7 地下王国へ向かえ
「グラウンドにこんな穴が!」
呆然とする鏡太朗とナツは、桃花と一緒に学校のグラウンドに立っていた。鏡太朗たちの目の前には直径二十メートルの丸い穴が開いており、鏡太朗が下を覗き込むと、奥は暗くなっていて底の様子は全くわからなかった。桃花が言った。
「この穴は地下王国への出入口で、十町の長さがあるはずです」
「十町……。千九十メートルか、相当深いな。下までどうやって降りるんだ?」
桃花はナツの質問に答えながら、懐から丸い団子を取り出した。
「これを使います。見ていてください。古より鳥獣を司る喜美対呼之尊よ! その御力を宿し給え! 酉可意兵之羽撃!」
桃花が叫びながら団子を空中高くに放り投げると、団子は空中で黄色い光を放って眩しく輝き、輝きが消えた時には鷹の頭や胸、前脚、翼にライオンの下半身を持つ体長四メートルの黄色い怪物が姿を現していた。ナツが警戒して叫んだ。
「魔物か?」
「いいえ、彼はとても礼儀正しくて誠実な私の式神の酉可意兵さんです。私の先祖の秘乞咲世李が、神主のおじいさんから学んだ術で出現します。彼は鳥のように空を飛ぶことができて、誠実に役目を果たしてくれるので、魔界では温羅を追う私の許と村を行き来して、情報や食料、術に使う団子などを運んでくれるのです」
「某は酉可意兵と申す者。よしなにお願い致す」
「お、俺、鏡太朗。酉可意兵さん、よろしくね」
「酉可意兵さん、温羅が復活しました。私はこれから温羅を倒しに行きます。どうか、この穴の底の地下王国まで私たちを運んでください」
酉可意兵の表情が険しくなった。
「温羅が……。承知した。某の背に乗るでござる」
桃花、鏡太朗、ナツの順に酉可意兵の背に跨った。
酉可意兵が羽ばたきながら真っ暗な穴を降下していくと、やがて穴の底から金色の光が差し込んで穴の周囲の様子が見えてきた。鏡太朗は桃花に言った。
「穴の底は明るいんだね、安心したよ。穴の底も真っ暗だったら、どうやって闘えばいいんだろうって考えてたんだ。ん? この穴の壁って、よく見たら小さい穴がたくさん開いているけど、これは何だろう?」
「鬼たちは手足の爪を突き刺しながら、穴を這い上がったり這い降りたりしていたそうです。その穴は恐らく二千百年前に鬼たちが地上と地下を行き来した跡でしょう」
「これは!」
驚愕して叫び声を上げた鏡太朗の視線の先には、幅三十センチ以上の巨大な爪を刺した痕が、手指の形に五つ並んで穴の壁に刻まれていた。桃花が緊張した表情で言った。
「これは……、温羅の爪の跡と考えて間違いないでしょう……」
「温羅はこんなにデカいのか……」
そう呟いたナツと鏡太朗は、心の中で不安と緊張が急速に高まっていくのを感じていた。
穴の底に到達すると、そこは高さ百メートル、幅二百メートル程の岩盤で囲まれた空洞になっていて、地面の岩盤が金色に光り輝いていた。奥行きは二百メートル先まで地面が光っていたが、その先は地面が光っておらず、暗闇になっていた。
酉可意兵は空洞の中央に着地し、桃花たちは光る地面に降りた。
「他の式神も呼び出します」
桃花はそう言って懐から団子を二つ取り出すと、空中高くに放り投げて叫んだ。
「古より鳥獣を司る喜美対呼之尊よ! その御力を宿し給え! 戌可意兵之噛砕! 申可意兵之咆哮!」
団子の一つが瑠璃色の光を放ち、もう一つの団子は白い光を放った。瑠璃色の光が消えると、瑠璃色の毛で覆われた二つの頭が横に並んでいる体長四メートルの犬が出現し、白い光が消えると、白い毛で覆われた凶暴そうな身長二メートル四十センチのヒヒが姿を現した。白いヒヒは顔を上げて雄叫びを上げた。
「こちらの瑠璃色の式神は地上を風のように駆け抜け、どんなに硬いものでも噛み砕く戌可意兵さんです。鼻がよく利いて、遠くの微かな匂いも嗅ぎ分けるんですよ。ちなみに、右の頭がお兄さんで、左の頭が弟さんです」
「戌可意兵さん……のお兄さん、弟さん。俺、鏡太朗です。よろしくね」
「兄ちゃん……、初対面だとなんか恥ずかしくて、僕、この人間の顔を見られない……」
「鏡太朗、俺っち戌可意兵の兄さ。よろしくねー。弟はめっちゃ恥ずかしがりやで引っ込み思案だけど、弟のこともよろしくねー」
戌可意兵の兄が人懐っこい笑顔を鏡太朗に向けている隣では、弟が恥ずかしそうに俯いていた。
「こちらの白い式神は申可意兵さんです。とても力持ちなのですよ」
「申可意兵さん、俺、鏡太朗。よろしくね」
「あぁ?」
鏡太朗が申可意兵に挨拶すると、申可意兵は不機嫌そうに鏡太朗を睨んだ。
『な、なんか、怖い……』
「申可意兵さんは短気で、乱暴者で、私の言うことを全然聞いてくれなくて、トラブルばかり起こすのですが、とても良い式神なのですよ」
屈託のない笑顔で語る桃花の前で、鏡太朗は苦笑した。
『桃花さん……。とても良い式神って……、良さが全然伝わらないんだけど……』
「私たちは代々この三種類の式神をつくり出し、協力してもらう術を継承しているのですが、術を遣う者によって式神の色や顔つき、性格が異なっているのです」
「やっと三体の式神が揃ったか。待ちかねたぞ」
鏡太朗たちは不意に聞こえた声に驚き、その声が聞こえた洞窟奥の暗闇を注視した。突如、洞窟奥の地面が金色に光って暗闇に隠れていた部分が露わになると、そこには岩盤でできた壁があり、壁には高さ三十メートルの岩でできた閉じられた城門があって、その前に三体の異様な姿に変異した鬼が立っていた。
一体は身長二メートル二十センチの筋骨隆々とした鬼で、体中が赤茶色の鱗で覆われ、つり上がった目で冷酷な笑みを浮かべており、頭にはトナカイのような大きな角が左右に一本ずつ生えていた。
その隣には、身長二メートルで腹周りが大きいブヨブヨした体型の青い鬼が立っており、ニターッと笑う丸々とした顔にある目は垂れており、頭の上にはキリンの角に似た二本の長い角と三本の短い角が生えていた。
その隣にいるのは、首と手足が長く、身長二メートル四十センチのやせ細った鬼で、全身の皮膚は蛍光色の黄緑色の上にショッキングピンクの模様が入った鮮やかなキリン柄で、足と手の指から伸びた鋭い爪の色はショッキングオレンジ、自信たっぶりに薄ら笑いを浮かべる瞳のない目の色はショッキングイエロー、額から一本だけ生えているサイのような形の角の色はショッキングパープルだった。
三体の鬼は、それぞれが特徴的な外観をしていたが、鬼族特有の馬の後脚のような脚の形とキリンのような耳の形は共通していた。
「あなたたちのその姿……、他の鬼たちを食べて魔力を高めたのですね……」
冷や汗を流す桃花に向かって、赤茶色の鬼が言った。
「いかにも! 俺たちはさっき誕生し、温羅様のご命令により他の鬼を百体ずつ食らって魔力を高め、自分が望む姿に変異したのだ。そして、高まった魔力によって、自分が望んだ能力も手に入れた。早速、俺たちが手に入れた能力をお前たちで試させてもらうぞ。温羅様からは、三体の式神を連れた奴らが必ずここにやってくるから、そいつらを皆殺しにせよとのご命令が下っているのだ」
「へへへ……。俺が先に試してもいいか? こんな奴ら、俺だけで余裕で全滅させられるぜ。へへへ……」
ブヨブヨした体型の青い鬼が鏡太朗たちの方へ歩いてきた。それを見た桃花は、左の腰から桃の花がついた二本の枝を抜いて左右の手で持ち、左足を後ろへ引いて腰を低く身構えた。羽織の裾が地面に広がった。
「古より桃の木を司りし丕神乃美之命よ! その御力を宿し給え! 桃花之箒星!」
桃花の羽織を覆う桃の花が輝いたかと思うと、桃花は羽織の桃の花から長い光の尾を引きながら高速で青い鬼に突進した。
『速い! こんなスピード見たことがない!』
驚くナツの視線の先では、青い鬼とすれ違った桃花が青い鬼に背を向けたまま、二本の枝を左右の斜め下に向けて静止しており、枝に咲いている花が強い輝きを放っていた。
一瞬の間をおいて、青い鬼の胴体が両肩から両脇腹へ斜めに切断されてX字に分断された。桃花は俯いたまま、両目を閉じて切ない表情で言った。
「あなたに恨みはありませんが、多くの命を守るために倒させていただきました。申し訳ありません」
「桃花さん危ない!」
「え?」
桃花が鏡太朗の叫び声に驚いて青い鬼の方を振り返ると、青い鬼の胴体の切断面周辺の部位が液体になって波打っていた。
「こ、これは?」
驚く桃花の目の前で、青い鬼の分断された体はくっ付き合って元通りになり、青い鬼はニタニタと笑った。
「へへへ……。俺は体の一部や全身を自由に液体に変える魔力を身につけたのさ。俺は自分の名前を溶鬼に決めた。ぴったりだろう? 液体になった体は自由に形を変えられるのさ。こんな風に!」
溶鬼が右足を桃花に向けると、腹周りが細くなっていくのに合わせて右脚が長く伸びて桃花に迫った。桃花が足をかわすと、長く伸びた右脚が一瞬波打った後で腕に変形し、桃花の首を鋭い爪で突き刺そうとした。桃花が爪を避けながら溶鬼に向かって跳び込み、溶鬼の首を狙って右手で持った枝を水平に振ると、溶鬼の首と頭部がまるで水面に沈んだかのように波打つ両肩の間に引っ込み、枝は空を切った。溶鬼の頭は波打ち始めた左脇腹から飛び出すと、ニタニタと笑った。
桃花が身を翻しながら左手で持った枝で溶鬼の頭を狙うと、溶鬼の全身は一瞬で溶けて地面の上で大きな青い水溜りになり、その水溜りは地面を這って桃花から離れていき、水溜りから溶鬼の頭部が出現して笑い声を上げた。
「へへへ……。お前が俺を倒すのは、無理みたいだなあ。へへへ……」
「桃花さん!」
鏡太朗が霹靂之杖を右手でつかんで桃花に向かって駆け出すと、細いつむじ風が空中をうねりながら伸びて鏡太朗の胸を直撃し、鏡太朗は叫び声を上げながら後方へ二十メートル吹き飛ばされ、背中を地面に叩きつけられた。
「な、何だ今の攻撃は?」
鏡太朗が上半身を起こして前方を見ると、鮮やかなキリン柄の鬼が鏡太朗に向かって歩いて近づいていた。キリン柄の鬼の右腕は長くうねるつむじ風に変わっており、つむじ風は見る見る縮んでキリン柄の細長い腕の形状に戻った。キリン柄の鬼は図太い声で鏡太朗に言った。
「わたしの体はねぇ、腕でも脚でも全身でも、好きな部分を自由につむじ風でできた体に変えることができるのよ。あたしのことは旋鬼って呼んでね。坊や、あなた美味しそうねぇ。体中の骨を粉々に砕いてから、一口ずつ味わって食べてあげるわぁ。その時、あなたは苦痛と恐怖でどんな表情をして、どんな叫び声を上げて、どんな刺激的な魂の味がするのかしら? 想像しただけでゾクゾクしちゃうわぁ! さあ、坊や! 美味しく料理してあげるから、かかって来てちょうだい!」
「古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 灼熱之槍!」
ナツは両手の中に先端が炎に包まれた朱色に輝く槍を出現させ、赤茶色の鬼に言った。
「俺は残り物を片付けることにするか。古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 蝉時雨之破砕!」
ナツの右手から大音量のセミの鳴き声が赤茶色の鬼に伸びていくと、セミの鳴き声は鬼の胸の中央に命中し、ナツは赤茶色の鬼に向かって言った。
「その声は激しく振動し、お前の心臓を……、な、何っ?」
驚くナツの視線の先では、赤茶色の鬼が不敵な笑みを浮かべて平然と立っていた。その鬼の胸を覆っている鱗は鋼色に変わっていた。
「驚いたか? 俺の全身を覆う鱗は魔力で鋼に変化させられる。だから、俺の体にはどんな攻撃も全く効かないのさ。俺のことは鋼鬼様と呼べ」
ナツは灼熱之槍を構えながら、冷や汗を流した。
『蝉時雨之破砕が効かないなんて初めてだ。どうやったらこいつを倒せる?』
突然、ナツの左腕に見えない何かが衝突し、ナツは悲鳴を上げながら、もの凄い勢いで右側に五十メートル吹き飛んで岩盤の壁に激突し、地面を転がった。よろめきながら起き上がったナツは、離れた場所で冷酷な笑いを浮かべる鋼鬼を驚愕の表情で見つめた。
『今の攻撃、全く見えなかった! しかも、まるでダンプカーに衝突されたような衝撃だった! あいつは物理的な攻撃が効かない上に、離れた距離から見えない重い攻撃を仕掛けてくる! こいつは厄介だ……』
両手で枝を構えて溶鬼と向かい合ってた桃花は、ナツの方を一瞬見ると、式神たちに向かって叫んだ。
「申可意兵さん、ナツさんと一緒に闘ってください! 酉可意兵さんは鏡太朗さんをお願いします! 戌可意兵さんは私に力を貸してください!」
申可意兵は二十メートルの距離をおいて鋼鬼と正対し、酉可意兵は羽ばたきながら鏡太朗の頭上に滞空して旋鬼と向かい合い、戌可意兵は桃花の隣で身を低くして構え、前方の溶鬼を睨んだ。
校舎の中では、気を失っている生徒たちのそばにまふゆが力なく座り込んでいた。
『あたしだって、闘わなくちゃいけないってことくらいわかってる。温羅を倒さないと、大勢の人が犠牲になることくらいわかってる。でも……』
まふゆは、迫ってくる温羅の顔が瞼の裏に浮かび、目に大粒の涙を溜めて震え出した。
『でも、怖いの! 温羅の顔を思い出しただけで、体が震えて足がすくんでしまうのよ! 自分が今ここで死ぬことを理解した時の恐怖が蘇ってくる……。あたしは一体どうしたらいいの……? あたし、もう二度と魔物とは闘えないかもしれない……』
「ん……、ここはどこじゃ?」
來華が意識を取り戻し、起き上がって周囲を見渡した。
「來華!」
「まふゆ! 鏡太朗はどこじゃ? さくらは無事なのか? 今まで何があったんじゃ?」
まふゆは泣きながら今までの経緯を來華に語った。
「わしも地下へ行って、鏡太朗と一緒に温羅とかいう奴と闘うんじゃ!」
「そんなの無茶よ! 來華は温羅を見ていないからそんなことが言えるのよ! 魂の状態でもあんなに強くて恐ろしかった温羅が復活したのよ! 行っても殺されるだけよ!」
「だったら尚のこと、絶対に行かなければならないんじゃ! 鏡太朗は大切な友達じゃ! 鏡太朗に危機が迫っているなら、わしが絶対に鏡太朗を守るんじゃ!」
來華は落雷のような閃光と轟音に包まれると、戦闘モードのライカの姿に変身した。まふゆは呆然としてライカを見つめた。
「ら……、來華……? あなたは一体?」
「わしは雷獣族という魔物じゃ」
「え? 來華が魔物……?」
「わしは五歳の時に人間たちに襲われて、一緒に魔界で暮らしていたおかーちゃんを連れ去られたんじゃ!」
「に……、人間に連れ去られた……? そ、そんな……」
「全ての人間を憎んでいたわしは、鏡太朗のお陰で、相手のことを信じられるかどうかに種族なんて関係ないって思えるようになったんじゃ! 鏡太朗がいてくれたから、今のわしがあるんじゃ! 鏡太朗はかけがえのない大切な存在なんじゃ! だから、絶対にわしが鏡太朗を守るんじゃ!」
ライカが玄関に向かって全速で飛び去り、まふゆは座り込んだまま呆然としていた。
「そ、そんな……。來華が魔物だったなんて……。え?」
驚く視線の先では、立ち上がった河童の体が緑色に光を放っており、その光が消えた時、河童は緑色のカッパに変身していた。
「か、河童……?」
「オラも魔物だきゃ」
まふゆの両目がさらに大きく見開いた。
「オラは人魚の魔力で魔物に変えられた人間、カッパ族の子孫だきゃ。まふゆさんは、オラは魔物として生まれたのだから、誰かに傷つけられたり、差別されたり、迫害されても当然のことだと思うだきゃ? 殺されても仕方がないと思うだきゃ?」
「そ、それは……」
「きゃー太朗は、オラが魔物だと知っても全然気にすることなく、それまで通りに友達でいてくれるだきゃ。きゃー太朗は人間であるか魔物であるかなんて気にせずに、同じように痛みや悲しみや喜びを感じる存在として、ひとつの命として、全ての人間と魔物を同じように尊重してくれるだきゃ。だから、オラはきゃー太朗を心の底から信じているだきゃ。きゃー太朗がたくさんの命を守るために闘うというなら、オラも一緒に闘うだきゃ。オラは大勢の命ときゃー太朗の命を絶対に守るだきゃあああああああっ!」
河童の体が青い輝きを放ち、青く光るカッパに変身した。
「それに、今自分にできることをしておかないと、後で後悔するだきゃ! 今きゃー太朗と一緒に闘わないで、きゃー太朗や他の人たちが犠牲になったとしたら、絶対に一生後悔するだきゃ! だからオラは行くだきゃ!」
青く光るカッパの姿の河童は、凄いスピードで玄関に向かって走って行った。まふゆは両目を見開いて呆然としたまま、微動だにせず床に座り込んでいた。
河童は青く光る足でグラウンドにある縦穴まで超速で移動し、そのまま穴に飛び込んだ。河童は青い光を放ちながら、暗い穴を落下していった。
「水流砲!」
河童は穴の底に向けて水流砲を放ったが、落下速度はどんどん上昇していった。
「穴の底が遠過ぎて水流砲が届かないだきゃ! 穴の底に激突するだきゃああああああああああああっ!」
河童はさらに加速しながら、暗い穴の底へ落ちていった。