第一章 【籠(かご)の歌姫と絶滅の子】
かつて、世界は美しかった。
命は空を翔け、風は心を包み、
人と魔族と幻想の生き物たちは、同じ大地で息づいていた。
けれど――ある日、世界は“恐れ”を知った。
違う命を恐れ、否定し、
力ある者を“異端”と呼び、
声ある者を“呪い”と裁いた。
そして、世界は静かに崩れ始めた。
この物語は、
ひとりの少女と、
ひとりの帝王が、
もう一度、世界の「美しさ」を見つけるまでの物語。
少女の名は――リアナ・エルフィネア。
世界を癒す歌を持ち、命を抱きしめる者。
皇子の名は――クロヴィス=ラインハルト。
憎しみに凍り、孤独に支配された者。
ふたりは出会い、そして運命に抗う。
歌声は、すべての命の祈り。
剣よりも深く、涙よりも強く、
この世界を救う唯一の希望――。
だからこそ、この物語は、
「それでも、世界は美しい」と叫ぶ物語。
「始まりは、牢獄の底だった。
けれどあの夜、少女の歌声が、帝国の空を照らした――」
「彼女がこの牢にいる理由を知る者は、ほんの一握りだった。かつて“奇跡の声”を持つ者が引き起こした悲劇。帝都は、その再来を恐れ、彼女を――封印した。」……
「命に理由なんていらない。ただ、生きてることが、美しいんだ」
帝国ルヴェルタ。
氷の支配者、クロヴィス=ラインハルトが統べる大陸最大の帝国。
その首都にそびえる古の塔――“封印の牢獄”。
かつてここは、魔族や異端とされた者たちを閉じ込めるために造られた。
罪人が集められ、忘れられ、やがて世界から消えていく場所。
けれど今、そこに異質な光が宿っていた。
― 牢獄 ―
「焼けたよー、ほら、今日のパンはちゃんと焦げてない!」
少女の明るい声が、冷たい石の壁を跳ね返った。
彼女の名は――リアナ・エルフィネア。
白銀の長い髪、深海のような青い瞳、透き通る肌。
まるで神話から抜け出たような美貌の少女。
彼女は囚人でありながら、この牢獄の希望だった。
「おいおい、お前、なんでそんなに元気なんだよ……牢屋だぞ、ここ」
「牢屋だからって、笑っちゃいけないって決まりはないでしょ?」
苦笑する看守たち、囚人仲間の男たちも、
彼女の前では肩の力を抜いていた。
それが、リアナの力だった。
彼女は、誰にでも優しく微笑み、
誰の痛みも、まるで自分のことのように感じた。
でも――誰も知らなかった。
彼女が持つ力は、“世界を癒す歌”と、戦場を駆ける“魔法”すら凌ぐ“瞬間移動”という異能。
牢を破るなど、彼女にとっては容易いことだった。
なのに、彼女は逃げなかった。
なぜなら、ここに来た理由が――“逃げない選択”だったから。
― 数か月前 ―
時々、瞬間移動して外の景色を見に行く。
そして外れの森で、リアナはひとつの命と出会った。
雪に染まった草原。
傷だらけで横たわる小さな白い竜――まだ幼い、目を開けたばかりの命だった。
「……生きてるの……?」
彼女がそっと手を伸ばすと、竜はかすかに震え、か細い声で鳴いた。
その瞬間、胸の奥から、光が溢れた。
リアナはそっと歌った。
まだ、誰にも聴かせたことのない旋律。
それは、空気を震わせ、森の花々が目を覚ますような、**“命を呼ぶ歌”**だった。
竜の目が、ゆっくりと開いた。
「……た、す……け……て……」
「うん、大丈夫。あなたは、生きてる。もう怖くないよ。」
でも次の瞬間、森がざわめいた。
帝国の騎士たちが飛び込んでくる。
「発見! 魔族と接触している女を確認!」
「討て――!」
刃が振るわれたとき、リアナは反射的に魔法を展開。
光が弾け、兵士たちが吹き飛んだ。
その場に残されたのは、彼女と白竜だけ。
でも――助けたことが、罪とされた。
再びリアナは、捕らえられた。
名も告げず、力も否定せず、ただ静かに牢へと歩いた。
でも、彼女は笑っていた。
「……あの子が逃げられたなら、それでいいよ。」
誰も知らない。
あの時、リアナは白竜に名前を与えていた。
ティアル――空を包む光。
― 帝都、炎の夜 ―
数か月後、帝都は戦火に包まれた。
反乱軍が城を襲撃し、街を焼き尽くし、封印の塔にも火の手が迫った。
「脱獄だ!早く出ろ!!」
「天井が崩れる――ッ!」
混乱の中、リアナは無言で塔の屋上へと駆けた。
逃げる者たちを見送り、瓦礫に埋もれた少女を抱き起こす。
そして、歌った。
“命を呼ぶ歌”。
世界を包む優しさ。
焼けた大地が静まり、瓦礫が浮かび、空が再び青を取り戻していく。
それを見ていた男がいた。
皇子、クロヴィス=ラインハルト。
その歌声に立ち尽くしていた。
「誰だ……この声は……」
叫んだ時には、彼女の姿は、もうなかった。
―To Be Continued―
後書き特別編:「誰にも言えなかった、私の選択」
――夜。
封印の塔の地下、灯りのない独房に、私は静かに座っていた。
石の壁は冷たく、夜風さえ届かない。
でも、私は少しも寂しくなかった。
だって――ここは、私が選んで留まった場所だったから。
⸻
あの日のことを、私は忘れない。
“奇跡の声”を持つ少女だと、誰かが気づいてしまったあの瞬間を。
声を封じられ、存在を隠され、
“世界のバランスを乱す者”として、私は静かに閉じ込められた。
けれど――私は逃げなかった。
牢の扉をすり抜ける力があっても、外の風を感じることができても。
私は、夜だけ外に出て、
傷ついた人を見つけては、そっと癒した。
何度も、何度も。
そして、朝が来る前に戻った。
まるで夢のように。
なぜ、そんなことをしたのかって?
うまく言えないけど……
たぶん、私はこの世界をまだ嫌いになりたくなかったんだ。
この牢の中にいても、笑ってくれる人がいた。
パンを焼くのを楽しみにしてくれる人がいた。
名前を呼んでくれる声があった。
それだけで、
私にはこの場所が、少しだけあたたかく感じられた。
だから私は逃げなかった。
ここで、生きると決めた。
「助けを求める声」に届く場所にいると決めた。
……あの白い竜の子と出会った夜まで、ずっと。
彼を助けたことは、たしかに私の罪。
でも、それでも私は――
“命に理由なんていらない”って、心から思えた。
そう。
ただ、生きてることが、美しいんだって。
だから私の“罪”は、きっと――
世界を美しいと信じてしまったことだったのかもしれないね。
リアナ・エルフィネア
封印の牢獄にて
静かなる祈りを込めて