第三話 花和尚前史〈上〉
渭州の夕市は、香ばしい煙と人いきれでむせかえる。
稽古帰りの魯達は、干し肉でも買おうと露店に近づいた──その足が止まった。
肉屋の鄭屠が旅の老人と娘をまな板の前に追い込み、
「借金が返せぬなら娘を置いてゆけ」と包丁の背で卓を叩いている。
「おじいさん、本当に借りがあるんですか?」
「い、いや…利子が雪だるまになってのう」
娘の肩は小さく震えていた。
魯達は拳を握った。
卓に銀貨を叩きつけ、肉を十斤まとめ買い。
「代金は払った。釣り銭は――」
握りつぶした銀を地面へ投げ、足で踏みつける。
「悪銭は土に還れ」
怒りに頬を紅潮させた鄭屠が包丁を振り上げた瞬間、稲妻のような右拳が唸った。
看板が裂け、鄭屠は血と脂まみれの床へ崩れ落ちる。
どよめきの中、魯達は老人と娘を舟着き場へ案内した。
夜霧の川面に小舟が浮かぶ。
「名を尋ねるな。礼も要らん。しっかり生きろ」
舟を見送る背に黒雲が月を隠す。
この一撃で、自分は官憲に追われる立場となった――そう悟った。
頼るは五台山文殊院のみ。
山門で頭を剃り、新たな法名「魯智深」を受ける。
粟粥と菜っ葉ばかりの修行食。
夜な夜な麓へ降りて酒をあおり、炙った肉を頬張るうちに、若い僧から花和尚と呼ばれるようになった。
雨の夜、酒気の抜けぬまま堂守と口論し、掛け軸を破る大失態。
院主の怒声を背に、智深は錫杖と粗衣一つで山門を追われた。
冷たい水滴が僧衣に染みこむ。
拳を見下ろし、つぶやく。
「強さとは……何だ」
正義と罪を同時に背負った拳。その重さを抱えたまま、魯智深は山を下ります。
次話では破れた僧衣のまま“柳抜き”事件を起こし、ついに梁山泊の灯に導かれるまでを描きます。