第八十話 双鞭、川の息(後)
川の息は長い。
呼延灼は岸の高みで馬を止め、双鞭を解いて地を軽く打った。
乾いた音が二つ、間を置く。
遠くで灯が三度、わずかに遅れて短い鼓。
「合図がある……二短一長」
彼の耳は土と同じように、その間を覚えた。
流れの筋に丸太が沈み、矢縄が渡っている。
舟は腹を見せず、舳だけで息を合わせて滑る。
呼延灼は双鞭の節を指で撫で、鞭を地へ置いて膝を折った。
刃を抜く場面ではない、ということだけが遠くからでも分かった。
彼は小さな包みを作る。
乾かした塩と粟を指先ひとつぶずつ、薄い骨粉を爪の先ほど、生姜を糸に削る。
古い星印の竹片を添え、布で巻いた。
“湿りは腹に非ず。双鞭は秤、刃に非ず。椀の門へ問う”
矢の代わりに、双鞭の輪で包みを軽く弾き、川へ滑らせる。
流れは粗くない。包みは丸太の陰を伝って、対岸の見えぬ誰かの手へ消えた。
風が変わり、桂花の糸が薄く返った。
呼延灼は眼を閉じ、双鞭の鎖を掌で温める。
刃を研ぐより、息を整えるべき刻だ。
“征すべし”という文の重みは火で軽くなり、秤は腹のほうへ傾いた。
日が傾くころ、対岸の灯が五呼吸で明滅し、短い鼓が二度、間を置いて一度。
呼延灼は鞍に手を掛け、馬の鼻先を北へ向けた。
「合図は聞こえた。あとは椀の息に合わせるだけだ」
双鞭はまだ静かだ。
だが乾いた音は、秤の上で軽く跳ねる準備をしている。
彼は名を告げず、ただ川筋に沿って進んだ。
灯と鼓と湯気の間で、自分の鞭がどこへ入るかを探すために。
夜、遠い空で星が増える。
双鞭の鎖は冷えるが、掌の温もりでゆっくり柔らかくなった。




