第五話「手紙を食べるポスト」
そのポストは、町のはずれにぽつんと立っていた。
灯守がその存在に気づいたのは、旧道沿いの一本桜を訪ねた帰り道。春も深まり、花がすべて落ちた後の枝が夕日に黒く映えていたころだ。
ふと、足元に視線をやると、赤茶けた鉄の塊が地面に根を張るようにして沈んでいた。形は確かにポスト――けれど、郵便局のものとも違い、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。
「……ずいぶん古いな」
触れてみると、表面は驚くほど冷たかった。
小さな口がぽかりと開いていて、まるで誰かに何かを言いかけているかのようだった。
そのときだった。
「食べるんだよ、それ」
背後から声がして、灯守は思わず振り返った。
「昔ねぇ、ここらの人は皆、そのポストに“手紙を書いて捨てる”ような真似をしていたのさ。
家族に言えなかった本音、会えなかった人への未練、戦争で帰らなかった誰かへの手紙……
投函したら、もう戻らない。けど、書かずにはいられない手紙ってあるでしょ」
老婆はそう語ると、ポストの口元を撫でた。
すると一瞬、風が吹き、草がさわさわと音を立てた。
「不思議だったよ。あたしの婆ちゃんも、こっそりここに手紙を入れてた。
死んだ爺ちゃん宛てにね。
そうしたらね、ある日“返事”が来たんだよ。……手紙じゃないの。ただの夢さ。
でも婆ちゃん、目が覚めたとき泣いてた。
“あの人が、ちゃんと読んでくれた気がした”って」
灯守は言葉を失っていた。
それは、まるで“届かないはずの手紙が、魂に届いた”ような、奇跡に似た話だった。
彼は旅帳を取り出し、空白のページを一つ開いた。
そして、老婆の話を書き写す。
《記録名:食べられた手紙》
誰にも届かない手紙。けれど、届いてしまった手紙。
その声は、“読まれた”という実感だけを残し、灯となった。
「おじさん、何してるの?」
今度は、近くにいた少女が声をかけてきた。
小学校低学年くらいの、少し物憂げな瞳の女の子。
「お手紙、食べさせに来たの?」
「いや、まだ――だけど。君は?」
「わたしはね……お母さんに言えなかったことがあるの。
もう会えないけど、なんか、伝えたいって気持ちだけはあるんだ。
だから、書くの。で、ここに“食べさせる”の」
少女はカバンから小さな封筒を取り出した。
裏には、拙い字でこう書かれていた。
「ごめんなさいって言えなかったこと」
灯守は少女のそばにしゃがみ、ポストの口を見つめた。
風が止み、音もなく、封筒がゆっくりと吸い込まれていった。
まるで、誰かがそれを“静かに受け取った”かのようだった。
小柄な老婆が、杖をつきながらこちらを見ていた。
「このポストさ……あたしが子どもの頃からあった。
けど、手紙を“届ける”んじゃなくて、“食べる”んだよ。
ここに投函された手紙は、どこにも届かない。
だけど、書いた人の気持ちは――“どこかに届く”んだってさ」
その言葉は、まるで昔話のようでありながら、どこかしら胸を打つものがあった。
灯守は、旅帳を広げ、老婆の話を聞き始めた。
その日の夜、灯守は宿の机で旅帳を見つめていた。
あのポストのこと、老婆の話、少女の言葉。
すべてが不思議に心に残り、眠りのなかでもその光景が浮かんでは消えた。
そして、ふと夢の中で――灯守は見知らぬ手紙を読む夢を見た。
手紙にはこう記されていた。
「お前が書き記したことで、またひとつの想いが救われた。
届かない手紙は、行き場を失った魂の声。
それを“読もう”とする者がいる限り、このポストは消えない。
記録者よ、ありがとう」
目が覚めると、旅帳の隅に、誰かの文字が加わっていた。
《補記:声なきポスト》
忘れられていた通信の“灯”は、読もうとする心によって灯る。
そこに“再会”の形はなくとも、“伝わった”という奇跡がある。
灯守は窓を開けた。
夜風が静かに吹き込む。
桜の匂いはもう消え、ただ湿った土と風の音だけがあった。
彼は胸の内に、ひとつの声を思い出す。
それは、彼自身が幼い頃に書くことも読まれることもなく、
誰にも渡せなかった“手紙”だった。
「……あのとき、ぼくも、あのポストがあればよかったのかもしれない」
灯守は筆をとり、封筒に何も書かず、一枚の紙を折り畳んだ。
中にはたった一行の言葉だけ。
「ごめんね。気づけなかった」
そして、再び町のはずれへ向かった。
ポストは、何事もなかったように、そこにいた。
灯守はそっと手紙を差し入れた。
すると、鉄の口はまるで満足げに“噛みしめる”ようにそれを呑み込み、音もなく閉じた。
旅帳を開いた灯守は、ページの端に小さく記した。
《拾遺録:その五》
食べるポストは今日もそこにある。
届かぬ想いを“誰か”が読むために。
声を出せない者のために。
そして、伝えそびれた誰かのために。
あとがき
“届かない”とわかっていても、書かずにはいられないことがあります。
それは誰かのためであり、自分のためでもあり――それを受け取る“場”があるだけで、人は救われるのかもしれません。
このポストは、そうした「想いの居場所」だったのです。
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