第四話 花和尚前史〈下〉
五台山を追われた魯智深は、雪解けの沢水で喉を潤しながら山麓へ下った。
腹は空っぽ、手足は震える。
辻で旅の商人が置き忘れた酒粕を見つけ、思わず笑みがこぼれた。
薪を集め、土鍋に油と干肉、酒粕を溶き入れる。甘い湯気に旅人が集まり、即席の夜宴が始まった。
だが香りは追っ手も呼ぶ。役人の影に気づくや、智深は鍋を抱え屋根伝いに逃げた。
月光に僧衣が翻り、湯気が白い尾を引く。
渭水の岸に出ると、若い猟師たちが面白半分に石を投げる。
一つは肩を、一つは額をかすめ、赤い滴が土に落ちた。
怒りの火花が散る。
岸辺の柳を抱き、全身に力を込める。
「――南無!」
大地が鳴り、柳は根ごと引き抜かれた。
猟師たちは蜘蛛の子を散らすように逃げる。
腕の震えは怒りより飢えに近かった。
夕刻、荒地の向こうに小さな灯がともる。
風が運ぶのは、甘辛い肉と香草の匂い。
木札が揺れている。
《梁山泊 飯屋》
疲れたら寄れ
黙っていても、飯は出す
魯智深は柳を杖に、最後の力で歩を進めた。
戸口まであと数歩というところで膝が折れ、巨体が土に伏す。
「おい、でかいのが倒れたぞ!」
「中へ運べ、湯を沸かせ!」
戸口から駆け寄る若者の声。
そして、鍋をかき混ぜる柔らかな音が耳に届いた。
物語はここで静かに繋がる。
柳を引き抜く豪胆さと、飢えに震える素直な心。
魯智深という極端な存在が、梁山泊に新しい風を吹き込みます。
次回『第五話 魯肉飯、運命の一杯』――李翔の鍋と花和尚の胃袋が激突する瞬間をどうぞお楽しみに。