第十八話 雪峠の椀、拳と剣の火合わせ
峠に入ると風は牙をむき、雪を水平に叩きつけた。
王進は外套の襟を合わせ、史家村から受け取った香袋を胸に雪を踏みしめていく。
山椒と陳皮の乾いた匂いは吹き荒れる風にもかすかに残り、梁山泊の方角を示すかのようだった。
昼を過ぎた頃、岩棚の向こうで地鳴りのような笑い声が響く。
「ハッハッハッ、雪も腹もまとめて燃やしてやる!」
巨躯の僧が豪腕で折れ柳の丸太を担ぎ、粗末な竈を組んで火をあげている。
花和尚、魯智深。道中で名を聞いた豪僧だった。
鍋の蓋が踊り、猪の背脂と酒粕の湯気が雪を押し返している。
王進が近づくと、魯智深は火花のような目を細めた。
「おお、凍えた旅人か? 椀を持っているか」
「椀はありませんが、心は空いています」
穏やかに答えた王進は自分も竈を組み、鉄鍋を雪上に置いた。
香袋の山椒をひとつまみ粉にして鍋へ落とすと、風向きが変わり辛く熱い香りが広がる。
魯智深が丸太を追加しながら笑った。
「剣を置いた武人と丸太を担いだ坊主。いい組み合わせだ」
「同じ火を囲めば丸太も剣もいらない。湯気で腹を溶かしましょう」
雪が短く弱まった隙、峠上から狼皮をまとった山賊が駆け下りてきた。
凍える目は飢えで赤い。
魯智深が丸太を構え、王進は木剣を横に置く。
剣の代わりに鍋の蓋を開いた湯気が賊の鼻先を包む。
山賊の足が止まり、胡椒と酒粕の匂いで瞳が揺れた。
「腹を冷やすより椀を選べ」
王進の声は低く温かい。
一人が刃を下ろし、仲間も雪に突き立てる。
魯智深は豪快に笑い、鍋を覗き込んだ。
「椀で腹を満たし、刃は雪に埋めよう。それで済む夜もある」
鍋の湯気が輪を作り、賊たちは黙って椀を受け取った。
凍えた指が熱を離せず、徐々に肩の力が抜ける。
風が再び強まり、香りと湯気を攫ったが、刃は戻らなかった。
食後、賊の頭目は震えながら礼を述べ、雪の奥へ消えていく。
魯智深は丸太で雪を叩いて笑った。
「腹がいっぱいになりゃ拳の出番もない!」
最後の肉を王進の椀に落としながら、僧はまじめな顔に戻った。
「都の皿は冷えきっている。腹に灯を入れる旗を見つけたくて旅をしている」
王進は頷く。
「私も剣を置き、灯を探す。梁山泊に小さな飯屋があると聞きました」
「坊主もそこを目指す。なら道連れだ。丸太と剣と鍋で都より温かい旗を立てよう」
二人は雪を踏み、香袋の残りを焚べながら峠を下った。
遠い斜面に白い暖簾が揺れている気がした。
剣を捨てても灯は消えない。
次に椀を掲げるとき、剣と拳と湯気が同じ火を囲むだろう。
王進と魯智深が峠で出会い、椀一つで刃を鈍らせました。
これで梁山泊へ向かう灯は二つ。史進はあの村で師の背を追う決意を固めています。
次回は飯屋の暖簾が揺れ、剣と拳と鍋がようやく一つの卓を囲む場面を描きます。




