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8th stage★そういう問題じゃ、ないのよ

 その日、私達二人は数日ぶりにみっちゃんさんのお店へやって来た。道中のやけに静かな天道さんの横顔が瞼の裏にこびり付いている。

 どんな案が浮かんだのか知りたがる汐莉(シオリ)さんと(ミオ)さんに「これは二人へもサプライズ」とウインク姿がお茶目で魅力的だった。その時のおちゃらけた様子が、ここに来るまでの何か決意したかのような表情を一層際立たせていた。


「こんにちはー!」

「あら、いらっしゃい。待ってたわよー」


 店内に入ると、よく知った顔になった常連さんたちも声を掛けてくれた。みっちゃんさんのご厚意でお店で歌わせていただいているけど、常連さんたちはいつも温かく応援してくださる。


「テンちゃーん、今日もべっぴんさんだねえ」

「あは、ありがとー」

「みなもちゃんもほれ、これ。今日は美味い豆持って来たんだよ!」

「ありがとうございます、いただきます」


 一通り声出しや、音を出しての歌唱練習を終える。みっちゃんさんがいつもの美味しい紅茶とケーキを出してくれた。


「はぁい、どうぞ」

「ありがとうございます」

「いただきまぁす」


 私はすっかりここのお茶とケーキを気に入ってしまった。温かいみっちゃんさんやお客様の人柄も好きだった。天道さんがよく利用するのも納得の、優しい空間だった。


「文化祭ももうすぐそこねえ」

「ん。あのね、みっちゃん。ちょっとおねがいがあって」

「おねがい? なにかしら」


 天道さんはお口の中を空にすると、姿勢を正す。私もまだ何をお願いするのか分かってないのに姿勢を正した。天道さんの顔を見て、みっちゃんさんは大方予想が付いたのかもしれない。


「……ごめんね、テンちゃん。それは無理よ」

「なんでっ」

「できない! ごめんなさい……出来ないのよ」


 みっちゃんさんは一瞬強く言葉を発するも、すぐに自身を落ち着かせて俯いたままぎこちなく笑った。

 何か深刻な事情があるようだった。


「みなもちゃんも、ごめんね。期待してくれたんだろうけど」

「あ、いや」

「みなもちゃんにはまだ言ってない。ねえ、みっちゃん。やろう?」

「やらない。無理なの」


 二人が何の話をしているのか検討もつかない。


「て、天道さん、やめよ? 何頼もうとしてるか分かんないけど、無理強いは」

「やめないっ! みっちゃんがいい!」


 みっちゃんさんは奥歯を噛み締める。それぞれに盛り上がりこちらの様子を気にしていなかったお客様たちが、叫ぶように言い切った天道さんの声を聞き一斉にこちらを向く。


「どうした? 今日は帰ろうか?」

「その方が、良さそうね。ゆっくりしてたのにごめんね」

「良いんだ良いんだ、オレら明日もどうせ来るからな!」

「おう、仲良くしろよなー」


 お客様たちがごちそうさま、とそれぞれお金を置いて帰って行った。


「はあ。待ってなさい」


 みっちゃんさんは外の看板をしまい、CLOSEの札をかける。天道さんは唇を噛み締めて震えている。泣くのを堪えているようにも見えた。なに? 展開急じゃない?


「天道さん。事情は知らないけど、流石にこれは帰った方が……」

「だめ。絶対帰らない」


 みっちゃんさんは私達の正面に腰掛けた。


陽那多(ヒナタ)、本当誰かさんにそっくりね。言い出したら聞かないんだから」

「でもひなはあの人とは違う」

「分かってる。でも……」


 いつもは「テンちゃん」と呼ぶみっちゃんさんが、天道さんを名前で呼ぶのに違和感があった。そう言えば天道さんは自分のことを「ひな」と呼ぶのがとても可愛いけど、みっちゃんさんのお店ではそう言わないよう気をつけている気がしていた。この辺も何か事情があるのかもしれない。


「みっちゃん、ひなの髪切って」

「え?」

「だめ、出来ない」


 髪を切る? それを頼みに来たのだろうか。天道さんは譲る気がなさそうだった。だけどそれ以上にみっちゃんさんは頑なだった。


「あの日からハサミを見るだけで、だめなのよ。もうあんなの、持てない。ましてや陽那多の髪の毛を切るなんて……ごめんなさい」

「なんで! あんなのみっちゃんのせいじゃない。いつまでも責任感じなくて良いんだよ!?」


 ここに居ていいんだろうか。まさかこんな空気になる話をしに来たとは知らなかった。私だけでも帰った方が……と、残った紅茶を飲み干した。「先に帰ります」そう言おうと腰を上げかけた私の制服をぎゅっと引っ張り、しっかりと座らされた。


「みなもちゃん、聞いて。ひな、お母さんいないの」

「、え」

「ひなのお母さん、もうこの世にいないの」


 天道さんの肩は震えていたし、みっちゃんさんは片手で額を覆い俯いていた。


「みっちゃんは元々美容師なの。小さい頃、みっちゃんに髪の毛切ってもらうのが好きだった。みっちゃんが切ってくれると、お姫様になれるの。あの時間が大好きだった」


 天道さんは一瞬、過去を懐かしむような顔を見せた。二人は昔馴染みだったのか。


「ある日車を運転してたみっちゃんの前に、数人で度胸試しをしてた小学生が飛び出して来て。みっちゃんはそれを避けようとして大怪我したの」

「そんな……」

「あんな、あんな馬鹿な子どものせいでっ! あんな……あんな子ども、避けずに」

「陽那多。何言おうとしてるの、やめなさい」

「だって、だって!」


 天道さんは何かを口走りそうになり、みっちゃんさんがぴしゃりと制す。堪えきれず天道さんの大きな瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。


「そのせいで、みっちゃんはっ」

「ちがうわ。その子のせいじゃない。確かにあんなこと、二度としてほしくないけどね。私はその子のせいで美容師をやめたわけじゃないわ、私のせいなのよ」


 みっちゃんさんはすっと立ち上がると、天道さんの側に寄り添いそっと抱き締めた。


「ごめんね……ごめんね。陽那多……」

「ちが、ちがうの。お願い、みっちゃん……謝らないでっ」

「私があんな手でハサミを持たなければ姉さんは」

「ちがうっ! お母さんは、お母さんだって、みっちゃんに髪やってもらうの大好きだった!」

「……そういう問題じゃ、ないのよ」

「だって……だって……みっちゃんもう、手は治ってるでしょ?」

「それでも、そういう問題じゃないのよ」


 みっちゃんさんは天道さんのお母さんを「姉さん」と呼んだ。

 天道さんは次第にと子どものように泣きじゃくる。みっちゃんさんは私を見て、困ったように眉を下げたままにっこり微笑んだ。何となく「連れて帰って」と言われた気がした。


「あ、はい。……天道さん、一回帰ろ。ね?」

「やだっ、帰らないっ」

「天道さん、天道さん。こっち見て」


 みっちゃんさんにしがみついていた天道さんの肩を掴み、半ば強引にこちらへ向かせる。悲しい気持ちを少しでも和らげたくて頬を撫でる。天道さんはぴくりと反応して、目が合った。


「今日は一旦帰ろう」

「……うん」


 少し落ち着いたのか、今度は素直に聞き入れてくれた。このままでは話も出来ない。

 彼女を立たせて二人分の鞄を持った。みっちゃんさんにぺこっと頭を下げる。


「ありがとう」


 と口元が動く。

 天道さんの背をそっと押し、私達はみっちゃんさんのお店を後にした。


「みなもちゃん、ごめんね」

「……なんでよ」

「ううん、ごめん」


 力なく呟く天道さんのか細い声に、心が押しつぶされそうになる。


「家、送ってくよ……どっち?」

「ひな……おうち帰っても一人なの」


 お母さんが亡くなったというのも先程知ったばかりだし、まさか一人暮らししているとは思わなかった。


「さっきお母さんいないって言ったけど、お父さんも……もういないの」

「…………」


 咄嗟のことに言葉も出ない。そんな……。普段の明るい彼女から想像をしたこともなかった。考えたこともなかった。


「だから、一人なの。みっちゃんはお母さんの弟で、や……弟って言うと怒られるんだけど。お父さんがいなくなった時誰かから聞いたみたいで、ひなのこと引き取ろうとしてくれたらしいの。でもみっちゃんは女の子になった時に勘当されちゃってて。交流のある家族はもうお母さんだけだった。

 みっちゃんはお母さんのお葬式にも出させてもらえなくって。当然他の親戚がひなからも離しちゃって、会わせてもらえなくって。それどころかお父さんがいなくなった後、探そうにもみっちゃんの所在も分からなくて」


 震える声で一生懸命伝えようとしてくれてる。複雑な情報が急に出てきて私自身混乱しているけど、今は聞くことしか出来ない。


「それでお父さんの兄夫婦に引き取られて」

「……その人達は?」

「あんなの、人の皮被った化物だよ。ひなのこと引き取ったのだって、お母さんの財産目当てだし

 全部嫌になって家出したの。汐莉んちに」

「汐莉さんのうち?」


 天道さんがこくりと頷く。


「汐莉とは幼稚園から一緒でね。家出したいって泣きついたら「汐莉んちいっぱいお部屋あるからいいよ」って。ふふ、汐莉はああ見えてお嬢様なの」

「そうなんだ」


 つらい時に側にいてくれた人がいる。その事実だけで少し安心できた。


「それで暫く一緒に住まわせてもらってたんだけど、何処からどうやって見つけてきたのか、汐莉のおうちのお祖父様がみっちゃんを連れて来たの。みっちゃんったら、いつも綺麗にしてたのにその時はきったない格好しててさ。ぼろぼろで、がりがりで」


 その時のことを思い出すのはまだつらいのか、時折言葉を詰まらせる。


「どうしてあんな格好をしていたのか、今も教えてはくれないけど考えればすぐ分かるよね。きっとお母さんの死に対する罪悪感、お父さんの死に対する罪悪感。それと残された私に対する罪悪感。しかも大好きだった美容師ってお仕事も出来なくって、もうどうすることも出来なかったんだと思う」


 当事者じゃない私が泣くのは無責任だと思って、必死にお腹に力を入れていたけどもう限界だった。

 前髪に隠れてこっそり泣いた。



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