第五十二話 虎皮と桂花の門
薄曇りの朝、梁山泊|りょうざんぱく の迎客門|げいかくもん に白い湯気が上がった。
李翔|りしょう は竈|かまど に骨湯|こつゆ を満たし、桂花|けいか と酒粕|さけかす を落として粥を炊いていた。
炭房隊|たんぼうたい が薪を割り、水房隊|すいぼうたい が井戸水を汲み、診療所では郭盛|かくせい が骨梅湯|こつばいとう を温める。
誰も知らない──今この刻、北の山道で塩袋を山と積んだ荷車列が近づいていることを。
見張り台|やぐら の陳石|ちんせき が耳を澄ませた。
風の底で車軸|しゃじく が軋|きし》む音、その前を押す硬い靴音。
矢倉やぐら の笛が三短で警戒を告げる。
魯智深|ろちしん は丸太を肩に担ぎ、林冲|りんちゅう が槍|やり を壁へ立てた。
「炭の匂いじゃねえ。塩と……獣の皮だ」
石橋の袂|たもと に列が現れた。
荷車の先頭で鉄棍|てっこん を肩に歩く男──虎皮を半身に巻き、桂花の香を帯びている。
武松|ぶしょう。
背後の荷車には破れた塩袋を積み、同行の塩運びたちは疲労に脚を引きずっていた。
李翔は椀|わん に桂花粥|けいかがゆ を盛り、蜂蜜を一滴垂らす。
「腹を先に満たす門だ。銭も名も後でいい」
武松の鼻先へ湯気が届く。
虎骨湯|ここつとう を煮込んで数日、獣脂|じゅうし と桂花が指先に残ったままの彼は、一瞬だけ棍を握り直した。
陳石の笛が止み、楊志|ようし が竹札板|いた を差し出す。
星印は桂花蜜で濃く押してある。
「椀を受けるなら名を刻む。刃を抜くなら踏み越えて行け」
武松の喉が鳴り、腹が低く答えた。
鍔より先に椀の重みを掴み、湯を一口。
桂花の甘さが虎骨の苦味を包み、塩気が汗に変わった。
「武松、一名」
竹札に刻んだ刃跡は震えず、星が蜜を吸って光る。
林冲が槍を傾けて門を開き、魯智深が丸太を下ろした。
塩運びの一行が荷車を押すと、橋脚|きょうきゃく の石に星が映え、桂花粥の湯気が揺れる。
李翔は武松へ椀をもう一つ差し出した。
「虎骨が残っている。腹に灯|ひ》を足せば脚も棍も鈍らない」
武松は笑い、虎皮をほどいて肩を伸ばした。
「腹が選んだ椀だ。棍は灯を守るために振る」
荷車が広場へ入ると、塩は兵站隊の倉庫へ運ばれ、塩袋の破れを郭盛が椀薬班|わんやくはん の薬蜜で縫う。
星印竹札は新たに百刻、《虎星》と名付けられた。
湯気は梁間|はりま をくぐり、虎皮の匂いと桂花の甘さを混ぜて夜空へ抜けた。
新しい灯が門に加わり、刃は鞘で眠る。
腹鼓|はらつづみ がひとつ、砦全体に静かに響いた。
虎皮を巻いた武松は椀を選び、梁山泊の星印に〈虎星〉が刻まれました。
塩を積んだ荷車が倉庫を満たし、次回は警備再編と椀屋の夜警――武松が見回りに立つ夜、闇商の残党が最後の足掻きを試みます。




