拝啓 シンデレラ
プロローグ
小学校一年生の夏休みの宿題で、初めて読書感想文なるものを書いた。
「好きな本を一冊読んで、思ったことや感じたことを書きましょう。主人公にあててのお手紙でもいいですよ。」
くるんとしたパーマの鈴木先生がそう言ったから、私は原稿用紙にシンデレラにあてたお手紙を書いた。
『シンデレラさんへ
こんにちは。そのご、おしろでの生活はどうですか?おいしいごはんやおかしを食べていますか?キレイなドレスは毎日ちがうのをきられるのですか?王子さまはかわらずやさしいですか?あのガラスのくつをはいて、またステキなダンスをおどっているのでしょうか?
わたしはなつ休みなのでおうちでシンデレラさんの本をよんだり、おともだちとあそんでいます。おひるごはんはそうめんで、おやつにはスイカを食べました。しゅくだいもやっています。おしろでの生活がうらやましいです。わたしもガラスのくつを手に入れておしろで生活してみたいのですが、近じょのくつやさんにガラスのくつはうっていません。まほうつかいに会える日までガマンしないといけないのでしょうか?それとも――』
こんな風にシンデレラと自分を対比させながら書いた手紙という名の読書感想文は佳作をもらった。賞状をもらってパパとママに見せたら、たくさん褒められた。嬉しかったので、それから図書室にあった本を沢山読んだ。本の中に広がる様々な世界に触れるのは楽しい。だから、趣味は読書だ。
一緒に図書室に行って「これが面白かったよ」と話していた友達の興味は、いつのまにか占いやアイドルに移っていった。それらを熱く語られても私にはピンと来ない。
「も~、凪ちゃんももっとこのアイドルに興味示してよ!」
「ごめんなさい…。そこまでカッコいいと思えなくて…」
「マジー!?健君のカッコ良さに気付かないなんて、凪ちゃん終わってる…。」
「し~んじられない!」
「まぁまぁ…。そんなに凪を責めないでやって~。『名は体を表す』って言うでしょ?凪は「無風状態」って意味だから、アイドルに興味を示さないのも頷けるよ~。見逃してやって。」
「あ~!“凪いでる凪”な訳ね!どおりで…」
「めちゃ分かる~!」
“凪いでる凪”。それが私だ。
Ⅰ
今朝、テレビで良く見る大人気アイドルの熱愛が発覚した。クラスは大騒ぎだ。
「マジで~!超ショック…。」
「今日はもう授業受ける気しな~い!寝よう…。寝て起きたら、時季外れのエイプリールフールだったって分かるかもしれない…。」
「以前ポチったアクスタ、来月届くんですけど~!彼女持ちのアクスタなんかいらな~いっ!今からでもキャンセルさせて欲しいっ!」
「あ~ぁ!あんだけ、「ファンの皆が僕の恋人だよ」って言ってたクセにっ!結局は可愛いアイドルとくっつくんだよねっ!」
「ホントホント~。もうファンクラブ脱退するわ。これまで貢いだ金返せ!つーの!」
「あ~!ムカツク!アンチになってやる!」
「今までせっせとリプしてたけど、もうしない!顔も見たくないからブロックしよ。」
「うちも~。ま、それしてもTLがヤツの話題ばっかでブロックしきれないのが現実よ…。」
そこに先生が入ってくる。
「おはよー!今日も一日、始めるぞ~。日直、号令頼む。」
「…はぁ~い…。きりーつ。れーい…。」
「なんだぁ?お前ら元気無いな~?あ、さては、アレだな!今朝やってたあのアイドルの!」
「そー。」
「せんせー。しんどいから、今日はもう帰っていい?」
「駄目に決まってんだろーが!ほら、良く聞け。来週ある避難訓練についてだが――」
担任は騒がしい彼女達にお構いなく、朝のホームルームを進めていく。私は騒ぐ彼女達を横目で見る。私はいまだに皆の言ってる事が分からない。だって、芸能人なんて遠い存在だ。彼等はテレビやスクリーンの向こう側に存在する。私達とは接点が無い。なのに…。
「あ~ぁ!琉生君と結婚したかったのになぁ!」って、意味が分からない。こんな田舎の女子高に通う私達が、東京を拠点として活動するアイドルとどう接点を持って付き合うに至るというのか?そのプロセスが、全くと言っていい程思い浮かばない。
放課後の図書室で、傷んだ本の改修をしながら委員会仲間にそう言った。
「まぁ…。芸能人は夢を売る商売だから、好きになってもらってナンボでしょ。握手会ならぬハグ会もあったりするワケだし~。そりゃ、ガチ恋勢もいるでしょ~よ。」
「ふ~ん…。」
「うっす!凪はそういうトコ、昔からスーパードライだよね!」
「そうかな?だって、ゲーノー人なんて、テレビの向こうの遠い存在じゃん。喋った事も無い人に、そんなには入れ込めないなぁ、私は…。」
「ま、分かるけど~。でもそれって、凪の親世代までの認識じゃない?今は“会いに行けるアイドル”も多いし!ほら、運がいいと推しからダイレクトに反応貰えるんだよ?」
そう言うと、郁美ちゃんは鞄から取り出したスマホを見せてきた。
「何?」
「ここ!見て、ハートの横に数字があるでしょ?」
「うん。」
「ここを開くと…、ほら~!」
タップされたそこを開くと[岩瀬翔さんからいいじゃんされました]と出た。この人は郁美ちゃんが今一番推している舞台俳優だ。いつも「顔がいい!」と叫んでる。
「推しにコメントした時に、反応もらった証!翔君が私の為だけに使ってくれた時間が確かにあったんだよ~♪」
「へ~…。」
「凪はSNSやってないんだっけ?」
千夏ちゃんが聞く。
「うん。高校を卒業するまでは禁止。皆と連絡用のメッセージアプリ入れるだけでもうるさかったもん、うちは…。」
「分かる~。親って頭固いよね!アプリ入れたら通話料タダなんだから、使わない方がバカじゃんね~?」
そんな話をしながら、補修を終えた本を山積みにして抱える。
「よし。定位置に戻そ。」
日本十進分類法に従って、それぞれの棚に本を戻していく。郁美ちゃんがぼやく。
「あ~、本の世界はいいなぁ…!私もシンデレラみたいに王子様に見初められて、お気楽ご気楽で生きたかったわ~!」
「わっかる~。」
そんな郁美ちゃんと千夏ちゃんの会話を聞きながら、ゆるゆると過ぎてく私の高校生活。
帰宅してリビングで晩御飯。テレビのクイズ番組には今朝、熱愛が発覚したアイドルが映ってた。
「あ~。この子、朝のワイドショーの!」
「うん。今日、うちのクラスが荒れてた。」
「そうなの?皆、好きなんだ。確かに、顔はいいもんね~。」
「そう?私はタイプじゃないな。」
「ま、人の好みは千差万別だからね。因みにママの不動の一位はさっちゃんだけどね!」
ママはそう言うとクルクルっとパスタをフォークで巻いて、バクっと大きく口にした。
「確かに、さっちゃんは顔がいいよね~。」
「でっしょぉ~!」
勝ち誇ったようにママが言う。私が生まれる前にとっくに亡くなっているママの永遠のアイドル・さっちゃんは顔がいい。そんな昔の人を何故、私が知ってるかって?ママの部屋に昔からおっきなポスターが飾られてるからだ。すっかり色褪せた桜の木の下で微笑むさっちゃん。昔はずっと女の人だと思ってた。男の人だと聞いた時、すごくビックリした。それ位、端正な顔立ちなんだ。歌は…フツーかな?でも、ママは「好きな人にはたまらないのよ」って言う。最近は動画サイトで個人が勝手に上げてるさっちゃんの昔の動画(何かの歌番組出演時の物)を見付けて大喜びしてた。ちなみに画質はめっちゃ荒い…。そんなんでも大喜び出来るママって、ある意味すごい。
「ママって、好きな人変わらないよね…。」
「そうね~。高校の親友に言われたわ。「私は好きになったら“太く短く”集中して楽しむ象のウンコタイプだけど、アンタは“細く長く”のサナダムシタイプだよね、って。」
「ちょ…!食事中にやめてよ!」
夕飯のパスタはクリームソースだ。
「あっ!ご…、ごめんね!」
ママが謝る。私は嫌な気分で残りのパスタを胃にしまう。テレビでは以前、朝のドラマに出ていた若手女優が元気にクイズに答えてた。
「パパにも言われたわ~。「君の“好き”は、もはや宗教だよね」って。」
そう言って笑う。
「求道者か…」
思わずツッコむ。
「そうね~、さっちゃん教?(笑)でも、好きなまま長くいられるって、幸せな事よ。」
「推しに彼女が出来たとしてもそう言える?」
「ウェルカムよ!ママ、家系図萌えだから♪」
「は?」
「真田昌幸の息子が信之と幸村!『草の花』の福永武彦の息子が『スティル・ライフ』の池澤夏樹!しかも、その娘が春奈ちゃん!これはね、推しが結婚して子を成してくれなかったら、無かった事なの!周夫さんのいい声も明夫さんに遺伝してるでしょ?そうやって繋がるから、むしろ推しにはどんどん結婚して、ばんばん子供を産んで欲しいわ!そしたら、少子化も無事解決ね!」
「はー…。そんな考えの人がいたとは…」
ちょっとビックリした。「ん?」と聞き返すママに言う。
「クラスの皆はさ、推しに彼女が出来るともう応援したくなくなるんだって!変でしょ?芸能人とうちら一般人が付き合えたりするワケ無いのにさ…。」
「まぁねぇ…。でも、好きには色んな形があるから、難しいわね…。それこそガチ恋勢は昔からいるし…。そういうファンが貢いで成り立つ界隈もあるしね~。ま、自分はここまで!って一線をひいておけばいいんじゃないかしら~。」
「うん…。」
「でも、あれか~。昔は届いてるかどうかも分からないファンレターを送るしかなかったけど、今の子達はSNSで直接アイドルに繋がれるから、ガチ恋でワンチャンあると思っちゃうのかもね…。SNSは危険…!凪はまだやらないでね。やるのはしっかりネットリテラシーを身に着けて、自分の発言に責任をとれるようになってからよ。い~い?」
「うん、分かってる。」
どのみち高三になったら、受験勉強で忙しくなる。そんな事をしている時間は無いだろう。
翌日、学校で郁美ちゃんがショッパーに入れたブツを渡してきた。
「何これ?」
「私のオススメ漫画三選!凪、昨日言ってたじゃん。推しと知り合いになる方法が分からない、って。これ、推しがクラスメイトになる話と、推しと家族になる話と推しと恋人になる漫画!是非、読んでみて!」
ぐいぐい押されて受け取った。帰宅後、早速読んだ。漫画を読むのは久しぶりだ。確かに『だったらいいな』が詰まってた。が、所詮ファンタジーだ。現実にはそうそう起こる筈もない。でも、そうか…。皆が『こうなったらいいな』がこうやって漫画化され、それを読んだ人が『こうなるかも?』を夢見てしまう一因にもなっているのか…。
「なるほどね…。」
私は気分を変えようと動画サイトを立ち上げる。英語の勉強になるかもと思って聴き始めた洋楽バンドの曲を流す。メロディーを気に入り、歌詞を知り、いい曲だな、と思ってもそこ止まりだ。気に入ったから、来日したら公演に行こう、とまでは思わない。英語の先生は大好きな洋画俳優にファンレターを送りたくて英語を勉強し始め、教師にまでなったらしいが、私にそこまでの熱情は無い。(ちなみに先生は、後日その俳優からサイン入りブロマイドの返信をもらったそうだ!)私は、情という物が薄いのかもしれない。
思えば、昔からそうだ。幼稚園のごっこ遊びで、皆が何色の戦闘ヒロインがいいかで争ってる時、私は人気のない色でも、何なら敵役でも構わなかった。遠足に持って行ったおやつのグミからリズムゲームで使えるレアなカードが出た時も、それを「欲しい!」と言う子に躊躇わずにあげられた。郁美ちゃんをはじめとする周囲は「それ、レアだよ!勿体無いよ」と言ってたが、アニメは見てもゲームをする程好きじゃなかったし、好きな人が持ってる方がカードも幸せだろう、と気にもしなかった。私は「好き」という感情が薄いのかもしれない。
そんな時、自分の名前について思う。「凪」とは「風が無く穏やかな海の状態」を差す。「穏やかな一生を送れますように」という両親の願いが込められている名だ。二分の一成人式の授業の一環で両親に名前の由来を聞いた時に、そう教えてもらった。私の人生は確かに穏やかだ。家族は仲良しで、私が中学に入って土日も部活になるまでは、おばあちゃんちを筆頭に良く家族旅行に行った。今でも外食はよく行く。回転寿司が多い。パパが頑張って働いてくれてるおかげでお小遣いも貰えてるし、洋服とかバッグとか欲しい物は言ったらちゃんと買ってもらえる。恵まれている方だと思う。「義務と権利は表裏一体」ってママがよく言うから、ちゃんと勉強もしてる。成績はそこそこいい方だと思う。加えて、ここは田舎だ。特に大きな事件も無い。県内で騒ぎになるのは、名産品の凍霜害が発生した時と県警の不祥事が発覚した時位だ。
「…平和だなぁ…。」
私はベットに寝転び、ぽろりと呟く。視界に本棚が入る。昔から読んで来た本達が行儀よく並んでいた。私の人生には、あの本達のような出来事はきっと起こらない。
だって、私の人生は凪。ゆっくりと穏やかに過ぎていく――。
Ⅱ
それなりに苦しかった受験期間を終えて、私をはじめとするクラスの皆は大学の合格通知を手に入れた。
「良かったなぁ…、良かったなぁ、お前ら…。俺は…嬉しいぞ。うちのクラス全員、浪人する事無く希望大学に進学できる事を大変嬉しく思う…!」
卒業式で担任はそう言って泣いていた。後輩達が「卒業おめでとうございます」と花束をくれた。友達も泣いていた。私は…『あぁ、これで一つの区切りがついた』とだけ思った。
そんな時、世の中では、急速にとある病が蔓延し始めていた。
「凪。これでもう大丈夫?足りない物はない?」
ママが家電屋さんで聞いてくる。
「うん。冷蔵庫、レンジに炊飯器。掃除機、洗濯機にアイロン。テレビにHDDにノートパソコンにプリンタ。それとドライヤーで全部だよ。」
ママが「ボーナス払いでお願いします」とカードをきる。配送先を記入して、この店での買い物は終わりだ。
「あ~!やっぱり、パパについてきてもらえば良かった!女二人だとまとめ買いしてもあんまり値引きしてもらえないわね…」
ママがぼやく。
「しょーがないでしょ。パパ、忙しいんだから。でも、店員さん頑張ってくれた方じゃん?」
「そうね…。じゃ、次は家具屋さんに行ってカーテンとかみましょ!」
「うん。でも、その前に何か食べたいな。」
私は関東の大学に受かって、これから一人暮らしを始める。それにあたって今日は賃貸物件の最終契約を済ませて鍵を貰い、それからこうして母と必要な物を買いに来た。さっきの家電屋さんでレジに表示された金額にビックリした。すっごいお金を短期間で使わせてしまっているなぁ…とちょっと申し訳なく思う。
「それが親の務めだから、そんなに気にしなくていい。これからが凪の人生だから、はなむけみたいなものだ。しっかりやれよ」とパパは言ってくれた。仕送りも少しはしてくれるらしいけど、「自分でバイトもしてみなさい」と言われた。高校時代、長期休みにバイトをしている子もいたけれど、私はまだ働いた事が無い。色んな面で初めてが満載の生活が始まるんだ、と期待に胸を膨らませていた。
四月になった。入学式はひっそりと行われた。人との接触や飛沫から感染すると言われる伝染病患者が爆発的な勢いで増えたからだ。飲食店は時短営業を余儀なくされ、マスク生活とアルコール除菌が徹底推奨された。楽しみにしていた大学の講義は軒並みオンライン授業に切り替えられた。憧れていたキャンパスライフとは、かけ離れた物だった。毎日、ノートパソコンの画面に向かう。先生方も慣れてないからか、一方通行の講義だった。ただただ、レポートを書いて提出する日々。楽しみにしていたサークル活動なんかない。それどころか、こっちに来てから、友達もまだ出来てない。孤独な日々だ。地元の友達とビデオ通話する事もあったが、やはり、去る者は日日に疎し…。物理的な距離があると、だんだんと心の距離もひらいてゆく。高校までの学校生活にあった気軽な会話が欲しかった。心配性の両親からは定期的に電話があったけど、矢張り友達と両親は違う…。
バイトもなかなか見つからない。沢山あった筈の飲食店のバイトは時短営業に伴い、軒並み無くなっていた。制服が可愛い喫茶店で働いてみたかったのにな…とがっかりしながら、近所のコンビニのバイトを見付けた。田舎のコンビニはオーナーと思われる年寄りとその家族が経営している店が多い印象だったが、こっちは外国籍の方が多い。私が一緒のシフトに入る事も多い張さんは中国の人だった。
「ナギさん、オツカレ。今日もガンバロ。」
たどたどしくも甲斐甲斐しく働く張さんと過ごす時間は嫌いじゃない。だけど、困る事もあった。やたらと絡んで来るおじさんがいたのだ。
「あ~ん?マイセンって言ってんだろ!」
タバコは番号で伝える事になっているのに、しつこく銘柄で言ってくるオヤジがいる。毎回同じなら覚えてしまえば訳ないが、向こうは揶揄う事が目的なのか、毎回言う銘柄が違うのだ。そして、張さんにくどくどと文句を言う。オヤジの後ろに並ぶ人は迷惑そうに顔をしかめて、見て見ぬ振りだ。私のレジは混んでいて、助け船が出せない。そんな時に限ってオーナーはいない。違うか…。オーナーがいないと分かっているからこそ、やっているんだ、こういう人は…。
だんだんと張さんの元気が無くなっていった。
「ナギさん。ゴメンね…。ワタシ、この仕事ムてない。ヤメルよ。」
そう言って、一か月後に張さんはいなくなってしまった。あのオヤジのせいだ!
ムシャクシャしていたバイトの帰り、ちょっと人恋しくて、駅前のコンコースに行った。そうしたら、そこでキーボードを弾いている黒いロングヘア―の子がいた。なかなか上手い。ちょっと離れて聞いていた。そこにおじさんが近付いて行った。キーボードの前に開いたキーボードケースがあったから、そこにお金でも入れてあげるのかな、と思って見ていたら、おじさんはいきなりキーボードの脚を蹴飛ばした。ガシャン!とキーボードが倒れる。
「やめて下さい!」
彼女は言った。
「あ~ん?邪魔だ!このご時世、誰の許可得てここでやってんだ?」
どうやら、酔っぱらいのようだ。普段なら、私も怖くて見て見ぬふりをしただろうが、張さんの一件で腹が立っていた。私は迷わす、スマホを取り出した。
「もしもし。●駅前で、女の子が酔っぱらいに絡まれていて、今、キーボードを蹴飛ばされました。今すぐ!来てもらえませんか?そうです、●駅東口のコンコースです!早くっ!」
自分に出せる精いっぱいの大きな声でそう言った。きっと男にも聞こえたんだろう。
「チッ…!」
男は、腹いせにキーボードケースを蹴飛ばして、走って逃げた。
「だ、大丈夫ですか…?」
私は彼女に駆け寄った。
「うん…。ありがとう。」
彼女はそう言って、倒れたキーボードをゆっくりと起こす。
「壊れてないかな…。これ駄目になってたら、大損害だよ…。」
私は向こうに蹴飛ばされたキーボードケースを拾って持って来た。
「はい。」
「ありがと。ケーサツに電話してくれたの?」
「…ごめん。フリしただけ。でも、いなくなってくれて良かったよ…。」
私はふーっと息を吐く。そう、こういう小競り合いで一一〇番してどえらいところに繋がったらどうしよう、と焦ってかけてるふりをした。でも、効果はあった。良かった。
「ありがと。なら、お巡りさんが来るまで待ってなくてもいいね。今日はもうやめる。ね、時間があるなら一緒にお茶でも飲まない?」
自分とそう歳が違わないであろう女の子との会話は久しぶりだ。会話に飢えていた私は二つ返事で頷いた。
「お茶でも…」と言ったから、オシャレなカフェにでも行くのかと思ったら、チェーンの安いイタリアンレストランだった。
「やっぱ、ここだよね~。」
どかりと座り、隣にキーボードの入ったケースを置く。
「何頼む?助けてもらったお礼におごるよ。まず、ドリンクバーはマストでしょ。」
そう言ってメニューを開く。
「お腹空いてる?私、ちょっと食べたい。別々の頼むより、大盛りにしてシェアした方がコスパいいから、ペペロンチーノ大盛りでいい?あと特盛りポテトフライ。」
「あ。じゃ、あとピザ頼んで半分こしない?」
「いーよ。」
そう言って、店員さんを呼ぶベルを鳴らし、さっさと注文する。
「ドリンクバー、先に行って来なよ。」
「一緒に行かないの?」
「ん。置き引きされると困るから。」
そんな心配が!都会は怖いな…。
「あ、なら一緒に持ってくる。何がいい?」
「アップルティー。」
「分かった。」
私は二人分のアップルティーのカップを持って、座席に戻る。
「ありがと。誰かとご飯食べるの、久し振りだよ。」
女の子はマスクを取って、微笑んだ。髪の毛はぼさぼさだけど整った顔をしていた。ふーっと息を吹いてから、アップルティーを飲む。
「わ、私も…。」
久しぶりの対面での会話に緊張した。
「あ、あの…。ピアノ上手いね。」
「ありがと。」
目は伸びてる前髪で良く見えないが、笑ってくれた。
「その…。私、流行に疎いから分からなかったんだけど、さっきの誰の曲?良かったら教えて。素敵だったから、ちゃんと通しで聞いてみたいの。」
「あ~…。」
前髪を掻き上げると、彼女は照れくさそうに言った。
「あれ全部オリジナルなんだ。気に入ってくれて、ありがと。」
「えっ!す、すごい…!」
そこに「おまたせしました」と注文した料理が運ばれてきた。そして言われる。
「すみません。他のお客様のご迷惑になるので、会話はお控え下さい。」
「あ…!す、すみません…。」
私は慌てて謝る。向こうの席からの視線に気付いたからだ。取り皿にパスタとピザをとりわけ、小声で「いただきます」と言ってから無言で食べた。少し、気まずい。注文したメニューを食べ終えて、二杯目のアップルティーを飲み干すと彼女は言った。
「出よ。外で少し話そ。」
「うん。」
彼女はキーボードのケースの入ったケースをさっと担いで、スタスタとレジに向かう。私も慌てて後を追う。彼女は素早く会計を済ますと、外に出た。それから言った。
「あ~ぁ!ご飯食べながらの会話も出来ないなんて、窮屈な世の中だよね!」
「うん…。」
「おかげで、名前もきけなかった。ね、貴方、なんて言うの?私はフーリ。渡瀬風里。」
「な、凪。佐藤凪。」
「そ。よろしくね、凪。貴方は私のファン一号だよ。」
ニコッと笑った。笑顔が眩しかった。
「そ、そうなの…?あんなに素敵な曲なのに!?」
ちょっとビックリした。
「ん。だって、人前で披露したの、今日が初めてだし。」
「そうなんだ…。それなのに、酔っぱらいに絡まれて災難だったね…。」
もう二十一時だ。コンビニ以外の店がどんどん閉まり出す。このまま、フーリとさよならするのは惜しかった。私は意を決して言った。
「あ、あの…っ!良かったら、私の家でもう少しお喋りしませんか?」
フーリは驚いた顔をして私を見た。
「私はいいけど…。こんな時間からお邪魔して大丈夫?」
「大丈夫です!私、一人暮らしなので!」
「おいおい~…」とフーリは言った。
「ご家族に迷惑を掛けるんじゃないかっていう心配をして言ったんじゃないよ。さっき会ったばっかの良く知らん奴を自宅に招いて大丈夫なのか、心配したの!アンタ、こっちが心配になる人種だな。悪い奴に簡単に騙されそうだ…。」
「な…っ!」
「だって、そうだろ?私が悪い奴だったら、アンタんちの金目のモノ盗むかもしれないだろ?あんま簡単に人を信用すんなよ~。」
そう言って、面白そうに笑う。
「だ、大丈夫だよっ!こう見えて、人を見る目はあると思うしっ!それに…今の家に呼ぶの、フーリが初めてだもん…。」
「へぇ~、そうなんだ。それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな…。私が凪の家の客第一号だ。」
そう言ってから続けた。
「アンタはきっと…幸せな家庭で育ったんだね。」
それから、気を取り直して元気に言った。
「じゃ、なんかコンビニで買っていこうぜ!」
そして、私がバイトしてる所とは違う系列の店に入った。
「ここのデザート、なかなかいけるよな。」
そう言って、バスクチーズケーキを手に取る。
「凪は?」
「わ、私はこのゼリーにする。あ、紅茶とコーヒーならうちにあるから、それ以外を飲みたいなら買って。」
「ん。なら、それを貰う。」
フーリは私の手からゼリーを取ると、ささっとバーコード決済をした。
「じゃ、行こう。道案内、よろしく♪」
*****
「狭いけど…。どうぞお入りください。」
私は部屋に案内する。ベッドの上に洋服が出しっぱなしになっているが、それ以外は綺麗だ。人を招いても大丈夫な綺麗さの筈…。
「お邪魔しま~す。お、なかなか良いトコ住んでんじゃん。何?大学生?」
「うん。今年の春から…。でも…、オンライン授業ばっかで全然大学に行けてないし、何の為に上京したんだろ…って感じ。」
私は、湯沸かしポットに水を入れながら言う。
「紅茶でいい?」
「うん。ちょっとお手洗い借りるね。」
「うん。どうぞ。」
私は水族館で買ったお気に入りのチンアナゴのマグカップを出して、ティーパックを入れた。湯を注ぐ。
「はい、どうぞ。」
フーリをデスクの椅子に座らせて、自分はベッドに腰かけた。
「ありがと。このカップ可愛いね。」
「でしょ!伏せてもチンアナゴが顔出してる感じになるのが可愛くて買ったの!」
「いいな。お気に入りのグッズに囲まれる生活。」
「うん。でも、そこまでお気に入りの物ってあんまりないかな?」
「そうなの?」
「うん…。私、好きって感情が薄いみたい。芸能人やミュージシャンに入れあげるファンの気持ちが分からないから、「凪って名前のまんま」って良く言われる。」
「あぁ、凪…。」
フーリはそう呟くと、「大学では何やってんの?」と聞いてきた。
「文学。それも児童文学が好き。」
もう大きいのに、児童文学が好きだなんて笑われるかな?と思ったけど、フーリは言った。
「お、いいねぇ。私も好き。」
「ホント?」
「うん。たくさん読んだよ。でも、今の本屋ってラノベばっか並んでるよね。児童文学を読む子減ってそう…。」
「そうなの~!私が住んでた所も昔からあったおっきい本屋さんが閉まっちゃって、チェーンの所だけになっちゃったんだけど、刊行年が新しい売れ筋しか置いてないから、本屋さんに行く楽しみが減っちゃって!だから、こっちに来て大きい本屋さんに行った時、感動した!でも…、感染症対策で中をじっくり確認出来なくなっちゃってたの不便だし、つまんない…。」
「分かる。でも、本屋も商売だからさ、売れる本っていうか、版元が売りたい本メインになっちゃうんだよね。そうすると、いわゆる名作はどんどん読まれなくなる。私が少し前にビックリしたのは、知り合いが「これ面白いから読んでみて!この設定考えた作者、神!」って言うから読んだ本の設定が某児童文学の設定に似てた時。「これ、元ネタは●●でしょ」って言ったら「何それ?」って言われて…。元ネタを知らなければ、模倣作品がその人にとっての原典になるのか、と衝撃だった…。」
「へ~…。でも、確かに最初に触れた作品が一番になるのは分かる気がするなぁ…。」
そこから、私達はどの物語が好きかを語り合った。小学校の国語の教科書に出て来た『おてがみ』から、安房直子、新美南吉、岩波から出ている外国の文学シリーズまで。こんなに喋ったのは久しぶりだった。
「は~…。ありがとう…。私、今、滅茶苦茶満たされた…。」
喋り疲れ渇いた喉を紅茶で潤してから言ったらフーリが笑った。
「そりゃ、良かった。あ…そうだっ!ね、凪なら分かる?私、昔読んで『怖い…』と思った本を最近もう一度読みたいと思ったんだけど、タイトルが思い出せなくて…」
「どんな話?」
「えっとね…。「助けて」ってハンカチが送られてくるやつ。読んだ日の夜、森の中で迷子になって漸く辿りついた洋館の階段を上ろうとしたら、いきなり階段が一段ずつ回転し始めて逆さに転げ落ちて、暗闇にいたでっかい蜘蛛に食べられそうになった夢を見たという…。私にとってのトラウマの一冊なんだけど…。とにかく「怖かった」っていうイメージが強いんだけど、それと同時に描かれてる情景が物凄く美しかった記憶があるんだよね…。だから、もう一度読んでみたいんだけど、肝心のタイトルが思い出せなくて…」
「それっ、瀬尾七重さん!『銀の糸あみもの店』だよ!」
私は叫んだ。それは私にとってもトラウマモノの一冊だったからだ。
「あぁ…。そんなタイトルだったような気がする!今度また読んでみるよ。」
「うん。あ、でも…多分図書館に行かないと読めないと思う。絶版になってたような気が…。」
「そうなの?」
「うん。以前、瀬尾さんの全集が欲しいと思って探したけど、無くて…。調べてたら文庫も入手が難しくなってて…。結局、良い本でもセールスが見合わなければ無くなるんだ、って思い知らされたから…。」
「そうなんだ…。世知辛い世の中だな…。あー、でもスッキリした!ありがと。」
フーリも紅茶を飲んだ。それから、鞄から小さなノートを出して、本の題名と作者名をメモした。
「スマホにメモ、じゃないんだ。」
「あぁ。今の人はそうだよね。私もバーコード決済とかは使うけど、あとはあんまり使わないようにしてる。私にとって、スマホは「灰色の男たち」だから。」
「あぁ…。」
上手い例えだと思った。電車に乗っていても、ご飯を食べていても、街中を歩いている時でさえ、人々はスマホ画面に釘付けだ。動画見て、ソシャゲして、画面に呟く。対面での人付き合いは減り、スマホなどのネットを介しての付き合いにどんどんシフトしている今、同じテーブルに座っていてもそこに会話は無い。お互いがそれぞれのスマホ画面に見入っている都心の光景を異様に感じるのは私だけかと思っていた。スマホ片手に街ゆく人達はせわしなく、全員どこかイライラして不満げだ。それはまるで、ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる「灰色の男たち」に時間を取られた人々のよう。
「すごく分かる。」
「ありがと。これまでそう言っても「は?」としか返ってこなかったから、漸く話の通じる人に会えて、私も嬉しいわ。」
フーリが笑った。その笑顔を見た瞬間、『あぁ、私はこの人が好きだ!』と思った。漸く巡り合ったすごく感性の合う人を前に、私は初めて「執着」なるものを覚えた。
Ⅲ
それから。私達は毎日のように会い、話をし、ご飯を食べた。フーリは半分、私の家に住んでいるようなものだった。こっちに来てからずっと孤独だった私の毎日は、フーリのおかげで一変した。フーリの声や音楽が私の生活を彩ってくれる。
「フーリの曲は、もっと人口に膾炙されるべきだと思うよ。」
「そう?でも、このご時世、外で演奏するとこの前みたいに絡まれて、ロクな目にあわないのを学んだからなぁ…。キーボードに傷がついてショックだったし…。」
「な、なら!ネットにアップするのはどう?」
「あ~…。でも、素人にも出来るのかな?」
そう言うフーリに代って、私は色々検索する。スマホで撮った動画をそのままアップ出来る事が分かって、フーリも乗り気になったようだ。「少し、そこら辺を勉強するわ」と言って、ネットで色々調べてた。やがてフーリは「FOOLI」として自作の曲をぽつぽつネットにあげ始めた。
「なんで、「FOOLI」?」と聞く私に「FOOLとかけてみた」と言うフーリは「酷評されたら、凹むからね」と苦笑して、コメントを書き込めない設定にした。
最初はメロディーだけ。やがて、それに歌詞をつけたものを上げるようになった。孤独を歌った物が多い。せつなく歌い上げるバラードも、叩きつけるようなロックも、私は全部好きだった。フーリの声は、時にそよ風、時に嵐となって、凪いでいた私の心を激しく揺さぶる。フーリと友達になれた事を心から喜ばしく思った。
曲をあげて一か月は、ほぼ無反応だった。そこから地味に視聴回数が増えていくのを二人で見守った。それが三桁を越えた時、ペペロンチーノとフライドポテトでお祝いした。なんでって?それがフーリの好物だったからだ。
それが二年を過ぎた頃、突然爆発的に跳ね上がった。二人してビックリした。ネットで検索して、どうやらそれはとある若手女優が「この人の曲が好き♡」とURL付きで呟いたからだ、と分かった。
「これが…バズるという事か…」
二人でビックリしたが、フーリは呟きアプリもやって無いし、動画のコメント欄も書き込めない設定にしてる人だから、どこか他人事だった。
でも、一週間後。事態は動いた。某レーベルから、「弊社所属のアーティストになりませんか?」というメールがきたらしい。
「どうしようかねぇ…。」
悩むフーリの元に更に違う所からも打診メールが来た。メールで何度かやり取りをした後、「ちょっと話を聞いてくる」とフーリは出掛けて行った。私は元気に送り出した。
戻って来たフーリは「なんか…狐につままれてるような気がしないでもないけど…。とりあえず、すごくいい条件だったから契約してきた。明日から忙しくなるから、あんまり来られなくなるかも…」と言って、一緒にペペロンチーノを食べてから、キーボードを持って久し振りに自分の家に帰って行った。
*****
それまでの二年ちょっと、ほぼ毎日一緒にいたフーリと会えなくなった。一人で部屋にいると夜中の壁掛け時計と冷蔵庫のうるささに驚き、淋しくなる。孤独な夜だ。フーリに会いたかった。フーリにメールしたかった。でも、忙しいなら迷惑かな…と思った。フーリはスマホが好きじゃない。私はフーリにとっての「灰色の男たち」の一員になりたくなかった。
二週間後、フーリからメールが来た。
『来週の「ミュージックアワー」に出る事になった。』
用件だけのフーリらしいメールだった。私はいそいそと録画予約をした。その後、朝の時計代わりにつけてる情報番組の合間に「ミュージックアワー」のCMが流れた。「初登場!FOOLI」の文字を見た時、誇らしかった。
そして、当日。ドキドキしながら、テレビを見つめていた。
「動画サイトで、今人気急上昇中の話題のアーティスト・FOOLI」というナレーションに合わせて、フーリがネットにあげていた曲が少しずつ流れて紹介された後、司会者が口を開いた。
「本日初登場、FOOLIさんです!応援団長の椎野実歩ちゃんも一緒です。」
画面に現れる三週間ぶりのフーリの横に、フーリをバズらせた若手女優がいた。白いオーガンジーのワンピースが良く似合ってる。フーリは前髪こそ長いままだったけど、後は長かった髪をバッサリ切ってアッシュに染めて、身綺麗になっていた。画面の中で、背が高いフーリは宝塚の男役のように格好良かった。
「FOOLIさんが注目される切っ掛けを作ったのは実歩ちゃんなんですって?」
「はい…。本当にたまたまなんですけど、ある日動画サイトで見付けて聞いた曲が「これって私?」って思う位、私の気持ちに寄り添ってたんですよ!それで、皆にも聴いて欲しいと思って呟いただけで…。でも!FOOLIさん本人に会えて、すっごく嬉しかったです!FOOLIさんがこんなにカッコイイ人だなんて知らなかったんで…!」
フーリそっちのけで会話が進む。私は若手女優に苛立った。私が見たいのも話を聞きたいのもフーリであって、お前じゃない!
「――で、今度始まる実歩ちゃん主演ドラマの主題歌をFOOLIさんが歌う事になったんですよね。」
ここで漸くマイクを向けられたフーリが頷く。
「はい。聞いて下さい。」
そう言うと、スタスタと歩いて画面から見切れた。司会者が慌てて言葉を繋ぐ。
「では、早速歌っていただきましょう。動画サイトで百万再生越えの注目曲『鈍色の空』、FOOLIさんです。」
画面が切り替わる。灰色をベースに組まれたセットに設置されたピアノの前に座るフーリがいた。ポロンと鍵盤を叩いて歌い始める。スモークがたかれる。画面上に雲の浮かぶ空が現われる。そんな中で孤独を歌うフーリがいた。歌っているのは、良く知ってる筈のフーリなのに、全然違う人に見えて驚く。でも、声は聞き慣れているいつものフーリだ。フーリのピアノに後ろにいる人のバイオリンの音色が重なる。あぁ、いい曲だ…。心の底から思った。私は、フーリの曲をもっとたくさんの人に聴いてほしい…。
私のその願いはすぐに叶った。番組終了前に急上昇の検索ワードに「FOOLI」が上がった。動画サイトの視聴回数もボコボコ跳ね上がっていく。ネットでいくら無双しても、テレビに出て一般人に認知されなければ、それはオタク文化の一言で片付けられる。しかし、テレビ出演を果たした事で、フーリの認知度は一気に跳ね上がった。テレビ出演の際にメイクさんがついて、パリッとした感じになったのも大きいと思う。呟きアプリを覗いてみると「FOOLIサイコー!」「何、この曲泣ける…。#FOOLI」とこちらもトレンドに上がっていた。
「すごいじゃん…、フーリ…」
私は手元のスマホで、フーリに関する呟きをずっとチェックした。好意的な呟きが多く、曲も絶賛されててすごく嬉しかった。おかげで、気付いた時には日付が変わっていた。画面を見過ぎて疲れた目に目薬を点してから、幸せな気持ちで眠りについた。
翌朝。久し振りに郁美ちゃんからメッセージが入った。
『おはよう!昨日、テレビで見たFOOLIって人の歌がすっごく良かったから、聞いてみて!凪の心にささるかもよ?』
『久しぶり。…実は、テレビに出る前から知ってて応援してた。昨日の番組も録画したよ!』
『マジか!?遂に凪にも推しが…!』
『うん。FOOLIの曲、どれも好き♡』
なんでだろう…。フーリと私は友達だけど、FOOLIは芸能人だから、友達って言っちゃいけない気がした。そこから、しばらくお互いの近況報告をして一息つく。軽くご飯を食べてから、バイトに出掛ける土曜日の朝だ。
品出しをして、ホットスナックの補充。朝から持ち込まれる宅配便の荷物に携帯料金の払込票。心を無にして、ひたすらレジを打ち、一日が終わった。
帰宅してから、「FOOLI」を検索したら、呟きアプリにアカウントが出来ていた。
『えっ!?あのフーリがSNSをっ!?』とビックリして開くと、「新曲情報や番組出演情報について主にMGが呟きます」とあって、「やっぱりね…」と頷いた。勿論、フォローはしておいた。そこで早速来々月にアルバムが出る事を知った。配信と通常版に加えて、ジャケットと特典が異なる全三種類が発売されるそうだ。どれも欲しかったので、一枚ずつ予約した。中身は殆ど変わらないのに、アコギな商売だなぁ…と思った。だから、その旨を郁美ちゃんにメッセージで送った。
『今は少子化で人口減だから、CDでもコミックでもオタクに数買わせる方式だよ~』と教えてもらう。
『そうなんだ…。でも、私も三種類予約した。こんな事初めてだよ…』
『凪が…推し活してる!凪にもパッションはあったんだね!(笑)』
『ホントに…(^^; 自分が一番ビックリしてるよ!』
そうか…。皆こんな気持ちでこれまでアイドルを応援してたんだ。漸く分かった。発売日が物凄く楽しみで、こんなに心が弾むのは初めてかもしれない。
*****
発売されたアルバムは、とても良かった。過去ネットで発表した曲もアレンジが変わり、演奏も豪華になって音に厚みが加わった。これが商業レベル!圧倒された。豪華な演奏に負けじと響くフーリの声は相変わらず、心地良かった。だから、どうしても感想を伝えたくて『アルバム三種類全部買ったよ。どれも最高だった!』とショートメールを送ってしまった。フーリは読んでくれるかな?
その日の夜、返信があった。
『ファン一号の凪にそう言ってもらえると嬉しいよ!凪の作るペペロンチーノがまた食べたいけど、当分無理そうだ…』
『無理しないで。会えないのは淋しいけど、応援してるよ!』
『ありがと。まだ内緒だけど今度ラジオやるから、良かったら聞いて。』
『勿論!』
そのやりとり画面をスクショして、何度眺めた事だろう…。内緒で教えてもらえたのは私だけだという特別感が、気分を高揚させた。勿論、公式発表があるまで一言たりとも漏らしたりはしない。私はフーリの信頼を裏切るような事はしないと決めている。
やがて公式から発表があった。フーリのラジオ番組についてのお知らせだ。インターネットラジオで土曜深夜二十四時からの三十分番組。タイトルは『FOOLIとカメの時間』。このリプ欄は「唐突なカメ推し!?」「なんで亀!?」「FOOLI、カメ好きなん?」と疑問が溢れていたが、私にはすぐに分かった。安房直子さんの『だれも知らない時間』だ。だから、一言リプを残した。『安房直子さんですね』と。翌日見たら、FOOLIの公式アカウントからいいじゃんが押されていた。それを見た時、「フーリが見てくれたんだ!」と物凄く嬉しくなった。昔、郁美ちゃんが推しに反応を貰えて喜んでいた気持ちが、今分かった。暫くその画面をじっくり眺めてから、スクショした。
それからの私は、フーリのラジオに宛ててのメールを書くメール職人になった。呟きアプリのリプ欄はその他大勢に見られるから嫌だ。DMは解放されてないし、このご時世だからファンレターが届くのはかなり先になるとあったから、比較的速やかに近況を伝えられるのは、ラジオあてのメールだと思った。ラジオネーム“ペペロンチーノ大盛り”として、せっせと送った。本人が読んでくれてるかは分からないけど、フーリに向けてのメールを書いている時、私の心は穏やかだった。すぐ隣にいて会話をしていたあの頃に戻れるような気がしていた。
今時のSNSを使わないフーリの貴重な本人発信の場として、ラジオはなかなか好評のようだ。最初はフーリ個人についての質問が多かった。
『なんでSNS発信やらないんですか?』
「すみません。スマホ自体があまり好きじゃなくて…。何かスマホいじってる時間が勿体なく感じるんですよね。私は基本、歌を届けたいだけの人なので、そこら辺は事務所におまかせです。」
『血液型は?』
「ABです」
そんな感じで淡々と嗜好と思考、作曲方法、最近のトピックなどについて話す。やがて、フーリのラジオのリスナーやファンは“フーリガン”と称されるようになった。ラジオを聴いていて気付いた事は、フーリは自身の家族について一切語らないという事だ。そう言えば、今では私の得意料理の一つになったペペロンチーノを作る時に、母が家庭菜園で作った唐辛子を使ってると教えたら「いい家族だね。凪は幸せ者だ」とフーリは言った。出会って間もなく家に誘った時に「アンタはきっと…幸せな家庭で育ったんだね。」と言ったフーリは、どこか羨ましそうだった。もしかしたらだけど…、フーリんちの家族関係は複雑で、家族仲はあんまり良くないのかもしれない…。
Ⅳ
対面授業は殆ど無いまま、就職活動を始める時期になった。これもオンラインが主流。交通費がかからないのは助かるが、実際の会社に行けないので会社の雰囲気とかが全く分からなくて不安だ。なんでも手探りの状況…。インターンも減っている。先が見えない不安から、食欲が失せて、夜もなかなか眠れなくなった。壁掛け時計と冷蔵庫の音がやけに大きく聞こえる夜は、不安を掻き消すようにフーリの歌を聴き、まだ知らないフーリの情報を求めてネットの海を彷徨った。特に新しい情報はない。まだ週の真ん中だ。フーリの声を聞けるラジオの日はもう少し先…。寝る前にスマホを見るのは良くないって知ってるけど、人にそう簡単に会えないこのご時世、孤独を埋めてくれるのはスマホしかなかった。
忙しいフーリを困らせるのは良くない…。そう分かっているけど、ショートメールの画面を開いた。以前のやりとりが目に入る。もうずっと前の日付…。
『ひさしぶり。フーリは元気?私の方は就活が始まったけど、これから自分がどうなるのか全然分からなくて不安になるよ…。前みたいにフーリがすぐ隣にいて、話を聞いてくれたら良かったのにな…。フーリは忙しいだろうけど、たまには会いたいよ』
そこまで打って、溜め息がこぼれた。私にとってのフーリはフーリのままだけど、今のフーリはFOOLIだから、もう私みたいな一般人とは違うんだ、って思ったから。以前録画したミュージックアワーをまた再生して見る。今のフーリの隣にいていいのはふわふわで可愛い新進気鋭の若手女優で、私みたいな一般人じゃない…。
高校生の頃は、画面の向こうにいる芸能人に入れあげる気持ちなんて分からない、って思ってた。でも…、フーリは元々、私の友達だったんだ!大好きな友達が画面の向こうの遠い存在になってしまった今、私は一体どうしたらいいの!?誰か教えてよ!
…友達面して、世間にマウントでも取ってみる?
…嫌だ、そんなの…。フーリはそんなの喜ばない。一般人のちっぽけな私は「たまには会いたいよ」ってショートメールを送るのが精いっぱい。だけど、それもきっとフーリの負担になる…。消そう…。そう思ってカーソルを戻そうとしたら、すぐ隣にあ った矢印の方が指先に反応してしまった。
「あっ…!」
ショートメールはフーリに送られてしまった。メッセージアプリと違うから、送信取り消しは出来ない。暫く、息をひそめてスマホを握りしめていた。返事は…来ない。当たり前だ。フーリはもう忙しい芸能人なんだ。フォロワーだって既に五十万人を超えている。駅前で出会って友達になっただけの私に構う暇なんか、もう無いんだ…。
涙で滲むスマホ画面の電源を落として、泣きながら寝た。
翌朝起きて、スマホの電源を入れる。頭が重い。ショートメールの返事は無かった。メッセージアプリと違って既読マークもつかないので、果たしてフーリが見たかどうかも分からない。溜め息をついて、私はノートPCを立ち上げる。エントリーシートを送った会社からお祈りメールが入ってた。大きな溜め息が出た。私は…誰にも必要とされてないのかもしれないな…。冷蔵庫にあった最後のみかんゼリーを食べてベッドに潜り込み、布団を被った。
もういい。今日は全部お休み…。そう言い聞かせて、講義は自主休講した。
ウトウトしていた。ピンポンが鳴った。うるさい。セールスはお断りだ。更にピンポンが鳴る。うるさい!文句を言ってやろうと私は起き上がった。インターフォンのボタンではなく、ドアを直接勢いよく開けた。
「う――」
るさい、の言葉は喉の奥へと引っ込んだ。いつの間にかオレンジに染まった空を背に、黒いロングヘアーのあの頃のフーリが立っていたからだ。
「え…?フーリ…?」
「うん。入れて。」
そう言うと、さっと玄関に入って来た。私はドアを閉める。
「え?え?」
驚いてる私の前で黒髪のウィッグが取られた。アッシュなショートカットのFOOLIが現われた。
「凪はどっちが好き?」
「どっちもフーリじゃん…。」
私は呆れて言った。少し、涙ぐんでたと思う。
「そりゃ、そーだ。でも、面白いんだよ?アッシュなまま街を歩いてると、声を掛けられるの。でも、このウィッグ被ってマスクしてると、なんかやべーヤツだと思われてるのか、皆が避けて歩くんだ。」
それから言った。
「凪…、痩せた?ご飯ちゃんと食べてる?」
「う…、うん。」
心配掛けたくなくてそう言ったのに、ゴミ箱を目にしたフーリは「嘘」とバッサリ切り捨てた。
「ゼリーの空き容器二個しかない上に、シンクも使った形跡ないじゃんか。」
「そ、それは…」
「それは?何?友達にも本当の事言えないの?」
「ちが…。違うの!フーリに心配掛けたくないだけ!」
「うん。知ってる。私の知ってる凪はそういうヤツだ。」
そう言うと、背負ってたリュックをドカッと下ろした。
「一緒にご飯食べよ。」
そう言って、有名な焼き肉店名の入ったお弁当を手渡してきた。
「これ、知ってる!テレビで見た!一個三千円超えのやつ!」
「…みたいだね。良くは知らないけど…。」
「フーリが買ったんじゃないの?」
「今日の仕事中に差し入れてもらったやつを貰ってきた。思えば、私はいつも凪んちでご飯食べてたけど、食費払ってなかったからさ。今日は鶴を見習って恩返しに来たよ。あ。でも、こっちはちゃんと買って来たよ。」
そう言って差し出されたコンビニの袋には、チーズケーキとフルーツゼリーが入ってた。
「食後のデザート。凪はゼリー好きでしょ?」
「うん…。」
好物を覚えててくれた事が嬉しかった。芸能人になったフーリには、もう私の事なんか考える時間は無いと思っていたから。
「「いただきます。」」
紅茶を淹れてから、一緒に手を合わせて向かい合って食べる焼肉弁当は美味しかった。
「何この肉…!柔らかい…!」
「ホントだね…。」
何でもない会話が、私の心に沁みて…。私は泣きながら食べてた。肉に塩味が勝手に加わる。
「ちょっ…!そんなに泣く程、美味しいの!?なら、今度は自腹で買ってきてあげるよ!」
フーリがビックリして言う。
「ちがう~!フーリがいるから、うれしーんだよぉ~!!」
そう言ったら、鼻水まで出て来た。
「そうかそうか…。そんなに会いたかったなら、もっと早く言えよな~。」
フーリがティッシュを一枚取って、私の鼻をつまむ。私は、そのティッシュに手を添えてチーンと思い切り鼻をかんだ。
「言えないよぉ~!フーリはもうFOOLIなんだもん…。画面の向こうの人だもん…。一般人の私とは違うから…。」
今度は自分でティッシュを抜き取って、涙も拭きながら言った。
「何でだよ。友達じゃん?それに…凪は私のファン一号じゃん!」
「うん…。でも…」
ずずっと鼻をすすって私は言った。
「世間では、“フーリガン”筆頭は椎野実歩ちゃんだもん…。SNSでもツーショの写真たまに見るし…。」
「あー…。顔出しはあまりしたくないんだけど、あれは仕方ないんだよね…。事務所一緒だからさ。ドラマの番宣もかねた売り出し戦略の一つなんだよね。」
「そうなの?」
「そうだよ。私は曲を届けたいだけ…」
「そっかぁ…。」
「そうだよ。とりあえず、ご飯食べよ。」
気を取り直して、お弁当を食べた。食べ終えるとフーリは言った。
「で?凪は今、何に悩んでるの?」
「あ、あのね…」
本日二つ目のゼリーを食べながら、就活その他の心を悩ませる物事について色々話した。フーリと話してるうちに「あれ?私、なんでこんなに悩んでたんだっけ?」と心が軽くなった。
「はー…。ありがと、フーリ。なんか…、話してるうちに、頭の中が整理出来た。」
「そう?私はまだなんのアドバイスもしてないけど、解決したなら良かったよ。」
「うん…。なんだろ…。心が弱ってたのかな…。フーリに会って、ご飯食べてお喋りしたら、何かこー…元気になった。ありがとう。」
「それは良かった。人間お腹が減ると悲観的になるからね。ゼリーばっかじゃなくて、ちゃんと肉も食べないと駄目だぞ。」
「うん。今度フーリが来る時は、ペペロンチーノ作ったげるね。」
「うん。メールを読む度、大盛りで食べたくなるよ。」
ハッとした。
「メール!読んでくれてるの!?」
「勿論ですよ、“ペペロンチーノ大盛り”さん。番組に来たメール全部プリントアウトしてもらってるよ。」
「そ、そうなんだ…。私、まだ採用された事無いから、もしかしたらADさんとかが下読みしてる段階で振り落とされてるのかと思ってた…。」
「あ~。オススメのにはチェック入ってるけど、基本全部読むよ。凪の読んじゃうとさ、こっちももっと凪と喋りたくなってプライベートな話がポロっと出ちゃうから自重してるんだ。」
「そーなんだ。」
「うん。なかなか帰省出来てないだろうけど、たまには気分転換に実家に顔出しにでも行ってみたら?」
「そうだね…。ちょっと規制も緩んで来たし、久し振りに帰ろうかな。」
「うん。向こうの友達にも会って来なよ。」
「うん!そう言えば…、なんで来てくれたの?メール返してくれるだけでも良かったのに。」
「あ~…。メール入れようと思ったら、丁度時間が出来たから…。メールより実際行って驚かしてやろうと思ったんだ。…サプライズだよ、サプライズ!」
「そっか~。」
「うん。あとさ、『銀の糸あみもの店』読んだよ。たまたま入った古本屋の文庫コーナーで見付けた。今読んでも…、やっぱり怖かった。だから今、あの本が家にあるのが少し怖い…。」
そう言って苦笑した。それから、内緒話をするように、そっと耳にささやいた。
「もう少ししたら、おっきい会場でライブするから待っててね。それが終わったら、漸くゆっくり出来る。」
「ほ、ほんとっ!?すごいっ!」
「うん。でも、まだ内緒だよ。」
私はブンブンと首がもげる程頷いた。これからはフーリのライブを楽しみに生きよう!
「あ、そうだ。スマホ貸して」とフーリが言った。自分の忘れてきちゃったのかな?
「いいよ。」
はい、と手渡す。フーリは私の肩を抱き寄せると、「はい、チーズ」と私のスマホでパシャリと一枚、写真を撮った。
「はい。」
手渡されたスマホには、私とフーリの初めてのツーショット。ずっと一緒にいた頃は記念に写真なんか撮る事なかったから、嬉しい。
「あ、ありがとう…。過剰なファンサを受けてしまった…。」
そうお礼を言ってから付け足した。
「あ!も、勿論SNSとかにアップしたりはしないよ!これは…、私とフーリのプライベート写真だもん!」
「ん。凪はそういう事しない子だって知ってる。それあれば、椎野と対等だろ?」
「うんっ!」
椎野実歩ちゃんの事は「椎野」呼びなんだ…。「凪」と名前で呼ばれている自分に、少しだけ優越感を持った。
「あ!」とフーリが言った。
「ヤバい!二十時から打ち合わせがあるんだった!」
急いで立ち上がる。
「凪。良かったら…、今度は私の話を聞いてね。」
目を伏せてそう言うとウィッグを被り、マスクをして出て行った。私は走り去る後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
Ⅴ
やがて、ライブ情報が解禁された。私は大喜びでチケットを申し込んだ。
――が!あろうことか、なかなかサイトに繋がらない。漸く繋がった時には既に完売御礼が出ていた。
「うそ…!?」
呆然とした。フーリのライブに行きたい人は、私の想像以上に多かったみたいだ。
そして、呟きアプリを開いてイラっとした。チケットを入手出来なかったと嘆く呟きに交じって、高額でチケット譲渡をもちかけるアカウントが散見されたからだ。お腹の底からムカついた。フーリの初めてのライブ!絶対に行きたいっ!でも…、こんな奴等の私腹を肥やさせたくない…。スマホを握りしめてプルプルしてたら、スマホが震えた。画面に郁美ちゃんの名前が表示される。スワイプして出る。
「もしもし…。」
「凪―!久しぶりー!聞いてー!私、チケットご用意されました!」
「なんの?」
「FOOLIだよ!」
「えっ!?……い、いいなぁ~!!」
後半は心の底から洩れた叫びだった。
「ふっふっふ~!凪はチケ争奪戦に慣れてないだろーと思ってたよ!その点、私は翔君のミュージカルチケ争奪戦で鍛えられてるからね!日々、チケット獲得の為の徳も積んでるし!素振りはバッチリよ!」
そう自慢げに言ってから続けた。
「だからさ、一緒に参戦しよーよ!」
「ええっ!?いいのっ!?」
「モチのロンだよ~。凪いでる凪が熱狂してる姿見たいじゃん♪あ、勿論、チケ代は払ってもらうけどね!あと…お願いしたい事もあるから…」
「うんうん!私に出来る事なら何でも言って!!」
嬉しい、嬉しいっ!地獄から天国とはこの事だ!郁美ちゃんからの電話を切ってから、私はベッドにダイブした。フーリのライブ、超楽しみ!
*****
夏休みに入った。毎日暑い。そして、待ちに待ったライブ当日。駅で久し振りの郁美ちゃんと落ち合った。郁美ちゃんの大きなバッグはコインロッカーに入れられる。カフェで遅い朝食を済ませてから、物販列に並んだ。炎天下の中、列はなかなか進まないけど、皆楽しそうだ。ペンラにパンフ、Tシャツにタオルなどのグッズを買った。この日の為に、バイト代を握りしめて来た。早速、Tシャツを被り、首からタオルを掛けた。準備はバッチリだ。開場された会場に入る。初めての経験で胸がドキドキする。席も良かった。一階の右側。前から七番目。ここなら、肉眼でフーリを確認出来る。
「た、楽しみだねぇ~!郁美ちゃんは何の曲が好き?」
浮かれた会話をしながら待つ。開場の熱気が凄かった。
「あれ?おかしいな…。」
暫くしてから腕時計を見て、郁美ちゃんが言った。
「何が?」
「そろそろ開演なのに、一向にアナウンスも無いし、会場も暗くならない。」
「??」
私はこういうの初めてだから良く分からないが、良く現場に行ってる郁美ちゃんが言うならそうなんだろう。会場内もザワザワし始めた。それは徐々に大きな波となる。
その時、ブーとブザーが鳴った。会場内がシン…となった。
舞台の袖からフーリじゃない誰かが出て来た。スーツを着たおじさんだった。
「えー…。本日はFOOLIファーストライブにお越し下さり、誠にありがとうございます。会場に足を運んで下さった“フーリガン”の皆様には大変、申し訳ないのですが、本日のライブは中止とさせていただきます。」
「ええーっ!!!」
「なんでー!」
「やだー!!」
どよめきで会場が揺れた。そりゃそうだ。こっちは物販も終え、テンションマックスでライブが始まるのを待っていたのだ。郁美ちゃんみたいに新幹線に乗って遠くから出て来た人もいる。ブーイングが響く中、おじさんは言った。
「ここに来る途中、FOOLIが何者かに襲われました。病院に緊急搬送された本人が一番残念に思っていると思います。」
「ええーっ!!」
今度は悲鳴が上がった。私の後ろで声がする。
「ホントだ!FOOLI、通り魔に襲われ緊急搬送って上がってる!」
会場が不穏な空気に包まれる。私も、頭からスーッと血が下がっていくのを感じた。
「本日のチケット払い戻し等に関しましては、後日ホームページをご覧下さい。わざわざ会場に足を運んで下さったのに、このような事態になってしまった事、深くお詫び申し上げます。せめてもの記念に最後に飛ばす予定だった銀テープだけ、今飛ばします。皆様で記念に分け合ってお持ち帰りいただければ…。」
そう言っておじさんが合図したら、上からテープが降って来た。キラキラ光る雨の様で、とても綺麗…。私は右手を伸ばした。それは汗ばんだ手にピタリとすいついた。『FOOLI FIRST LIVE』と書かれてた。郁美ちゃんは二本掴めたが、「とれなかった~」と泣いてる前の席の子に一本譲ってた。
「いいの?」
「いいんだよ。こうして徳を積む事で、次回のチケットもきっととれるようになるから♪それより…FOOLI心配だね…」
「うん…。」
私もスマホを立ち上げ、ニュース速報が入っているのを確認した。まだ詳細は無い。
とぼとぼと会場を出た時に、郁美ちゃんに言われた。
「えと…。凪、申し訳ないんだけど、そうしたら今日はここで解散って事でいいかな?」
「あっ!うん…。」
「そ、それでさ…。うちの両親には「凪んちに泊まる」って言ってあるから、無いと思うけど、もし後日話を振られたら合わせてもらえる?」
「いいけど?てか、フツーにうちに泊まっていいよ?」
「うー!凪いい子!」
郁美ちゃんにぎゅっと抱きしめられた。小さい声で言われる。
「でも…、私は悪い子なんだ…。今日はさ、彼氏とお泊りなの…」
「え、ええっ!?」
い、いつの間に…。
「い、郁美ちゃん彼氏いるの?」
「うん…。」
モジモジしながら頷く。
「アプリで知り合ったんだ。今度改めて紹介するけど、社会人…。そ、そんな訳で、アリバイ協力ヨロシクッ!!」
両手を合わせて、全力で拝まれた。
「わ、分かった…。」
「ありがと、凪!また今度ね!」
そう言うと、足取り軽く走って消えた。一人残された私は…、とりあえずライブTシャツを脱いだ。すぐに家に帰る気にならなくて、近くのカフェに入った。アイスティーを飲みながら、スマホでニュースをチェックする。『歌手のFOOLI、ライブ会場に向かう途中で襲われる』等の衝撃的な見出しが並ぶが、詳しい事はまだ何も分からない。私は呟きアプリで検索した。今日のライブ中止を嘆く書き込みが多い中、襲撃現場を目撃したと言う人の呟きを見付けた。赤黒く染まった道路の写真付きであがってた。
「……!!!」
心臓が…バクバクした。胸が…苦しい。フーリは…無事なんだろうか…?トートバッグに入れられた今日のライブグッズを見る。果たして、これを使う日は来るんだろうか…。私に出来る事は何?とりあえず、今の私に出来る精一杯で神様に祈っておいた。
『神様お願い。どうか…、フーリの心臓を止めないで下さい!』
*****
その後、ワイドショーで連日フーリは取り上げられた。事件の詳細が徐々に明らかにされていく。それにより、私達“フーリガン”はフーリの生い立ちを知った。フーリは親に捨てられた子だった。高校を卒業するまではとある施設で育ったらしい。同じ小学校だったという人がインタビューに答えてた。
「FOOLIってあの子だったんだ…。アッシュに染めて垢ぬけた格好してたから、分かんなかった。昔は、髪の毛ぼっさぼさで物凄く長かったんですよ!髪切るお金も無いって言われて揶揄われてました。音楽の教科書の裏表紙に印刷されたピアノの鍵盤を貧乏くさく叩いたりして…。あんまり友達とつるんだりはしてなかったな…。後は…良く図書室にいたよね。」
それを受けて、フーリの恩師にあたる小学校時代の音楽教師のインタビューもあった。
「渡瀬風里さん?えぇ、勿論覚えていますよ。家にピアノが無いって言うから、音楽室のピアノを開放してあげてました。私が昔使ってたバイエルを上げたらすっごく喜んでましたね。熱心な子でしたよ。真面目で本も良く読んでましたし…。え?歌手になったんですか?やっぱり!あの子には才能があると思ってました!えっ?刺されたんですか!?」
第三者から語られる私の知らないフーリの過去。フーリを刺したのは、フーリの実の母親だった。どんな事情があったか知らないが、「育てられないから」とフーリを犬猫のように捨てたくせに、フーリが有名になったら何度もお金の無心に来たらしい。あの日は、フーリに断られてカッとして、持ってた包丁でメッタ刺しにしたらしい。カッとして「持ってた包丁で」って何?と思った。一般人は包丁なんか持ち歩かない。バリバリ殺意があるじゃんか!こんなヤツ、死刑にしてやればいい!だけど、日本の司法は加害者に甘いんだ…。腹が立つ。
フーリは顔と左手に酷い傷を負ったらしい。それから、倒れた所を馬乗りになって更に刺されたそうだ。左腕はもう動かないらしい。アーティスト活動は絶望的じゃないかとテレビに映るコメンテーターが言う。私はテレビを消して、ベッドに倒れ込んだ。
私が…「フーリの曲はもっと人口に膾炙されるべき」なんて言わなければ良かったのだろうか…?そうすれば、フーリは毒親に見付かって刺されることなんかなかった…。ごめんね、フーリ…。泣きそうだった。「一人じゃないよ」と歌うフーリの曲が、いつだって淋しい私に寄り添うように聞こえたのは、フーリ自身が孤独な人だからだ。フーリの曲は哀しく人を惹き付け、そして心を満たしてくれる。でも多分…、一番「一人じゃない」と信じたかったのはフーリ自身だ。
「はぁ…」
溜め息と一緒に涙が零れた。壁に飾ったフーリのライブグッズが滲んで見える。大きな会場のステージで歌うフーリの姿を見る事は、もう叶わないのかもしれない…。
Ⅵ
二週間後の夜。
コンコンという音で目が覚めた。なんだろう?耳を澄ます。コンコン…。私はベッドを抜け出し、そぉっと足音を忍ばせて玄関へと向かう。息をひそめてドアスコープを覗いた。
「!!!」
私は急いでドアを開けた。「入って」と小声で言い、すぐにドアを閉めた。長い黒髪のウィッグを被ったマスク姿のフーリがいたからだ。
「ありがと。こんな夜中にごめんね…」とウィッグとマスクを外してフーリは言った。フーリの顔には某漫画の天才外科医みたいな大きな傷跡があった。
「フーリ…!大丈夫だった?ごめんね、私が「フーリの曲はもっと人口に膾炙されるべき」なんて言わなければ…!」
私は泣いた。
「なんで凪が謝るの?凪は私に自信をくれたファン一号で友達じゃん。凪には感謝しかないよ。泣かないで。」
「だって、だって…」
泣く私の頭をフーリの右手が撫でてくれる。ハッとして見る。フーリの左腕はだらん、と垂れたままだ。
「腕…」
「あぁ、これ?動かないんだー。」
フーリは明るく言って続けた。
「凪。悪いんだけどさ、暫く泊めてくれない?」
「いいよっ!」
私は食い気味に返事した。フーリを守りたかった。紅茶を淹れて、フーリに出した。
「ありがと…。」
ふーっと吹いて一口飲んでから、フーリは言った。
「はー…。私の親ガチャ大外れでやんなるよ…。」
そう言うと、ベッドによりかかって天を仰いだ。
「あーぁ!」
怒りも諦めも含んだ「あーぁ!」が、きっと今の心情の全てなんだろう…。
「疲れちゃったよ…。暫く休ませて…」
そう言ってから、壁に飾られたライブグッズに気付いた。
「あ!グッズ買ってくれたの?なのに…ライブ出来なくてごめんね…。」
「ううんっ!ライブはまたやればいいから大丈夫だよ!」
そう、フーリ。何よりも、貴方が生きててくれるのが大事!
「うん。ありがと…。私、凪と友達になれて良かったよ…。」
そう言うと、目を閉じた。
「フーリ?」
フーリは眠ってた。床に座ったまま。「ベッドにもたれた状態じゃ体が痛くなるよ」って言いたかったけど、きっと疲れてるんだろうな…と思って、そっとタオルケットをかけてあげた。それから、フーリの綺麗な顔に山脈のように横たわる生々しい傷跡を見ていた。もし私がこんな目に遭ったら…。もう人前に出るのは怖くなる。死にたい気分にもなるだろう。フーリは…どんな気持ちでここまで来たのだろう…。
*****
翌朝、目覚めたフーリはぽつりぽつりと施設で育った過去を語った。いつもおさがりを着て、ひもじかったこと。ゲーム機とかの娯楽はなかったから、暇をつぶす為にいつも図書室にいた事。その時に沢山児童文学を読んだと言っていた。ピアノに興味があったこと。教科書の裏表紙に印刷された鍵盤を叩いてたら、音楽の先生が「ピアノが好きなら、音楽室のを弾いていいわよ」と言って放課後教わったこと。先生が昔使ってたバイエルをもらって嬉しかったこと。「筋がいい」と褒められて嬉しかったこと。中学に入ると「捨て子」と言われて苛められたこと。それでも耐えて高校に行った事。それから高校を卒業して施設を出たら、何も後ろ盾がなくてバイト一つするのも大変だったこと。そんな自分に何か出来るか考えて「曲を作ってみたい」と思ったこと。バイトで貯めたお金でキーボードを買ったこと。それで曲を作って、初めて人前で披露した日に酔っぱらいに絡まれたこと。
「あの時さ…。やっぱ親に捨てられるような自分じゃ、何しても駄目なんだ…って目の前が真っ暗になったの…。絶望だよね…。でも、私の為にケーサツ呼んでくれた人がいたの。しかも、その子が「素敵な曲」って言ってくれたの!すごく…嬉しかった…!知ってた?ファン一号さん?」
私は首を横に振った。
「凪がくれた言葉が私に存在意義をくれた。凪が私の曲をもっと皆に聴いて欲しいっていうから、頑張ったよ。自分でもビックリする位、反響が来て驚いた。「あぁ、私、いてもいいんだ」って漸く思えた。でも…。有名になるって事は大嫌いな奴も呼び寄せる事だった…。事務所に「顔出しはしたくない」って言ったんだけど、「イメチェンすれば大丈夫」って言われて、一回だけの約束でテレビに出た。自分の中では一回だったけど、今はそれが簡単に拡散される世の中なんだよね…。そんな訳で、馬鹿親に見付かったみたい。事務所も対応してくれてたんだけど…。ああいうヤツらの行動力は凄いね…。最初は「生き別れの娘だ」ってお涙頂戴の手紙と電話を寄越してさ、それが無視されると今度は毎日事務所に来て「会わせろ!」って騒いでた。一回根負けして会ったら「あの時は、お前を育てる金が無かった。今もこんなに苦労してる。アンタ、芸能人になったんなら金あるんだろ?親の面倒見るのも子の役目!」って言い出してさ…。そもそも…、こっちは産み落とされただけで、顔だって知らなかったのに、なんでお前の面倒見なきゃならねーんだよ!ってムカついてさ…。でも、断っても断っても事務所に来んの!警察に相談に行っても「ご家族の問題なので…」の一点張り!家族にストーカー規制法は適用されないの?マジ、ムカついた…。そんで…。結局、このざまですよ…。」
だらんと垂れた左腕を見せる。
「この国は被害が出てからじゃなきゃ、な~んにも動かないんだ…。やんなるね。」
そう吐き捨てた。私は、重い空気を換えようとテレビをつけた。つけたテレビで丁度フーリの話題が出てた。
「――事情があって育てられなかった子を引き取りに来た、って言うなら美談ですが、要はタカリに来てた訳ですよね。それもしつこく!警察に相談してたそうですが、家族間の問題で片付けられて、接近禁止も言い渡されないまま、起きた事件ですから…。」
「しかし、警察も忙しいですし…。相談を受けたからって、なんでもかんでも対応って訳にはいかないですよ、実際。」
「ですが…、こうして妙齢の女性が顔に大きな傷を負い、他にも怪我を負ってるんですよ。」
それ以上は聞かずに、フーリによってブチン!と電源が落とされた。
「はー…。私の事なんかどうでもいいから、もっと大事なニュースをやれよ…。」
「……。そ、そうだ!ペペロンチーノ食べる?」
私は話題を変えようと、わざと明るく聞いた。
「うん。」
久しぶりに一緒に食べるペペロンチーノは、勿論大盛りだ。右手にフォークを持って、フーリが食べてる。
「うん、美味しい。凪のペペロンチーノは世界一。」
「ありがと。」
褒められて悪い気はしない。食べ終えてから、聞いてみる。
「フーリは…これからどうするの?」
「どうしようか…。なーんにも思いつかないや…。とりあえず、事務所から当分休みは貰ってる。と言うか…、休養を言い渡された。実質クビみたいなもんだ。」
そう言ってから、ハッとした。
「凪。スマホ貸して。」
「いいよ。」
「ありがと。自分のはGPSで居場所探られたくないから、入院した時から電源落としたままなんだ。」
そう言うと、まず自分のアカウントをチェックした。
「良かった…。心配してたラジオは収録済の二回分を使って、それ以降は同じ事務所の子が代打で出てくれるみたい…。」
それから、次は椎野実歩ちゃんのをチェックしてた。こちらは本人発信だ。写真付きで色々上がってるのを遡って見ていて、「あー…」と言った。
「どうしたの?」
フーリが目を止めたそれは十日前の投稿。パリッとしたワンピースを着て、青空の下で微笑む実歩ちゃんが映ってた。
『太陽光の下、秋物の撮影!
すごく日差しが強くてビックリ!
決して日焼けしないようにしないと…(><)
テーマは「芸術の秋」!』とあった。
「椎野も限界じゃん…」とフーリが言った。
「?」
ちょっと考えてから、フーリが言った。
「ねぇ、このスマホで電話していい?」
「いいけど…?」
それを聞くと、フーリはどこかに電話した。
「もしもし?うん…。そう…。退院した。暫くは休養って事で休み貰ってる。…うん。そうなんだ…。そしたらさ、今日の夜八時に●駅の東口に来てよ。うん、そう…、この番号にまた連絡頂戴。」
それから返してくる。
「ありがとう。夜、電話かかってくるかもしれないから、よろしく。」
「うん。いーけど…、誰に電話してたの?」
「椎野。アイツもギリギリだから。」
そう言って、さっきの画面を開いた。
「ここ。「助けて」になってる。」
縦読みだった。
「実歩ちゃん、どうかしたの?」
「ん~…」
フーリが言葉を濁すので、ちょっとネットで検索してみた。以前朝の連続ドラマに主演して、少し前まで好感度が物凄く高かった彼女がバッシングされていた。
『いかにもパパ活してそーだし!』
『枕で仕事とってんじゃん?』
『あれだけ顔が良くてあざとけりゃ、人生イージーモードっしょ!』etc…。
そこは心無い言葉で溢れてた。これは一体どうした事だ?と思ったら、先月出演したドラマが良くなかったらしい。イマドキ女子のリアルを描くという事で、パパ活する女子大生役を演じた実歩ちゃんが「リアルでもパパ活してるんじゃないか?」と勘繰られてた。
「何これ…。役と本人は関係ないのに、ひどい言われよう…。」
「ん。ドラマの撮影始まってから、ずっとそんなん言われて椎野凹んでた。でも、向こうの俳優さんの強い希望で椎野に決まった役だから、頑張って演じてた。「朝のドラマの天真爛漫なイメージを払拭して女優椎野の新境地を切り開け」ってマネージャーにもハッパかけられてたみたいだし…。椎野は演技上手いからさ、見てるこっちは本当だと思っちゃうんだろうね…」
「そんな…」
*****
その日の夜。電話が来て、私は駅まで椎野実歩ちゃんを迎えに行った。すぐ分かるように、と目印にフーリのライブTシャツを着て行った。フーリはお留守番だ。●駅の東口でスマホをいじりながら待ってたら、目の前にとげとげのスタッズが沢山ついた靴を履いた人が立ったからビックリした。
「お待たせ」って言うから「ひ…、ひ、人違いだと思います…」って恐るおそる顔をあげた。「違ってねーし!椎野だよ」って言われて、ビックリした。目深に被ったこちらもスタッズが沢山ついたキャップの下、マスクをちょっとずらしたその顔は、確かに椎野実歩ちゃんだった。でも今はテレビで見る可愛さの欠片も感じない。これが女優か、と思った。
「あ…。じゃ、こっちです。」
家に向かって歩く途中にあったコンビニに実歩ちゃんが入って行った。スタッズがバチバチについたキャップと鞄、穴の開いたTシャツにダメージジーンズの実歩ちゃんを店内にいる人達は目を合わさないよう、避けている。やがて、なにやら買い込んで出て来た。
「おまたせ。じゃ、行こ。」
家まで無言で歩いた。だって、何話せばいいか分かんないし…。下手に声を聞かれて騒ぎになったら困ると思ったから…。
「どうぞ。」
「お邪魔しまーす!」
そう言って、上がり込んだ実歩ちゃんは、フーリを見て抱き着いた。
「FOOLIさんっ!!会いたかった…!大丈夫でしたか?無事…じゃないけど、とりあえず、FOOLIさんが生きてて良かったー!」
そう言って泣いた。あぁ、実歩ちゃんもフーリが好きなんだって思った。紅茶を淹れて持って行ったら「ありがと。でも、あたしはこっち!」とさっきコンビニで買った袋からストロング缶を取り出した。
「良かったら、飲んで。」
そう言って差し出されたけど、私はお酒は飲まない。フーリは…と見ると首を横に振った。そんな私達にお構いなく、勢いよくプルタブをひくと実歩ちゃんは豪快に飲みだした。あっと言う間に500の缶が一本開いた。
「ぷはー、もういっちょ!」
そう言ってもう一本を手に取り、ごくごく飲んでから「はー!ちっくしょー!」と叫んだ。
「だ、大丈夫ですか…?」
ドキドキしながら私は聞いた。小花柄のワンピースにレースの日傘が似合う実歩ちゃんの、こんな姿を見たのは初めてだからだ。
「だいじょばないで~す!」
ダン!と缶を置いて、実歩ちゃんは言った。
「世の中、馬鹿ば~っかっ!なんなん!?フィクションと現実の区別もつかないわけ~?な~にが「パパ活してそう」だよっ!お前らと一緒にすんな、ってーの!」
「椎野。ハイペースで飲みすぎ…」
ちょっと呆れてフーリが言う。
「だぁってぇぇ~!悔しいじゃないですかぁ~っ!あたしはっ!台本通りに演じただけなのにっ!勝手にパパ活女子代表とか言われてっ!挙句…、相手役の俳優さんとの不倫疑惑まで持たれてるんですよぉ~っ!身に覚えのないことで叩かれるの辛すぎるっ!フェイクニュース多すぎっ!マスゴミ死ねっ!名誉棄損で訴えてやるっ!「パパ活のイメージがつくと良くないから」って、内定してたブランドバッグのイメージキャラクターも下ろされたんですよ~!ふっざけんな~!!私の生涯収入十億の夢が~っ!!」
……。テレビで見てたイメージと違う…。そう思って見てたら、実歩ちゃんと目があった。
「何よぉ~?どうせ、銭ゲバだと思ってんでしょ?それで結構っ!家族を捨てる為に、私にはお金が必要なのよっ!」
言い切った。
「なぁに~?あたしが何言ってるか、分からない、って顔してるね。どうせ、貴方は幸せな家庭で育ったんでしょ~?FOOLIさん言ってたもん。「凪の隣にいると落ち着く」って。いいな~!ずるいっ!あたしだって…、そういうの憧れてるのにっ!なんで…、あたしはっ!!」
「…椎野、飲みすぎ。凪に絡むのやめて。」
「だって、だってぇ~!!」
泣きながらストロング缶を5本開けて、実歩ちゃんは寝落ちした。
「……。可愛い実歩ちゃんが、こんな人だったとは…。」
空き缶を片しながら、そっとタオルケットを掛ける。
「ん~。それも事務所が勝手に作ったイメージだからなぁ…。どっちかってーと、素の椎野は今みたいな感じだよ?酒癖悪いから、事務所から飲酒禁止を言い渡されてる。ま、相当ストレスが溜まってるんだろうねぇ…。」
「そっかぁ…。華やかに見える世界も色々大変なんだね…」
「ん。凪、ごめんね。二人して押しかけて迷惑かけて…」
「あ。そ、それは全然構わないよっ!外で飲んで、週刊誌とかに撮られたら大変だもんね!」
そんな感じでその日はお開きになり、私達は一つのベッドに寝転がった。
「おやすみ。」
「おやすみなさい…」
Ⅶ
翌朝のまどろみはピンポンの音で終わった。フーリと実歩ちゃんが身構える。
「何…?」
もしかして、ここを嗅ぎつけたマスコミだったらどうしよう…。居留守を使ってたら、今度は私のスマホが鳴った。ママと表示されている。
「おはよう。何?」
「凪!今、九時だけど家にいないの?今、あんたんちの前にいるのよ」って言うから、慌ててドアを開けた。
「ママ…!?一体、どうしたの?」
「どうしたじゃないわよ~。前、メール入れたでしょ?新幹線に乗るの躊躇われるなら、車で迎えに行く、って!丁度パパの仕事がこっちであったから、一緒に乗って来ちゃった!帰りの車に一緒に乗って帰りましょ!」
そこまで一気に言ってから、フーリ達に気付いた。
「あら?凪のお友達?良かった!こっちでも友達出来たのね。こんな時代だから、誰とも知り合えてないんじゃないか、って心配してたけど良かったわ~。」
そう言ってから、「あっ!」と口を押えた。
「もしかして…、椎野実歩ちゃん?…と、そっちはFOOLIさん?え!?どういう事?凪、二人と知り合いなの?」
ビックリするママにここまでの事情を説明する。そして今、私の家が隠れ家みたいな物になっている、と言ったらママが口を開いた。
「あら!じゃあ、二人共凪と一緒に私の田舎に来ない?」
「はぁっ!?ママ、一体何を言い出すの?」
「だって…、こんな狭い部屋に三人もいたら窮屈でしょ。それにっ!基本芸能人は首都圏にいると思われてるから、田舎にいた方が気が休まるんじゃない?気分転換も兼ねてど~ぉ?」
「…じゃ、お言葉に甘えて」とフーリが言った。
「あ。なら、あたしも!しばらくオフだし…」と実歩ちゃんも言った。
「決まりね!」とママがVサインをして、電話を掛ける。
「もしもし…。今、電話大丈夫?…そう。あのね、帰り、凪のお友達二人も一緒に乗って帰るからヨロシクね。うん、お母さんには今から電話する。いっつも人手が欲しい、って言ってたから、そこは心配いらないわ~。」
そう言って切ると、続けておばあちゃんちに電話を掛けた。
「もしもし~、私~。そう、直子~。今晩から家族でお邪魔するね~。その時、凪のお友達二人も一緒に泊まっていい?そ~、女の子!よろしくね~。何か欲しいお土産あったら買ってくけど?あー、はいはい。分かった~。じゃ~、また後でね~。」
「ちょっと!どんどん決めないでよ!私、バイトもあるんだけど!」
「バイト?なら、そのバイト先にママが連絡するから貸して。」
そう言って、私に電話を掛けさせる。
「もしもし、佐藤凪の母です。娘がいつもお世話になっております。急で大変申し訳ないのですが、私の母、凪にとっての祖母の容体が悪くなりまして…。「最後に孫に会いたい」というものでちょっと里帰りさせようと思って、今日迎えに来たんです。えぇ、もしかしたら…。最悪の状況も考えると…、出来れば一週間ほどお休みを下さい!…はい、すみませんが、宜しくお願い致します!」
そう言って、勢いよく電話を切った。
「休んでいいって!これでオッケーね!」
「オッケーじゃな~いっ!何、おばあちゃん殺そうとしてんのよ!」
「殺してないし~!容体悪くなったけど、久し振りの孫に会ったら「花嫁姿を見るまで死ねない!」って持ち直しました、でオールオッケ―よ♪さ~て、忙しくなるわよ~!さ、凪はさっさと帰る準備して~」と言って、気付く。
「貴方達、着替えはある?」
「持ってないです」と口を揃える二人を前にママは言った。
「見た所、洋服は凪と同じサイズでいけそうね。野良着は実家に私が昔着てたのが沢山あるし…。問題は下着…。凪、買いに行くわよ!そこの二人、なんかこだわりとかある?」
「特にないです…」
それを聞いたママに引っ張られて、私は安価なチェーン衣料品店へ。ブラトップとパンツに靴下、ズボンとTシャツ等を買い込んだ。それからデパートに行って、竹筒に入った羊羹を買った。
「土産はこれで良し!さ、ふーちゃんとみっちゃんが待ってるから、帰りましょ!」
家の近くまで来たら、私に荷物を全部持たせて先に帰るように言い、ママはスーパーに吸い込まれて行った。
その後、大量の肉を買ってきたママによる焼肉パーティーが行われた。ホットプレートは無いから、コンロでフライパンで焼いた肉をママが持ってくるシステムだ。
「へい、タン塩!レモンでどうぞ。」
「こちら、カルビになりま~す。」
どんどん持ってくる。私達三人はモリモリ食べた。
「さっすが食べ盛り♪見てるこっちが気持ち良くなるわ。締めの冷麺も買って来たからね!はい、じゃんじゃん~♪」
わんこそばのノリ…。ママ楽しそう。そう言えば、家にいた頃もそうだった。ママはいつも調理しながら、カウンター越しに私達のお皿に揚げたての天麩羅をのせてくれた。「ママは?」と聞けば、「アツアツを食べられるのは、調理人の特権よ」と言って、揚げながら立ち食いしてたっけ…。そんな時、室内には以前旅行先で買った『美味い酒あります』の幟が下げられる。パパは美味しそうに日本酒を飲む。ママはお店屋さんごっこが好きなのだ。
「あはは。凪ママさんおもしろ~い♪」
ウーロン茶を飲みながら、実歩ちゃんは笑ってた。
「あたしも…、こんなお母さんが欲しかったなぁ~…。」
「あら!?じゃ、うちの娘になる?うちは凪一人だから、兄妹が欲しかったのよね。」
「え~、いいんですかぁ~?」
「勿論よ~。いつでもいらっしゃい。」
そんな感じで和やかに朝食を兼ねた昼食が終わった。それから、帰省に向けて荷物の準備。
「ブラトップ、まとめてMサイズ買って来ちゃったけどいい?」
「はい。」
「ダイジョーブでーす。」
「行く前にシャワー浴びて着替えたら?焼き肉臭いし」というママの提案を受けて、皆で着替えた。
「はい。脱いだのは、このビニール袋に入れて。向こうについたら洗濯します。」
ママがどんどん仕切ってく。その時、ママの電話が鳴った。
「…もしもしー?早いじゃない。え?商談早く終わったの?なら、良かった。こっちも支度済んだから迎えに来て~。(こっちをチラッと見て)駅前だとアレだから、悪いんだけど凪のアパートまで来てもらっていい?そう、ナビに住所入れたら出る筈だから、よろしくね。下に着いたら電話頂戴。じゃ、またあとでね~。」
そして、こっちを向く。
「今から大体一時間後にパパが車で迎えに来るから、そしたら出発よ。乗り物酔いする人いる?いるなら、今から酔い止め買って来るけど?」
大丈夫、と二人が頷く。
*****
ママの電話が鳴った。「今行く」と言って、ママが立ち上がる。「戸締りはしっかりね」「うん」と言葉を交わして、階段を降りる。パパが運転席の外に出て待ってた。
「凪!久しぶりだな、元気してたか?」
「うん!」
「荷物はトランクに入れるから、貸して。」
そう言って、どんどんトランクに積んで行く。私はフーリと実歩ちゃんをさっさと後部座席に座らせた。何かあっても外から見えにくいようにサンシェードをつける。助手席に乗ったママが「それじゃ、しゅっぱーつ!」と言って、奇妙なドライブが始まった。
「えぇと…。凪のお友達?初めまして。いつも凪がお世話になってるね。ありがとう。いきなり田舎に行く事になっちゃったけど…、大丈夫?」
運転しながら、パパが聞く。
「大丈夫です。丁度オフなので。」
よそ行きの声で答える実歩ちゃんをバックミラーで見たパパがビックリしてハンドルを切る。車は大きく揺れた。
「ええっ!?椎野実歩ちゃん!?」
「パパ、危ないっ!運転に集中して!」
「はい、椎野で~す。よろしくお願いしま~す。」
にっこり笑って自己紹介。これが…人気女優の破壊力。
「お、驚いたなぁ…。都会はすごいな!凪が芸能人と友達になるなんて、父さん夢にも思わなかった…。じゃ…、そっちは…?」
「渡瀬風里です。」
キャップをとって、フーリが言った。
「あ…!君、もしかして…、FOOLI!?怪我は大丈夫なのかい?」
パパもニュースで知ってたみたいだ。
「あぁ、はい…。怪我しましたが、命に別状はないです。」
それから続けた。
「私、凪と友達で…。凪がこっちに来てからずっとお世話になってます。知ってますか?凪の作るペペロンチーノ、すごく美味しいんですよ。」
「へぇ、そうなのか?実家にいた時は、お菓子しか作ってなかったから、それは知らなかった!凪、今度父さんにも作ってくれ。」
「いいよ。」
そんな事を話しながら、高速に乗った。平日だからか、ビュンビュン流れてく。
「これなら、早く着きそうだな。久し振りにしりとりでもするか?」
「「え?」」
とまどう実歩ちゃんとフーリに構わず、ママが言った。
「じゃ、ママからスタートね。夏休み!」
「ミンミン蝉!」とパパが言った。パパの後ろにいた実歩ちゃんが続ける。
「味噌汁!」
「る?る……?…ルーマニア!」ちょっと考えてから、フーリが言う。
「アゼルバイジャン共和国!」と私は言った。
「どこ、それぇ…?」と実歩ちゃんが言う。
「カスピ海の近くにある国。」
「そんな国、知らな~い。」
それを聞いたママがフフッと笑って言った。
「国名しりとりの為に覚えたんだよね、凪。」
「うん。うちさ~、こうやって車に乗ってる時、運転するパパの眠気覚ましと暇つぶしを兼ねてよくしりとりするんだよね。なんの縛りも無い時もあるけど、食べ物とか国名とかジャンルしばりもあって…。小学校の頃は全然国名分からなくて、私がいっつも負けてた…。それが悔しくて地図見て覚えたんだー。」
「へー。楽しそう…。」
「ママ、「く」だよ。」
「ちゃんと覚えてるって~。クロアチア!」
「アメリカ!」間髪入れずにパパが言う。
「か…カナダ!」実歩ちゃんが叫ぶ。
「だ?「だ」から始まる国なんかあったっけ…?」
フーリが悩む。いつの間にか国名しりとりになってる。
「ふーちゃん、あるわよ!日本の近所に!いつもは略してるけど、正式名称は「だ」から始まる国が!」
ママがヒントを出す。
「あ!大韓民国!」
「ヒントずるいっ!」実歩ちゃんが言う。
「まぁまぁ、最初だけだから…」
「く…、クウェート!」「トンガ!」「ガーナ!」
流石にパパとママは早い。すぐに出てくる。
「な…。ナイジェリア~!」「アフリカ」「カンボジア」「アイルランド」「ドイツ」と楽しく続いた。いつの間にか、車内の空気が和やかになっていた。いきなり出掛ける事になったフーリと実歩ちゃんだったけど、楽しそうで良かった。安心した。
トイレ休憩にパーキングに入る。皆はこの先の大きいサービスエリアで休憩するのか、空いていた。
「ここなら目立たないだろ?」
パパが気を使ってくれたらしい。トイレから出た私達にパパが自販機のアイスを買ってくれた。
「あともう少しだから、狭いけど勘弁な。」
そう言って、進む。高速を下りて、だんだんと緑が広がる田舎の風景が見てフーリが言った。
「日本の夏、って感じ。」
「でしょ~!何にも無いけど、たまにはこういうのもいいでしょ?」とママが言う。
「はい。『ボクの夏休み』ってこんな感じなんだ…。私、田舎に帰るって体験した事ないから新鮮です。」
「あ…。」
パパが口を噤む。きっとワイドショーでフーリの過去を知ったんだ…。そんな湿っぽい空気を吹き飛ばすようにママが明るく言った。
「なら、毎年凪と一緒に帰ってきなさいよ。ふーちゃんもうちの子ね!」
「え?あ…、はい!」
凪が破顔した。その返事を聞いたママが言った。
「よ~し!これでうちの子三人ね!皆、おばあちゃんちではお手伝いしてね!」
「…あー!やっぱり、それが目的か!」
私は叫んだ。
「働かざるもの食うべからず」とママが言った。
「ごめんね~」と私は二人に謝る。
「おばあちゃん、もう歳だから、お盆前に庭の草取りとかを手伝う事になってるんだ…。」
「あぁ、別にいい。急に押しかけるんだから、出来る事はする。」
「そんなんでいいなら、ラクショー!」と実歩ちゃんが言う。そうなの?
Ⅷ
「はい、とうちゃーく!」
ママがそう言って、玄関に向かって歩いていく。
「でかっ!?」
おばあちゃんちを見て、実歩ちゃんが言った。
「田舎だからな~。無駄に土地があるんだよな…。」
パパがそう言いながら、どんどん荷物を下ろしていく。
「よく来たね~!」
向こうから、手拭いをほっかむりしたおばあちゃんがママと歩いてきた。
「おばあちゃん!」
「凪ちゃん、久し振り~。おっきくなって~。そっちは友達かぇ?都会の子は別嬪さんだね~。」
「今日からお世話になります。椎野実歩です。」
「渡瀬風里です。宜しくお願い致します。」
ぺこりとお辞儀をした後に顔をあげた二人を見て、おばあちゃんがビックリする。
「あんれ!アンタ、顔どおしたのさ!そんなおっきな傷つけて…。可哀そうに…。どれ、いたいのいたいの、とんでいけ…。」
おばあちゃんのしわしわの手がフーリの顔を撫でる。それから、実歩ちゃんに気付いた。
「あんれ!アンタ、以前、朝のドラマに出てた子によぉ似てるね!」
「はい。あれ、あたしでーす。ドラマ見て下さってたんですか?うれしーです。」
にっこり笑顔の若手女優だ。流石…。昨日飲んだくれてた人と同一人物とは思えない…。
「とりあえず、草取りは明日にして、入った入った。長旅疲れたでしょ?ご飯食べな~。とうもろこし茹でてあるよ。修一さんには枝豆ね。」
「やった!嬉しいです。」
パパがガッツポーズをした。
夕飯時、ママに注いでもらったビールを飲みながらパパが言った。
「いや~、ママも凪もいて両手に花だけど、今日は実歩ちゃんとFOOLIさんにお義母さんもいるからな。ハーレムだな…。」
上機嫌だった。早々に酔いつぶれて寝た。運転で疲れてたのかもしれない。
夜。私達は八畳の客間に布団をひいた。
「合宿みたい」と実歩ちゃんが言った。
「凪さん。殆ど面識ないあたしも連れて来てくれてありがとう…。なんか、子供に戻れたみたいで楽しいよ。」
「それは良かったです…。あ、あと凪呼びでいいですよ。」
「そうなの?じゃ、あたしも実歩でいいよ?」
「いえ…。有名女優様を呼び捨てには出来ないです…。」
だって…、私はまだ実歩ちゃんの事良く知らないし…。そんな人を呼び捨てにするには、心の壁が高過ぎた。
「あはは…。何それー!おもしろ~い。凪ママはみっちゃん呼びなのにー。」
「ママは…、昔から少し変わってるから…。」
「そうなの?」とフーリ。
「うん。大人なのにお店やさんごっことか好きだし、精神年齢低いんだよね…。そのせいか、やたらと子供に懐かれる。多分、同類だと思われてるんだよ…。私が小さかった時、一緒に行った公園の砂場で「お城を作ろう!」って本格的な物作り出して、いざ完成して外堀に水流したらすごく子供が集まった…。図書館で小声で読み聞かせしてもらってた時も気付けばよその子が「次これ読んで」って絵本持ってくるし…。ブランコ押してもらってれば、勝手に列作って並ばれてるしでさ~。ちょっと遊んであげた子が家までついてきちゃった事もあったなぁ…。」
「そんな子いるの!?」
ビックリするフーリに実歩ちゃんが言った。
「いるよ~!あたしは、凪ママに寄ってく子達の気持ち、凄く分かるなぁ…。」
「……。」
フーリは言葉を飲んで、実歩ちゃんを見た。
「…親に相手にされないから、構ってほしいの。「この人、自分を見てくれる!」って思ったら嬉しくなるから!親からの愛情ってさ、無条件に貰える子ばかりじゃないからね…。」
そう言うと布団に大の字に転がった。
「あ~あ!凪はい~なぁ…。あたし、ホントに凪んちの子になりたい…。凪んちで育ったら、あたしきっと幸せだった…。」
「そ、そぉ…?そんな事ないと思うけど…。うちは田舎で、きらびやかなこと何にも無いよ?都会で流行ってるお店とかも、来るのは早くて半年後だよ?」
「あはは…。あたしも岡山のド田舎で育ったから、そう変わんないよ?あたし、ばぁばに育てられたんだ。両親と一緒にいた記憶なんか、殆ど無い。」
「そうなんだ…。」
「そ。FOOLIさんには前に言ったよね。公表してないけど、あたしにはお姉ちゃんがいるんだよね。シンショーの。両親はつきっきりで面倒見てる。つーても、父親はお金稼がないといけないから仕事だけど。母親は施設に預ける数時間以外はずっ~と一緒!あたしは…ずっとばぁばんちで、「お姉ちゃん大変だなぁ…」って思って過ごしてた。だけど、小学校高学年になった時に気付いたんだ。「ずっとばぁばんちに預けられてるあたし、可哀想」って!考えてみれば、授業参観も運動会もぜ~んぶばぁばだった。両親に誕生日を祝ってもらった事も無い。あ、誤解しないで。ばぁばは大好きだよ!でも…。やっぱ、親とばぁばは違うじゃん?ちょっと穴が開いた靴下は、買い直してくれたらいいのに、ばぁばは繕ってくれんの…。物を大事にするって大事だよ。でも、新しいのが欲しいじゃん?ばぁばが作るご飯も美味しくて好きだけど、たまにはジャンクフードも食べたいじゃん?お誕生日にはオシャレな服が欲しかったけど、ばぁばが買ってくれたのは本だった…。ばぁばが…、あたしを大切に育ててくれたのは痛い位分かるんだけど…。そのどれもが…、あたしの望むものと少しずつずれているのが悲しかったなぁ…。ま!それも今となってはゼータクな悩みなんだけどね。」
「そうなの?」
「そ…。ばぁば、三年前に死んじゃった…。歳だから仕方ないって分かってたけど…。こんな事言っちゃダメだって分かってるけど…。家族が一人死ぬなら…、お姉ちゃんだったら良かったのに…。」
「…………。」
「私のお金で小さなお葬式をあげたの。両親はちらっと顔を出しただけ。お姉ちゃんは多分何も分かってなくて、その間施設に預けられてた。あの人、何の為に生きてるのかな…?ばぁばの死後、あたしが育ったばぁばんちはさっさと売られて…。そのお金は全部お姉ちゃんの為に使われた。そんで…ばぁばがいなくなってから、両親から私の所にバンバンメッセージが入るようになった。FOOLIさんと同じだよ。」
そう言って見せてくれたスマホには「電動車椅子代」「実家のバリアフリー工事代」「電動ベッド代」等、あらゆる名目でお金を催促するメッセージで溢れていた。あぁ、そうか…。こういう所で、フーリと実歩ちゃんは共鳴したんだ。だから、フーリは実歩ちゃんと一緒に行動するのを良しとしてたのか…。
「すごいでしょ?あたしには何もしてくれないのに、寝たきりのお姉ちゃんには色々してあげるの!ばぁばが死んでから、ばぁばが私を必死に守ってくれてた事に気付いたよ。むかぁし…、中学の入学式の前日に、母親が来てくれた事があってね…。卒業式は来てくれなかったから、明日は一緒に行ってくれるんだと思って喜んだら、言われたわ。「貴方ももう中学生になるから言っておくね。私達親は先に死ぬから、その時は残されたお姉ちゃんをお願いね」って!「その為にお前を産んだ」とまで言われて、目の前が真っ暗になったわ…。「冗談じゃないっ!」って。私から両親をとっただけじゃ飽き足らず、あの人が死ぬまであたしの人生はあの人に食い潰されるのかと思ったら…たまらなかったわ。だから…、あたし決心したの。家族を捨てよう、って。あたしに愛情をくれず、縋ってくるだけの人達なんていらない!勿論…、そのまま縁を切ってもうるさいだろうから、あの人を施設に入れて一生面倒をみてもらう分のお金を渡すつもり。手切れ金ってやつ?分かる?あたしにはお金が必要なのよ!」
きっぱりと言い切った。儚げに見える実歩ちゃんの芯は、燃えるように熱かった。
「それなのにっ!ここに来て、「パパ活女子」とかレッテル貼られてさっ!大メーワクッ!あたしがっ!?いつっ!?どこでっ!?誰とっ!?パパ活したんだっつーの!!そんな事する暇もなく、こっちはドラマ撮りしてたっつーの!くっそ~っ!!!あのドラマのせいで~!!あたしの輝かしい芸能人生活が~っ!!ムカツク~!仕事持って来たマネージャーも、なぁにが「女優椎野の新境地を切り開け」だよっ!お前のいう事聞いたあたしは今、バッシングの嵐だっつーの!世の中、ドラマと現実を混同する馬鹿ばっか!そんでもって…、あたしがこうなったら、事務所も違う子プッシュしだしてさ~!マジムカツクッ!」
「そうなの?」
「そうだよっ!FOOLIさんのラジオもその子が代打でしょ?あたしが内定してたブランドバッグのイメージキャラクターもその子になったし…。」
そこまで言って、「はぁぁ~あ!」とおっきな溜め息を吐いた。
「勢いがある時だけ推して、いらなくなったらポイッ!世間なんて、そんなもの…。分かってるよ…、あたし達は商品だって…。だから…、あたしもFOOLIさんも商品価値が落ちたらそこまで。だ~れもあたし達の事なんか必要としないんだ。」
「そ…、そんな事ないっ!」
「凪…?」
フーリがビックリする位、大きな声が出た。だって、聞き捨てならなかった。
「み、皆が皆、そうじゃないよっ!だ、大好きで応援してるファンは、ずっとその人の事大好きで応援してるよ!」
「ハッ!そ~んな訳ないじゃん!毎年どんどん新人が出てくるワケ~。売れない奴はその波に押し流されて、皆の記憶から消えていくのよ。」
「それでもっ!ずっと好きなファンだっているもんっ!」
「いないよ、そんな人。世間にはミーハーしかいない。」
「いるもんっ!マ、ママがそうだもんっ!私が生まれる前にとっくに死んでるさっちゃんのこと、ずっとずーっと大好きだもん!」
「さっちゃん…?誰それ?」
ほら、さっちゃんに対する世間の反応はそんなもんだ。
「さっちゃんはママの永遠のアイドルだよ。カラオケに一曲も入ってないマイナーなアーティストだけど、ママはずーっと推してるんだ。綺麗なさっちゃんを見れば目の保養で疲れが飛ぶし、歌を聴いたら元気になるんだって!ママがずっと聴いてるせいで、私もさっちゃんの曲歌えるよ。ママはね…、昔、さっちゃんがラジオで言ってた『子供笑うな、来た道だ。年寄り笑うな、行く道だ』を守って生きてるんだって。だから、知らない子に公園で付きまとわれてもちゃんと相手するんだって。昔、言ってた。「あの子達を「迷惑」の一言で片づけちゃったらそこまでだけど、同じ人間なんだから話してみればいーのよ。だって、さっちゃん言ってたもの。「話せば分かる」って!だから、私もそうしてるの。だって、いつかさっちゃんに会えた時に胸を張って「ファンです!」って言いたいじゃない?」って…。」
言いながら、ママは馬鹿だと思った。もうとっくに死んでるさっちゃんに会える日なんて来やしない。会えるとしたら、それは自分が死んだ時だ。
「…ふ~ん…。凪ママそういう人なんだ…。」
「うん。さっちゃん教って言ってる。」
「宗教なんだ…」
やや呆れたようにフーリが言う。
「うん…。でも、ママ言ってたよ。「好きなまま長くいられるのは幸せ」だって。ママの友達が推してた芸能人はクスリや犯罪で捕まったから、その友達は幻滅して推すのを辞めちゃったんだって。沢山集めてたグッズもみんな捨てたんだって。それを考えると、ファンを幻滅させずに人生を終えたさっちゃんは神様だって。憧れの人がいつまでも憧れの対象でいてくれるとは限らないからこそ、二人には頑張って欲しいよ…。だって!二人は何も悪い事してないじゃん!毒親や世間なんかに負けないでよ!」
そう、私はもっとフーリの曲を聴きたいし、実歩ちゃんの演技も見たかった。
「ふ、ふ~ん…。ま、あたしもこんな所で終わりたくなんかないし~」と実歩ちゃんが言った時、私のスマホが鳴った。画面に郁美ちゃんの名前が表示される。
「もしもし?」
私はスマホを持って部屋の隅に行った。
「凪~、元気~?」と聞く声に元気が無い。
「うん…。郁美ちゃんは?」
「ダメ~…。あのさ~、前会った時「今度、彼氏紹介する」って言ったじゃん?」
「うん。」
「あれ、ダメになった~。てか、アイツ彼氏じゃなかった~。」
「???」
状況が飲み込めない。
「あのね~、ちょっと前に朝のテレビで新幹線で観光地に行く人達のインタビューしてたの。」
「うん…」
話が見えない。
「そこに彼氏が家族連れで映ってた…。ビックリして電話したけど繋がらなくて…。鬼電して漸く繋がったら言われた。「遊びだった、ごめん」って。「でも、お前も楽しい時間が過ごせて良かっただろ」って言われて…。「ふざけんな!死ねっ!」って言って切って、それっきり…。親にもこっちの友達にも内緒にしてたから、凪にしか言えないんだけど…。つらいよ~!うちらはさ~、田舎の女子高育ちだから、オトコに免疫無くて騙されやすいんだ…。私が言えた立場じゃないけど…、凪も気を付けなよ。」
「うん…」
あまりの事に慰めの言葉が出なかった。
「も~辛すぎて、夏休みだってのに家に籠ってずっとFOOLIの曲聴いてるよ…。」
確かにさっきからずっと後ろで聞こえてる。そこで私は思い切って、通話をスピーカーに切り替えた。スマホから、FOOLIの曲が流れ出す。二人がビックリしてこっちを見た。
「「いらない」と放り出された先にある 鈍色の空
冷たく深く広がるそこで 生まれた雲が僕に言う
大丈夫 君は一人じゃない
鈍色の空が流す雨は涙だ
僕の心を洗い流す
優しく 激しく ときに非情に
泣いて 流れて
いつか一緒に空へ還る―― 」
「は~、たくさん泣いたよ…。FOOLIも大丈夫かな?このまま歌うのやめちゃうのかな?折角“凪いでる凪”が夢中になれる人見付けたのに、残念だね…」
電話の向こうで郁美ちゃんが言う。ちょんちょん、と肩をつつかれた。振り向くとフーリがすぐ近くにいた。自分を指差してから、スマホを指差す。どうやら「でてもいい?」と聞いてるようだ。私は頷いた。
「こんばんは。心配してくれてありがとう。今はまだ…これからを考えきれてないから何とも言えないけど、曲作りはやめないから…。良かったら、また曲聴いて下さい。」
「うぇっ!?FOOLIっ!?ファッ!?えっ!?…どゆこと!?凪っ?えっ!?今、どこにいるの?」
電話の向こうで郁美ちゃんが混乱してる。そりゃ、そうだ。友達に電話して、芸能人が出るとは普通思わない。
「おばあちゃんち。」
「堀切の?」
「そ。」
「わ、私も行きたいっ!!行っていい?」
「郁美ちゃんなら大丈夫だと思うけど…。待って!一応、おばあちゃんに聞いてくる。」
私は慌てて立ち上がり、おばあちゃんの部屋に行った。おばあちゃんはエプロンのほつれを縫い直してた。
「どした?」
「あ、あのね…。昔、ここでお泊りした郁美ちゃんいるでしょ?」
「あぁ、新田の。」
「うん。郁美ちゃんもお泊りしていい?」
「いいよ。人手が多いにこしたこたぁない。」
「やった!ありがと。おやすみなさい。」
それから通話を続けた。
「いいって!でも、草取りあるよ?」
「知ってる!ジャージ持参で行くよ!」
さっきまでの消沈ぶりはどこへやら、元気になった。
Ⅸ
翌日。郁美ちゃんは九時前におばあちゃんちにやって来た。
「おばさん、おばあちゃん、お久しぶりで~す!あ、これうちの母から…」
いそいそとデパートの紙袋を手渡す。
「いらっしゃい。大きくなったね~。昔はこんなに小さかったのに~。」
おばあちゃんは手で腰より低い位置を示した。いや、昔もそこまでは小さくはなかったし!そこで気付いた。パパがいない。
「パパ?もうとっくに会社に行ったわよ~。」
ママがあっけらかんと言う。
「え?休みじゃなかったの?」
「うん。パパの休みは来週になってから。昨日はあくまでも向こうでの商談の為に直行直帰だっただけよ~。」
……。それをいいように足に使ったのか…。ちょっとパパが不憫に思えた。ま、気を取り直して。居間で麦茶を飲んでいた二人に郁美ちゃんを紹介しようとしたら、郁美ちゃんが叫んだ。
「ああっ!椎野実歩っ!なんでっ!?うわっ!顔ちっさ!!」
「ふふっ。ありがと~。椎野で~す。よろしくお願いしま~す。」
両手をひらひら振って、ファンサービスはバッチリだ。
「かっ!かわわ!『今日も晴天』見てました!『flower』も買ってます!」
前者は実歩ちゃんが出てた朝のドラマ、後者はモデルを務める雑誌名だ。それから、また叫んだ。
「ああっ!FOOLI!本物だ~!うわ~っ!!ファンですっ!お怪我大丈夫ですか?ファーストライブ、チケット取れたのにあんな事になっちゃって残念です…。でもっ!また次回があるって信じてますからっ!」
ガッツポーズをしてから、自分がまだ名乗ってない事に気付いたようだ。
「あっ!私、凪とは幼稚園の時から友達の佐藤郁美です。宜しくお願いします。」
「佐藤?」とフーリが言った。
「凪も佐藤だよね?いとこかなんか?」
「「全然。」」
私と郁美ちゃんは同時に言った。
「ここら辺は、佐藤ばっかだよね。石を投げれば佐藤にあたる。」
「うん。だから、友達は皆、下の名前で呼ぶし、親は屋号で呼ぶよね。」
「あ…。昨日言ってたホリキリとかシンデンって、それ?」
「そうです。」
「へー。」
そんな話をしながら、私達は作業着に着替えた。私と郁美ちゃんは中学時代の芋ジャージに薄手の長袖Tシャツだ。フーリと実歩ちゃんはママが押し入れから出してきたズボンと麻のシャツ。首からタオルを巻き、麦藁帽を被せられた後、軍手と鎌が支給される。
「したっけ、先ずは庭から。終わったら、畑の方もよろしく。」
「「「「は~い。」」」」
私達は庭に出た。
「植えてあるお花を雑草と間違って刈らないでね~。」
ママが言う。
「ヨユー!」と実歩ちゃんが言って指差す。
「これはヒルガオ。ニワホコリにコススメガヤ。チチコグサにスベリヒユ。」
「あんれ!アンタ、詳しいね!」
おばあちゃんが目を丸くする。私も驚いた。
「はいっ!あたし、小学校の夏休みに、ばぁばんちの庭にある雑草引っこ抜いて植物採集やったんで!」
…成程。納得した。実歩ちゃんはおばあちゃん子だったんだ。
「ふーちゃんはこっちに来て。一緒に収穫しましょ。」
そう言って、ママはフーリを畑に連れて行った。もぐだけなら、右手だけでも出来るもんね。私達は、鎌を持って伸び放題に伸びた庭の雑草退治を始めた。郁美ちゃんが聞く。
「凪。なんで、FOOLIと実歩ちゃんがいるの?」
「それは~…。話すと長いんだけど…。」
種をこぼすゴウシュウアリタソウを取って大きなビニール袋に入れながら、私は引っ越してからの話をした。
「ふう~ん…。そんな事が…。ハッ!という事は!ライブに誘った時はもう凪とFOOLIは友達だった、って事!?」
「うん…。」
「…!マジか~!私が貸した漫画みたいな事ってあるんだね!ビックリ~!事実は小説より奇なりとは良く言ったもんだ。」
「何々~?何の漫画~?」
「推しと知り合いになったり、家族になる漫画です。読みますか?」
「なんてタイトル~?」
そんな話をしながら、作業は進んだ。庭は広い。なかなか終わらない。
「あんた達~。休憩しな~!」
おばあちゃんが呼んでいる。私達はタオルで流れる汗を拭いながら縁側に行った。切られた西瓜があった。フーリは先に待っていた。
「暑いからね。塩振って食べんさい。」
「「「「いただきま~す!」」」」
私達は口々に言って、西瓜を頬張った。良く冷えてて美味しい。
「はー!!五臓六腑に沁みわたる~!」
実歩ちゃんが言った。
「やだ、おじさんみたい~。実歩ちゃんもそういう事言うんだ!?」
郁美ちゃんがビックリしてる。
「言うよ。むしろ、こっちがあたしだし~。テレビでは求められた役をやってるだけ。」
そう言って、ププッと勢いよく種を飛ばした。
「いえ~い!一メートルはいったな!」
元気いっぱいだ。
「確かに~。パパ活してるなんて、実歩ちゃんのイメージに合わないもんね。」
郁美ちゃんが何気なく言った一言に実歩ちゃんが食いついた。
「ホントッ!?」
「え?うん…。だって、朝ドラの花ちゃんはひたむきな子だったじゃないですか?モデルやってる雑誌の実歩ちゃんのコンセプトも“恋に仕事に頑張るワタシ”だし。誰かに縋ってる実歩ちゃんなんて、解釈違いって言うか~。だから、最近やったドラマは見なかったです。」
「おおお~!!ありがとう!」
「え?はぁ…、どういたしまして…。」
どうしてドラマを見なかった事でお礼を言われたのか良く分からないまま、郁美ちゃんは頭を下げた。でも、郁美ちゃんから言われた言葉が実歩ちゃんを元気づけたのは確かだ。世間に垂れ流されるマスコミ記事を鵜呑みにせず、ちゃんと見ててくれる人がいる。それが分かって嬉しかったんだと思う。
それからまた草取りして、お昼に素麺食べて、草取りしてから上がった。汚れてたから、早めにぬるめのお風呂に入った。夕飯は天麩羅を食べて、それから郁美ちゃんが持って来た花火をやった。線香花火対決は最後まで身じろぎ一つしなかったフーリが勝った。
そうして夜。八畳に寝転んで色々な事を話した。フーリと毒親。実歩ちゃんと世間の反応。郁美ちゃんと彼氏(?)の話。私の就活話。それで分かったのは、私達は常に何かと戦って生きていると言う事だ。
「そういえば、昔ばぁばが言ってたな。「男は敷居を跨げば七人の敵あり」って。それって、女にも言えるじゃんね~。」
実歩ちゃんが言う。
「確かに~!男はさ、女に生まれた方が人生イージーモードって言うけど、そんな事ないよね~。」
「ん。男でも女でも先ずは親ガチャに勝利できるか否かでしょ。」
「ほんとそれ!こっちは親を選べないのに、「選んで生まれてきた」みたいな絵本見ると吐き気がするわ!」
実歩ちゃんが吐き捨てた。ストレス溜まってるな~…。その時、ピコンと音がした、実歩ちゃんがスマホを見て「ふざけんなっ!」と布団の上に放り投げる。
「どうしたの?」
「どーもこーも!あのドラマのせいで、ドラマの前に入ってた雑誌の仕事が最後で、今オファーがゼロだからって、マネージャーがヌード写真集の話持ってきやがった!」
激オコだ。
「は~っ!あったま来る~!だぁれが脱ぐかってーの!」
ヤバい…。近所にコンビニが無くて良かった。これはストロング缶を飲みまくる勢いだ。
「うわ~…。ゲーノー界こわ…。闇を見てしまった…」と郁美ちゃんが言ってから続けた。
「自分で好きな仕事出来ないんですか?」
「うちらはオファーがあって、ナンボだもん…。求められなきゃ、なんも出来ないよ~。」
「そうなんですか?実歩ちゃんの事務所は動画配信とかやっちゃダメなんですか?私の推しの翔君は最近始めたんですよ~♪歌ってみたとか雑談配信してくれて、すっごくいいんですよ~♪」
隙あらば布教、とばかりにスマホを見せた。
「誰これ?知らないな~…」と実歩ちゃん。郁美ちゃんが凹む。
「あ~…。舞台がメインの人なので…。でもっ!顔がいい!」
「確かに~。」
「でしょでしょ!!歌もダンスも上手いんですよ~!見て下さい、このキレッキレのダンスと跳躍力を!」
推しを語る郁美ちゃんは活き活きしてる。そう、人生に推しがいるって嬉しい事なんだ。暫く動画を見せられてた実歩ちゃんが言った。
「動画配信か~…。オファー来るのを待ってるより、こっちをやった方が良さそう!よっし、ちょっと聞いてみる!」
そう言うと、どこかに電話を掛けてた。しばらく言い合った後に切って、こっちを向いた。
「今はあたしより須田に力を入れてるから、好きにしていい、って!」
ガッツポーズだ。ちなみに、須田とは実歩ちゃんとFOOLIの事務所の後輩だ。変顔が可愛い十七歳として、現在あちこちに引っ張りだこだ。
「ね、FOOLIさんも一緒にやりません?」
「え…?」
「勝手にあれこれ言われて、マスゴミに適当な事を書かれるより、自分の言葉で言いたい事を言いたいじゃないですか!」
「それは…そうだけど…。この顔で人前に出るのは…」
言葉を濁すフーリに郁美ちゃんが言った。
「あの…。FOOLIさんはこれを機にバーチャル配信者になったらどうですか?」
「バーチャル配信者?」
「はい。ガワを用意するのが大変なら、最初はイラストだけでもいいと思うんですけど、本人は声だけでも、そこに絵があるのと無いのとでは大違いなので!そ、それに…!顔の傷もバーチャルなキャラならキャラ付けの一環で済みますし!ほら、現代の陰陽師とか闇落ちした天使とかぶっ飛んだ設定の人、結構いるんですよ…」
そう言って、スマホを見せる。
「へぇ…。」
フーリはまじまじと見入ってた。
「ありかもね…。」
「はいっ!是非っ!またFOOLIさんの歌聞きたいです!」
「でももう、ピアノ右手でしか弾けないし…」
「大丈夫ですよ!」
郁美ちゃんが大きな声で言った。
「ほら!このソフトを使って打ち込めば、片手でも作曲は出来ます!これを機に全部デジタル移行しましょう!」
「……!!」
フーリはビックリして郁美ちゃんを見た。それから笑った。
「ありがとう。諦めるのはまだ早いって分かった。少しずつやってみる。」
「はい!私に手伝えることがあったらしますんで、なんなりと言ってください!」
郁美ちゃんがガッツポーズした。昔からそう、郁美ちゃんはフットワークが軽くて活き活きしてる。羨ましかった。だから、言った。
「わ、私も…!フーリの手伝いがしたい!」
「ありがとう。でも、凪はこれから就職活動もあるだろうし…」
「そうだよ。自営やってるうちと違って、凪んちはちゃんと就職しないと駄目なんじゃないの?」
「で、でも…。」
「まぁまぁ。凪パパが来た時にでも、相談してみたらい~じゃん♪」
実歩ちゃんがそう言うから、後日パパが来た時に切り出した。
「本気で言ってるのか?」
「…うん。フーリの活動の手伝いをしたいと思って…。」
「大学はどうするんだ!?就職活動は?」
「本気でやるなら、どっちも辞めてもいいかなぁ~って…。」
「凪っ!お前は社会に出ると言う事を分かってない!いいか、新卒というカードは人生で一度しか使えないんだぞ?新卒で入社するからこそ、受けられる研修もある。新卒入社したいから、就職浪人する人だっているというのに、お前はそれを捨てるのか!?いいか、イマドキ大卒なんて掃いて捨てる程いる。それでも親が大学に行かせるのは何故だと思う?大学での学びも大事だ。だが、決定的なのは大卒と高卒では生涯賃金が大違いだからだ。子供の門出の為、最後に親が持たせてやれるのが大卒と言うカードだと俺は思っている。」
「………。」
いつもは穏やかで優しいパパの語気が荒かった。
「今は芸能人と知り合いになれた高揚感でそんな事を軽々しく口にしてるのかもしれない。FOOLIさんへの同情心だけで進路を決めたら後悔するぞ。FOOLIさんを責める日が来るかもしれん。それでもいいのか?」
「……。」
私は正座して太腿に載せていた手のひらをぎゅっと握った。
「こ…、後悔は、きっとすると思う…。」
「凪…」とフーリが言った。ゴメン、フーリ。でも、最後まで聞いて。
「で、でも…。やらないで後悔するより、やって後悔したい!だって…私、エントリーシートの志望動機欄、なかなか書けない。何とか書きながらも『本当に私、この会社で働きたいのかな?』っていつも思ってる。書いてる内容が薄っぺらいって、自分でも分かってる。だから落ちるのかもしれない…。でもっ!フーリを手伝いたい理由なら、原稿用紙百枚は書ける!」
「凪…」
今度はママが言った。針の筵にいるみたいで落ち着かない。声が震える。でも、続けた。
「わ、私…、大学に入った時、思い描いてたキャンパスライフと全然違って、がっかりした。リモートばっかりだから友達も全然出来なくて…。バイトもロクなの無いし。話し相手が欲しくて、毎日孤独だったよ…。あのままの生活が続いてたら…私、きっとうつ病になってたと思う。でも…、フーリに会えたの!フーリに会ってから、毎日楽しかった。こんなに感性が似てる人に会ったの初めてだったし。私、初めて「この人を好き!」って強く思った。だから…、折角見付けた大好きな人が困ってる時は力になりたい!」
「“凪いでる凪”だもんね~」と郁美ちゃんがチャチャを入れた。
「凪いでる凪…?」
「はい。昔から凪は感情がフラットで何にも関心を示さないから“凪いでる凪”って言われてるんですよ。私も長年一緒にいますけど、凪が何かに熱中してるの見たの、FOOLIさんが初めてです。だから…その…、おじさんも凪のそういうの大事にしてあげて欲しいな~、って思います。部外者が横からすみません…。」
「確かに~。そう考えると私にとってのさっちゃんが、凪にとってのふーちゃんなのかもね。」
ママはそう言うと、パパに向き直って言った。
「ねぇ…。親馬鹿かもしれないけど、凪の好きにさせてあげて。貴方には分からないかもしれないけど、推しってすっごいパワーをくれるの。折角凪がやりたい事を見付けたというなら、やらせてあげたいわ。やった結果、後悔する事もあるだろうけど、若い時に無茶しなくていつするの?やりたい事を押さえつけて、この間貴方が言ってた部長さんみたいになっても困るじゃない。」
「う…!」
「部長さん…?」
実歩ちゃんがきょとんとする。
「あのね…。親に言われるまま進学してエリートコースを進んで来た部長さんがいるのだけど、取引先と一緒に行ったキャバクラにハマっちゃってね…。それまで全然遊んでこなかった人だから、営業トークを真に受けて…。奥さんも子供もいるのに、キャバ嬢に貢ぎまくったらしいのよ。それで…、手持ちでは足りなくなって会社のお金にも手を付けて…。これまでの業績があったから、全額返金する事で警察沙汰まではしない事になったけど会社はクビ。奥さんにも愛想尽かされて離婚。勿論、キャバ嬢には相手にされなくて…っていう…。」
「うわ~…。最悪…。」
「そんな風にならない為にも、やらせてあげたらどうかしら?私達が大学生の時はもっと色々やれてたわ。貴方だって、ツーリングで北海道一周とかしてたじゃない。でも、凪は…。このご時世で友達と旅行にも行けずに大学生活を終えようとしてる…。我慢ばっかりしてたのよ。だったら…、今更だけど大学でのサークル活動みたいなものと考えて、ふーちゃんの活動の手伝いをさせてあげたらどうかしら?」
「………。」
パパが苦虫を噛み潰したような顔をして口を開いた。
「確かに…。だが…、一つ条件がある。」
「何?」
「就職活動はいい。だが、大学はきっちり卒業しろ。それが出来るなら、FOOLIさんの活動を手伝ってもいい。」
「わ、分かった!」
私は大きく頷いた。必要な単位はほぼ履修済みだし、最大のネックの卒論の目星も大体ついている。何より、就活が無くなるなら、その分の時間を回して色々出来る。
「パパ、ありがとう!ママもありがとう。」
私はぴしりと指を揃えてお辞儀した。人生で初めてする土下座だった。それから顔を上げて言った。
「この先多分…、私は何度も「あの時、パパの言う事を聞いておけば良かった…」って後悔すると思う。でも…。それでも…、やっぱり「あの時やらないよりはやって良かった」って言えるように頑張る!我が儘を聞いてくれてありがとうございます。」
「あぁ…可愛い子には旅をさせよ、と言うからな。お前は俺にとっての可愛い我が子だ。本当にやりたい事なら応援する。それに…俺はまだあと十年ちょっと働ける。だから、最悪の事態に陥ってもまだ少しなら、お前に脛をかじらせられるから安心しろ。」
「…そうならないように頑張る!」
「あぁ、頼む。」
一連のやり取りを見ていた実歩ちゃんが言った。
「いいなぁ~、家族愛!あたしもこういう家庭に生まれたかったよ!」
「…君の親御さんも、きっと君を愛してるんじゃないかな?」と言ったパパを実歩ちゃんはバッサリ斬り捨てた。
「そ~んな訳ないです!家族の中であたしだけ、ずーっとばぁばんちだったもん!そうやって家族から除け者にされてたのに、今現在、お金だけ無心されてるんですよ?も~、絵に描いたような搾取子で笑っちゃう!でも、い~んです、私は家族を捨てるから!」
「……。」
誰もが黙った。
Ⅹ
おばあちゃんちでの生活は六日目。おばあちゃんちの庭も畑も綺麗になって、明日は帰る日だ。朝ご飯を食べながらママが言う。
「明日の朝早くに出るから、貴方達帰る支度しといてね。」
「あんれ!もう明日帰る日かい?」
「そうよー。」
「そうか…。残念だねぇ…。昔みたいに家に活気があって楽しかったんだけど…」
しょんぼりとおばあちゃんが言う。それを聞いたフーリが口を開いた。
「あの…。もし、よろしければ私をここに住まわせてもらえませんか?」
「「「「「ええっ!?」」」」」
これには皆、ビックリだ。おばあちゃんだけはにこにこして言った。
「そりゃあ、いい!部屋は余ってるんだ、好きなとこ使っていいよ。ふーちゃんがいれば話し相手にことかかないし、素麺が吹きこぼれないようにみててもらえる。最近は独居老人を狙った詐欺も多いって聞くけど、若い人が常駐しててくれたら安心だ!ずっといていいよ!」
「お母さん…。」
「そんなぁ~!FOOLIさん…!家はどうするんですか?」
「借りてる部屋は親に住所知られたみたいだし、解約するよ。お願いしていいなら、手続きを凪に頼みたい。大事な物はキーボード位しかないから、それだけ送ってもらって後は処分してくれて構わない。それで…、こっちでパソコンと音楽ソフトを買って使い方を学んでから、また曲を作ろうと思ってる。」
「拠点を移すってこと?」
「うん…。ネットを主戦場にするなら、首都圏にいる必要は無いし。流石にここまでは親も追ってこないんじゃないかと思って…。何より…。ここにいると気分がいいの。周りは田んぼと畑と山で空が広くて、人目を気にせず、のびのびできる。」
「そうだろう?何も無い田舎だけど、何も無いってすごいことなんだよ!」
おばあちゃんが胸を張る。
「んん~、お義母さんがいいならいいと思いますよ。」
味噌汁を飲みながらパパが言った。
「そうねぇ…。確かにふーちゃんが一緒にいてくれるなら、お母さんになにかあってもすぐ連絡貰えるし…」
ママはブツブツ考え事をしてる。
「えー!あたしもFOOLIさんと一緒がいいよぉ~!」
実歩ちゃんは不満げだ。
「あっ!じゃあ、私FOOLIさんのパソコン来るまで、ここにいてもいいですか?FOOLIさん片手じゃセッティング大変でしょ?おばあちゃんじゃ分からないだろうし。」
「それは…助かる。」
「任せて下さい!」
郁美ちゃんが胸を叩く。ううっ、羨ましい…!私だってまだフーリといたい。でも、一週間休んじゃったバイトが待っている…。
「うーっ!!」と実歩ちゃんが叫んだ。
「あたしも負けないっ!よぉ~っしっ!凪、あたしの動画配信手伝ってよね!」
そう言うと実歩ちゃんは簡単に配信も出来るアプリをインストールしてアカウントを作った。そして、そのURLをここ最近放置していたアプリで呟いた。
『久しぶりの投稿になってしまいましたが、こちらでアカウント作りました。話したい事があるので、聞いてほしいの。配信日時が決まったら、こちらで告知します。』
さっき作ったばかりのアカウントのフォロワー数が瞬く間に増えてゆく。記事のネタを探すマスコミ関係者もいるのだろうけど、純粋なファンもきっと多いんだろう。
そんな感じでフーリと別れ、私と実歩ちゃんは関東に戻った。私はバイトの合間にフーリに預かった鍵を持って部屋の解約手続きと不用品の処分。実歩ちゃんは決意を固める為、家族に会いに行くと言っていた。一週間後に落ち合う約束をして別れた。
*****
一週間後。夜にライブをやると告知をしていた実歩ちゃんと落ち合った。事務所の会議室を貸してもらえる事になったからだ。実歩ちゃんは浮かない顔をしていた。
「どうしたの?顔色悪いよ?具合が良くないなら、今日の配信はやめた方が…」と言う私に実歩ちゃんは首を振った。
「ううん…。いいの。今のこのぐちゃぐちゃも全部吐き出して楽になりたい…。」
そう言う実歩ちゃんの手には、コンビニで買ったであろうストロング缶が入ったビニール袋があった。事務所から飲酒は禁じられてた筈。不安になる。
私はスマホを固定し、実歩ちゃんの顔色が良く見えるようにライトの場所を移動した。今の私に出来るのはこれが精一杯…。
配信予告時間の二十一時が近付く。実歩ちゃんは深呼吸するとソファーに座った。隣りには何やら大きな鞄。
二十一時丁度。
「はい、どうもお久しぶりです。椎野実歩で~す。先日作ったこちらを早速フォローして下さった皆さん、どうもありがとうございま~す。ちゃんと見えてる~?」
にこやかに手を振って、実歩ちゃんが話し始める。目の前で話す実歩ちゃんを横目で見ながら、私は手元にある自分のスマホを見る。うん、大丈夫。ちゃんと映ってる。
「なんか…、少し前に出たドラマのせいでパパ活女子代表みたいな言われ方してショックです…。そのせいで、かなりお仕事無くなりました…。」
しょんぼりと現状を話す。守ってあげたくなるような儚さだ。だが、次の瞬間、表情が変わった。
「ショックです…って言うより、「ふざけんなー!」って感じ!ドラマと現実の区別がつかない人多すぎっ!そんな人達にはエンタメを楽しむ資格はないんじゃないですかね?ドラマはドラマ!フィクションなの。分かる?私はパパ活なんてしてないし、不倫もしてませんっ!マスコミの皆さんは憶測で記事を書くのをやめて下さい!あと、匿名だからって好き勝手に誹謗中傷書く人も全員訴えてやりたい気持ちでいっぱいです。」
ここで、すーっと深呼吸。
「どうせ黙ってても勝手に調べて好き勝手に書かれるくらいなら、自分から言った方がちゃんと自分の言葉で伝わると思うので、言わせて下さい。私がパパ活とか不倫とかを絶対にしないのは、そんなスキャンダルで自分の価値を落としたくないからです。私は生涯賃金十億を稼ぎたいっ!そう、私にはお金が必要なの!何故なら…、私には難病のお姉ちゃんがいるから!初めて聞いた?そうだよね~、言ってないもん。言えないよね~。」
そう言うと鞄をゴソゴソして何かを出した。写真だった。
「見えるかな?」
そう言って、グイっとカメラの方に押し出す。そこにはベッドに横になる女性が映ってた。
「これがあたしのお姉ちゃん。自分じゃ殆ど動けません…。だから、母親がつきっきりで看病してるの。父親は治療代の為に頑張って仕事してるよ。あたしはね~、そんな家族からはじかれて育ちました。あたしを小さい頃から育ててくれたのは、ばぁばちゃん。ずっとばぁばんちで、「お姉ちゃん大変だなぁ…」って思って過ごしてたんだー。でも、小学校高学年になった時に気付いちゃった。「ずっとばぁばんちに預けられてるあたし、可哀想」って!授業参観も運動会もぜ~んぶばぁばだった。両親に誕生日を祝ってもらった事も無いし、行事に来てもらった事も一回もありません。だから、クラスメイトに親はいないと思われてたと思う。」
ややおどけて言った。
「そんな感じで接点が無かった母親が、中学の入学式の前日に来てくれた事があってね…。卒業式は来てくれなかったから、明日は一緒に行ってくれるんだと思ってすごく嬉しかったの。でも、そんな気持ちは一瞬で打ち砕かれた。「貴方ももう中学生になるから言っておくね。私達親は先に死ぬから、その時は残されたお姉ちゃんをお願いね」って言われたから!「その為にお前を産んだ」とまで言われて、目の前が真っ暗になったあの日を忘れない。あたし、その時思ったのよ。「冗談じゃないっ!」って!私から両親をとっただけじゃ飽き足らず、あの人が死ぬまであたしの人生はあの人に食い潰されるのかと思ったら…たまらなかったわ。だから…、決心したの。家族を捨てよう、って。あたしに愛情をくれず、縋ってくるだけの人達なんていらない!って。勿論…、そのまま縁を切ってもうるさいだろうから、あの人を施設に入れて一生面倒をみてもらう分の手切れ金を払ってやる!ってね!」
そう言うと、今度は鞄から通帳を出した。口座番号は見えないようにカラフルなマスキングテープで隠してある。でも、預金者名はしっかり「椎野実歩」とある。それを開いた。
「見て~!この送金の記録!すごくない~?稼ぎの大半、仕送りで消えてま~す!」
パラパラめくって見せてくる。十万、三十万と十万単位で何度も何度も送金されていた。
「『はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る』って言ったの誰だっけ?石川啄木?正にそれ~。どんなに稼いだって、ぜーんぶお姉ちゃんでなくなっちゃう!」
そう言うと、今度はスマホを出して、ショートメールの画面を見せる。
「こっちも見えるー?」
そこにあるのは「電動車椅子代」「実家のバリアフリー工事代」「電動ベッド代」等、あらゆる名目でお金を催促するメッセージ一覧だ。
「あたしが親からもらう連絡はこんなんです。金ヅルだよね…。そんなあたしだから、FOOLIさんの歌がささったの。「一人じゃない」って言われる度、何度も元気をもらってたよ。それなのに…、あんな事になって…。あたしもFOOLIさんも、自分じゃどうにも出来ない親ガチャ大外れ組です…。」
大きく溜め息をつく。俯いて、しばらくの無言。
「は~、ダメだ…。ちょっと失礼します…。」
そう言うと一旦フレームアウトして、こっちに来た。小さな備え付けの冷蔵庫からストロング缶を取り出して持って行く。プシッと勢いよくプルタブをひくと、一気に飲んだ。勢いがよすぎて、口の端から零れてる。ダンッ!と飲み干した缶を置くと、右手で口元を拭って、こっちにあるカメラをまっすぐに見た。
「こんな家族、いらない!ってずっと思ってた!有名になって大金稼いで捨ててやる!ってずっと思ってた!でも…。今回、さよならを言いに行って気付いちゃったんだよね…。あたしはあたしなりに家族に大事にされてたんだって…。」
「これ見て…」
そう言って、実歩ちゃんが見せて来たのは、スマホの写真フォルダだ。どんどんスワイプしていく。煩雑で散らかった家の中が映っていた。白髪交じりのやつれた女性が映っていた。疲れ切った男性の姿があった。
「これがうちの両親。両親が二十五の時の子があたしで、あたしが今、二十三だからまだ五十前なのにすんごい老けて見えない?そんだけ…苦労してるんだよね…。お姉ちゃんの病気は全身の筋肉とかが硬くなって骨になっちゃう病気なの…。怪我した所の皮膚の下が腫れたり硬くなったりして、熱が出るんだって。そんでどんどん動けなくなるの…。だから、怪我させないようにしないといけないの。でも…、自分で上手く動けないのに、怪我を防止するのも大変だよね。目なんか離せない…。だから、両親は自分の事は後回しなの。お姉ちゃんが大事だから。あたし、こんな家で育ったら宿題も出来なかったと思うし、友達と遊ぶことも出来なかったと思う。だから…、あたしはばぁばんちに預けられたんだよね…。ばぁばんちならさ、あたし、お姉ちゃんに気をつかわず、のびのび出来たもん。遠足も行ったし、修学旅行にも行けた。お姉ちゃんと暮らしてたら、お世話が忙しくてきっと行けなかった!分かっちゃったんだ~…。なんで、母親が中学入学の前にあたしにあんな事言ったのか…。早く大人になって欲しかったんだ。ばぁばがいつまでも生きててくれるとは限らないから…。あたしに、いつまでも子供のままじゃいられない、って自覚を持ってほしかったんだって…。あたしに手をかけてあげられないからこそ、早く自分の力で生きて行けるようになって欲しかったんだって…。よそんちの親子を見てて漸く分かったよ…。」
最後はぽつりと言った。
「中学入る前にそんな事言われたからさ~、あたし、家族を捨ててやる!って思った。その為に手切れ金が必要だって思ったんだ。だから、大金を稼ぐには何になればいいかと思って『13歳のハローワーク』をめっちゃ読んだよ。知ってる?村上龍の?色んな職業あるな~と思った。でも、私には特に際立った才能って物がなかったから、ちょっと困ったよね…。でも、勉強は出来た方が潰しがきくと思って頑張って勉強したよ。で、高校生の時にスカウトされたの。ラッキー!って思った。芸能人になって売れたら、一攫千金でしょ?レッスンは辛かったけど、オーディションに受かって、朝のドラマに決まった時、すっごく嬉しかった!だって、それならばぁばも見るから!毎週「見たよ」って電話が来て嬉しかったよ。あたし、めっちゃばぁば孝行してる!って思った。朝のドラマが終わって暫くしてから…、ばぁば死んじゃった…。悲しかったなぁ…。あたしは一人ぼっちになっちゃった…。悲しむ間も無く、両親から送金メールが来るようになったんだー。それまではばぁばが押さえてくれてたのかと思ったけど、違った…。いや、違くない…。その頃、父親が勤めてた会社をクビになってたんだって…。今回帰って初めて知った。介護があるとはいえ、ちょくちょく休む人は企業にとってはお荷物なんだよね~。そ~んな訳で、それまであった収入が無くなり、貧乏になった椎野家は、藁にも縋る気持ちであたしに連絡をするようになったのです。実歩ちゃんはとっても良い子なので、親が望むままに送金してあげました。椎野家は素敵なATMを手に入れたのです。めでたしめでたし…。」
茶化すように拍手をしてから続けた。
「…あたしは都合のいいATMかよ、と思ってずっとムカついてた。あたしよりお姉ちゃんばっかり優先して、って!大っ嫌いだった。お姉ちゃんも両親も…。だから…、今回、心機一転動画配信を始めるにあたって「これからはお前らの事なんか知ったこっちゃない!」って縁切りに行った筈だったんだー…。それなのに…」
そこまで言うと実歩ちゃんは目を瞑った。涙が一筋流れ落ちた。
「実家になんか行かなきゃ良かった!老けて弱ってる両親なんか見なきゃ良かった!今まで私の事なんか何とも思ってないと思ってたお姉ちゃんになんか会わなければ良かった…!ずっと大嫌いでいさせてくれたら良かったのに…」
泣きながらそう言うと、更にスマホの写真フォルダを見せてきた。
「見て~。分かる?お姉ちゃんのベッドの脇にあたしの掲載雑誌がたくさんあるの。お姉ちゃん、それとかあたしの出たドラマを見ていつも「実歩すごい」って言うんだって。「実歩に会いたいから、リハビリも治療も頑張る」って言うんだって!馬鹿じゃない!?こっちはアンタが憎くて仕方ないのにっ!さっさと死んじゃえばいいのに、って思った事もあるのに…。「アンタなんか大嫌い!」って言ってやりたかったわよ…。でも…、言えなかった…。気付いちゃったんだ…。生まれてくる時、ちょっと神様が間違ってたら、ああなってたのは自分だったんだって…。だって!あたし達は同じ親から生まれてる。遺伝子は一緒。そう考えたら怖くなった…。あたしは五体満足で健康で、学校行って芸能界で仕事出来ててそれなりにハッピーだけど、お姉ちゃんは?何も出来ないまま、どんどん体が動かなくなる病気に震えながら生きてる…。あたしだったら…耐え切れない…!そんな人が…お姉ちゃんが…もうあんまり口も上手に開かないのに、あたしを見て言ったの。「実歩に会えて嬉しい。実歩はすごいね」って…。…バッカじゃない?あたしは家族を捨てに行ったのに、そんなん言われて捨てられなくなって帰ってきたのよ!ねぇ、どうしたらいいの!そんな状況を知ったらもう…捨てられないじゃん…!!」
うえ~ん!と実歩ちゃんは大声で泣き出した。しばらく泣いて、それから鼻をズビズビさせながら言った。
「ダメだ~!!上手く話せない…。もぉ今日はやめる~!また今度~…」
そう言うから、私は慌ててカメラを止めた。慣れてなかったから、ブチンと中途半端に終わったと思う。それから、慌てて実歩ちゃんに駆け寄った。
「…大丈夫?」
「うううう~!!!」
実歩ちゃんは声を上げて泣いた。きっといっぱいいっぱいなんだろう…。平和な家庭で育った私にはかける言葉が見つからなくて、ぎゅっと抱きしめてずっと背中をさすってあげた。昔、おばあちゃんが「手当っていうのは、こうやって手からパワーをあげることなんだよ」って言って、絆創膏を貼ってくれたのを思い出したから。実歩ちゃんの心に貼る絆創膏になれたらいいと思いながらずっと擦ってた。
漸く落ち着いた実歩ちゃんとカメラの片付けをして会議室を出たら、会社の人に捕まった。
「椎野!すごいぞ!トレンド入りだ!」
見せられたスマホ画面に「椎野実歩」が堂々一位で入ってた。関連ワードに「#搾取子」「介護」「難病」「姉」とある。
「きっとまたすぐに仕事が来るぞ!」と言われた。実歩ちゃんは言った。
「そう…。マネージャー、今後はあたしにも仕事の選択権を与えて。」
「を…をう…。」
ちょっとたじろぐマネージャーに向かって実歩ちゃんは言った。
「あと。この子、佐藤凪。今後しばらくあたしとFOOLIさんの仕事を手伝ってもらう事にしたから、名刺作ってあげて。そうして、凪。名刺が出来たらあたしの自叙伝を出してくれる出版社を探しに行って。」
「は、はい…!」
沢山泣いた実歩ちゃんは生まれかわったみたいにスッキリした顔をしていた。私はコンビニのバイトを辞めて、実歩ちゃんの事務所で付き人の仕事を始めた。この日が私が自立記念日になったと思う。
*****
その後。例の配信を見た某医療財団から舞台『ヘレン・ケラー』に出てくれませんか、と打診があった。医療関係の慰問でやる小さな舞台だったのでマネージャーは難色を示したが、実歩ちゃんは「やる」と言って受けた。周りは無名の舞台俳優ばかり。世間の注目度はほぼ無い四公演だけの地方の舞台だったが、これがネット上で話題になった。集中力が無い病児達が釘付けになって見ていた、という医療関係者の書き込みがバズったからだ。「見てみたい!」と言う声が相次ぎ、すぐに再演が決まった。周りが全員無名の舞台俳優だったのが幸いした。売れっ子だったら、そんなにすぐに全員のスケジュールはおさえられなかっただろう。大きな劇場で再演される『ヘレン・ケラー』。魂の「ウォーター!」の叫びに人々は心を掴まれた。そこにいるのは女優・椎野実歩でなく、ヘレンだった。舞台は大盛況のまま終わった。
それでも未だに「パパ活女子」のイメージが残るからか、大きなテレビの仕事に呼ばれる事はなかったけど、二時間ドラマの犯人役の話が来た。実歩ちゃんは受けた。サイコパスな殺人鬼役だった。「表情一つ変えずに笑顔で刺すのがエグい…」と話題になった。歴史番組の再現ドラマの話が来た。中野竹子役だった。勇ましく薙刀を振るう姿がとても印象的だった。多分…、これまで演じたどの役よりも実歩ちゃんの性格に近い人物だったと思う。
そんな風に色々やってるうちに、女優としての実歩ちゃんの評価が高まった。久し振りに連続ドラマの話が来た。でも、それを実歩ちゃんは断った。イマドキのくっついたり離れたりの恋愛ドラマだったからだ。その代わり、私が印税10%で話をつけてきたG社との自叙伝の話を詰めていた。自叙伝は売れた。似たような境遇の搾取子達からのメッセージで呟きアプリのリプ欄は溢れた。実歩ちゃんはその、膨大な数のメッセージを全部返した。中にはアンチも沢山いた。でも、「関心持って、わざわざ書き込んでくれてありがとうね」って返してた。「アンチもお金になるうちはお客様だしね。本当にどうでもいい奴に人は無関心だよ」と割り切っていた。実歩ちゃんは強い。ううん、強くなったんだ、病気のお姉ちゃんを支える為に。そして、介護生活に疲れ切った両親に少しでも楽をさせてあげる為に。だって、両親の休息時間を得るためにはお姉ちゃんを施設に預けるお金が必要だ。「お金の為に頑張る!」っていつも言ってる。その稼いだお金を実歩ちゃんが自分の為に使う事はほぼなかったけど…。
そうして、配信で飲んでたのがきっかけで、例のストロング缶のCMが来た。実歩ちゃんは大喜びで受けた。ギャラとは別に商品を6ケースもらって喜んでた。飲み過ぎないか、心配だ…。
一方、フーリもおばあちゃんちで頑張ってた。昼間は片手でも出来る畑の作業を手伝いながら、夕方から夜にかけて音楽ソフトの使い方を学んでたみたい。「この×が何を意味するのか、全く分からない…」と言ってたけど、だんだんと使い方が分かってきたようだ。簡単な打ち込みが出来るようになったが、打ち込むだけでまだ作曲には至らない、と言っていた。
その間に、郁美ちゃんが「こんなんどう?」とFOOLIモデルの二次絵を描いて送ってきた。顔に大きな傷がある天使の絵だ。羽根の色が黒い。「人々の悲しみを背負ってるから黒い羽根なんだよ」って言ってた。中二病全開だが、フーリがそれを気に入って、そのままそれでバーチャルなキャラをモデリングしてもらう事になった。「マジで!?」と郁美ちゃんがビビってた。準備は徐々に進んでいる。私も、実歩ちゃんの仕事の手伝いをしながら、卒論を仕上げた。大好きな児童文学作家であり、翻訳家でもあった石井桃子さんについてまとめた。
卒業式には出なかった。実歩ちゃんの仕事が重なったからだ。卒業式に会いたい友達もいなかったし、大学に思い入れも無いから別に良かった。後日、窓口に受け取りに行った修了証書を持って撮った写真をパパとママとフーリに送った。「おめでとう」って返って来た。
私は引っ越した。実歩ちゃんが東京で拠点となる家を借りようと言い、借りた事務所が住まいを兼ねる。一か月に一度、おばあちゃんちにいるフーリに会いに行く。当初はずっとフーリの傍にいて色々手伝うつもりだったが、近くにはおばあちゃんと郁美ちゃんがいてくれる。出来る事は二人に任せておけばいい。私は東京で、実歩ちゃんとフーリの売り込みその他を行うようになっていた。
フーリの3Dモデリングがなかなかいい感じにあがってきた。左手部分は斜めにかけたマントと長い袖で隠れるようになっている。これなら、風に揺られたりさせて、動かないのもそんなに気にならない。
*****
中止になったフーリのファーストライブから一年後。同じ場所でFOOLIのライブが開かれる事になった。私は久しぶりにFOOLIに会った。変な機械が体に沢山ついていた。
「なにこれ?」
「3Ⅾの為に必要なんだって。」
そう言うフーリの表情は穏やかだった。
「FOOLIさん、大丈夫~?喉渇いたりしてない?」
実歩ちゃんは心配そうだ。
「大丈夫。リハも終えて、今は早く歌いたくて、うずうずしてる。会場から観ててよ!」
「うん…。」
私と実歩ちゃん、郁美ちゃんは関係者席に移動した。
「なんか…、一年前と状況が全然違くてビビるなぁ~!」と郁美ちゃんが言った。
「うん…。」
あの頃は画面の向こうにいってしまったフーリとの距離に悩んでた。自分が芸能関連の仕事につくなんて思ってもみなかった。
「まぁまぁ…。FOOLIさんの大舞台に期待しようよ!」
両手にペンライトを持った実歩ちゃんが言う。
「うん!一年越しのリベンジだもんね!」
私もTシャツ、タオルにペンラとフル装備でやって来てる。会場が暗くなった。カウントダウンを刻む表示がスクリーンに現れた後、オープニングムービーが流れる。
「ふををー!!」と郁美ちゃんが叫んだ。
「まさか…自分がデザインしたキャラをこんな大画面で見られようとは…!」
真っ白な画面にボトリと落とされる真っ黒なインクを映したシーンから、真っ白なレースがいきなり切り裂かれて、両膝を抱えて蹲る天使の姿が映る。ビックリしてこっちを見る天使の顔はいきなりナイフが切り付けられた。たらりと血が流れる。慌てて逃げようとする天使の羽根に凶悪な爪を生やした真っ黒な手が伸びる。画面に白い羽根が降って来る。それは途中から、どんどん黒くなって画面一面を埋め尽くす。最後、真っ黒になった画面に、白の羽根ペンで白抜きの文字で「FOOLI」と出た。
次の瞬間、3ⅮのFOOLIが画面に映ってた。
「こんにちは。ようやくこの舞台に立てた事、とても嬉しく思います。一年前と姿は違うけど、精一杯歌うんで、宜しくお願い致します。」
そう言って、ぺこりとお辞儀すると歌い出した。細くて良く通る声がだんだんと熱を帯びてゆく。それは会場の熱気と一体となって、上昇気流が起こる。黒い翼の天使は飛んでいた。すごい…。これはきっと3Ⅾじゃなきゃ出来なかった演出。いつの間にかビジネス視点で見ていた。フーリの声は力強くて心地よい。一時間半があっと言う間だった。予定されてたセットリストが全て終わり、FOOLIが画面から消えた後、FOOLIコールが起こった。
「FOOLI!」「FOOLI!」「FOOLI!」
「FOOLI!」「FOOLI!」「FOOLI!」
やむことを知らない。どうなるんだろうと思ったら、暗い会場に灯りがついた。アンコールはなかったんだ、と皆ががっかりした時、ステージ上で声がした。
「たくさんの声援ありがとう。そして、一年前はここに立てなくて、ごめんなさい。」
FOOLIだった。右手でマイクを持って立っていた。変な機械は外されている。後ろのスクリーンに大きく顔が映った。斜めに横切る一年前の傷跡がはっきりくっきり見てとれる。会場はシン…となった。まさか傷跡があんなにも大きいとは思わなかったんだろう。
「一年前のあの時、絶望した。人前に出るのが怖くなって、もう歌う事をやめてもいいと思った…。でも…、またこうして歌える事をとても嬉しく思う。それは…待っててくれた皆と支えてくれた友達がいたから。心から、ありがとう。喋りではうまく言えない気持ちを曲にしてきたので、どうか聞いて下さい。」
そして、歌った。会場は拍手に包まれた。FOOLIは深くお辞儀をした。そのまま幕が下りて終わった。
会場はざわめいた。「FOOLIの傷あんなに大きかったんだ!」「事件後の顔初めて見た!」「左手動かないままだったよね?」とかフーリの身体面の話ばかりが耳に飛び込んでくる。耳を塞ぎたくなった時、すぐ隣で声がした。
「はぁ~!やぁっぱ、FOOLIさんの歌サイコー!皆もそう思うでしょ~?」
実歩ちゃんだった。
「え?椎野実歩?」という声を掻き消すように「foo!FOOLIサイコー!」って陽キャの声がした。「fooo!」って実歩ちゃんも返した。そのまま、FOOLIコールになった。もう一度幕が開いた。
「なんか…、コールが聞こえて…。出てきちゃったんですけど…お呼びじゃない?」
そう言ったFOOLIに客席から声が上がった。
「FOOLI、サイコー!」「戻って来てくれてありがとー!」「毒親に負けないでー!」「応援してるー!」「大好きー!」「fooo!」
皆が口々に叫ぶ。
「ありがとう。元通りとはいかないけど、少しずつ頑張る。折角だから、もう一曲聞いて帰って下さい。」
そう言って『鈍色の空』を歌ってくれた。最後に銀テープが降って来た。私は腕を伸ばしてそれを掴んだ。『FOOLI FIRST LIVE? ~Rebirth~』って書いてあった。
エピローグ
今日も私は忙しい。実歩ちゃんの連続ドラマ出演のスケジューリングに雑誌のインタビューの時間調整。出版社にお願いする朗読の許可申請etc…。別番組だけど、あれからまたフーリのラジオが始まった。今度はフーリが好きな童話を朗読するだけの番組だ。そのお話に合わせたBGMをFOOLIが作って一緒に流す。「忙しい大人の為の休息時間」を謳うこの番組は「童心に返れる」となかなか評判だ。眠れぬ夜に聴くのにちょうどいい、と高齢者からのお便りも多いらしい。次はこれを読んでくれとのリクエストも多く頂く。それらをすぐにでも読みたいが、童話をはじめとする創作物には著作権がある。それをクリアしなければ朗読には至らない。それらの許可をとるのも私の仕事だが、これは楽しい。窓口は出版社だが、たまに作者に会える。ついファンに戻ってお話の感想などをたくさん述べてしまう。途中で我に返って反省するのだが、「むしろそんなに読み込んで下さってる方が関わってくださっているのなら」と許可をいただけやすい。実に助かる。今日もその打ち合わせを終えた出版社の帰り。腕時計を見る。十三時だ。十四時から、実歩ちゃんの雑誌インタビューに立ち会う事になっている。急いで事務所に戻らねば!
出版社の角を曲がった時に大きく張り出された新装版のポスターが目に入った。『シンデレラ』だ。
私はそのポスターを見て、昔書いた感想文を思い出す。あれを今書くなら、きっとこうだ。
『拝啓 シンデレラ
現代に生きる私達は忙しくて、王子様なんか待っていられない。ガラスの靴はもういらない。自分の未来は自分の手で切り拓くから――』
私はスニーカーの紐を結び直して、最寄り駅までダッシュした。
〈終わり〉