表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

10th stage★生きようとしてたの

 しんと静まった暗い部屋。時折かすかに海音(カイト)の声が聞こえてくる。隣の部屋は凪翔(ナギト)にぃの部屋だ。また海音が凪翔にぃの部屋でゲームをしているのだろう。目を閉じると指先からお互いの体温を感じる。とくとくと血の流れるのが伝わってくる気がした。そんな時、天道さんがぽつりと呟く。その声はまるで助けを求めているかのようだった。


「みっちゃんさんの……でも、私なんかがそんなに聞いても悪い気が」

「ひなが無理させてでも、みっちゃんにひなの髪を切ってほしい理由。みなもちゃんに知ってほしいの」


 天道さんの声があまりにも真剣で返事も出来ず、ただか細い指を握り返す。


「ありがと……みっちゃんはね、事故の後美容師として仕事が出来なくなっちゃったの。腕をね、大怪我……だったから、しばらくは仕事どころか私生活もままならない。でも一生懸命リハビリしたんだよ。リハビリ中もいっつも笑顔で、泣き言一つ言わないの。

 学校が終わったあとはね、毎日お父さんに連れられてお見舞いに行ってた。お父さんはみっちゃんとあんまり接点なかったし、いつも待合室で待ってるんだけど。ある日、こっそりリハビリを覗いてみたの。そしたらね、みっちゃん見たこともないくらい顔ぐちゃぐちゃで……子どもながらに、ひなたちにツライとこ見せないように頑張ってたのが分かったの」


 たまに小さく相槌をうつ。私はありがたいことに、これまで一度も大きな怪我なく生きてきた。だからリハビリのつらさは分からない。でも天道さんの時折詰まる声、力の入る指先から壮絶さが想像出来た。


「お母さんもね、わかってたんだと思う。その頃のお母さんは家にほとんどいないくらい忙しくって……お母さん、女優さんだったんだけど」

「え、あ、そうなの」

「そうなの。元々アイドルグループに所属してて、卒業後はテレビに出演したり舞台に立ったり。「アイドル女優ってバカにする人もいるけど、その枠を私にくれるなら後は思いっきり楽しむだけ」って勝ち気な人だった……すっごくかっこよくて。やっとね、女優としての仕事が増え出した頃だったの。

 だけどみっちゃんが入院してからは仕事の合間に度々お見舞いに来ていたみたいで、ひなが行くとお花があったりして」


 母親のことを話す天道さんの声色には、寂しさの中に暖かさを感じた。


「暫くしてみっちゃんは退院したの。でも腕は思うようには動かせてなかったみたい。夢だった美容師も諦めなきゃかもーって、相当元気なくって。お母さんはね、みっちゃんに元気出してほしい一心で髪の毛を切ってくれって頼んだの。結構、大きな仕事の最中だったみたい。お母さんのもらった役が途中で髪を切るんだけど、そのシーンをどうしても弟にさせたいって監督に頼み込んで」

「その時に……?」


 一瞬、震える声が飲み込まれたのが分かった。


「そう……みっちゃん、最初は「絶対に無理だ」って断ってたんだけど、お母さんが何度も何度も説得して。お母さんはみっちゃんを信じてたし、自分のことも信じてた。仕事には復帰できなかったとしても、またみっちゃんの好きなことをやらせてあげたいって。その一心だったの。半ば強引に鋏握らせて、結果……みっちゃんはお母さんの目の下を切っちゃったの」

「目の下を……え、目の下を切った?」

「そう。目の下を切った。それだけなの」


 それだけ、と言うのは違うのかもしれないけど。みっちゃんさんの様子や天道さんの言い方ではもっととんでもないことが起きたのかと。みっちゃんさんが、誤って刺しこ……刺しころ……そういうことなのかと。


「それだけのことでね、あの世界では、芸能界では大変なことになっちゃうの。目の下を切っただけって言っても、結構深くいっちゃったのか場所がよくなかったのか……お母さんの顔、半分に麻痺が出ちゃって」

「麻痺……」

「映画の撮影中だよ!? ほんっと、お仕事なのになにしてんの? って感じだよね。お母さん、後先考えないとこあるからさ。

 切っちゃった時は現場も騒然となったらしくって、すぐ病院行くことなって。もちろんひなも呼ばれて病院に行って、お母さん笑ってた。「切れちゃったわー」なんて言って、笑ってたの」


 お姉さんの顔に傷を作ってしまった時のみっちゃんさんの気持ちを考えると身が竦む。ましてや顔面麻痺ともなれば。


「その後麻痺が発覚して。傷はメイクで隠せるし治療すれば治る可能性があるって、一旦映画の撮影は中断。公開は延期。これだけでも既にネット上ではあることないこと書かれてて。お母さんだけじゃなくって、みっちゃんのこと酷く言う人もたくさんいたの。

 手術、リハビリ、色々手を尽くしてくれたけど時間がかかって、撮影中の映画は監督さんの意向で制作中止になってしまって。お母さんにみっちゃんのことで許可出したのは自分だからって、その人も何度も謝罪しに来てて。……なんだけど、それが余計に火に油と言うか。監督のファン、各役者のファン、多分……出演する予定だった人も、色んな人に見えないところから叩かれて」


 このネット社会。現代の悪口はいとも簡単に本人に届けられてしまう。指先一つで世界中に発信できてしまう。前の学校でのことを思い出すととても他人事ではない。彼らは「お腹空いたね」くらいのテンションで、人の心にナイフを突き刺すのだ。


「もちろんみっちゃんも気付いてて、自分だって色々最低なこと書かれてるのにずっとお母さんに謝ってた。お母さんは一度もみっちゃんを責めなかったけどね。「大丈夫だからね、後悔してないからね」って。多分みっちゃんにとっては慰めにもならなかったんだと思うんだけど」


 もちろん酷いことを書く人が悪いけど、みっちゃんさんは自責の念で辛かったと思う。


「暫くして、お母さんの顔に後遺症が残ってしまったことがわかって。元々自分のこと大好きな人だったし外見を商品にしていたわけだから、かなりショックだったと思う。顔の一部が動かなくって、段々歪みが出てきて。元気だったお母さんが日に日に、笑わなくなっていって。面会も拒絶するようになって。ひなもみっちゃんも、お母さんとは会えなくなってしまって。

 ある日ね、顔の歪んでしまったお母さんの写真が……週刊誌に出ちゃったの。まだ誰が流出させたのか分かってないんだけど」


 胸が痛い。手の震えから隣で泣いているのが分かる。その記事を偶然見てしまった天道さんのお母さんがどれほどショックを受けたのか、想像するだけで私の頬にも生暖かいものが伝う。


「お母さんの病室にはね、ある時から一切鏡とか物を映すものは置かれなくなっていたの。スマホもマネージャーに禁止されてて、もちろん週刊誌の類も充分注意してた。その状況見てお母さんも自分に何か異変が起きているのに気付いていたとは思うんだけど。マネージャーの目を盗んでどこかから買ってきたみたいで。表紙にお母さんの名前があって、気になったんだと思う」


 ああとか、うんとか、そんな曖昧な返事をしていたように思う。だってこの後多分彼女は……。


「当時は大人たちがひなに隠したけど、今簡単にバックナンバー入手出来るでしょ。数年後に取り寄せたの。お母さんを殺したのは一体どんな写真だったのかって。

 ……声も出なかった。ひなの記憶にいるお母さんはきらきらした舞台に立つお母さんだったから、その写真があまりにも記憶と違いすぎて。最後に見たお母さんの顔は確かに前とは少し変わっていたけど、その時よりも顔の歪みが進行していたの。雑誌に大きく載せられた自分の変わり果てた姿を見て、お母さんどんな気持ちだったのかな」


 その頃にはもう、部屋に二人分の啜り泣く声が響いていた。


「でもね、それでもお母さんは必死に生きようとしてた」

「え……てっきり自分で……」

「ううん、生きようとしてたの。お母さんはね、屋上で一人こっそりその週刊誌見てたの。見つかると取り上げられちゃうしね。お医者さんが言うには、死因は精神性ショック死だろう……って。積み重なってたストレスが、週刊誌の写真を見たショックで爆発したんじゃないかって。お母さん、びっくりして死んじゃったんだってさ。そんなことある? 呼吸出来なくなって、でも屋上でこそこそしてたから誰も気が付かなくって、ナースコールも押せなくて。屋上のドアまで這った形跡が、あったって。

 お母さん、まだ頑張りたかったの」


 体を震わせながらも私に伝えようと声を絞り出していた天道さんは、そこまで言い切ると抑えていた感情を吐き出すかのように咽び泣く。

 握っていた手を引き寄せて、天道さんの冷え切った体を抱き寄せた。


「話してくれてありがとう」


 実際には嗚咽混じりでこんなにはっきりとは喋れてなかったと思う。私も天道さんの背中にしがみつき、二人してしばらく言葉も交わさずわあわあと泣いた。

 顔の歪みが出始めて面会を拒絶していたとは言え、きっと最期に天道さんの顔を見たかったはずだ。それをも叶わなかった彼女の母親は、今際の時に何を祈って逝ったのだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ