閑話 鍵屋の過去 前編
「ただいまー!」
「姉さん!」
姉さんが帰ってきて、僕は思わず玄関へ飛び出した。
「もう、抱き着かないでよ……ほーら、よしよし」
「えへへ~」
姉さんが帰ってくると、僕は必ずと言っていいほど抱き着いたらしい。
姉さんに抱き着くと、なんというか、安心したんだ、当時の僕にとってはね。
「ただいま、『卓郎』」
「おかえり! 姉さん!」
◇
姉さんは頭が良くて、運動神経抜群で、通っている中学校は超名門の私立中学校だった。
成績優秀だった影響で、学費は一部免除されていた、家計の厳しかった我が家で、その待遇はとても助かったと、後年両親は言っていた。
一方僕は……
「ははは! お前料理なんかしてんのかよ!」
「女々しい奴!」
勉強はいまいち苦手で、運動もからっきしだった。
僕は悔しくて悔しくて、何か打ち込めるものを探した。
そんな時だった、母が料理をしていたところを見て、思わずそれに挑戦したくなった。
最初に作ったのは……卵焼きだったかな。
その出来栄えはというと……
「……うーん」
オブラートに包んでいえば、独特な味だった。
でも作ったものは仕方がないのでみんなに振舞った。
両親も、顔は笑っていたが、目は険しい感じだった。
でも姉さんは、嫌な顔を一つしないで、「おいしいよ!」と言ってくれた。
僕は姉さんを喜ばせたいと思って、母さんに料理を教わった。
そして、夕食を週2日くらい作るようになるくらい上達した、とても嬉しかった。
……でも、周りからは、女っぽい奴だとからかわれた。
僕はそのことを姉さんに伝えた。
「いいじゃない、女々しくたって、私はあなたの料理、好きよ?」
姉さんは笑顔で励ましてくれた。
それからは僕は、毎日のように料理に励んだ。
全ては、姉さんに喜んでもらうために……
ところが、そんな姉さんが、高校3年生になった時だった。
当時僕は中学2年生だったかな。
姉さんの様子がおかしくなった。
学校から帰ったらすぐ部屋に急行して閉じこもったり、食事を振舞っても、途中でいらないと言って部屋に戻ったり、やたらとコーヒーを飲んだり。
毎日のように部屋から唸り声とすすり泣く声が聞こえ、酷い時には何かに八つ当たりしているのか、物を投げつけるような音も聞こえた。
僕はひっそりとドアを開けて、姉さんを見た。
そこにいる姉さんは姉さんようで、姉さんではなかった。
目の下には隈ができていて、床に抜け毛が大量に散らばり、勉強机の前で頭を抱えていた。
僕はきっと、元気が無いのだろうと考えた。
父と母にも相談した、「姉さんの様子がおかしい」と。
でも二人は「受験戦争に打ち勝つためだから仕方がない」と言っていた。
僕も来年、高校受験で似たような経験をするのか、と考えたが、あの様子は明らかにおかしいと思った。
僕は模索した、姉さんは何なら喜んで貰えるか、どうやったら元気になるか。
僕は姉さんの好きな料理を思い出した、「パンケーキ」だ。
僕が小学校の時、特製のパンケーキを振舞ったら、「お店のやつより断然おいしいよ。」と言ってくれた。
僕はそれを思い出して、夜中に最高のパンケーキを作って振舞おう、そう考えた。
そして夜、三段重ねのパンケーキを持って、姉さんの部屋へ行った。
「姉さん、パンケーキ作ったんだ、入っていいかい?」
……応答はなかった。
今日はいつものように、唸り声や何かに八つ当たりするような音は聞こえなかった。
部屋のノブを開けると、鍵が開いていた。
心配になった僕は、ノブを回した。
……そこにいた姉さんは。
「姉さん?」
「……」
以前と同じように、机で頭を抱えていた。
何かに取りつかれたかのようだった。
僕はそんな状況でも、声を掛けてあげようと思った。