8 盗賊たちの逢いびき
〈はずれの港町〉の高台にある湾岸事務所から港湾を一望すると、まっさきに港のはずれに屹立する灯台が目に入る。
その灯台のそびえる突堤から砂浜に降りたところに小型のボートをはさんで二人の男女がいた。
二人は〈鹿の角団〉の頭目にあたる猛者で、長剣をたずさえている男がザウター、それから魔女のような三角帽子をかぶり大きな瞳と長いまつげをしばたたかせている女性がティファナだった。
灯台の影にかくれるかたちになっているため、高台から二人をみつけるのは困難だろう。
もちろん盗賊の二人はそれを計算していた。
しかしティファナに関しては、さきほどから岩陰や堤防のわきを走りまわっているふな虫の群れに夢中になっており、〈銀の鎖〉を手にそれらを追いかけまわしていたので、隠密行動を意識しているかどうかはあやしいところだった。「ね、この子たち、なんだかもじゃもじゃでおもしろいよ? つかまえたらお友だちになってくれるかな?」
ティファナはそのマジックアイテム〈銀の鎖〉でもって、猛獣をはじめとする生物(ふな虫が該当するのかザウターは知らなかったけれど)をいともたやすく意のままにあやつることができる。
また頚にぶらさげているふしぎなかたちの〈魔女の角笛〉で、幻獣を召喚することもできた。
「あんまりはしゃぐなよ」とザウターが注意するものの、ティファナは「はーい」とうわの空で返事をして、あいかわらず逃げまわるふな虫たちを追いかけた。
肌をひけらかすような衣装を着ているのに、行動および思考パターンは幼児のようだった。
ザウターはため息をつく。
二人は〈鹿の角団〉の有力幹部であったハーマンシュタイン卿の愛弟子だった。
今般、卿が独断によって〈伝説の宝石〉のかけら収集をはじめたことから、二人もまたその爪牙として行動している。
幼い頃より卿に磨かれた二人の(ザウターの剣士としての、ティファナの召喚士としての)能力は、この任務に適しているようで、二人は卿の率いる軍勢とともに沙漠の国を襲撃し〈沙漠の花〉を強奪したのち、草原の国の〈荒城の月〉、そして(本来は水の国にあるはずの)〈湖面の蝶〉を手に入れていた。
いずれも偶然がかさなって邪魔者をだしぬくことができたり、宝石のほうから手もとにころがりこんできたようなところもあったが、天運もまた実力にふくまれるとザウターは思っていた。
しかし……、ザウターはくちびるをかむ。結果的に目的物を入手していても雲行きがかならずしもいいとはいえなかった。
宝石収集の妨害をしてくる沙漠の国の残党たちはなかなか執拗だったし、行程をめぐる状況も油断すると失敗しかねず、つねに綱渡りであることは否めないのだった。
昨夜、港町における〈鹿の角団〉のかくれがの一部が破壊された。
施設は下水および排水道に併設されていたが、それによりアジト発覚のおそれが生じたため、団員全員の撤退をやむなしとする事態におちいってしまった。
長年利用してきた秘密基地を放棄することは組織的にも痛手だったが、その後の団員たちの報告で一連の破壊活動に沙漠の国の残党たちも関係していることを知り、それがまたザウターにとっては精神的圧迫になっていたのである。
そこにきてふたたび団員たちによって、内海の異変による航路停止に手をこまねているザウターたちをよそに、沙漠の国の残党たちが火の国の王子らを味方につけて出航許可をとりつけたらしいという報告がもたらされた。しかもそろそろ船出だという。
敵連中が端緒をひらくさまは、やはり気持ちのいいものではない。
もちろんザウターたちも強引に船をだすことはできるのかもしれないが、渡航禁止の海に一艘だけ盗賊団の船がでることはやはり悪目立ちしかねない。
盗賊(しかもいわゆる戦犯)なのだから、やはり表立った行動はひかえなければならないだろう。
そこで思索をかさねたすえ、ザウターは敵一味の出発にあわせて(ティファナと二人だけの)ボートをだし、隙をみて敵連中の寝首をかくなりして、船をうばいとってやろうと考えたのである。
ゆえに、二人は浜辺に潜伏しているのだった。
「おい――」
すると上空から胴間声がして、ザウターは慄然とした。
「おい、そこの二人」
しかし声のぬしに悪意が感じられなかったので、ザウターは瞬時に温和な目をして、声のほうを見あげる。
灯台の窓から痩せた老人が顔をのぞかせていた。
確かもう10年以上にわたって灯台守を務めている年輩者だった。
非番には漁師もしているらしい。浅黒い顔に目だけがぎらぎらしている。
ティファナもふな虫を追うのをやめて、口をぽかんと開けて灯台守をみた。
「もう日暮れだが、こんな時間からボート遊びかね」灯台守が訊ねてくる。「デートかい?」
「デート!!」ティファナの瞳が星になる。
その声音にふな虫たちが一斉に岩陰に逃げこんだ。
「デートにみえる? そうみえるかな!?」ティファナは両脇をしめて身をよじっている。
ティファナはザウターへの好意をかくさないため、単純に恋人たちとみられたことがうれしかったのだ。
「ちがうのかい?」灯台守は片目を大きくしながら微笑する。
「そうともいうー!」ティファナは両手をふりまわしながらぴょんぴょん跳ねた。
「あー? 若いっていいな」灯台守は鼻の穴を大きくする。
豊かなチモシーの草原を駆けまわるうさぎのようなテンションで喜んでいるティファナをよそに、ザウターと灯台守は内海の変災について雑談を交わした。
灯台守は要するに、老婆心から警戒をうながそうとしたのだった。「いまどれだけ静かで平穏にみえても、海は刻一刻と表情が変わるものだからなぁ」
「沈没だとか船が消息を絶つなんていうのは、やっぱりめずらしいですか?」ザウターが問いかけると、「そうだな、あんまり記憶にはないな」と灯台守は沖をみつめた。
「海が一、二度大きく変調をみせるようなことはあったかもしれないが、ここ数十年、航行船に被害がたてつづけに起こるなんていうことはなかったような気がするよ」そういって老人は目を細める。「それにいまは船舶の構造も昔より頑丈だし、航海技術も高まっているしな。ふしぎといえばふしぎだよ」
「そうですか」
「それに海の機嫌がわるいときはわかるもんだよ。女房のそれがわかるみたいにな」灯台守はにやりとする。「いまはそんなにつむじを曲げてるようにはみえないけどな」
夕陽がかたむきだした海は確かにおだやかで、少しも気難しい印象はうけない。
うちよせる波も、渚を横走りするちいさなカニを、そっとやさしくなでるような落ち着いたものだった。
「まぁデートもいいが、ちょっとでも違和感をおぼえたらすぐに浜にもどりなよ。日没まえにはそうでなくても帰ることをおすすめする。夜の海は少しもやさしくないからな。それから沖合いに浮標がいくつかあるのがみえるか? あれより遠くにはいかないことだ。いいかい?」
ザウターが承知してうなずくと、灯台守はティファナに「じゃあなお嬢さん、また逢えたらいいな」と手をふってから部屋にひっこんだ。
ザウターはほくそ笑む。
しかし、熟練の灯台守をもってしても昨今の事態は不可思議なものらしい。
みょうなタイミングでおかしな問題に巻きこまれたものだ。
王都にいるハーマンシュタイン卿は、おそらくこれらの事案について仄聞しているだろう。
なんらかの方策を練っているかもしれない。
それでもザウターは、卿が手を差しのべてくるまで、ただゆびをくわえて待っているつもりはなかった。
根拠はないが、卿もそれを期待しているような気がした。
ふと、港のほうから奇妙な汽笛が聞こえた。
音階練習で高音をはずした管楽器のようなまぬけな響きに、ティファナは満面の笑みでふりかえってくる。
敵一味が出航したのだろう。
ザウターはゆっくりとうなずいてから、ボートに両手をかけ、体重をのせながら押した。
砂浜をこするボートの底は、大樹をノコギリで伐採するような、にごった音をたてる。
すぐにボートの先端が波にふれた。
ザウターが目をあげると――内海はそこからひろく、はるか彼方までひろがっていた。