第八章 【夢より深く、記憶より遠く】
―クロヴィス視点―
夜が、深く冷たく降りてくる。
森の中に響くのは、獣の遠吠えと風の音、そしてどこかでかすかに聞こえる――彼女の歌声。
クロヴィスは小さな焚き火を見つめながら、剣を膝の上に置き、黙っていた。
向かい側には、シュヴィア。黒装束の諜報師は、火の明かりにも動じぬ表情で木の根に凭れている。
「……さっきの声」
クロヴィスが不意に口を開く。
「何だと思う?」
「分析不能。ただ、魔力とは異質でした」
シュヴィアの返答は端的だ。だが、それだけでは済ませられない何かが、彼の中にある。
「――あれは、“あの歌”だ。夢だと、思っていたがな……」
クロヴィスの目は、遠くを見るように虚空を見つめている。
「幼い頃、あの森で出会った少女がいた。誰も信じなかった。だが、俺は……彼女の声で、泣くのをやめた」
「……陛下は、それを“リアナ”だと?」
「まだ確信はない。だが……俺の魂が、知っている気がする」
火が、ぱちりと弾けた。
そのとき、木々の間から現れたのは、リアナだった。
「……クロヴィス。あなたに、話したいことがあるの」
彼女の顔には、どこか迷いと決意が混ざっていた。
「私、思い出したの。断片的だけど、前に“誰か”を癒した記憶。歌を歌って、その人が泣き止んだ。すごく、温かい時間だった」
クロヴィスの瞳が、ゆっくりと揺れる。
「……それは、夢じゃなかったんだな」
「うん。たぶん……私たち、前に会ってる」
二人の間に、かすかに風が吹いた。
シュヴィアは一歩引き、静かに場を見守る。
「だけど……今の私は、あのときの私じゃない。私はリアナで、あなたは帝王。お互い、簡単には交わらない」
リアナの声は柔らかく、でも芯があった。
クロヴィスは小さく笑う。
「わかっている。だが――もう“夢”では終わらせない」
沈黙。
夜の空気が、少しだけやわらいだ気がした。
――しかし。
その場に、鋭い音が響く。
「……動くな!」
森の奥から、兵の声。鉄の鎧をまとった者たちが現れた。
「帝国直属、追跡部隊“ティレル隊”! 逃亡者、及び竜種の保護者に対し拘束命令を発する!」
シュヴィアが即座に前へ出る。
「……想定より早い。ここは私が抑える。陛下は――」
「いや。俺も行く」
クロヴィスは立ち上がった。リアナも身構える。
ティレル隊――その先頭に立つのは、冷たい眼差しの女騎士、ユリナ・ティレル。氷のように研ぎ澄まされた気配を纏っていた。
「陛下。なぜご自身がこのような任務に? これは帝国の秩序に反する行為です」
「命令には逆らうな。それが帝国の犬か」
クロヴィスの声に、かすかな怒気が混じる。
ユリナは眉一つ動かさず、リアナに視線を向けた。
「竜の血を引く者と行動を共にする“歌姫”――リアナ・エルフィネア。。あなたには魔族との共謀の疑いがある」
「……っ」
リアナは拳を握った。だが、そのとき、ティアルが彼女の後ろから顔を出す。
「リアナを、連れていかないで……!」
その言葉に、ユリナの表情が微かに動いた。
「子供……?」
沈黙が走る。
クロヴィスは、剣に手をかけた。
「ここでの戦いは無益だ。ユリナ、俺が命ずる。“この場から退け”」
「……陛下……?」
「繰り返させるな」
ユリナの目が揺れた。
命と忠誠の狭間で、わずかに、彼女は迷った。
「了解……だが陛下。いずれ、答えをお聞かせいただきます」
ティレル隊は撤退を始めた。
リアナはホッと息をつく。クロヴィスは肩の力を抜いた。
その夜、焚き火の周囲には微かな静けさが戻っていた。
だが、確かに――何かが、動き出していた。
―To Be Continued―
かすかな記憶が、ふたりの心をつなぎはじめる。
だがそれは、始まりにすぎない。
リアナの“前世”は、ただの伝説ではなかった。
クロヴィスの“正体”もまた、帝国を揺るがす真実を秘めている。
そして、彼女を見つめる冷たい視線。
帝都では、さらなる波がうねりを上げ始めていた――