第三十六話 青面獣、都を追われる
都の冬は灰色の風が走る。
高楼の屋根に掛けられた錦の幔幕が凍てつき、わずかな陽を弾くたび、まるで金色の氷が砕けて飛び散るようだった。
その楼門の前で、楊志は革手に包んだ拳を静かに握る。
欠勤を告げる太鼓が三つ打たれた。
花石綱――皇都へ献上される奇石と名花の護送責任者という重職から、楊志はわずか一刻で転落した。
理由は簡潔。護送中に船が転覆し、積み荷が半分以上流されたのだ。
「物言わぬ石に運命を決められるとは」
そう零す声は震えていない。
けれど頬は常より蒼く、故に「青面獣」と呼ばれる刺青が一層映えた。
同僚だった武官が門の影から顔を出す。
「楊将、賠償令が出た。銀三百両。払えぬなら追放だ」
楊志は短く礼を返し、剣帯の留め革を緩めた。
「銀が無いことは役所が一番よく知っている。追放で済むなら安い」
武官は言葉をなくし、節の欠けた笛のような吐息を漏らした。
楊志の背にあるのは、賠償を命じられながら銭一文受け取らぬ薄情な故郷と、戦場で血を吸った業物の青龍剣だけ。
それでも靴音は真直ぐ、門を出てから振り返ることはなかった。
*
石畳を抜けて外濠まで歩くと、氷雨に混じって白い花びらが舞っている。
落ちる先を追うと、護送船が沈んだ河口の方角だった。
視線を切り、茶屋の軒で止まる。
土間に敷かれた簾から、湯気と醤の匂いが漂った。
小椀一杯の粥に文銭を投じ、楊志は音を立てずに啜る。
骨と塩だけの薄味。それでも腹に落ちた瞬間、武勲で固まった背筋がわずかに溶けた。
「剣を握る手より、椀を支える手のほうが重いか」
つい洩らした独白に、店主の老爺が目を細める。
「重い手で支えると、薄い粥でも熱く感じるのさ」
粥を飲み干し、路銀の半分を老爺に渡すと、荷物はぐっと軽くなった。
都を出るには西の山道を抜けるしかない。
昼過ぎ、雪の匂いが濃くなると、荒野へ続く外門が見えた。
門番が錆びた槍で雪を払いながら叫ぶ。
「旅人は名を記せ! 塩抜きの飯を食いたくなけりゃ南へ回れ!」
楊志は筆を取らず、帽子の庇を下げて通る。
塩も銭も足りない者が通る道は決まって北だ。
北は狼と飢えと雪の道。
だが、背に青龍剣がある限り、畏れる理由は無い──そう言い聞かせる。
門を抜けてしばらくすると、凍えた風の向こうから木槌の音が聞こえた。
山の中腹、白い湯気が一本、月へ向かって上がっている。
焚き火か──それとも砦か。
歩みを止めると、腹が低く鳴った。
十二刻ほど何も胃に入れていない。剣を抜くには悪い予兆だ。
湯気は風で千切れても、すぐ新しい筋をのばす。
近づくほど、酒粕と梅の甘酸っぱい匂いが鼻腔へ入り込み、剣の柄より椀の丸みを指が思い出す。
「──……寄るか」
呟きにも似ぬ息が霜で白く浮き、すぐ溶けた。
楊志は歩く先に湯気を定め、氷を割る足取りを速める。
雪晴れの空に月が淡く掛かり、峰に建つ門の白布が、まだ見ぬ名を示すように揺れていた。
都を追われた楊志は、一椀の粥だけを頼りに北の山道へ足を向けました。
凍える旅の先で彼が見る白い湯気は、梁山泊へ続く唯一の灯火。
次話では、炎天下での生辰綱護送、そして追い打ちをかける盗賊の影が楊志の心と剣を削ります。




