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63 愚かな笛吹きたち

 エドバルドはウミガメの仔に向かって何度も叫んだが、それはだれにも聞こえなかったにちがいない。


 まるでカーテンが引かれるように西方からやってきた暗雲が、またたく間に空をふさぎ、その暗闇をひきちぎるように稲妻が連続的に走り、その合間に荒ぶる肉食獣の群れが、憎しみ、いがみあっているかのような轟音が響いていたからだ。


 ウミガメの仔はエドバルドの警告など意に介さず、するすると甲板まであがってきた。

 同時に内海では強い風が吹き、大きな波がうねりはじめ、船体が大きくかたむいた。


 エドバルドは危険を察知していたので、ウミガメの仔を抱きとめるように両手をのばす。

 ウミガメの仔も抵抗しなかった。


 ウミガメの仔はエドバルドの腕のなかで、ぼんやり淡く光っていた。

 緊張や混乱のせいか、ウミガメの仔の感触はまるでなく、抱きとめているはずが抱きしめられているように感じられた。

 遠くからみれば、夜の荒野でだれかがランプをもって佇立しているようにみえたかもしれない。


「なんできたの?」


 エドバルドの問いに、ウミガメの仔はうすく笑った(ようにみえた)。


 それと同時に雨が降りだした。

 雨粒が大きく、すぐにびしょぬれになる。


「まさか……」エドバルドの無造作な前髪が濡れて、ギザギザの歯みたいになった。「笛が聴きたかったのかい?」


 すると、いつの間にか帆けたにいた風読みが、はげしく鐘を打ち鳴らした。

 

 すでに風がみだれ、ごうごうと鳴っていたが、鐘の音は響きわたり、すぐに船員たちが甲板にでてきた。

 日没までの平穏がうそのような嵐の到来に、一様にあわてふためいている。


 ウミガメの仔をみられたらいけない気がして、エドバルドは船員たちに背を向けると、船首のほうへ走った。

 すでに動悸がはげしかったので、すぐに息があがり、口内はからからになった。


 船首まできたところで、ふたたび船体がぐらりとかたむいた。

 大きな波が左舷をたたき、船をおびやかしたのである。

 水夫たちの怒声や悲鳴が聞こえる。


 全身がふるえて、みずからの歯がガチガチ鳴った。

 寒さもあったが、エドバルドはなにより状況を理解しはじめていた。


 船体がもう一度大きくゆれ、バランスをくずし、両腕でウミガメの仔をかかえていたため、手をだすことができず、鉄柵に眉間をぶつけて切ってしまったが、痛みは感じなかった。

 患部だけがじんわりと熱くなり、たらたらと出血した。

 両膝をついた姿勢で空を仰いだエドバルドは、まるで神に祈る殉教者のようだった。


 そのとき、閃光が暗雲を駆けぬけ――エドバルドの蒼白の顔を浮かびあがらせた。


 瞠目したエドバルドは目前に、はげしく逆巻き、天をも呑みこもうかという高波をみた。

 海が爆発したみたいだった。


 そしてそのなかに、あまりにも神々しく、それでいて禍々しい光をまとった大蛇と、そのするどい眼光をみた。

 ドラを打ち鳴らしつづけるような水音が、鼓膜をやぶるくらいの爆音をとどろかせる――すべてが一瞬のできごとだったが、エドバルドは確信した。


 自分は禁忌を犯した。

 ゆるされないことを、ずっとしていたのだ……。


 地獄の炎がうずまく大蛇の眼は、ぎらぎらとエドバルドをとらえていた。

 それによって、遠くから研ぎ澄まされた一本の槍がとんできて、目から串刺しにされたかのように硬直してしまった。


 腕のなかにいる仔がちいさく鳴いたような気がする。


 しかし、まばたきする間もなく、エドバルドは大勢の船員をのせた船ごと、大海嘯に呑みこまれてしまった――。


 人間たちによって四大精霊――水の蛇と呼ばれる大幻獣は、その憤怒をかくすことなく、全身をはげしくふるわせ、鎌首をもたげ、暗雲を呼び、嵐を起こし、海を荒れさせた。

 稲妻や強風や豪雨や巨浪はすべて、咬牙切歯せんばかりの精霊王の怒りの鉄槌だったのだ。


 理由は簡単だった。

 みずからの仔が、ただ一人の人間によって籠絡されたことは恥辱でしかなく、幻獣たちの王は、精霊界を統べる王としての威厳と誇りを顕示しなくてはならなかったのである。


 決して人間ごときに、その威信を穢されてはならない。

 だからこそ、そこに容赦はなかった。


 水の蛇は吠えた。

 小癪な罪人は完膚なきまでにたたきつぶし、雷雨で人間どもの心に恐怖を植えこみ、何千年と消えることのない傷痕をきざむのだ! 

 とどろけ嵐よ、愚かな笛吹きたちに災いあれかし!!


 ――ルイは反射的に目を閉じてしまっていた。

 そして、両手で顔をかばっていた。

 さしせまってくる大波に、そうせざるをえない迫力があったのだ。

 ふるえがとまらなかった。


 吐き気さえする。

 脚も腰も微弱にふるえ、ちからが入らない。

 無力感と絶望に涙がでそうになる。


 ふと肩に手が置かれた。

 はっとしてみるとディレンツァだった。


「落ち着け、まぼろしだ」


 ふしぎとふるえがおさまった。


 ジェラルドやアルバートたちは、呆然とエドバルドとニーナ、それから空をただよう大くじらをみつめている。


 ルイがみた「エドバルドの思い出」を共有していたのはディレンツァだけなのかもしれない。

 いつの間にか雨はやみ、強い風が吹きおろしてきて、ルイの髪とスカートをゆらした。


 大きなくじらの腹をみつめながらルイは考える。

 起きたことについて順番に思いをめぐらせてみた。

「水の蛇は……誤解したってことかな?」そして、ディレンツァに訊ねた。


 ディレンツァは片眉をわずかに動かした。


 ルイはディレンツァをみる。


「だって、水の蛇の仔どもは、エドバルドの笛のちからで召喚されてしまったんでしょう? 古代の精霊を呼びだすためのオカリナが機能してしまった――だから、水の蛇の仔はエドバルドになついてしまったのよね?」


 ディレンツァは目を細める。

 そして、「みてみろ……」そうつぶやいて大くじらをみた。


 うながされるままルイも上空をみつめた。

 

 すると、荒波がいきかう海上で再会を果たし、手をとりあったエドバルドとニーナが、光をまとって、くるくると宙に浮かんでいくのがみえた。

 まるで空に招かれているみたいだった。


 二人は照れながら、おたがいの瞳をちらちらと見つめあっていて、らせん状の光はやさしく二人をつつみこんでいる――そのとき、ルイの目に新しい光が差しこんできた……。

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