世界を救えば、望みをひとつ叶えてくれるそうなので。
真っ白な空間。
何もない場所で、セーラー服姿の小柄な少女が浮いていた。
「残念です。あなたは、死んでしまったようですね」
……この言葉を聞くのは、何度目だろうか。
かつて自分が暮らしていた日本という国のことさえ思い出せなくなりながらも、聖女マリア・サトゥーンこと佐藤麻里香は、深々とため息を吐いた。
「そうみたいですね」
麻里香の目の前に麗しい女神——という名の、憎たらしい悪魔が舞い降りる。
「もう一度、次こそ。次こそ、頑張りましょう!」
次こそ、次こそ。
そう言って、悪魔はもはや終わる気配のない戦いを強いる。
麻里香は「世界を救ってほしい」と請われ、聖女として地球から召喚された。
しかも半ば無理矢理に、だ。拒否権など存在しなかった。
だが「救って欲しい」と願われて、問答無用で「知りません」と言えるほど、麻里香は無責任にはなれなかった。
ゆえに、頑張った。頑張って頑張って……結局は、死ぬのだ。
普通の村娘として生まれ、15歳で光の力に目覚めて王城に連れて行かれ、最終的には人々に「世界を救う聖女だ」と崇められて、魔王の元に送り込まれる。
そうして、死ぬ。
苦しんで苦しんで、この場所に還ってくる。
……その繰り返しだ。
やり方は、これでもかと変えてみた。
魔王がいる城の裏口から乗り込んだり、堂々と正面から乗り込んでみたり。
あえて王に歯向かってみたり、逆に自分と共に戦う仲間を集めてみたり。
悪魔にも勧められ、特に最後の方法は何度も試した。
誰を誘うか、誰と誰に声を掛けるか。
さらには話しかけるタイミングさえも変えた——数多のパターンを試した。
それでも、ダメだった。
最後には、仲間たちは誰一人として隣には残らない。皆、消えていくのだ。
「あの、まだやらなきゃいけないんですか?」
……つい、弱音が溢れた。
悪魔は、眉尻をピクリと動かす。
「当然です! あなたはこの世界を救う聖女なのですよ!」
当たり前だ。
何を無責任なことを。
そうとでも言いたげな、無責任な女に対して……麻里香の中で、何かが切れた。
「……やめます」
「えっ?」
「やめます。もう何もしません」
「な、なんということを……!」
「殴られても蹴られてもやりません。魂の消滅とか、そういう訳の分からない脅しも効きません。私の意思は変わりません」
すっと、麻里香は息を吐き出す。
そして、
「これ以上は何も、やりません」
——女を、睨んだ。
「どうしてですか!? 世界が救われた暁には、何でも望みを叶えてあげると言ったじゃないですか!!」
魔王が討ち滅ぼされ、世界が救われたら。
その時は、麻里香の望みをひとつだけ叶える。
……それはこの場所に召喚された際、“血の契約”とやらで女と結んだ約束だ。
もはや、その約束の存在すら忘れていた。
もはや、そもそもの望みすら思い出せなかった。
「そんなもの、どうだって良いです」
「どうして!?」
「こんな世界、滅びてしまえばいいんです」
たったひとりにすべてを丸投げする人々も、「やれ」と言い続ける女も。
無責任を強いるなら、こちらも無責任になってやる。
麻里香は絶対に首を縦に振ってやるものかと、女を睨み続ける。
そうして、どれほど時間が経っただろうか。
女は心底軽蔑したと言わんばかりに、麻里香を見下ろす。
「良いでしょう。一度くらい、世界と共に死んでしまえば良いんですよ」
世界と共に死んでしまえば良い。
到底“女神”だとは思えない女の発言を聞いて、麻里香は鼻で笑う。
「はい、喜んで」
笑顔で、吐き捨てる。
女は冷え切った眼差しを向けたまま、麻里香に手をかざす。
そうして麻里香の意識は——途切れた。
○
この世界はヨーロッパのような外観をしているのに、日本と同じように四季がある。
春、夏、秋、冬。
移り変わる風景。流れていく日々。
13回目の、春。
魔王がどうのこうのという話を聞いたが、麻里香は知らないふりを貫いた。
どこそこの村が滅びた、どこそこの街が襲撃を受けたという話には流石に胸が痛んだが、少なくともこの時点では何もできない。
その事実を、麻里香は誰よりも知っていた。
15回目の、秋。
麻里香は誰もいない場所で、誰にも見られない場所で光の力に目覚めた。
そうして沈黙を貫いた。私はただの村娘だ、と。
ただの村娘として、収穫の時期を迎えた作物を前にする。
今までは知らなかったが、この年は随分と豊作だったようだ。
瑞々しい作物を前に、麻里香は心の底から清々しい気持ちになった。
16回目、17回目。
麻里香が暮らす村には、何の異変も起こらない——そうして、18回目の夏。
大変だが充実した日々を送っていた麻里香は、唐突に、女、ではなく悪魔、でもなく……女神に、呼び出された。
先ほどまで、麻里香は奉納祭準備の休憩と称して幼馴染のレイチェルと木陰で談笑していたところだった。
久々に見た、真っ白な空間。
この場所に来た時点でまた死んだのかと思ったが、誰がどう考えても死ぬ要素がない。
つまり女神が勝手な都合でこの空間に引きずり込んできたのは明白だ。
レイチェルとの楽しい会話を、しかも恋バナを邪魔されて心底腹が立った。
麻里香は失礼上等だと言わんばかりに、派手に舌打ちをする。
「なんなの? 今、忙しいんだけど?」
レイチェルは村の青年、コニーにほのかな恋心を抱いている。
村を離れても、王都にいても知っていたくらいにはコニーは誠実で、しかも2年後に新たな作物を生み出して成り上がるような優良物件だ。
可愛い幼馴染には、ぜひ、その恋を実らせて欲しい。
そのための、大切な話をしていたところだったというのに。
麻里香に舌打ちされた女神は、何も考えていませんと言わんばかりに口を開く。
「世界が、救われました」
「は?」
この女は今、何と言った?
麻里香の反応など一切気にせず、女神は楽しげに語る。
「聖女が現れなかったので、人々が有志で討伐隊を生み出しました」
討伐隊なんてもの、タイムリープの最中には一切現れなかったというのに?
「悲しくも数多の犠牲者が出ました。多くの人が、亡くなりました」
犠牲者たちには、本当に申し訳なく思う。
だが、女神が自分に対して申し訳なさそうな態度を取ったことは一度もない。
「しかし、やり遂げたのです! あなたが何度か仲間にしていた青年、イザークは勇者と呼ばれて現在、凱旋の真っ最中です!」
何度やり直しても、イザークは真っ先に裏切る男だった。
彼は強い。しかし、どう足掻いても裏切るのだ。
……そういえば、イザークを仲間にするよう助言してきたのは、目の前で歓喜の笑みを浮かべる女神ではなかったか?
何とも腹立たしい。
腹立たしいが、それでも。
それでも世界は救われた。
もう滅びてしまえと、思っていたのに。
それは、完全な本心ではなかったのかもしれない。
麻里香は一瞬、胸を撫で下ろした。
……それなのに。
「この世界に聖女なんて、必要なかったのですね!」
それは、自分が積み重ねてきた長い戦いと、一瞬だけ芽生えた安堵の気持ちを、まとめて踏みにじる言葉だった。
——本気でありえない、と思った。
恐らくこれは、世界救済を投げ出した麻里香に対する嫌がらせ行為だ。
子どもか、と思った。あれだけ苦しめておいて「ふざけるな」と思った。
何か、報復してやりたい。
そんなどす黒い感情に、心を支配される。
そこでふと、麻里香は思い出した。
「ねぇ」
もはや敬語を使う気にすらならない。
目の前の女に、麻里香は笑いかける。
「血の契約。覚えてる?」
本来、神に逆らうことなどできない。
ゆえに報復などできやしない。
しかし、麻里香の場合は話が違う。
血の契約は、神でさえも抗えない。
「血の契約? ああ、そんなものもありましたね。でも、あなたには関係ないじゃないですか」
「そんなことないよ」
魔王が討ち滅ぼされ、世界が救われたら。
その時は、麻里香の望みをひとつだけ叶える。
それが、血の契約の内容だ。
「魔王は討ち滅ぼされた。世界は救われた」
麻里香は、笑う。
「——そこに“私が”関与しなきゃいけないなんて、一切、書いてなかったよね?」
きっと女神は、麻里香が途中で世界救済を投げ出すことなど想定していなかったのだろう。
ゆえに、契約内容の大きな穴に気づいていなかった。
「な……っ」
「私には望みを叶えてもらう権利、あるよね?」
女神は、口をもごもごと動かしている。
何とか言いくるめようとしているのだろう。
しかし、血の契約に抜け穴は存在しない。
彼女は深々とため息を吐き出し、麻里香を睨んだ。
「何が、望みなんですか?」
「へぇ? ちゃんと叶えてくれるんだ」
「億万長者でも、王子様との結婚でも。何でもどうぞ」
叶えてやるから、さっさといなくなれ。
勝手に呼んでおきながら、投げやりで自分勝手な態度に腹が立つ。
腹は立つが……もうそんなこと、どうでも良い。
「私が望むのは、ただひとつ」
麻里香は、女神を指差す。
「あんたが持ってるその力。全部、私に寄越しなさい」
そう言い放てば、女神は驚愕を露わにした。
「な、何を……!」
「別に乱用する気はないから安心してよ。神の力を手に入れたとしても、私は人として生きたいし。レイチェルの恋路を見守りたいし」
女神の力が欲しい。
麻里香の望みには、ちゃんと訳がある。
「代わりにあんたは滅びそうな世界で、聖女をやりなよ。あ、勇者でも良いよ」
「え……」
「もちろん、この世界以外を救ってね。攻略方法が分かってる世界で戦うなんて、全然フェアじゃないし」
きっと世界は、無限に存在する。
無ければ一から作っても良い。神なら、それくらいできるだろう。
「だ、駄目です……! 駄目です!」
女神は、何とか麻里香の望みを変えようと足掻いた。
「人間は、神になんてなれません! 人間の身体に、神の力は宿せません!」
何かほざいている。
だが、知ったことか。
「力を使わせてっていうのが私の望みなんだから、その理屈は通用しないでしょ?」
「それは……!」
「私が神になる代わりに、あんたは人間になる。おあいこでしょ?」
「違う……っ! そんなの、おあいこなんかじゃ……!」
結局のところ、人間になりたくない。それだけ。
呆れてしまった。
もはや言い返す気にもならず、黙って様子を見るだけにとどめる。
すると最終的に女神は、何も言わなくなった。
そうしているうちに、麻里香の身体に力が溢れてくる。
目の前の女神——否、元女神は絶望していた。
「あ、あぁ……あぁ……」
血の契約には、神でさえも抗えない。
きっと元女神の意思に反して、麻里香に力が流れてきているのだろう。
「そうだ、名前付けてあげなきゃ。……私の名前をアレンジしよっか。聖女様だもんね?」
「ま、待って! お願い!」
「行ってらっしゃい。——聖女、マリアンヌ」
元女神……否、マリアンヌの姿が視界から消える。
白い世界も、消える。
気がつけば、麻里香は木陰にいた。
横に座るレイチェルが、不安げに顔を覗き込んでくる。
「マリア? ……マリア、大丈夫!?」
どうやら時間はそれほど経っていないようだが、彼女からしてみれば、幼馴染が急に放心してしまったようなものなのだろう。
早く恋バナを再開しなければ。
麻里香は首を横に振り、笑う。
「あっ、ごめんね!? ボーっとしてた……さっきの話、もう一回お願い!」
「もー! えっと……」
レイチェルの言葉に耳を傾けつつ、麻里香は、心の奥底で笑う。
元女神が、マリアンヌが。
あの白い空間にもう一度現れる日が楽しみで楽しみで、仕方がない。
彼女が現れたら容赦なく、無責任に言ってやるのだ。
『残念です。あなたは、死んでしまったようですね』
……と。




