第五章 【揺れる記憶と氷の視線】
-クロヴィス視点-
帝都を離れ、馬では届かぬ森の深奥へとクロヴィスは単身で向かっていた。
「……お前も、来たのか」
後ろから聞こえた足音に、振り返ることなく呟いた。そこにいたのは、帝都の暗部を担う諜報師――シュヴィア。
漆黒の装束に身を包んだ男は、静かに答えた。
「陛下お一人では、危険と判断しました。あの“囚人”、ただ者ではありません」
「分かっている……だが、彼女は“敵”ではない」
その言葉に、シュヴィアがわずかに目を細めた。
「……それは、なにを根拠に?」
クロヴィスは答えなかった。ただ、胸の奥がざわめく。
あの夜、血に染まった意識の果てで聞いたあの声――
『大丈夫。きっとなんとかする』
その言葉が、なぜだか、幼き日のある記憶と重なっていた。
-リアナ視点-
森の奥。傷つき、消耗しながらも、リアナはまだ逃げていなかった。
追手は近い。だが、ティアルを一人にするわけにはいかなかった。
彼女は焚き火の前に座り、膝を抱える竜の子の横に寄り添う。
「怖い?」
ティアルは、こくんと頷いた。
「リアナ……また、牢屋に戻るの?」
「……さぁね。でも」
彼女はふっと笑い、夜空を見上げた。
「わたしね、まだこの世界を好きになれてない。だけど――」
ティアルを見つめ、彼女は言う。
「君がいるから、きっと好きになれる。だから守りたいの。きっとなんとかする」
それは呪文のような口癖であり、信念だった。
ティアルの目が潤み、小さな手が彼女の服を掴む。
「リアナ……ぼく、強くなるよ。もう、隠れてるだけじゃイヤだ」
「……うん」
リアナの胸が、熱くなった。
誰かが、命をかけてでも守りたいと願ってくれる存在になれたことが、嬉しかった。
-クロヴィス視点-
風が、リアナの歌声の残滓を運んできた。
それは魔法ではない、もっと原始的で、魂に響く“力”。
クロヴィスの心の奥底に、なにかが軋む。
「……まるで、母の歌のようだ」
彼の母は、皇妃の中で唯一民から愛された女性だった。
そして、彼がまだ幼かった頃――
森で出会った少女が、彼の涙を止めてくれたことがあった。
その少女が、まさか――
「まさか……あれは夢だったのか?」
頭を振る。
今は任務だ。感情で動いてはならない。
だが、彼の視線は、風の先を見据えていた。
-リアナ視点-
夜が深まる中、リアナはティアルを寝かしつけ、静かに立ち上がった。
そのとき、茂みが揺れた。
「……だれ?」
一歩、二歩、草を踏む音。
魔力を感知。だが、殺気はない。
姿を現したのは――クロヴィスだった。
銀の髪に冷たい瞳。
帝都の者でなければ、一歩も森に踏み込めないはずの男。
リアナはすぐに身構えた。
「来ないで。わたしは、あなたの敵よ」
クロヴィスは足を止め、言葉を吐き出すように告げた。
「……お前が、あの夜……俺を救ったのか」
リアナの目がわずかに揺れた。
「……覚えてないってことにしておいたほうが、都合がいいならそうして」
「……都合などどうでもいい」
クロヴィスはゆっくりと、剣を鞘に戻した。
「俺は確かめたかった。……あのときの“声”が、幻じゃなかったと」
彼の瞳が、今だけは冷たくなかった。
リアナは目を伏せ、静かに言う。
「わたしは、誰かを救いたいってだけなの。……それが、誰であっても」
その言葉が、クロヴィスの心を射抜いた。
そして――
森の奥から、鈍い足音と獣の気配が迫ってきた。
次の敵が、牙を剥いていた.....
―To Be Continued―
言葉を交わし、すこしだけ近づいた心と心。
だが、運命は二人に、さらなる試練を与える。
ティアルの存在が帝都に知れたとき、
リアナの過去が暴かれたとき、
そして、クロヴィスの“本当の正体”が露わになったとき――
世界はまた、大きく揺れ始める…