第六章 【裂けゆく境界と追跡者の影】
―リアナ視点―
「ティアル、隠れてて」
リアナは焚き火を足でかき消し、ティアルを茂みの奥へ促した。子竜の小さな体はおずおずと葉の陰に身を潜める。
静寂を裂くように、獣の唸りと共に現れたのは、牙を剥いた魔獣――ではなかった。
「……ティレル隊か」
クロヴィスが呟いた。
黒と金の鎧に身を包んだ精鋭たち、帝国直属の追跡部隊。彼らの目的は明白だった。命令に従い、“魔族の痕跡”を排除すること。
「シュヴィア、彼らを止められるか?」
クロヴィスの言葉に、闇の中から姿を現したシュヴィアが一礼する。
「情報遮断は済んでいます。ただ、彼らは“証拠”を嗅ぎつけています。……竜の気配を辿ってきたのでしょう」
リアナは、胸を押さえた。
―ティアルを見つけられたら、彼は殺される。
(逃げなきゃ……でも、それだけじゃもう、足りない)
彼女は一歩前に出た。
「わたしが引き受ける。あなたたちはティアルを守って」
クロヴィスの瞳が、少しだけ揺れた。
「ひとりで、どうするつもりだ?」
「大丈夫。“きっとなんとかする”から」
その言葉に、シュヴィアの眉が微かに動いた。彼は初めて見るその表情に、かすかな既視感を覚えていた。
(……陛下が泣いていた幼少の夜。慰める少女の声が、あれだったのか)
⸻
―ティレル隊視点・指揮官アデル―
「この奥に、魔族の気配。上からの命令は“即刻処分”だ。構うな。少女でも子でも、関係ない」
剣を抜き、アデルは森の奥へと進む。彼の背には、魔族との因縁が刻まれていた。
(……俺はあの日、妹を魔族に喰われた)
容赦など必要ない。魔の血を引くものはすべて、討たねばならない。
⸻
―クロヴィス視点―
「待て」
クロヴィスがその剣を手で受け止めた瞬間、刃が彼の手袋を裂いた。
「陛下……なぜ止められるのですか」
「彼らは、敵じゃない」
「ですが、“命令”が――!」
「命令なら俺が変える。……本物の意志でな」
一瞬、アデルを含めたティレル隊が息をのんだ。
(……命令が偽物だと? なら、俺たちは――何のためにここに……?)
クロヴィスの足元に氷が静かに走る。
空気が凍りつく。
「この件、俺の直属指揮とする。……“竜の子”の処遇は保留。反論がある者は、今ここで命を賭けろ」
その言葉に、誰ひとり異を唱える者はいなかった。
― 氷の帝王 ―
その威厳が、確かにそこにあった。
シュヴィアの視線が、命令の発信源を探るように鋭く動く。
⸻
だが――
そのとき、森の奥が揺れた。
何かが“目覚めた”気配。
「……これは、魔族ではない。“異端の気配”です」
シュヴィアが眉をひそめる。
―リアナ視点―
“それ”が姿を現した瞬間、彼女の記憶がうっすらと疼いた。
闇を纏った白い仮面の存在。かつて、前世で自分を裏切った“声なき魔”の姿に、よく似ていた。
(なぜ、今ここに……?)
ティアルが叫んだ。
「リアナ、危ない!」
瞬間、彼女の体が揺らぎ、空間が裂けた。
――瞬間移動。彼女はその力で、魔の爪をかわし、逆に背後を取った。
「絶対に、誰も傷つけさせない!」
その声が、森に響いた。
To Be Continued――
クロヴィスの心中 ―命令という名の檻の中で―
ティレル隊は、“帝王の名の命令”に従って動いていた。
だが、クロヴィス自身が下した命令は、「接触調査」までの限定的なものだった。
「竜の気配があると報告を受けた。確認しろ。接触に留めよ――その後の処遇は、俺が決める」
それが、彼の本来の意図だった。
だが、現場に届いた命令は違った。
それは明確に――**「発見次第、即刻処分」**という内容だった。
「……誰かが、俺の名を使って命令をすり替えたのか」
クロヴィスの胸に、重く冷たいものが沈む。
帝王の名を持ちながら、自身の命令が“ねじ曲げられる”という現実。
しかも、それを誰も疑おうとしない帝国軍の構造――。
「命令に従うだけの存在」
「命令を下す者としての孤独」
そしてそれ以上に――
「俺が“本当の命令”を下す。
あの声を、もう二度と失わないために」
リアナという少女に出会って、クロヴィスは“玉座”ではなく“真実”を選ぶ者へと変わりつつあった。
その変化が、やがて帝国の運命すら大きく揺るがせていく。
――それは、“命令に支配される世界”への、最初の反逆だった。