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6 王子たちの再会

 しかし、湾岸事務所の手前まで歩いたところで、前回訪問時、不満のたれながしで騒がしかった群集がこころなしかおとなしくなっていることに気づき、アルバートも「ん?」と面食らった。


 入口ドアだけでなく、ガラス窓などから建物内をのぞきこむようにしている人もいるようだ。


「どうも、こんにちは――」と、さっそくなんの相談もないまま、アルバートが近場にたむろしていた商人に声をかけた。


 30中盤くらいの目鼻立ちのくっきりした商人はふりかえると、そこにいるみょうに人懐っこい笑い顔にとまどったようだ。


「突然すみません。なにかあったんですか?」根が臆病で深入りできないくせに、人見知りしないというのはひとつの才能かもしれない。


「あ、ああ、王都からの航路停止を一時的に解除しろって要求しているみたいなんだよ、伯爵都の使いがさ」


「へぇ?」アルバートも驚いたが、横にいるディレンツァもぴくりと眉を動かしたのをルイは見逃さなかった。


「しかもその使者が、グレアム宰相なんだよ」


「へぇ」思わずルイも感嘆する。


 二代にわたるカークランド辺境伯の側近にして、草原の国の頭脳ともいえる重鎮の登場は予想外だった。しかし市政運営にたずさわって長いのだから、だいぶ高齢者なのではないか――ルイはディレンツァをうかがった。


 するとディレンツァはめずらしく人垣のなかに、強引にわりこむように身体をねじこませる。

 その光景を呆然とみつめたのち、ルイとアルバートも追従した。


 ルイは小柄だったので、男たちの群れにまざると薮野に迷いこんだ小猫みたいだった。

 汗の匂いやら体臭やら好奇の目にも辟易する。


 アルバートは「すいませんね、失礼します、関係者なんで……」などと、へらへらしながらうまく入りこんでいた。これも才能かもしれない。


 事務所は入ってすぐに応接部屋だった。


 15平方メートルくらいはあるだろうか。

 壁沿いに記載専用台も置いてあり、中央には来客用の深緑のソファがたちならび、カウンターテーブルを隔てた奥には事務員やら所長やらのデスクがあった。

 手続きはカウンターでするらしい。


 ルイのヒールがかつんと床を打つ。


 その音を聞いて、室内にいた全員が一瞬だけ闖入者たちをふりかえる。


「あ!」とルイが口を開けて叫ぼうとしたところで、アルバートが卒然としながら驚きの声をあげた。「ジェラルド王子――!?」


 カウンターの奥にはどこか都会的な顔をした事務所長が坐っており、その横にがたいのいい漁師のような副所長が立っていた。


 そしてカウンターの椅子にほとんど毛髪のない老人が腰かけている。

 角度的にうしろすがたしかみえないが、おそらくグレアム宰相だろう。


 しかしなにより驚いたのは、宰相のとなりにジェラルド王子が立っていたことだった。


 ジェラルド王子は火の国の王子(継承権は二位)で、内乱や紛争で疲弊した祖国を統制するための資金援助を要請するために外遊しているところだと聞いていた。


 ルイとアルバートはバドとトレヴァをめぐる騒動のさなかに湾岸事務所で遭遇したのである。


 ジェラルドはルイやアルバートを一瞥した瞬間、少しだけ口もとをゆるませた気がした。


 しかしルイもアルバートも、湾岸事務所の関係者二人が渋面だったため、二の句が告げられなかった。


 それでも室内が静まりかえったとき、ディレンツァだけが「ん……?」とうめくような声をだした。


 ルイがその横顔をうかがうと、ディレンツァは薄いベールの向こうがわを視認しようとしているかのように目を細めている。


「今度はなんだ!?」それをみて、副所長が露骨に眉をひそめた。


 その恫喝めいた荒声に、ルイはむっとし、アルバートはおどおどする。


「副所長殿、気になされるな。かれらは私の友人です」ジェラルドが目を大きくする。


 へどもどあたまをさげたアルバートと、むすっとしたルイと、無表情のディレンツァを流し見したあと、副所長は腕組みする。

 事務所長は「ふぅむ」とうなった。


 グレアム宰相が頚だけふりかえる。

 やはりしわだらけで、病的に痩せて、眉さえも白くそまっているくらいの年輩者だった。

 ルイにはなんだか宰相の目の焦点が合っていないようにみえた。


 ディレンツァも宰相を凝視しながら、小声で「なるほど……」とつぶやいた。


 ルイが「なにが?」と訊ねようとすると、ジェラルドが「この友人たちも王都への渡航を希望しているのです」と、まるで劇場の演者のように大仰に手をひろげたので、ルイは口をつぐむ。


 ジェラルドの表情にはつくられた陽気さがある。それでもわざとらしさが少しも感じられないのが達者である。


「まぁ、現時点では王都への確認には相応の時間を要しますから、カークランド公の命とあらば、私どもはそれにしたがうべきなのでしょうが……」

 しばらく考えたすえ、所長はうなずく。

 副所長は仏頂面をしている。


「み、未来ある、わ、若獅子のために……カークランド公もご決断をなされた」


 すると、グレアム宰相がぶつりぶつりと歯切れわるくつぶやいた。

 いまにも事切れてしまうのではないかと心配になるような物腰だった。


「ええ、ええ、わかっておりますよ。そう何度も念を押されなくても」と所長は気遣って相好をくずす。「そうですね、宰相殿にもはるばるご足労いただいたことですから、乗船券と渡航許可証の手配はしましょう。ただし――」


「ええ、承知しております。内海上でのすべての責任は私自身でもちます」

 ジェラルドは満足の笑みをうかべる。


 どうやら話がまとまったようだ。

 ルイとアルバートはぽかんとする。

 入口ドア付近や窓周辺の外野たちからも、驚嘆やら賞賛やら非難やらのいりまじった声があがる。


 そちらをちらちらうかがいながら、「しかし、船はどうしたものですかな」と副所長があてつけっぽい口調で指摘した。「沈没したり、消息を絶つといったことがほぼ確実というような状況で、だれかみずからの船をだそうという愚者があのなかにおりますか?」


 わざと大声量で言い放ったので、外野の声が急に静まりかえった。

 まるで全員が息を呑むのが聞こえるような沈黙だった。

 ジェラルドがそれをみて若干眉をひそめる。


「あ、でも、それはだいじょうぶじゃない?」


 ルイが声をあげると、全員がルイをみた。


 ルイはジェラルドにウィンクをする。

「この町には問題解決のためならリスクを冒してもいいって主張してる人もいるんだから――」


 ルイは前回訪問時にアルバートが話しこんでいたこわもての水夫をさがす。


 威勢よく「航海のチャンスがあたえられたらみずからが犠牲になってもかまわない」とまくしたてていたからだ。

 日課のようにここで愚痴をこぼしていそうだったので今日もいるにちがいない。

 視線をめぐらせると、窓からのぞきこんでいる群れの後方に顔がみえた。


 ルイが「あ――」とゆびさしかけたけれど、なんと目があった直後に、水夫はまるで地中にかくれるもぐらのように、人ごみのなかに顔をひっこめてしまった。「――え?」


 窓のそとががやがやにぎわう。ルイが舌打ちすると、ディレンツァが肩に手を置いてきた。

 ルイが見やると、「しかたない」とうなずいた。


 ルイは鼻息をもらす。

 どうやら水夫の発言は肩透かしだったらしい。筋骨たくましい体格に騙されてしまったが、向こう意気の強い皮肉屋にありがちなことだ。

 女神信仰にもとづく王権支配体制をたいした剣幕で批判していたのはただの虚勢だったようだ。


「船が手配できない場合はどうするね? みんなでイカダでもつくって櫓をこぐかい?」副所長は卑屈そうに口角をあげた。

 

 ルイの頬が怒りで紅潮する。


 状況はふたたび空転してきた。

 ディレンツァも、ジェラルドも、それからグレアム宰相も口をきく気配がない。


 室内がしんとする。やがて外野たちも静まりかえる。


(困ったわね……)ルイは眉をひそめる。


 すると「やぁ、王子じゃないか――」とドアのほうからしわがれた声がして、ルイたちはふりかえる。副所長はけげんそうな目つきになる。


 そこには白髪の老人が立っていた。

 にこにことほほえんでいる。

 

 どこかでみたことがあるような気がしてルイが記憶をたどっていると、アルバートが「ああ、昨日の船乗りさんですね?」と愛想よくあゆみよる。

 

 その光景をみていて思いだした。


 そういえばアルバートは水夫以外にも老人につかまったりしていたから、おそらくその人なのだろう。

 関心がなかったので知るよしもないが、この老人もまた船員のたぐいだとは思わなかった。

 どちらかといえば工房にでもこもって、陶芸品でもつくってそうな趣きのある風体である。


「元気かい?」「ええ、元気ですよ」「ひさしぶりじゃね」「え? まぁ、昨日ぶりですけどね、あは」と老人とアルバートは微妙な会話をしている。


 ルイでさえ声をかけづらい空気ができあがっている。


 しかし突然「王子が困ってるなら、わしが船をだしてもよいよ?」と老船員が笑った。


「え?」「は?」「あ?」とルイと事務所長と副所長が驚き、ジェラルドが眉を動かした。

 

 ディレンツァとグレアム宰相は無表情のままだ。


 アルバートがみんなをふりかえり、「この方は現役時代に有名な航海士さんだったらしいよ」と得意げにほほえんだ。


 老人は白波のような長髪をゆらしながらうなずく。「うんうん、そうだよ、そりゃもう」

 なんだかうさんくさい。


「伝説の航海士マッコーネルとはわしのことじゃよ。わしはいまでこそ内海で遊んでるようなもんじゃが、昔はだいぶやんちゃをしたもんだ。多島海で竜の群れを追いかけまわしたこともあるし、北の海の捕鯨団にいたこともある。あのくじら、なんじゃったかなぁ、名まえ忘れた。あのでかいやつ?」


 アルバートはにこにこしている。


「嵐の夜でな、船があいつに襲われたときには困ったもんじゃ……友人のジャックはそのとき命を落とした。海に投げだされてなぁ。身も凍るような寒い夜……じゃったっけ? 惜しいやつじゃった。海の神さまを憎んだのはあのときがはじめてじゃよ。奥歯がとれそうでガタガタした――」


 アルバートはマッコーネルの謎のぼやきにつきあって、ふむふむうなずいている。


 ルイはディレンツァをみる。

 ディレンツァもルイをちらりとみたがなにも話さなかった。

 ジェラルドは興味深げになりゆきを見守っている。


「マック爺さん、昔話はそこらへんにしてもらって……」

 すると、事務所長が苦笑しながら割って入る。


「ああ?」マッコーネルは大口を開けたままそちらをみる。「だから、わしが船をだすって言ってるじゃないか。ああだこうだ、うるさいよ?」


 いきなり進捗した。


 そのあと、ルイには口をはさむ隙がないほど淡々と手続きが進行した。


 事務所長はずっと苦い顔をしながら許可証に印を押し、乗船券をつくった。

 副所長は徽章旗の準備をしながらぶつぶつとぼやいていた。(副所長は特に)状況をコントロールできていないことが気に入らないらしい。

 外野はあいかわらずざわざわとしていたが、具体的な単語は聞き取れないただの雑音だった。


 ジェラルドは「さすがアルバート王子。私にはない才気だ」などと感激しながら握手をさしのべる。


 アルバートはあたまをかきながら「いやいや、偶然ですよ」などとへらへら返事をする。

 じっさい偶然なのに照れているところがなんとも腹立たしい。


 ルイは不服を顔にうかべながら、舌をべーとだした。


 ディレンツァは、じっとグレアム宰相をみつめていた。

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