3 現れた魔物
その日の夜七時、制服姿の鏡太朗とさくら、來華、河童が生徒玄関から校舎に入ると、腕組をしたまふゆがギラギラした目に不敵な笑みを浮かべて廊下で待ち構えており、その後ろにはナツが無表情で立っていた。制服姿の二人は、天井に取り付けられている照明器具の光で照らされていた。
「屍鏡太朗、逃げずによく来たな!」
「まふゆさん、四人で俺の習い事の師匠のところに行って、このことを説明してから学校に戻ったんだ。荷物も師匠に預かってもらったんだよ。学校の中には他に誰か残っていないの?」
「職員室に教頭がいるけど、他には誰もいないわよ。教頭もあたしの術で凍らせて眠らせたから、明日の朝まで目を覚まさないわ!」
「え? 一晩中機械警備が開始されなかったら、警備会社が様子を見に来るんじゃない?」
「屍鏡太朗、高校生にもなって、学校の実態を全然知らないのね! 学校の教頭っていうのはね、人間の許容範囲を遥かに超えた殺人的な業務量で毎日扱き使われてるのよ! 帰る時間が夜中になったり、朝になることなんてよくあることだから、警備会社は全く気にしないのよ!」
「え? そうなの?」
「教頭先生って可哀想だきゃ」
「それより、あたしは屍鏡太朗一人を呼んだのよ。その他大勢はなんなの?」
「誰がその他大勢じゃ!」
「まふゆさん、この三人は俺が心から信頼する心強い仲間なんだ。みんな、俺と一緒に魔物と闘ってきたんだよ」
「ひいじいちゃんからは屍鏡太朗のことしか聞いてないけど……。ん? あなた、何でコアラのぬいぐるみを背負ってるのよ?」
まふゆはリュックサックのようにさくらにおぶさっているコアちゃんに気づき、さくらに尋ねた。コアちゃんはさくらの背中から飛び降りると、まふゆに近づいた。
「うわっ、びっくりした! ぬいぐるみが動いた!」
「ぼくコアちゃんです。不束者ですが、よろしくお願いします」
コアちゃんは小さな声でそう言い、まふゆにペコリと頭を下げると、さくらの背中に跳び乗った。
『か、かわいい……』
キュンとしてコアちゃんを見つめるまふゆに、さくらが言った。
「まふゆさん、コアちゃんはあたしの式神なのっ!」
「式神? 式神を遣う術なんて初めて見た……。あなたは式神遣いなのね。つまり、その他大勢も何かの術を遣えるってことね? 何かの役には立つかもね……。
さあ、始めるわよ! 効率よく学校の中を調べるために手分けをするわ。A班とB班の二班に分かれて、A班は四階から下に向かって校内を調べていき、B班は一階から上に向かって調べていく。そして、魔物を見つけたらすぐに倒すこと! やられる前に必ず倒すのよ。絶対に油断はしないで。じゃあ、班を分けるわよ」
「どうやって班分けするんじゃ?」
來華がきょとんとして訊くと、まふゆは右の拳を挙げ、自信たっぷりにニヤリと笑って答えた。
「これで決めるのよ! 決まってるでしょ!」
「グーパーグーパー合った人っ!」
鏡太朗たちは輪になって右手を振り出した。鏡太朗と河童とナツがグーを出し、さくらと來華とまふゆはパーを出しており、さくらが笑いながら言った。
「あーっ、男の子グループと女の子グループに分かれたよっ!」
「ちっ、屍鏡太朗はあたしと別の班か! ナツ、ちゃんと屍鏡太朗の実力を見ておくのよ! あたしたちはA班にするわ。誰も文句ないわね?」
ナツが無表情のまま、まふゆに言った。
「この時間に校舎のあちこちで照明を点けると目立ってしまう。誰かが不審に思って様子を確認しに来たら厄介だ。絶対に照明は点けるな。いいな、まふゆ」
「わ、わかってるわよ。行くわよ、A班の女子たち」
鏡太朗と河童とナツは薄暗い校舎一階の廊下を歩いており、その突き当りには体育館の入口があった。ナツは無表情で他の二人に言った。
「最初は体育館から調べるぞ」
「ねぇ、ナツさん。聞きたいんだけど、季節の神様って移季節神社と関係があるの?」
ナツは目を見開いて驚きの表情を見せた。
「なぜ移季節神社を知っている? 参拝客など滅多に来ない忘れ去られた神社なのに」
「やっぱりそうだったんだ! この前、もみじさんが移季節神社の神主さんに会いに行ったんだよ」
「もみじって誰だ?」
「もみじさんは雷鳴轟之神社の神主さんで、さっきコアラの式神を背負っていたさくらさんのお姉さんだきゃ」
「ひいじいちゃんが、突然俺とまふゆにこの学校へ行けと言ったことと何か関係あるな。まあいい。俺とまふゆは一体でも多くの魔物を倒したいだけだ。この学校に次々と魔物が現れるなら好都合だ。片っ端から倒してやる」
体育館の入口を見つめるナツの表情に、少しだけ怒りの色が浮かんだ。
「ナツさんとまふゆさんは、どうして魔物を倒したいの?」
鏡太朗はナツの表情を伺いながら訊いた。
「魔物など一体残らずこの世から消えて失くなればいい。そう思っているだけだ」
怒りを露わにして吐き捨てるように言ったナツの横顔を、河童が悲しい目で見つめていた。
まふゆはさくらと來華を従えながら、廊下中の照明が煌々と灯った校舎四階の廊下を大股で歩いていた。
「教室を一つずつ見ていくわよ。まずはここ一年一組よ。さくら、照明のスイッチを入れて」
さくらが照明を点けた教室にまふゆと來華が入ると、さくらが心配そうにまふゆに訊いた。
「まふゆさん、こんなに灯りを点けまくって大丈夫なの?」
「あー、さっきナツが言ってたことなんて、無視! 無視! それより、屍鏡太朗って本当に頼りなくて、情けなくて、弱っちい男ね! ひいじいちゃんは、何で凄い奴なんて言ったんだろう?」
さくらの顔つきが変わり、真剣な表情をまふゆに向けた。
「まふゆさん、鏡ちゃんは……」
「鏡太朗のことを知らないくせに、何を勝手なこと言ってるんじゃああああっ!」
來華がまふゆを睨んで大きな声を上げ、さくらは驚いて來華の横顔を見つめた。
「鏡太朗は誰よりも優しい奴じゃ。だから、誰かを守るためにしか闘わないんじゃ! そして、誰かを守るためだったら、自分の全てを、命すら投げ出して、とんでもなく凄い力を発揮するんじゃ! その時の鏡太朗は、お前よりも絶対にずっとずっと強いんじゃ!」
來華の目には涙が煌めいていた。さくらは目を見開いて來華を見つめた。
『ライちゃん……、どうしてそんなにムキになるの? まふゆさんの言葉が事実じゃなくて、そんなデタラメが許せないから? 鏡ちゃんが大事な仲間だから? それとも……』
「なるほど、そういうことなのね。屍鏡太朗は条件が揃った時にだけ、凄い力を発揮するということね。あたしは、凄い力を発揮した時の屍鏡太朗の強さを見たいと思ってるのよ」
その時、まふゆのスマートフォンが振動した。
「あ、ナツから電話だ。もしもし、何かあった?」
スマートフォンからナツの冷静な声が響いた。
「まふゆ、四階の照明を点けてるだろ? 俺がいる体育館の窓から四階の窓が見えている。学校周辺の住民に気づかれるな。気づかれたら面倒なことになる」
「わ、わかったわよ! 消せばいいんでしょ? さくら、廊下の照明を消してきて」
まふゆはスマートフォンを制服のスカートのポケットにしまいながら、不安そうな表情を浮かべた。
薄暗い校舎の四階の廊下をさくらと來華が並んで歩いており、身を屈めてキョロキョロしているまふゆが二人の後ろを歩いていた。
「ね、ねぇ……、誰もいない暗い校舎って、ゆ、幽霊が出そうじゃない?」
「ははーん。まふゆ、幽霊が怖いんじゃな?」
來華がまふゆをバカにしたようにそう言うと、まふゆは顔を真っ赤にしながらムキになって否定した。
「そ、そんなことないわよ! あ、あたしなんて、幽霊見物しながら丼メシ百杯食べる術を身につけているのよ! ゆ、幽霊なんて平気よ!」
「まふゆさん、丼ごはんを百杯も? 凄いっ!」
まふゆは、目をキラキラさせながら自分を見つめるさくらの視線から目を逸らした。
『まずい……。こいつの中でフードファイターのあたしのイメージが固まっていく……』
「で、でも……、魔物は魔力を持っているだけで、結局はあたしたちと同じ生き物だから平気だけど、死者の魂は存在そのものがあたしたちとは異質だから、ほんのちょっとだけ気味悪いわよね。さくらと來華もそう思わない?」
「死者の魂って、あたしみたいな?」
まふゆが後ろを振り返ると、目の前に上下逆さまの女の子の笑顔があった。
「え?」
その女の子は水色の浴衣を着て、上下逆さまに宙に浮いていた。
「うぎゃーっ! 幽霊ーっ!」
まふゆは悲鳴を上げながら、凄い勢いで廊下の奥へ駆け出した。
「あたしは魔物の幽霊よーっ!」
まふゆの動きが止まり、少しの間を置くと、目をつぶって顔を背けながら、ちょこちょこと小股で歩いて戻ってきた。まふゆが呟いた。
「ま、魔物の幽霊って……」
「まふゆ、魔物の幽霊だったら怖くないんじゃな?」
「魔物なのか幽霊なのか判断できなくて、今脳がバグってるのよ!」
さくらは、青い髪をポニーテールにしている魔物の幽霊に話しかけた。
「あなたはずっとこの学校に棲んでるの?」
「ううん……。あたしは百年前、魔界から人間界にやって来て、すぐに死んじゃったの。あたしは魔界に帰りたくて、ずっと人間界をさまよってるの。この建物にはさっき来たところよ。あたしがやって来た魔界との出入口を百年間探してるんだけど、見つからないの。この辺に生えていた古くて大きな木の幹にあったはずなんだけど……。あなた出入口を知らない?」
「あたし知ってるよっ! 連れて行ってあげるっ!」
さくらは宙を飛ぶ魔物の幽霊の女の子を連れて、一年一組の教室に入っていった。
「よく考えてみたら、元々魔物でも、今は、ゆ、幽霊ということよね、來華?」
まふゆは急に震え出すと、血の気が引いた顔で後ろを振り返った。
「え? 來華……、どこ行ったの?」
まふゆの後ろには誰もいなかった。まふゆは、後ろの床に直径三十センチの水溜まりがあることに気づいた。
「な、何これ?」
まふゆは恐る恐る水溜りに右手の人差し指で触れ、指を上げると液体が糸を引いた。
「こ、これは魔物が残したものなの? はっ、何?」
まふゆが背後に何かの気配を感じて身をかわすと、飛んで来た直径十五センチの液体の塊がまふゆの横を通過し、数メートル先の床に落下して水溜まりをつくった。
「魔物か?」
まふゆは液体が飛んで来た方向に叫んだが、薄暗い廊下は静まり返っていた。
「ここを進んでいくと魔界に着くよっ」
一年一組の教室で、さくらは上下二段のロッカーの下の段の扉を開いて微笑んでいた。
「ありがとう! これでやっと魔界に帰れるよ! 魔界に帰ったらこの世への未練がなくなって、きっと魔界の死者の国へ行けるよ。もしかしたら、生まれ変わって新しい人生を始められるかも!」
青い髪の魔物の幽霊は、大喜びでロッカーの奥に消えていった。
「呪いのロッカーで誰かが喜んでくれるなんて、何か嬉しいなっ!」
さくらは満面の笑みでロッカーの扉を閉めた。
校舎四階の薄暗い廊下では、まふゆが警戒しながら周囲を確認していた。
「さっきの魔物はどこに行った? あいつは生徒を狙っている。來華もあいつにやられたのか? はっ! さくら!」
まふゆは慌てて一年一組の教室に駆け込んだ。
「さくら! あ……」
教室の中には誰もおらず、教室の後ろに並んでいるロッカーの前には直径三十センチの水溜まりができていた。
「次は二階だ」
ナツが鏡太朗と河童を引き連れて薄暗い階段を上っていると、ナツのズボンのポケットの中でスマートフォンが振動した。
「まふゆからだ。まふゆ、何かあったのか?」
ナツはスマートフォンを手にしてまふゆに話しかけた。
「ナツ! 來華とさくらが消えた!」
「何? お前がいながら何やってんだ! おい、鏡太朗! ちょっと待て!」
鏡太朗はすでに凄い勢いで階段を駆け上がっており、その目には強い想いが燃えたぎっていた。
『ライちゃん! さくら! 今助けに行く!』
「河童! 俺たちも行くぞ!」
ナツが後ろを振り返ると、そこには誰もおらず、階段の上に水溜りがあった。
「河童が……。ん? 魔物よ、見つけたぞ! 姿を消していても、お前の気配を感じた! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 灼熱之槍!」
ナツの両手に刀身が朱色の炎に包まれた朱色に輝く槍が現れ、ナツは右手で階段の下の廊下に向かって灼熱之槍を投げつけ、槍は床に突き刺さった。
「外したか! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 赫灼炎焔!」
ナツは叫びながら両掌を斜め上に挙げ、拳を握った両前腕を胸の前で交差させてから指を広げた両手を階段の下に向かって突き出すと、掌から真っ赤に輝く炎の柱が放射されて階段下の廊下に命中し、赤く輝く炎が床一面に広がった。やがて、炎の光の中に人影が現れ、その姿は次第に鮮明になっていった。ナツは廊下に飛び降りて灼熱之槍を床から引き抜き、赤く光る炎の中で槍を構えた。
「この赤く輝く炎は熱くはなく、何かを燃やすこともないが、身を隠している者の姿を鮮明に浮かび上がらせるんだ。魔物よ、今ここでお前の全てが終わる。覚悟はいいか?」
四階まで階段を駆け上がった鏡太朗は、一年一組の教室から飛び出したまふゆと廊下で衝突しそうになった。
「鏡太朗! 魔物は下だよ! ナツが術を遣う声が聞こえたんだ!」
鏡太朗が階段の下の方を覗き込むと、一階で赤い光が輝いていた。
一階の廊下では、床一面に広がった赤く輝く炎の中で、灼熱之槍を構えたナツの前に魔物が立っていた。その魔物は全身が黒いマントで包まれ、頭に被ったフードからは、二本の長い角と八本の短い角が額上部に生えて口には長い牙が並ぶ異形の骸骨の顔が覗いていた。
「姿を現したな、魔物よ! 周辺の住民が輝く炎に気づく前に息の根を止めてやる! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 蝉時雨之破砕!」
ナツは叫びながら親指と小指を伸ばした右拳を前に突き出し、続いて右拳を人差し指の第一関節を突き出した形に変えながら、手の甲を前に向けて額の前方十センチの位置で静止させ、右手を開いて掌を魔物に向けて突き出した。ナツの右掌から夥しい数の蝉の鳴き声が大音量で発せられ、魔物がそれをかわすと、声は赤く輝く炎にトンネルをつくりながら床に命中し、その床の表面が激しく振動して砕け散った。
「この声は当たった物を激しく振動させて粉砕するんだ! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 蝉時雨之破砕! 八連!」
ナツは灼熱之槍を左手で持ったまま、さっきと同じ動作をした後、右掌から蝉の鳴き声を次々と連続して放ち、魔物は蝉の鳴き声をかわしながら、赤く輝く炎が燃えている一帯を抜けて薄暗い廊下の奥へ走って行った。
「逃さないわよ!」
廊下の奥にあるもう一つの階段からまゆふが駆け下りて、魔物の前方に立ち塞がった。その後ろでは、鏡太朗が霹靂之杖を構えていた。
「挟み撃ちにするために、あたしたちはこっちの階段から降りてきたのよ! 冬の終わりの雪解けのように、跡形もなく消し去ってあげる! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 氷柱之槍!」
まふゆが床に放った玄色の光が氷の塊になり、十本のつららが魔物に向かって斜めに伸びていった。魔物がつららを避けて引き返すと、目の前には赤く光る炎を背にしたナツが冷たい表情で立っており、灼熱之槍を魔物に突き出した。魔物が横に移動して槍をかわした時、背後から直径十センチの雪の結晶が回転しながら弧を描いて飛来し、魔物は身を低くして雪の結晶をかわした。
「まふゆさん! ナツさん! 待って! さらわれたみんなを助け出すのが先だよ! ねぇ、君がみんなをさらったの? どんな理由があるの? みんなはどこ?」
「何言ってるの、鏡太朗! 魔物の話なんて聞く必要ないよ! 魔物なんて全部倒せばいいのよ! 魔物なんてこの世から一体残らず消し去ってやるんだから! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 氷結之薙刀!」
まふゆが水平に開いた両手の間に青白い光の棒が出現し、左右に長く伸びていくと、長さ二メートルの青白く光る薙刀に変化した。その先端の青白い刃は青白く光る炎に包まれていた。
「まふゆさん! その魔物が悪い魔物かどうかわからないよ!」
「鏡太朗! そいつが魔物であること以外に倒す理由なんていらないのよ!」
まふゆは憎悪に満ちた表情で叫んだ。