68 恋とか愛とか
入り江を去ることを惜しむように夜明けまでたたずんで、最後の星が消えて空が紫色にけむり、やがて海面が朝陽色にそまって、海風が吹きだしたところで、ようやくパティたちは人魚の資料館までもどった。
自室にひきあげてベッドに入ったけれど、やはり眠ることはできず、結局みんなで集まって朝食をとった。
バレンツエラ、ダグラス、ステファンは徹夜の興奮もあってか熱論を交わし、あたまや気持ちに整理をつけようとしていたが、一夜経てばまるで夢かまぼろしでもみていたかのようで、なかなかおさまりがつかなかった。
パティも昨夜のことをひとつひとつ思いかえし、とくにニーナの心情などについては、なにかしら意見してみたいと思ったりもしたが、騎士たちの声高な喧々諤々の議論に入りこむ余地もなく、ふとアルフォンスと目が合ったらにっこりと微笑されたので、それにあわせて笑みをかえしたら、なぜだか気持ちも落ち着いてしまった。モカもずっとおとなしく、パティの右肩でまるくなっていた。
「――本件ほど最終報告書が作成しづらいものもないな」バレンツエラが鳥類のようにきょとんとした目をぐりぐり動かしながら短髪のあたまをなでる。「内海の異変がおさまった気はするが、ほんとうにそうなのか妥当な推理もできない。落としどころがない」
「結局のところ、なにが起きたの?」ステファンが鳥類のくちばしのようにくちびるをつきだす。「じつは集団催眠とか、そういうのじゃないわよね?」
「そもそも、オレたちはなにをしたんだ!?」ダグラスが鳥類のように頓狂な声でわめいた。
そんなにわとり小屋のような状況では収拾などつくはずもない。
しかし、そうしてみると、自分たちはこれといってなにもしていない気もする。
パティはマイニエリ師に、遠征を依頼されたときのことを回想する。
ずいぶん昔のことのように感じてしまうが、わりと最近のことだ。
師は「今回の話はそもそも解決があるかどうか、私にもわからんのでね」とか「成功も失敗もない事案だと思う。それに、なにごともなにが成功か失敗かなんてなかなかわからないものだ」とか話していたようにも思う。
あいまいで抽象的なのに、思わせぶりで、みょうな含みがありそうで、なんだか腑に落ちない。
まさか師は、内海異常の顛末にニーナやエドバルドが関係していることを、最初から知っていたのだろうか……?
そんな疑惑さえわいてきたが、帰途につき、長いあいだ馬車にゆられたり、徒歩で街道を進んでいるうちに、固い結び目がほどかれていくように、少しずつ懐疑心もやわらいできた。
馬車のシートでぐっすり眠ったり、内海の水平線上にもくもくたちこめたまっしろな入道雲をみたり、おとずれるときとはちがう季節の風を肌に感じたりしていたら、気にしてもしかたがないように思えてきたのである。
そもそもマイニエリ師は充分に謎めいた人物だし、仮に師がこうなることを予期していたとして、それを問いただしてなんになるだろう。
けむに巻かれてしまう可能性もある。
老獪でも悪意がないのなら、実害もなかったわけだし、それでいいのではないか――。
じっさい王都に帰還し、バレンツエラたちやアルフォンスと別れ、〈魔導院〉にもどってきたさい、門のところに立って手をふっている親友のフリーダの満面の笑みをみたとき、パティの胸にたまっていたもやもやは、さらにどうでもよくなってしまった。
フリーダは約束どおり、パティのお気に入りのホットチョコレートを用意してくれていて、「ねぇ、積もる話があるんでしょう? きかせてよ!」と催促されたりして、パティはなんだか気恥ずかしくて顔が赤くなってしまった。
いつもはうまが合わない同士の先輩のセルウェイとストックデイルも、めずらしく口調をおなじくして「パティが大活躍だったって聞いたぜ、ほんとうかい?」と詰問してきた。
パティは湯気のたつカップに口をつけながら上目づかいになる。
確かに今般の「内海における船舶失踪および沈没事件の調査報告書」の記載について、思い悩んだバレンツエラ隊長は結局、「パティが特殊技能(魔法)で海洋生物たちの記憶を読みとったことで事件の要因が最後の人魚マティスであることを看破し、一行の綿密な探索により接触に成功、そしてパティによる説得のすえに、内海に張られていた人魚の結界的魔力を解放したことで諸問題は収束に向かっている」という主旨で文面をかためてしまった。
まるっきりうそではないが真相でもないとパティは困惑したが、「悪いがそうするのがいちばんおさまりがいいんだ、そういうことにしておいてくれ」という困り顔のバレンツエラと、「いいじゃないか、パティのお手柄だぜ!?」と親指をたてるダグラスと、「〈魔導院〉にとってもそのほうがいいじゃない?」とふくみ笑いをするステファンに、強引に流されてしまったのである。
とまどいやら、照れくささやら、うしろめたさやらで混乱するパティだったが、フリーダが会話を切って、「あれ?」とパティに手をのばして前髪にふれた。「あなた、白髪があるわよ?」
フリーダはそのまま髪を慎重に選って、プチっとその白髪をぬき、パティの目前に示す。
銀色にみえるぐらい見事にまっしろだった。
「えー、なんだかショック……」呆然とするパティに、「おつかれさまってことね」とフリーダがほほえみ、その白髪をフーッと吹きとばした。
セルウェイとストックデイルは気づかないふりをしている。
すると、右肩で寝ていたはずのモカがむっくり起きあがり、パティのあたまにポンと手を置いた――。
〈魔導院〉に到着したのち、廊下でたまたまマイニエリ師とすれちがったとき、自作の報告書は提出していたものの、パティはじかにつたえてみようと思い、呼びとめてみた。
すると事情は把握しているらしく、師のほうからにこにこしながら「良い経験になったかな?」と話しかけてきた。
「えっと――」師からさきに問いかけられるとは思っていなかったので、しどろもどろの対応になってしまった。「えっと、出発するまえは不安で、心細い気持ちでいっぱいでしたけど、一歩踏みだしてみたら、つぎからつぎへといろんなことが起こって……えっと、それで……なんていうか、意外と、でたとこ勝負でなんとかなりました……ってところでしょうか」
師はうなずいた。「ふむ」
「あと、やっぱり、世の中ってひろいんだなって思いました」
パティがなんとか感想をまとめると、「そういうものかね」と師はふしぎそうな顔をした。
子どもみたいな表情だった。
なんとなく腹がたったのでパティは師をからかってみようと思い、「あと、恋とか愛とか、そういうのが、ちょっとわかった気がしました」とウィンクすると、師は目を点にしてきょとんとし、しばらく静止したのち、ぶわりと放屁した。
「あ」と「え」と「お」のあいだぐらいの声でパティが悲鳴をあげて怒ったため、代行任務についての話はそれきりになってしまった。
マイニエリ師はほんとうに謎めいている。
――謎めいているといえば、入り江の洞穴でまぼろしをみているとき、パティは小柄の女性の影のようなものに接触した。
おぼろげな記憶になりつつあるが、面識のない人物だったように思う。
あれはいったいだれだったのだろう――?
「……そういえば、パティの奮闘記よりも、巷はべつの話題で盛りあがってるんだよ!」セルウェイが突然大きな声をだして得意顔になる。
「ああ、二人の王子が〈王の桟橋〉に流れ着いたんだ。草原の国から漂流してきたらしい。それも向こうの港の関係者たちの反対をふりきって強引に船をだしたせいで、ぼろぼろになって漂着したらしいぜ」
しかし、割って入ったストックデイルが核心部分を話してしまった。
セルウェイは露骨にむっとしたものの、気をとりなおしてつづける。「それも、渡海に応じてくれる旅客船がなかったから、漁船だったらしいよ!」
「しかも小型のな」ストックデイルがさらに話をかぶせたので、さすがにセルウェイが「おい、話を横取りするなよな!」と喰ってかかり、二人のいつもどおりの口げんかがはじまってしまった。
フリーダがため息をついて、わざとらしくもううんざりという顔をしたので、パティもほほえんだ。
しかし、難破問題のさなかに、小型漁船で内海横断をこころみる人たちがいるというのも驚きではある。
「世の中はひろいなぁ」とパティがぼんやりつぶやくと、ちょっとまぬけな響きになってしまって、一瞬静かになったあと、全員が笑った。
「――でも、なんでそこまで苦労して海路を選んだのかしら?」フリーダがくちびるをつきだす。
確かに過酷ではあるが陸路もある。
「そりゃあれだよ、急いでいたんだろ――」セルウェイが返答しかけると、ストックデイルがにやりとしながら「王都の建国記念祝祭に、確実に間に合うようにしたかったんじゃないか?」と仮説泥棒をした。
当然の流れで、二人の先輩は何度目かの口げんかをはじめる。
パティとフリーダは顔を見合わせて苦笑した。
王都では建国記念祭が来月早々にせまっていた。
100周年ということもあり、例年以上に多くの実行委員会が暫定的に組織され、華やかな催しが計画されているようで、準備に余念がないらしい。
〈魔導院〉でもすでに専門委員会が組まれていたが、最終的にはパティたちも合流することになりそうだという。
パティはふと窓のそとをみる。
陽光をうけた樹木の青葉がつやつやと光沢をもち、いつの間にか夏が到来していた。
どうりで長袖だと汗ばむわけだ。
ふと足をとめて落ち着いてみると、時は気づかぬうちに過ぎていて、人魚に関するふしぎな体験も、徐々に過去になりつつあった。
パティは時の流れの早さを実感して、目をふせてちょっと吐息をもらす。フリーダはそれを横目でみて、ずいぶん大人びた表情だと思った。




