1 熱いまふゆと冷たいナツ
一本樹高等学校の朝のホームルームが始まる前の時間、一年一組の教室では、生徒たちが友達同士で集まって雑談を楽しんでおり、半袖のYシャツにスラックス姿の鏡太朗は、蝶結びをつけた半袖のブラウスにスカート姿の夏の制服を着たさくらと來華と一緒に、窓際に立って話をしていた。
「鏡ちゃんは、今日も朝早くに登校したんだねっ!」
「呪いのロッカーが開いてないかを確認するために、二学期の始業式から朝一番で登校したんじゃな」
「そうなんだよ。でも、今朝も呪いのロッカーの扉はちゃんと閉まってたよ。めっちゃ嬉しい!」
ドドドド……。
「そうそう! さくら、ライちゃん、この学校にまた転校生が来るって聞いた? 今日から二年生が二人も転校してくるんだって! 一学期にライちゃんと河童くんが転校してきて、二学期になってもすぐに二人も転校してくるなんて、ちょっと多くない?」
ドドドドドドドドドド……。
「そうなの鏡ちゃん? 本当にうちの学校って転校生が多いねっ」
ドドドドドドドドドドドドドドドドド!
「全くじゃ。ん? さっきから聞こえるこの音は何じゃ? 近づいてくるみたいじゃが……」
「屍鏡太朗いるかーっ!」
「え?」
鏡太朗たちが大声が響いた教室の入口を見ると、一人の女子生徒が凄い勢いで教室に駆け込みながら叫んでいた。前髪ぱっつんのショートカットの髪をツインテールにしている小柄な女子生徒は、ギラギラした目で不敵な笑みを浮かべていた。
「きゃーっ! 何あの人! めっちゃイケメン!」
ツインテールの女子生徒の後ろから教室に入ってきた男子生徒を一目見たクラスの女子の大半が、その男子生徒に目が釘づけになって色めき立った。その男子生徒は鏡太朗よりも少し背が高いスラリとした体型で、サラサラの前髪を垂らし、長い髪をうなじの上で一本に束ねており、感情が感じられない冷たい顔つきをしていた。
「し……、屍鏡太朗は俺だけど……」
教室中の生徒が注目する中、ツインテールの女子生徒は大股で鏡太朗のすぐ目の前まで歩いてくると、不敵な笑みを鏡太朗に向けながら、ギラギラした目で鏡太朗を真っ直ぐ見つめた。
「ふっ、お前が屍鏡太朗か? 屍鏡太朗、あたしに付き合え!」
教室中がどよめき、さくらがパニックを起こして、テンパりながらツインテールの女子生徒に話しかけた。
「ちょ、ちょっと……、え〜と、あの〜、きょ、きょ、鏡ちゃんとつつき合えって……、つつき合えって……、え? 突き合う? あたし何言ってるんだろう?」
あたふたしているさくらの隣では、來華がきょとんとした顔でツインテールの女子生徒を見つめていた。
「ねぇ、聞いた? あの人、屍くんに告白を!」
「凄い! 凄過ぎるーっ! みんなの前であんなにストレートに付き合えなんて!」
教室中の生徒が興奮してざわめいた。ギラギラした目で鏡太朗を見つめているツインテールの女子生徒の後ろで、髪を束ねた男子生徒が耳打ちした。
「まふゆ、客観的に見て、お前は屍鏡太朗に交際を申し込んでいると思われている」
「な、何ーっ!」
まふゆと呼ばれたツインテールの女子生徒が慌てて教室を見渡すと、教室中の生徒がこれからの展開に期待して熱い視線をまふゆに注いでおり、鏡太朗の隣にはきょとんとしている來華と、青ざめてパニックになっているさくらがいた。状況を理解したまふゆは、顔を真っ赤にして大声で叫んだ。
「あ、あたしは交際を申し込んだんじゃなーいっ! あたしは屍鏡太朗に決闘を申し込みに来たんだーっ!」
「決闘じゃと?」
「きょ、鏡ちゃんと……」
まふゆの叫びを聞いたさくらは両目を見開き、顔からはさらに血の気が引いていった。
「……鏡ちゃんと結婚?」
「さくら、決闘じゃ……」
「お、俺と決闘ってどういうこと?」
「屍鏡太朗! あたしにこんな赤っ恥をかかせて、絶対にお前を許さないからーっ! 放課後顔を貸しな! あたしに大恥をかかせたことを一生後悔させてやるからーっ!」
「いや……、俺は別に……」
「行くよ、ナツ!」
まふゆは、ナツと呼んだ髪を束ねた男子生徒を従えて、怒りが収まらない様子で教室を出て行った。鏡太朗は疲れ切ってげっそりした顔を來華に向けた。
「ライちゃん……、俺、何か悪いことした?」
「さあ……、全く意味がわからないんじゃが……」
「鏡ちゃんと結婚……。あの人が鏡ちゃんと結婚……」
來華は、真っ青な顔を両手で抱えて呟き続けるさくらに呼びかけた。
「おーい。さくら、戻ってくるんじゃーっ」
一本樹高等学校の裏手に広がっている林の中で、制服姿の鏡太朗が困惑した顔でさくらと來華と一緒に立っていた。鏡太朗たちの前には、不敵な笑みのまふゆが目をギラギラさせて両腕を組んで立っており、その隣にはナツが無表情で立っていた。
まふゆは周囲を見渡すと、大声で叫んだ。
「何なんだ、この林はーっ? 幹が砕けた木がめっちゃ倒れてて、地面のあちこちに深い穴が開いてて、これは誰かと誰かの熱い闘いの痕跡かーっ?」
『俺が変身して蛇身羅と闘った跡だ。第一形態では全く歯が立たなかった記憶しかないけど……。地面の穴は蛇身羅の破壊光線の跡なんだろうか?』
「屍鏡太朗、放課後が待ち遠しかったよ! よくも今朝はあたしに赤っ恥をかかせてくれたな! お前をギッタギタにして、号泣するほど後悔させてやるんだからーっ!」
「俺、何もしてないけど……。ねぇ、君は一体誰なの?」
「何ーっ! ナツ! あたし、まだ名乗ってなかったっけ?」
「客観的に見て、みんなお前が誰なのかわからなくて、お前の言葉に引いている」
「何ーっ! 屍鏡太朗、お前、ずっとそのことを隠して、あたしにまた恥をかかせてくれたなーっ!」
「何でそうなるの……?」
まふゆは顔を真っ赤にしながら、げっそりした鏡太朗に食ってかかった。
「あたしは季節を司る神様の力を借りる神伝霊術の遣い手、四時まふゆだーっ!」
「神伝霊術?」
鏡太朗とさくらと來華は目を丸くした。
「ちなみに今日、この学校に転校してきた。そして、こいつは一緒に二年二組に転校してきたあたしの二卵性双生児の兄、四時ナツだ。あたしほど強くはないが、ナツも季節を司る神様の力を借りる神伝霊術の遣い手だ」
「まふゆ、合理的かつ客観的に見て、俺とお前の強さは互角だ」
ナツは感情が感じられない顔で、淡々とまふゆに言った。
「ナツ! あたしの話に水を差すんじゃなーいっ!
あたしたちはひいじいちゃんから突然、この町にいる親戚の家に引っ越して、この学校に転校しろと言われたんだ。別にそれはいいさ、今まで住んでた町にも、通ってた学校にも愛着はないし、転校して別れを惜しみ合うような友達もいなかったからね。あたしが許せないのは、屍鏡太朗がとんでもない膨大な霊力を扱う凄い奴で、屍鏡太朗をサポートして一緒に危険な魔物を倒すようにって、ひいじいちゃんが言ったことだ!
これまで百八体の魔物を倒して無敵のこのあたしが、サポート役だって? 冗談じゃない、あたしの方が主役で、屍鏡太朗がサポート役でしょ! そのことをお前にも、ひいじいちゃんにもわからせてやるのさ!
さあ、あたしと勝負しな! それに、二度もあたしに大恥をかかせたことを後悔させてやる! あー、思い出したら、めっちゃ腹が立ってきたーっ!」
「そ、そんな理由で闘うことなんてできないよ」
まふゆの両目が一層ギラギラと輝いた。
「じゃあ、闘う気になるまで徹底的に痛めつけるまでよ! 古より時節の移ろいを司る青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 六華之舞!」
まふゆが胸の前で両手の親指と人差し指で六角形を象ると、指でつくった六角形の前に直径十センチの雪の結晶が出現して宙に浮かび、まゆふが右手の人差し指を鏡太朗目がけて突き出すと、雪の結晶は回転しながら鏡太朗まで弧を描いて飛んで行った。鏡太朗が横に移動して雪の結晶を避けると、雪の結晶は背後の木の幹に深く突き刺さって消滅した。
「鏡ちゃん!」
「鏡太朗! 今加勢するんじゃ!」
「古より時節の移ろいを司る青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 灼熱之槍!」
ナツが叫びながら胸の前に掲げた左右の拳を水平に開くと、朱い炎でできた棒が両手の間に出現して左右に伸びていき、朱く光る長さ二メートルの槍に変わった。ナツが両手で槍を構えると、槍の先にある穂と呼ばれる刀身が朱い炎で包まれた。
「二人とも動くな! この闘いに手を出すなら、俺が相手になる」
ナツは感情がない顔でさくらと來華に冷たく言い放った。
「古より時節の移ろいを司る青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 六華之嵐!」
まふゆが両手の親指と人差し指で象った六角形の前に、直径十センチの雪の結晶が十枚重なって出現し、まふゆが両手の十本の指を鏡太朗目がけて突き出すと、十枚の雪の結晶は回転しながら、鏡太朗に向かって別々の放物線を描いて飛んで行った。鏡太朗は木の間を走り回り、倒木を跳び越えながら、全ての雪の結晶を避けた。
「まふゆさん、俺にはまふゆさんと闘う理由はないよ! もう止めよう!」
「お前に理由はなくても、あたしにはあるんだよ! あたしの術を一度も褒めたことがないひいじいちゃんが、お前を褒めたんだ! あたしの方が強いってことを証明してやる! 古より時節の移ろいを司る青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 氷柱之槍!」
まふゆは胸の前で両前腕を交差させ、左右の掌を突き出すと、掌から赤と黄色が混じった深みのある黒『玄色』の光が放射され、光は鏡太朗の前後それぞれ五メートル先の地面に命中して二メートル四方の氷塊になり、氷塊から鏡太朗に向かって十本のつららが伸びて行った。鏡太朗は前から伸びてきたつららを右に跳んで避け、後ろから伸びてくるつららを地面に伏せて避けたが、つららの一本が鏡太朗のYシャツの背中の部分を切り裂いた。続けて十枚の雪の結晶が襲いかかり、鏡太朗は地面を転がって雪の結晶を避けた。
「お前、ナツとか言ったな。わしは鏡太朗を助けるんじゃ! 邪魔するなら、お前をぶっ倒すまでじゃ!」
來華が灼熱之槍を構えるナツに言い放つと、ナツは灼熱之槍を消し去った。
「どういうつもりじゃ?」
「本当はお前たちと闘うつもりはない。もう少しまふゆと屍鏡太朗の闘いを見守ってはくれないか? 客観的に見て、まふゆがさっき言ったことは全部本音だろう。しかし、俺たちには、もう一つ大きな目的がある。俺たちはこれまでも魔物と闘い続け、これからも魔物を倒し続ける。しかし、俺たちはいつも二人だけで闘ってきた。それなのに、ひいじいちゃんは屍鏡太朗と一緒に闘えと言った。
合理的に考えて、俺たちは屍鏡太朗の力量と闘い方を確認しなければ、一緒には闘えない。まふゆは闘うことで、屍鏡太朗の力量と闘い方を見極めるつもりなんだ。屍鏡太朗の力を知るための時間をもう少しくれないか?」
「ナツさん、もしも鏡ちゃんとは一緒に闘えないと判断したら、どうするの?」
さくらが不安そうにナツに訊いた。
「その場合、この学校に出現する魔物は、一体残らず俺とまふゆの二人だけで退治する。お前たちは魔物のことなど忘れて、普通の高校生活を送ることだな」
「鏡太朗を試すだと? お前たちの考え方は気に入らないんじゃ!」
いきり立つ來華にさくらが言った。
「ライちゃん待って! あたしね、鏡ちゃんがお札を剥がしても、あたしが絶対に鏡ちゃんを助けてみせるって思ってたの。絶対に何とかなるって思ってた。
でも、びっくり島では、お札を剥がしたせいで、もう少しでライちゃんが死んじゃうところだった。いつの日か、お札を剥がすことで誰かが死ぬかもしれないって思うと、今はお札を剥がすことが怖いの。
それに、びっくり島では、鏡ちゃんにお札を貼ることができたのは奇跡に近かったよね。次に同じことがあったら、今度はお札を貼ることができないかもしれないって思ってしまう……。次にお札を剥がした時が、鏡ちゃんの最後になっちゃうかもしれない……。
でも、強い人たちが仲間になってくれたら、鏡ちゃんは二度とお札を剥がす必要がなくなるかもしれない……。あたしはそんな日が来て欲しい」
「……そうじゃな。確かに、鏡太朗のためにはその方がいいんじゃな……」
さくらと來華は、まふゆの攻撃から逃げ回る鏡太朗を心配そうに見つめた。二人の様子を確認したナツも、鏡太朗の動きを注視した。
「お前、どうして攻撃してこない? 弱過ぎて手も足も出ないのか?」
次々と飛んで来る雪の結晶と伸びてくるつららを避けて林の中を駆け回る鏡太朗に、まふゆが質問した。鏡太朗は走りながら叫んだ。
「俺が闘うのは誰かを守る時だけだ。俺はそれ以外では絶対に闘わない!」
「それならこれはどうだ? 古より時節の移ろいを司る青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 氷結之大地!」
まふゆは叫びながら両腕を挙げて掌を天に向け、腕を水平に開いてから両前腕を交差させ、鏡太朗の足元に指先を向けた。まふゆの指先から玄色の光が放射されて鏡太朗の周囲の地面に広がり、光が消えた時には鏡太朗から半径十五メートルの地面が滑らかな氷で覆われていた。
「この氷、つるつるでスケートリンクみたいだ……。うわっ!」
鏡太朗は足を一歩踏み出すと、氷の大地に足を滑らせて背中を氷の地面に打ちつけた。
「はっはっはっはーっ! 氷で足が滑って、さっきみたいには逃げ回れないだろーっ? 見たか、あたしの術の凄さと戦略を練るキレキレの頭脳をーっ! はっはっはっはーっ! これから止めを刺してやるよ! やっぱ、あたしが睨んだ通り、お前よりもあたしの方がレベルが遥かに上だったな! はーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……」
まふゆは急に身を屈めて右手で腹を押さえた。
「わ、笑い過ぎて、は、腹が痛い……、息ができない……」
まふゆは涙を流しながら、腹痛と呼吸困難でうずくまった。
ファサッ。
まふゆが顔を上げるとたくさんの紙垂が頭にかかっており、地面に両膝と左手をついた鏡太朗が杖の形状になった霹靂之大麻『霹靂之杖』を右手で持ち、まふゆの頭に先端の紙垂を載せていた。鏡太朗の後ろには氷の大地が広がっており、その中心から鏡太朗の背後まで氷の上に何かを引きずった跡があった。
「し、屍鏡太朗……、いつの間にここまで移動した?」
「この霹靂之大麻が長さ十二センチの状態の時に氷に突き刺して、術を使って杖の大きさにしたんだ。霹靂之大麻が大きくなる力を利用して、ここまで氷の上を腹這いに一気に滑ったんだよ。今、俺がこの紙垂に雷を起こしていたら、まふゆさんは雷に包まれていたよ」
「あ、あたしはね、か、雷に打たれ続けながらエクレアを五百個食べる術を身につけてるのよ! だ、だから、雷の術なんて、あたしには効かないんだから!」
「何が目的かわからん術じゃが……」
來華が冷ややかに言い、ナツも無表情のまま呆れた口調で口を開いた。
「まふゆ、客観的に見て、お前の嘘はバレバレだぞ。そんな術の存在を信じる奴がいるか……って、一人いたーっ!」
これまで無表情だったナツが驚きの表情を見せた。
「凄いっ! まふゆさんの術ってなんて凄いのっ!」
呆れ顔のナツの隣で、さくらは目をキラキラさせながらまふゆを見つめていた。
「ナツ、あたしの話に水を差すなーっ! とにかくあたしは負けてない! それにあたしが今急病にならなかったら、とっくにお前はここで屍になって倒れてたんだーっ!」
「まふゆ、急病じゃないだろ? 客観的に見て、笑い過ぎだ」
「ナツ、あたしの話に水を差すなーっ! とにかく今の勝負はあたしの勝ちだからな!」
まふゆは頑なに自分の勝ちを主張した。
「まふゆと言ったな! 闘いに『もしも』や『だったら』はないじゃろ? 今のは鏡太朗の勝ちじゃ」
來華が冷ややかに鏡太朗の勝利を伝えると、まふゆは地団駄を踏みながら両手の拳を振り回して叫んだ。
「ちがーう! 絶対にちがーう! 絶対にあたしの勝ちなんだーっ!」
「まふゆさんの言う通り、今のは俺の負けだよ。まふゆさんの術は本当に凄かった。全然歯が立たなかったよ」
まふゆは鏡太朗の言葉を聞くと、冷静さを取り戻した。
「そ、そうだろ……? 屍鏡太朗、お、お前、潔いところだけは見込みがあるよ。そこに免じて、今日のところはこれで勘弁してやる。だけど、あたしはお前の力量と闘い方を見極める必要がある。一回だけ一緒に魔物と闘ってやるよ。そこでお前の実力を判断する。足を引っ張るんじゃないよ。行くよ、ナツ!」
まふゆは居丈高に言い放つと、ナツを従えて林の中を学校の方へ進んで行った。
「なんか凄く疲れた……。色んな意味で」
鏡太朗は、苦笑するさくらと、不服そうにまふゆの後ろ姿を見つめる來華に疲れ切った笑顔を向けた。