69 ふとした空耳として
ルイたちはふしぎな夜を過ごしたあと、内海を三日ほどさまよい、ずっと快晴がつづいたせいもあり、だいぶ衰弱した状態で〈王の桟橋〉へと流れ着いた。
漁船に用意していた食料や飲料はきれいになくなっており、もしかしたらまぼろしの世界で飲み食いしたものがそれらだったのかもしれないと、あとあと思ったりもした。
陸地と港がみえたときだけ、(ディレンツァとマッコーネルを除く)みんなで発狂したかのように互いに手をとり踊りあがったけれど、緊張の糸が切れたせいか一気につかれ果て、全員が橋げたに坐りこんだり寝ころがったりしてしまうほど消耗していた。
それでも非常な危機と不可思議な体験をのりこえて無事に渡海できた興奮からか、(ディレンツァとマッコーネルを除く)みんながなぜか笑っていた。
港湾で働いている水夫や貿易業および漁業関係者、事情を知ってジェラルドやアルバートを出迎えにきた国王の使者たちは、それをみて反応に困り、呆然とした――。
王子たちだけでなく、ルイもそのままあわただしく従者としての歓迎を受け、複雑な手続きやら所定の行事やらをこなし、そのまま建国記念祭の準備などに参加することになってしまったため、人魚やニーナやエドバルドについて話し合うきっかけもうしなってしまい、結局そのあと当事者たちで集まって考察することもなかった。
ルイも一人では、あれこれ調べてまわる気になれず、過ぎ去ってしまったあとでは、どうでもよくなってきたような気さえした。
それでも、ときどき夕暮れに湾岸を歩いたり、夜中に一人、窓辺でぼんやりするとき、ふとした空耳として、女性のソプラノを聞いたりした。
たとえ気のせいでも、それはとてもきれいな歌声だった。
きれいで人懐っこく、どこか哀しいけれどあかるい、そんな歌声だった――。
内海の湾岸都市ではときどき、人魚の目撃談や、その歌声を聞いたという報告が不定期によせられるようになった。
しかしそれには「伝承としての人魚物語のような寓話性はまるでない」と関係者たちは話した。
直近の通報者である現地の漁師はこう語った。
「人魚っていうより人間の声なんだな、なんとなく。え? いや、人間と人魚の声のちがいなんか、はっきりわからんけどさ――」
決まって霧雨のふる日なのだという。
声をぼんやり聞いていることで、うっかり座礁したり追突事故を起こす船がたまにでたりしたが、それはどちらかといえば乗組員の不注意によるところが大きかったので、そのうちあまり問題視はされなくなった。
〈はずれの港町〉で灯台守も務めた古参の漁師は、のちに苦笑しながらそれについて語った。
「気づいたら聞こえてくるのさ。人魚の歌には気をつけな。あの歌にはなにかある。やられちまうのは船だけじゃない……」
そして、少し照れたように、はにかんだ。
「なんだか淋しくなっちまう。陸のあかりが恋しくなるのさ。海の男にゃ毒にちがいねぇ。家や女を思いだす。骨の髄まで腑抜けちまうんだ――」