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61 謎のウミガメの仔

 その日は船長の誕生日だったこともあり、晩餐会も酒をまじえて派手にもりあがり、エドバルドもピアノの譜面台に蒸留酒のコップを置いて演奏した。

 ほろ酔いだったこともあり、巧みな演奏ではなかったが、みんなが笑顔だったからそれでいいのだろう。


 全員が泥酔して眠りこんだあと、エドバルドは自室にもどりベッドに横になったが、アルコールのせいか目が冴えてしまい、酔いざましに甲板にでた。


 もう上着は必要なく、潮風が頬をなでるとここちよかった。

 しばらくすると、赤らんでいた顔も、いつものやつれた不健康そうな白色にもどった。


 すると、エドバルドは海の一角に、ぼんやりした光をみた。

 

 気のせいかと思って目をこすってみたが、ゆらゆらした夜の海に、やはり淡い光がうかんでみえた。

 波もあったし、海上なので判断しづらかったが、距離は50メートルぐらいだろうか。

 そばに水夫の一人でもいれば訊ねてみたかったが、あいにくだれもいなかった。


 エドバルドはぼんやりとその光をみつめた。

 蜃気楼のような光学的な現象かとも思ったが、その光はひとつだけだったし、なんとなくだが直感的に、そういう種類のものではない気がした。

 なにかもっと象徴的なものに感じられた。

 じっと眺めていると、なんとなくだが気持ちがやわらいだ。

 懐古をおぼえるような光だった。


 やがて、郷愁が胸にせりあがってきた。

 ニーナのほほえみをたたえた口もとが思いだされる。

 なつかしさは、もうもどれないというせつなさに似ている。


 胸をおさえようとしてあげた右手が、ふところに入れてあった古代オカリナにあたった。

 深夜の演奏会でふざけて吹いて、そのまま内ポケットに入れていたのだ。


 手にとると、なんだか感触がいつもとちがう気がした。

 不確かで握力が入りづらい。

 それでもエドバルドは気をとりなおして、ニーナに捧げた歌曲のうちの一曲のさわりを吹いた。ニーナが伴奏にあわせて口ずさんでいるところを想像しながら――。


 笛はふしぎな響きかたをした。

 夢うつつだったせいもあるのか、はるか上空に放たれたかのようにひろがった。

 

 演奏の具合はわるくなかった。

 むしろ、雰囲気はよくでていたのではないか――ふと、エドバルドはそこでわれにかえる。


 海面にみえていたぼんやりした光が、ずいぶん近くなっていたのである。

 目の錯覚かと思い、まばたきをくりかえしたが、やはりまえより近寄ってきている。


 ふしぎとこわくはなかった。

 なぜか波の音だけがよく聞こえた。

 

 ゆらゆらした光はそのまま船のすぐ下までくると、するすると船体に沿ってのぼってきて、上甲板にいるエドバルドのまえまでやってきた。


 それは生物だった。

 エドバルドは人間が苦手なぶん動物好きなほうだったが、それは見聞きしたことがある生きものではなかった。

 四本足だったが足というよりヒレで、顔はイルカのようでもある。


 体毛もなく、しっぽらしきものがうかがえるので、全容をたとえるなら「甲羅がないウミガメ」という印象だった。

 光を帯びているせいか輪郭は大きく感じられたが、間近でみると全長は30センチにも満たなかった。

 

 謎のウミガメは興味深そうにエドバルドの様子をみている。

 その瞳や態度から、なぜかウミガメがエドバルドに好意をもっていることがわかった。

 顔つきは、そんなわけもないのだろうが、笑みをうかべているようにもみえる。


 しばらくみつめあって、ようやくエドバルドはウミガメの意図を理解した。


「……リクエストかい?」


 エドバルドの声は、まるで宇宙にこだまするように響いた。

 船内のだれかが聞きつけてこないのがふしぎなくらいだった。


 ウミガメはしばらくふにふにと四肢を動かしたのち、甲板にうずくまるように落ち着いた。

 ランプのあかりを抑えたかのように全身の光が弱くなる。

 ウミガメの身体にふれてみようかと迷ったが、驚かせてもわるいのでやめた。


 エドバルドは深呼吸してから、リクエストに応えることにした。

 まるで見知らぬ街角で、流しの演奏家になったみたいな気分だった――。


 演奏が終わると、ウミガメはゆるゆると海にもどり、どこか遠くにいってしまった。

 しばらく、波の音だけが聞こえていた。


 エドバルドは夜明けの甲板に立ち尽くしたままで、「ずいぶん早いじゃないか、ちゃんと寝たのかい?」と知り合いの水夫に肩をたたかれて、ようやく現実にもどった。

 

 朝陽はとてもまぶしかった。

 結局、謎のウミガメのことはだれにも相談できなかった。

 童話の主人公にでもなったみたいで、説明するのも気おくれしたし、なぜだかだれにも真相がわからない気がしたのだ。


 特別な体験を自分だけのものにしておきたいという気持ちもあったかもしれない。

 しかし、それはやはりまちがいだった。

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