間、足を振り上げた。

 蹴り飛ばされ、少女の手からカッターが吹っ飛んでいく。


「毎度毎度いい加減にしろ」

「いった!」


 ごん、と思いっきり少女に拳骨を入れる。

 黒髪を押さえて少女は呻いた。


「痛い……」

「自業自得だボケ」


 緋園椎名(ひそのしいな)。「ハイツ和香」に住んでいる五人の住人の中で最年少の少女であり、涼護と並ぶ問題児でもある。

 彼女は男性恐怖症であり、その病状はもはや恐怖を通り越して嫌悪の域である。男とエンカウントすると、常備しているカッターを振り回す危険な少女だ。


「……で、何の騒ぎ?」

「いつものだ」

「ああ……」


 椎名はそれで納得したらしい。

 彼女が視線を管理人室に向けるのと同時、扉が開いた。

 部屋から毛利が転がるように飛び出てくる。その後を追うようにして伊宮が出てきた。……衣服が不自然に乱れているような気がするが、気のせいだと思うことにする。


「おう? お嬢ちゃんか。おはようさん」

「…………おはようございます」

「あ、言い忘れてた。おはよう椎名」

「おはよう……」

「あら、おはようございます椎名さん。今日もいい天気ですね」


 両者とも、何もありませんでしたと言わんばかりの態度である。

 涼護がはぁと軽く溜息をついた。


「何やってんですか……」

「気にすんな坊主。禿げるぞ」

「だからおやっさんが言うと冗談に聞こえないッス」

「本当、男って……」

「ふふ、だからいいんですよ」


 なごやかに談笑する四人。

 五人の住人のうち三名がここにいるが、残りの二名はわりとよく部屋を空けるので、いないことはあまり不自然ではない。


「つーか、坊主。お前さん出なくていいのか?」

「はい?」

「詩堂の嬢ちゃんのところで仕事じゃなかったか?」

「あ」


 忘れていた。

 時刻を確認すると、そろそろ出ないと間に合わない。


「うわやばい。俺もう行きます」


 玄関に向かう。

 必要最低限の小物は身につけているし、事務所に行けば今回の仕事に必要な道具もあるはずだ。

 玄関で靴を履いて、後ろを向いて言う。


「行ってきます」

「おう、いってらっしゃい」

「いってらっしゃい」

「……いってらっしゃい」


 三人の声を背に受けて、玄関から外に出る。

 「いってらっしゃい」と言葉をかけてくれる人がいることは、幸せなことだと思う。

 外に停めている自転車の鍵を外して飛び乗り、ペダルを踏み込む。

 そうして、涼護は「ハイツ和香」の敷地から出て行った。


あと二名住人がいます。

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