表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
梁山泊 -Liang’s Dining-  作者: 高火力鉄鍋
32/89

第二十三話 麦香が舞う粉塵の蔵

豆倉から北へ一里。

ひときわ背の高い土壁が雪を弾き、乾いた小麦粉の甘い匂いを風に乗せていた。

ここは粉蔵こなぐらと呼ばれる禁軍の麦倉庫。

張り紙には「湿気厳禁・火気厳禁」の赤字が並び、門番の兵は冷えた空気の中で緊張を保っている。

小麦粉は燃える――いったん粉塵が舞えば、火花一つで倉が炎に包まれる。

それを知る兵ほど警戒心が強い場所だった。


李翔は雪粥の空桶をそりの端に縛り付け、代わりに籠に入れた小麦の生地をそっと抱える。

籠を覆う布をめくると、生地には酒粕と蜂蜜を練り込み、麦麹むぎこうじの酸がほのかに香る。

「粥ではなく“蒸し饅”でいきます」

王進が問いかけるような視線を向けると、翔は小さく笑った。

「小麦の倉には麦の香を。理屈でなく鼻と舌に響くやり方です」


魯智深は丸太を肩から降ろし、粉蔵の手前で雪を踏み固めた。

「坊主は腹が鳴る音で兵の耳を揺らしてやる」

史進は背負い弓を外し、矢筒を槍のように抱える。

「火を使わず、香りだけで粉塵を抑える。弓より難しい仕事ですね」

林冲は槍を布で包み、娘娘とともに後方へ回る。

「警護より避難誘導。倉が燃える怖さを知る者を安心させるのも剣の務め」


清蘭は薬籠を開き、酸味を和らげる生姜を小瓶に詰めた。

凌凰は弓を握り、高所の見張りへ上がる。

周文は帳面を懐に入れ、粉蔵の門番に声を掛けた。


「夜勤の兵に麦湯を。無銭です。都の配給に足りぬ分を民が補うだけ」

門番は眉をひそめる。

「前夜の粥で腹を緩めた者もいた。粉蔵には入れるわけにいかぬ」


翔は籠の布をそっと開き、白い饅を取り出した。

蒸気が雪の中で真っ直ぐ立ち昇り、蜂蜜の甘さと酒粕の芳香が漂う。

門番の瞳が湯気を映して揺れる。

「火は使わない。石臼で挽いた粉を蒸気で膨らませただけ」


王進が一歩進み、低い声で帳面を示す。

「倉にある粉の三割が帳面上消えています。

 私たちは奪いに来たのではなく、兵と民に戻す方法を示しに来た」


門番は饅を受け取り、慎重に割った。

熱い湯気が上がり、ほのかな甘酸が鼻を抜ける。

口へ運ぶと、酒粕のコクと麦の甘みがしみ出し、体の芯がほどける。

「……暖かい」


翔は門番の手袋を指さした。

「麦で腹を満たせば粉塵は暴れません。

 飢えた兵が袋を乱暴に投げれば粉は舞い、火気厳禁の札だけでは守れない」


魯智深が丸太を立て、饅を門前に並べた。

「腹の足りぬ者は椀より饅が早い。噛めばすぐ熱が回る」


奥の見張り台で笛が鳴り、交代兵が雪道を下る。

疲労で脚を引きずりながらも、甘い匂いに足を止める。

史進が饅を差し出し、矢筒で雪をならして腰掛けを作った。

「警備を続けるなら、一口でいい。麦は兵の血になる」


林冲が槍をついて立ち、娘娘が湯を配る。

「饅と湯で腹を満たし、火を厳禁と唱えるより先に心を鎮めよう」


倉の中で袋を運んでいた兵までが交替で門前に来た。

饅を手にし、湯を啜り、背を伸ばす。

粉塵が舞うほど粉袋を投げていた腕は、熱を得て慎重に動き始めた。


周文は帳面に新たな印を残し、門番へ渡す。

「これはあなた方の給金。横流しの分を引けば計算が合う」

門番は帳面を受け取り、深く頭を下げた。

「粥も饅も要らない日が来たら、我々の番です。剣ではなく腹で動かします」


夜が深くなり、粉蔵の窓に灯がともる。

兵たちは疲れた目をほぐすように麦湯の湯気を吸い、静かに荷を運び続けた。

粉雪の上に甘い香りが漂う。

梁山泊の面々は空になった籠を橇に載せ、雪道を戻る。


魯智深は酒粕饅を一つ手に取りかじった。

「腹が温まれば拳はいらん。

 坊主の丸太より、この饅の方が強いな」


王進は穏やかに頷く。

「数字を正す証は帳面。だが確かに動くのは、湯気と甘みが通った腹です」


史進は香袋を握り締めた。

「村に帰る日、この饅を焼きます。

 剣より椀より、香りで守れるものがあると分かった」


翔は空籠の布を整え、雪に落ちた小麦粉を指先で拭った。

「腹を満たす灯は、まだあちこちで消えかけている。

 次の蔵へ向かう前に、梁山泊で新しい仕込みをしよう」


雪空に月が顔を出し、粉雪が銀色に光る。

暖簾の揺れる飯屋を目指しながら、彼らは静かに歩みを進めた。

湯気の旗は高く、麦香とともに夜風を越えて漂い続けていた。

麦香る饅が粉塵の蔵で兵の腹と心をつなぎ、剣より速い説得が成功しました。

梁山泊の灯は二つの倉を渡り、都の兵にも届き始めています。

次は「油泣きの蔵」。

炎を呼ぶ油の貯蔵庫で、湯気と香りはどんな灯を灯すのか。次回をお楽しみに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ