59 情感を重視したフレーズ
顔つきから、まわりは勝手に鈍感だと決めつけるけれど、じつはいろいろなことを感じているし、それを表現したいとずっと考えているけれど、気おくれしてしまってできずにいる。
だから、エドバルドは気弱な目をして、臆病な態度をとり、いつでも膿みつかれていた。まるで終わりのない階段を昇りつづけているかのように。
地味な容姿で、周囲をして「なにを考えているのかわからない」と評されるうつろな瞳と、無気力にみえる色白で細い手足、神経質で過敏な心――それらは余計にエドバルドから同級生たちを遠ざけた。
しかし、孤独を好むことと淋しがりということは、かならずしも相反しない。
だから、いつでもエドバルドは、子どもたちのたまり場のいちばんそとから、無邪気に遊んでいる幼馴染みたちを、指をくわえてみつめていた。
だれかと話したいとき、エドバルドは木彫りのみみずくを相手にした。
それは建国記念祝祭の市場のかたすみで売られていた10センチほどの代物で、値段はあきらかにぼったくりだったけれど、エドバルドは小遣いをはたいて購入した。
売場で目が合った瞬間に、みみずくがエドバルドに「ぼくを買ってほしい」と呼びかけているように思われたのである。
以来ずっと、みみずくはエドバルドの親友となった。
名まえはつけていたが、だれにも内緒だった。
エドバルドは親にも気づかれないように、いつでも小声で相談をしたり告白をしたりした。
みみずくは何年経っても捨てられることはなかった。
学校に通うようになり、五線譜に出逢ったとき、エドバルドは新しい友だちをみつけた。
ピアノをはじめとする楽器群だった。
エドバルドは目線のさきに、大きく世界が拓ける感覚を得た。
果てしなく遠くまで、その世界はひろがっていた。
一生を賭けて、音楽の世界を探索したいと思ったのである。
五線譜をたくさんの記号で埋める作業は、みみずくと会話することに似ていた。
ほかはなにもできないといっても過言ではなかったけれど、音楽活動だけはずっとつづけることができた。
実家にはピアノがなかったので、エドバルドは学校や音楽堂に忍びこんで、かくれて弾いたりした。
そのうち教師たちには気づかれてしまったが、面白半分ではなく、まるで祈祷でもするみたいな集中力で真摯にとりくむエドバルドを、大人たちは見過ごすことにした。
みるみる上達する器楽演奏の腕はほどなく評判を呼び、ときに作曲をすれば神童とさえ呼ばれ、近所の牧師には典礼用のオルガン曲を依頼されるまでになった。
10歳になったとき、顔色がわるく気難しい目つきをした老人がエドバルドをたずねてきた。
仏頂面で不遜な人物だったが、案内してきた教師は恐縮しきりだった。
エドバルドは凝視されて気持ち悪かったので、無愛想な対応をした。
あとから聞いて、その人物が王立音楽院の巨匠マウリツィオだということを知った。
休日礼拝のときに、牧師からエドバルドの噂を聞いておとずれたのだという。
老人はあごをさわりながらひとしきりエドバルドの練習を聞いたのち、沈黙で気まずくなり居心地悪そうにしているエドバルドに話しかけてきた。
いつから弾いているとか、だれかに習ったかとか、作曲は好きかとか、譜面を書いているときはなにを考えているかとか、どちらかといえば世間話に近いものだった。
ただでさえ他者とめったに会話をしないうえ、相手が老人だったこともあり、エドバルドはつっけんどんに答えた。
「いつからかなんて憶えていません。かくれて弾いていたぐらいだから習っていません。呼吸みたいなものだから好きもきらいもないです。もやもやしたものをつかまえるみたいな感じです――」
老人はなにもいわずにじっとエドバルドの目をみてから、きびすをかえして帰っていった。
エドバルドは終始もじもじして、最終的には気分を害した。
それから一ヵ月後、マウリツィオから招待状がきて、エドバルドは王立音楽院に異例の入学を果たすことになった。
両親が手放しで喜んだので、エドバルドはそれでいいと思った。
以後音楽院において、エドバルドは理論や技術の習得と歴史の勉強をすることになった。
招かれたのだから、いやなことはしないという決意をもって臨んだが、どれもきらいになる要素はなかった。
難解の理論を実践的な作業にむすびつけて考えることは難儀だったが、それもきらいになる理由にはならなかった。
みずからが、いかに感覚的で衝動的だったかを知った。
先達のほうが苦悶していたし、そのぶん多くの工夫をしていた。
厳しい環境や境遇にあって、多くの発見をしていた。
ほとんどの先人たちが、幸せとは言いがたい人生を送っていたが、むしろそのせいかエドバルドは共感することができた。
マウリツィオ師は周囲の学生の評判ほど厳格ではなかった。
かんしゃくを起こし、その怒声だけで窓ガラスが割れたなどという逸話もあるようだったが、少なくともエドバルドは叱責も督励もうけたことはなかった。
いつかその理由を訊ねたいと思っていたが、結局忘れてしまった。
しかしそのせいか、ほかの院生たちはエドバルドに距離をおいた。
若くそして優秀であるがゆえに例外を認めることができない学生たちが多く、妬みのない学生たちも決して好意的ではない好奇の目を向けてきたりした。
悋気の渦潮はすぐに、エドバルドを孤独のほとりへと追いやった。
それでもエドバルドは慣れていたから、沈黙をつらぬいた。
なんであれ音楽に没頭できたので、それから何年もそうやって過ごした。
基本的には音楽院の校舎と自宅を往復するだけの日々だった。
机上で学んだり、鍵盤のまえでこつこつと作業しながらも、エドバルドは想像の世界で生きているようなものだった。
円形校舎では大勢の人たちとすれちがったり、かたちだけの接触をすることもあったが、エドバルドにとっては知らない都市をおとずれるようなものだった。
たまに背後で複数の笑い声が聞こえると、逃げだしたい衝動に駆られたりした。
苦手でも定期的に音楽院が主催する演奏会や発表会に参加しなければならなかった。
聴衆の目はやはりこわかったので、エドバルドはいつでも上着のポケットに相棒のみみずくをしのばせていた。
舞台袖でポケットに手をつっこみ、みみずくをなでながら、声はださずに話しかけた。
まわりからは瞑想しているふうにしかみえないはずだ――そう思っていたのに、めざとく、みみずくに気づいた女性がいた。
舞台袖にいて、絶え間ない緊張からみみずくのあたまをなですぎて、その耳がとれてしまったことに驚き、思わずポケットからだしいれしてしまったとき、その様子をみられていたのだとあとで知った。
ある雨の夕べ、講堂のひさしで雨宿りしていたさなか、「ふくろうかしら――?」といきなり声をかけられたのだ。
エドバルドは驚愕のあまり、クラリネットで高音スタッカートをしたかのような息をもらしてしまった。
首筋と耳のうしろがじんわりと熱くなり、やがて大太鼓のロール・クレッシェンドみたいに心臓がどきどきしてきた。
そのときのエドバルドには、自分以外は全員が快活で社交的にみえたから、ニーナがぎこちない笑みを向けてきても、からかわれているようにしかみえず、それを好意的に解釈することなどできるはずもなかった。
しかしそれ以降、ニーナはなにかにつけてエドバルドに接触してきた。
侮辱や嘲弄のためではないことはすぐにわかった。
ニーナはそっと手をのばし、おっかなびっくり、エドバルドの心の奥をさぐるように関心を示していたのである。
最初は音楽のことだけについて、やがて慣れるようになると、個人的な話題についてふれるといったやりとりだった。
ニーナの最終的な目的がどこにあるのかわからなかったが、しばらくするとエドバルドは心の壁をきれいにとりはらった。
ニーナの微笑をみていると、裏切られてもかまわない、そう思うようになったのだ。
生まれて初めて、他者を信じたのである。
ほんとうの信頼はいつでもこんなふうに、心の奥深くで結ばれ、どこかみじめでむなしく、憂いを帯びた側面をもつのだろう。
まるめた譜面を杖のようにして、ずっと一人で生きていくと思っていた。
それでもエドバルドは、眠れない夜に天井をみつめながら結論をだした。
ニーナとともに生きてみよう。
サロン仲間のフロスやレポロも、態度でもってニーナを認めてくれた。
温和なフロスはともかく、斜にかまえて舌鋒鋭いレポロもまた、エドバルドがニーナに寄り添うことを慶事として歓迎してくれたのである。
エドバルドのすすむ道の幅は、ほんの少しだけ広くなった。
エドバルドの作風は生涯を通じてそれほど変転しなかったけれど、そのときを境にして、みずうみに一滴のしずくが落ちるぐらいのちょっとした変化がみえた。
公理よりも、感受性にもとづく情感を重視したフレーズの萌芽だった。




