閑話 鍵屋の過去 中編
「……姉さん、僕、パンケーキ作ったんだ」
「……」
「ほら、小学校の頃、褒めてくれたでしょ?」
「……」
「今日は特別拘ったんだ、良ければ……」
「……い」
「え?」
「いらないって言ってるの!!」
「……」
僕は、その時、声を掛けたのを後悔した……いや、そうは思っても、間違いではなかったと言い聞かせた。
「そ、そう……ごめん……」
「……」
僕は部屋を後にした。
パンケーキは、いつでも食べられるように、ラップをして冷蔵庫に入れた。
『姉さん頑張ってね』という紙を添えて。
それから僕は、姉さんを陰ながら応援した。
ある時はコーヒーの量をいつもより多く入れたり、ある時は少しでもストレスを緩和できるように市販のお菓子を置いたり。
それが実を結んだのか、はたまた姉さんの元からの能力なのか、地方の国立大学に入学が決まった。
……でも、姉さんは。
「そんな……私の能力って……こんなんじゃない筈なのに……あの時……遊んでなければ……」
その大学が第一志望ではなかったからなのか、姉さんはとてもガッカリしていた。
両親と僕は励ました、「国立に入れるなんて十分すごいよ」と。
悪気無く伝えたつもりだったのだが、姉さんは突然血相を変えた。
「あんたたちに何が分かるの!? 少なくとも旧帝国大に入れなきゃ、ゴミ同然じゃない! 私は学校の中では落ちこぼれ中の落ちこぼれよ! こんなカスみたいな私に何の価値があるって言うの!? 答えなさいよ!!」
……後から聞いた話だが、姉さんの通っている高校では、「旧帝国大に入れなければ学校内では劣等生も同然、そんな落ちこぼれ共は学校の恥だ。」というような風潮が学内を席巻していたらしい。
そんな事を知らなかった僕らは、ただ黙っていた。
姉さんはその後、大学に通うために寮へ引っ越した。
相変わらず大学内では成績優秀で、入学試験もほぼ全問正解、入学式で新入生代表を務めるほどだった。
しかし、姉さんはそれっきり、家に戻ることはなかった。
でも僕はいつか姉さんが帰ってきたら、美味しい料理を振舞ってあげようと思って、高校を卒業した後は料理の専門学校へ進み、レストランを渡り歩いた。
和食は勿論、洋食に中華。
とあるレストランでは、「今度とある地域でレストランを出すんだけど、そこでシェフをやってくれないか?」とも言われた、自慢じゃないけど。
でも両親も歳で、そろそろ家業の鍵屋を継がなきゃまずいと思い、僕はその道を降りた。
両親は「お前の好きなことをやれ」と言ってくれたが、元々姉さんが帰ってきたときのための修行のようなものだったので、構わなかった。
そして両親が死に、僕は鍵屋を引き継いだ。
最初はつまらないと思ったが、僕のやっている仕事で喜んでくれているお客さんを見ると、なんだか楽しくなってきて、すぐ気に入った。
今でも変わらず続けられるくらい、この仕事は僕の生きがいになった。
そんな時、一本の電話が鳴った。
電話に出ると、姉さんだった。
久々の姉さんの声に僕は一喜一憂した、今何をしているのか、仕事は順調かを聞いた。
姉さんの答えはこうだった。
「私、今度結婚するの、婚姻届の証人をあんたに任命するから、今から言うところに来て」
たったそれだけだった。
でも、久々に姉さんに会えると思って、僕はパンケーキを作って、指定した場所へ行った。
そこは、銀座の一等地にあるカフェだった。
最初、その住所を聞いた時は驚いた。
カフェに入るや否や、僕は姉さんを見つけた。
そこにいた姉さんは、今までとはまるで違った。
高級そうなスーツを身にまとい、上品にコーヒーを啜っていたのだ。
僕は少し驚きながらも、席に座った。
姉さんは僕の分のコーヒーも注文して、待ってくれていた。
僕は席に座り、どうしたんだい結婚なんて、と聞いた。
でも姉さんは。
「さっさと書いて頂戴、時間が無いの」
姉さんはそう言って、婚姻届けを出してきた。
まぁいいか、姉さんにも事情がある。
そう言い聞かせて、証人の欄を書いた。
すると、お相手の名前に驚愕した。
あの大物政治家の名前が書いてあったのだ。