8 変異した鬼たちとの闘い
「水流砲!」
河童は高速で穴の底を落下しながら水平に水流砲を放ち、放水が穴の壁に命中すると、その勢いで後ろに飛ばされた。
「金剛甲!」
河童は背中に出現させた金剛甲で後ろの壁に激突し、そのまま正面の壁に向けて水流砲を放射し続けた。
「金剛甲と水流砲のブレーキだきゃああああっ! 止まるだきゃあああああっ! 止まるだきゃあああああああああああああああっ!」
河童は金剛甲の長い軌跡を穴の壁に刻みながら、深い穴の底へ落下していった。
旋鬼はつむじ風に変えた両腕を伸ばし、鏡太朗と酉可意兵を連続して攻撃していた。次々に襲いかかるつむじ風の攻撃を酉可意兵は空中を旋回して避け、鏡太朗は地面を駆け回ってかわしていたが、鏡太朗がかわし切れなかったつむじ風を霹靂之杖で受けると、霹靂之杖がつむじ風に巻き込まれて飛んで行きそうになった。
「攻撃を受けると、霹靂之杖がつむじ風に持って行かれる! でも、今こそ術を遣うチャンスだ! 古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 天地鳴動日輪如稲妻!」
つむじ風の中の霹靂之杖は、紙垂の周囲に雷の塊が生じただけで反応がなかった。
『天地鳴動日輪如稲妻が発動しない! 物質に当たらないと発動しないのか!』
つむじ風になったもう一本の腕が伸びて、頭部を直撃された鏡太朗は後ろへ吹き飛ばされた。
酉可意兵のクチバシが白く光り、旋鬼に向かって急降下してクチバシから体当たりをすると、旋鬼の全身がつむじ風に変わり、そこに飛び込んだ酉可意兵はつむじ風に巻き込まれ、回転しながら洞窟の天井に叩きつけられ、激痛で呻き声を上げた。
「酉可意兵さん! 古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 霹靂之檻!」
鏡太朗が裂帛の気合を込めて霹靂之杖を地面に突き刺すと、全身をつむじ風に変えた旋鬼を囲むように二十四本の細い雷が地面から洞窟天井に向かって走ったが、つむじ風は雷を通り抜けて雷の檻を脱出し、誰もいない雷の檻の中心で地面から大きな雷が駆け上り、洞窟天井に当たって炸裂した。
鏡太朗は愕然としてつむじ風を見つめながら、無力感に襲われていた。
「だめだ……。俺の攻撃が全く通用しない……」
酉可意兵は着地して鷹のような両前足から白い光を放つと、白く光る爪でつむじ風を引き裂こうとしたが、大きく膨らんだつむじ風に巻き込まれ、回転しながら天井に激突して落下していった。つむじ風は再び旋鬼の姿に戻り、上から落ちてくる酉可意兵に両手を向けると、両腕をつむじ風に変えた。二本のつむじ風は酉可意兵に向かって伸びていき、先端部分だけが手に変化して十本の指先の鋭い爪が酉可意兵の背中に深く突き刺さり、酉可意兵は絶叫しながら地面に落下した。
「ぐわああああああああああっ!」
「酉可意兵さん!」
「他の奴を心配してる場合じゃないわよ! 次はあなたの番よ!」
旋鬼の両腕は再び先端までつむじ風に変わり、鏡太朗に向かって左右別々の軌道を描いて伸びていった。鏡太朗は次々に襲いかかるつむじ風を地面を駆け回って避けたが、一本のつむじ風の先端が旋鬼の左手に変わり、霹靂之杖を持つ鏡太朗の右腕をつかんだ。
「しまった!」
鏡太朗は旋鬼の左手から逃れようと必死にもがいたが、旋鬼の左手は微動だにせず、そこに旋鬼の右腕のつむじ風が迫った。
『避けられない!』
逃れられない状況にたじろぐ鏡太朗の目の前で、つむじ風の先端が右手に変わり、その指先の鋭い爪が鏡太朗の胸から腹を狙って一直線に飛び込んできた。
『刺される!』
鏡太朗は大きく目を見開いて、もはや避けることができない旋鬼の刃物のようなオレンジ色の爪を凝視した。
「鏡太朗―っ!」
その時、鏡太朗に向かって飛んで来たライカが、女の子の姿に戻って鏡太朗の前で両腕を広げた。
「ううっ!」
來華の胸から腹にかけて旋鬼の五本の爪が突き刺さり、爪は來華の体を貫いて背中から飛び出した。
「ライちゃん!」
鏡太朗は愕然として、目の前の來華の後ろ姿を見つめた。
「あらぁ、別の奴を串刺しにしちゃったわぁ」
旋鬼はニヤリと笑いながら、両腕を元の状態に戻した。
鏡太朗はその場に崩れた來華を抱きかかえると、涙を流して來華に呼びかけた。
「ライちゃん! しっかりして! ライちゃん!」
來華は両目に涙を溜めて微笑んだ。
「鏡太朗が……生きててよかっ……た……」
來華の閉じられた両目から、涙が頬を伝って流れた。
「ライちゃん! ライちゃん! ライちゃああああああああああああん!」
鏡太朗は泣きながら呼びかけたが、來華の反応はなかった。鏡太朗の頭に來華との色々な思い出が駆け巡った。
「ちくしょう! どうしたらいいんだ! ライちゃん! ライちゃん!」
鏡太朗が抱きかかえている來華の下では、地面に赤い血が広がっていった。
酉可意兵は鏡太朗と來華の様子を見つめながら、地面から起き上がった。
『誰かが犠牲になると、桃花殿が悲しむでござる』
酉可意兵は、かつて魔界で見た光景を思い出した。
酉可意兵が桃花の村から預かった荷物を背に乗せて飛んでいると、無残にもバラバラの遺体に変わり果てた魔物と、地面の上で慟哭している妻と子どもたちを発見した。少し離れた場所では、茫然とした桃花が、戌可意兵と一緒に立ち尽くしていた。やがて、桃花たちはその場を立ち去った。
酉可意兵が桃花と戌可意兵に追いついた時、桃花が突然その場に崩れて両手両膝を地についた。
「私は悔しいです。私がもっと早く到着してさえいれば、あの魔物は温羅の犠牲にならなかったはずです。私のせいです。温羅から全ての命を守ると誓ったのに、私は……、私は……」
桃花は地面に顔を伏せて号泣し続け、戌可意兵の兄弟と酉可意兵は涙を流しながら桃花を見つめ続けた。
『桃花殿……。あなたの辛い思いと悲しみ、悔しさが痛いほどわかるでござる。でも、某にはあなたの苦しみを和らげる言葉が見つからないでござる。悲しみに打ちひしがれるあなたを見ても、黙って泣くことしかできない某の無力さが悔しくて、悔しくてたまらないでござる……』
酉可意兵は全身から白い光を放ち、泣きながら來華を抱きかかえている鏡太朗に呼びかけた。
「鏡太朗殿、頼みがあるでござる。桃花殿に、某は桃花殿に仕えて幸せな生涯だったと伝えて欲しいでござる。式神は魂を持たない故、生まれ変わることはできぬが、もしも再び命を持つことができるのだとしたら……、そんな夢みたいなことが叶うとしたら……、また桃花殿に仕えたいと思うでござる」
鏡太朗は酉可意兵の言葉に戸惑いを見せた。
「酉可意兵さん……? 何を言ってるのかわからないよ……」
「酉可意兵は宇宙から膨大な霊力を集めて全身を燃え上がらせて、自爆することができるでござる。秘乞咲世李の酉可意兵も、この方法で二千百年前の温羅に大きなダメージを与えたと聞くでござる」
「じ……、自爆? だめだ! 絶対にだめだよ!」
「某は、犠牲者が出た時の胸が張り裂けんばかりの悲しみを、二度と桃花殿には味わわせたくないでござる!」
酉可意兵の全身が真っ赤に燃え上がって炎で包まれた。
「酉可意兵さん!」
旋鬼は炎に包まれた酉可意兵を見てニヤリと笑った。
「何か取って置きの攻撃があるのかしらぁ? 楽しみねぇ。あたしはこのつむじ風の力をもっと試したいのよ。さあ、受けてあげるからかかっておいで」
旋鬼の全身がつむじ風に変わった。酉可意兵は炎で包まれた翼で羽ばたくと、炎の尾を引きながらつむじ風に向かって真っ直ぐ飛んで行った。
「酉可意兵さあああああああああん!」
溶鬼と闘っていた桃花が鏡太朗の絶叫の方に目を向けると、全身を炎に包まれた酉可意兵がつむじ風に向かって飛んでいた。桃花は目を見開いた。
「酉可意兵さん! そんな……。うっ!」
溶鬼の伸びる脚の蹴りを受けて吹き飛び、地面を転がった桃花は、すぐに起き上がって酉可意兵を見た。桃花の視線の先で、酉可意兵はつむじ風に飛び込んで大爆発を起こし、爆風が洞窟中に広がった。
「酉可意兵さん! 酉可意兵さん! 酉可意兵さああああああああああああん!」
桃花は爆風の中で酉可意兵の名を叫び続けた。桃花は初めて酉可意兵と出会った時のことを思い出した。
桃の木の林の近くの草原で、十歳の桃花は酉可意兵と向かい合って喜びの表情を浮かべていた。そばに立っている桃花の母が、厳しい顔を崩して笑顔を見せた。
「桃花。やっと式神を呼び出す術が成功しましたね。今までよく頑張りました」
「某は酉可意兵と申すでござる。某はこれからご主人様にお仕えするでござる。なんなりとご命令を」
「え? 何でも言うことを聞いてくれるのですか?」
桃花はわくわくするような喜びと期待で胸をいっぱいにして、煌めくような笑顔で酉可意兵を見上げた。
「いかにも。某はご主人様の式神、ご主人様のご命令には何でも従います」
「酉可意兵さん、私は桃花といいます! 早速お願いしたいことがあるのですが……」
「何でござる?」
「私と友達になってください!」
桃花が向ける屈託のない笑顔の前で、酉可意兵は面食らった表情をした後で微笑んだ。
「承知したでござる」
「ずっと、ずっと、いつまでもですよ!」
『酉可意兵さん……。あなたは私にとって、初めての友達でした……。これからもずっと一緒だと思っていたのに……』
涙を流し続ける桃花に向けて溶鬼の腕が伸び、その先端の爪が迫った。桃花は戌可意兵の兄に羽織を噛まれて引っ張られ、溶鬼の爪から逃れた。
「桃花様、お気持ちはわかるけど、俺っちたちは溶鬼との闘いに集中しないと」
桃花が戌可意兵を見上げると、号泣している弟の隣で力強く自分を見つめている兄の目からも涙が流れていた。
「……そうですね……。ありがとうございます。戌可意兵のお兄さん」
桃花と戌可意兵の兄弟は、前方の溶鬼を睨んだ。
「温羅の手下なんて三下野郎、俺がぶっ倒してやるぜ!」
申可意兵が息巻いて鋼鬼に向かって突進したが、正面から見えない衝撃を受けて後方に五十メートル吹き飛んだ。その間にナツは鋼鬼の右側面に回り込んで灼熱之槍で首を突いたが、槍が当たった箇所の鱗が鋼色に変わり、槍は真っ二つに折れた。
「灼熱之槍が!」
鋼鬼は高温でドロドロに溶けた鋼の塊をナツに向けて口から吐き出し、ナツは間一髪でかわすことができたが、目がくらむほどの眩しい光を放つ溶けた鋼は地面に広がって周辺に燃え上がるような熱気を放射した。
「俺は高温で溶けた鋼『溶鋼』を口から吐き出すことができるのさ」
『じょ、冗談じゃないぞ! あんなもの、かすっただけでもタダじゃ済まない!』
ナツが目を見開いて冷や汗を流している横では、申可意兵が起き上がって鋼鬼に向かって突進していたが、見えない打撃で五十メートル吹き飛ばされた。
ナツは次々と飛んで来る溶鋼を必死に避け続けたが、見えない打撃を受けて再び吹き飛ばされた申可意兵が凄い勢いでナツに衝突して一緒に地面を転がり、倒れたナツと申可意兵を狙って溶鋼が飛んで来た。
『避けられない……。もう……終わりだ……』
ナツは、高熱と眩しい光を放つ溶鋼が視界を覆っていくのを茫然と見つめながら、自分の死を直感した。
「水流砲!」
ナツと申可意兵が強烈な放水を受けて吹き飛び、溶鋼が放水に当たって一帯に水蒸気が立ち込めた。ナツが見上げると、青く光るカッパに変身した制服姿の河童が隣に立っていた。
「魔物がもう一体だと?」
驚くナツに、河童が鋼鬼を見つめたまま言った。
「オラ、河童だきゃ!」
「河童! お前は魔物だったのか?」
「オラも一緒に闘うだきゃ……、うぎゃっ!」
鋼鬼を睨んでいた河童の首にナツの回し蹴りが命中し、河童は呻き声を上げて倒れた。
「魔物の助けなどいらん! 俺は絶対に魔物を許さない。温羅を倒したら、次はお前と桃花の番だ! うわあああっ!」
ナツは見えない打撃を背中に受けて鋼鬼に向かってもの凄い勢いで吹き飛び、正面から溶鋼が飛んで来た。
「超足! 水流砲!」
河童が超速でナツの側面に回り込んで水流砲を放ち、ナツは水流砲を受けて溶鋼から逃れて吹き飛ぶと、地面に左膝と左手をついた。
「河童! お前、なぜ俺を助ける?」
「自分が人間に生まれるのか、魔物に生まれるのかを選ぶことは誰にもできないだきゃ。ナツさんは、たまたま人間に生まれた者は選ばれた存在で、たまたま魔物に生まれた者にはひどいことをしてもいいって、そんな風に考えているだきゃ? ナツさんはまふゆさんが魔物に生まれ変わったとしても、魔物だという理由だけでまふゆさんを消し去るだきゃ?」
「そ、そんなあり得ない話など合理的ではない!」
ナツは河童の言葉に少しだけ動揺を見せた後、鋼鬼を睨んだ。ナツの視線の先では、申可意兵が苛々しながら溶鋼から逃げ続けていた。溶鋼の攻撃が止んだ瞬間、申可意兵は見えない打撃を背中に受けて鋼鬼に向かって吹き飛び、鋼鬼が吐き出した溶鋼が正面から迫ったが、河童の水流砲に吹き飛ばされて溶鋼から逃れた。
「やっとわかった! さっきも今と同じく、俺がこの鬼と向かい合っている時、背後から打撃を受けた。これはこの鬼の能力なんかじゃない。見えない鬼がもう一体いるんだ! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 赫灼炎焔!」
ナツが両掌から放射した真っ赤に輝く炎の柱が地面に当たると、輝く炎が鋼鬼と申可意兵、ナツ、河童が立つ地面の直径三十メートルの範囲に広がり、炎の中に身長三メートルの筋肉の塊のような体躯で、山羊のような角が生えた深緑色の鬼が姿を現した。
「よく気がついたな! 俺は魔力で姿と気配を消すことができるのだ! さっきまでは、俺が姿を消してお前らを蹴り飛ばして遊んでたのさ!」
深緑色の鬼は軽々とナツの頭上三十メートルまで跳び上がったかと思うと、凄いスピードで足から落下してきた。ナツが間一髪で地面を転がってそれをかわすと、その鬼が落下した瞬間に地面が揺れ、鬼の足の下の岩盤は砕けて大きくへこみ、赤く輝く炎で覆われた地表に大きな亀裂が走った。深緑色の鬼は、起き上がろうとしたナツの両膝の上に両足でふわりと跳び乗った。
『この鬼、ほとんど重さを感じない!』
「俺は体の重さを自由に変えることもできるのさ。今の俺の体重は千分の一の重さになっている。軽いだろう? これはどうだ?」
「ぐわああああああああああああっ!」
深緑色の鬼の足の下の岩盤に亀裂が走り、足の下のナツの両膝はあり得ない角度で折れ曲がっていた。
「どうだ、俺の重さは? 今は百倍の重さだ。急に重くなって、岩盤と一緒にお前の膝の骨も粉々に砕けたなあ。俺のことは重鬼と呼ぶがいい」
重鬼は軽々と三十メートル跳び上がると、凄いスピードで落下しながら叫んだ。
「今度は千倍の重さだ! 破裂したお前の体を魂ごと食らってやる!」
ナツは激痛に耐えながら必死に両肘で体を動かそうとしたが、すぐ目の前まで重鬼の足が迫り、ナツは死の瞬間が近づいていることを再び感じていた。
『今度こそ終わりだ……』
動かなくなった來華に覆いかぶさって爆風から守っていた鏡太朗が、立ち上がって前方の様子を見ると、無数の小さなつむじ風が地面の上で渦を巻いていた。
「酉可意兵さん……。あなたのお陰で旋鬼を倒せたよ。 え? そ、そんな……」
目を見開いた鏡太朗の視線の先では、小さなつむじ風がどんどん合体して大きくなっていた。やがて、全てのつむじ風が合体すると、旋鬼の姿に変わって笑い声を上げた。
「やっぱり、つむじ風の体にはどんな攻撃も効かないようねぇ。あたしって無敵よねぇ」
鏡太朗は霹靂之杖を握りしめて旋鬼を睨んだ。
『もうこれ以上、この鬼の犠牲者を出させるもんか! 雷の神様、どうか俺に力を!』
鏡太朗は凄まじいスピードで旋鬼に向かって駆け出したが、旋鬼の両腕がつむじ風になって迫って来た。鏡太朗は二本のつむじ風を避けながら旋鬼に接近し、頭を目がけて霹靂之杖を振り下ろしたが、旋鬼の全身がつむじ風に変って霹靂之杖がつむじ風に巻き込まれた。
「霹靂之杖が吹っ飛ばされそうだ! 放すもんかあああああああっ! うわあああああああああああっ!」
霹靂之杖と一緒に鏡太朗の全身がつむじ風に巻き込まれると、つむじ風は天井まで伸びて鏡太朗を岩盤に激しく叩きつけた。
「があああああああああああああっ!」
つむじ風は見る見る縮んで旋鬼の姿に戻り、鏡太朗は両目を見開いたまま意識を失い、百メートル下の硬い岩盤に向かって落下していった。