第一話 修学旅行
修学旅行の行き先は、当日まで知らされない。
そんな異例の発表があったのは三週間前だった。
“サプライズ企画”。
担任はそう説明したが、その言葉はどこか軽かった気がする。そして期待より先に、言葉にできない違和感だけが残っていた。
新幹線の車窓から景色が流れていく。
山並み、住宅地、遠ざかる街。
どこも見慣れた風景のはずなのに、今日は妙に遠い。
「玲央。」
隣から肘で軽く突かれる。
神代澪。小学校からの幼馴染だ。
「せっかくなんだから楽しまないと損だよ。」
適当に返す。
「楽しいって。マジで。」
「嘘。今、絶対変なこと考えてた。」
即答だった。昔から、こいつは俺の微妙な表情の変化を見逃さない。特技か何かなのか?
向かいの席で湊が笑う。
「ほっとけって。玲央はいつもこんな顔だろ。」
「どんな顔よ?」
「無駄に深読みしてる顔。」
図星すぎて否定できない。
「でもさ」
湊は少しだけ声を落とした。
「行き先非公開って、やっぱ変じゃね?それにSNSに投稿させないためにスマホ没収するか?普通さ。」
「またそれ?」
澪が呆れたように息をつく。
「先生が大丈夫って言ってたでしょ。それに没収したのは旅行先で問題を起こさないようにするためって理由もあるって言ってたじゃん。」
「それが逆に怖いんだよ。」
湊はそう言って、前方へ視線を向ける。
通路を挟んだ前の席。担任の朝倉紫苑が静かに座っている。
長い黒髪を後ろでまとめ、窓の外を眺めたまま。
騒ぐ生徒を制することもなく、かといって一緒に笑うこともない。その静けさだけが、車内の空気と微妙に噛み合っていなかった。
「……なんかさ」
湊が言葉を選ぶように続ける。
「やっぱり変な感じしないか?こう空気が重いっていうか。」
「抽象的すぎ。」
澪が笑う。
だが湊は視線を逸らさない。
「俺の考えすぎならいいんだけどさ。」
そこで一度、言葉を切る。
「中学の時、ちょっと面倒なのに絡まれてたの覚えてるだろ?」
唐突ではなかった。不安の延長線上にある話題だった。
「……ああ、そんな事もあったな。」
「なんか、あの時と空気が似てる。」
湊は苦笑する。
「理由はわかんないけど、妙に落ち着かないっていうか。」
澪が少しだけ黙る。あの頃の空気を、思い出したのかもしれない。
「あの時、玲央が間に入ったんだよね。」
「別にたいしたことしてないって。結局相手にボコボコにされたし。」
「別にじゃないって。」
湊はまっすぐこちらを見た。
「あれなかったら、俺もっとあいつらと拗れてたと思う。」
冗談めかしているが、湊は本気で言っている。
俺は視線を窓へと戻した。あの時助けたつもりはなかった。ただ、目の前でやられてたのを見すごせなかっただけだ。
「意外ね。」
落ち着いた声が割り込む。
白石凛。学年首位を維持し続ける才女。
タブレットを閉じ、静かにこちらを見ている。
「あなた、そういうことするような人だったんだ。」
「みんなちょっと大げさすぎるんだよ。」
「でも助けたのは事実なんでしょう?」
感情の起伏は小さいが、観察は鋭い。
その目は、評価するというより記録するようだった。
澪が小さく笑う。
「玲央は昔から困ってる人を放っておけないんだよ。」
その言葉に少し胸が引っかかるも、あまり気にしなかった。
列車がトンネルへと入っていく。段々車内が暗くなる。
窓に映る自分の顔。その向こうを、光が走った。
反対車線を、同型の新幹線がすれ違う。
窓越しに見えた制服に、少し見覚えがあった。蒼陵高校。市内でも名の通った進学校だ。
「……今の、蒼陵じゃない?」
澪が呟く。
「偶然だろ。」
湊はそう言ったが、確信はない。
凛は何も言わない。ただ目を細め、流れ去る車両を見送っていた。やがて減速が始まる。
『間もなく終点です。』
終点。修学旅行で使うには、少し不釣り合いな言葉が無機質なアナウンスとともに鳴った。
列車が停止しドアが開く。ホームへ降りた瞬間空気の質が変わった。
そこには人がいなかった。駅員も、観光客も、売店も。
広いホームに、風だけが吹き抜けている。
「……なんだ、ここ?」
誰かが呟いた。
その時反対側のホームに、新幹線が滑り込んでくる。ドアが開き、生徒たちが降り立つ。それは先程見た蒼陵高校の生徒だった。
修学旅行の行き先が偶然にも同じだった?
いや、偶然にしては、出来すぎている。
不安になった他の生徒は朝倉先生に質問するも先生は何も説明してくれない。
朝倉紫苑はホームに立ち、こちらを見渡している。全員揃っているか確認しているようなその目に迷いはなかった。
突如スピーカーが鳴る。
無機質な電子音。
『ようこそ。』
ざわめきが止まった。
『選抜区域へ。』意味の分からない単語。
誰かが笑いかけて、すぐにやめた。冗談にしては、空気が重すぎる。
俺は先生を見た。
朝倉紫苑は、静かに目を細めている。
その目は歓迎にも、試験官の視線のようにも見えた。
修学旅行のはずだった。
その前提が、足元から崩れ始めている。この場所が何なのか、俺たちはまだ知らない。
だが一つだけ、確かな予感があった。
――これは、ただの旅行ではない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第一章「旗手」開幕です。
修学旅行のはずだった彼らが辿り着いた場所の正体は何なのか。次話から“選抜”が本格的に始まります。
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