4 のら猫の気分
ルイはくりかえす波に向かって目を細めていた。
海をみつめていたが、じっさいはなにかを注視しているわけではなかった。
気候は夏に近づきつつあったが、もともと踊り娘で露出の多い舞台衣装のまま旅にでてしまったため、砂漠のキャラバンで手に入れたすっぽりかぶる形状のコートを着ていたものの、薄着であることは否めず、潮風にあたっていると鳥肌もたってきた。
ルイは無意識にコートをまさぐりながら、禍事から一ヶ月が経過していることを指折り数える。
月日が過ぎるのは早かったが、まだ沙漠の国の夜については昨日のことのように思いだせた。
「6つあるかけらをすべて収集すると夢が叶う」という伝説をもった宝石のかけらのひとつ〈沙漠の花〉を強奪するため、大盗賊団〈鹿の角団〉の幹部ハーマンシュタイン率いる軍勢が沙漠の国の城郭都市を蹂躙したのだ。
そのとき、たまたま興行で王宮をおとずれていた〈舞踏団ルルベル〉の一員だったルイも被災することになった。
結果的に都市は壊滅し、宝石のかけらは盗賊団の手にわたってしまったうえ、王族関係者は(ルイとともに現場から逃れることができた)アルバート第一王子と宮廷魔法使いディレンツァを除いて全員が虐殺されてしまった。
舞踏団や民衆も多大な被害をうけており、生存者がいるかさえいまだ不明だった――あの夜を回想すると、ルイは身も凍るような気持ちになる。
しかしルイはそんな怯懦を顔にはださず、自分よりも臆病で煮えきらないうえ頼りがいもないアルバート王子の尻を蹴るようにして再起の旅にでるよう、うながした。
盗賊団が狙う「夢が叶う」宝石のかけらの残りをさきに収集することで妨害し、すでに横取りされているぶんを奪取することで「沙漠の国の復興」を宝石に託すというのが旅の主旨だった。
おおむね発想自体が夢物語のようでもあり、当初はどこか地に足がつかない旅だったが、〈鹿の角団〉の刺客たちと攻防を交えているうちに、ルイのなかでもにわかに現実味が湧いてきている。
もっとも旅の仲間のなかでいちばん理知的かつ博識で世相にも通じているディレンツァが反意を示さないのだから信じない手もないだろう。
救いとは信じるということにちがいない。
沙漠の国をあとにしたのち、一行は草原の国の宝石のかけら〈荒城の月〉をもとめて辺境の丘にそびえる〈月の城〉に赴いた。
長年かくされていた宝石のかけらを(ディレンツァにいわせれば偶然も手伝って)発見することができたが、いま一歩のところで盗賊団にもち去られてしまった。
あのときの刺客の女の生意気で挑発的な憫笑を思いだすたびに、ルイは地団駄を踏みたくなる。
じっさいのところ、いま一歩およばないというのは遠くおよばないということを意味しているのだ。
それから一行は王都に向かうべく、内海東岸に位置する〈はずれの港町〉に到着した。
そこで偶然遭遇したギャング団の少年バドとトレヴァ(しかもさらなる偶然としてバドたちは水の国の宝石のかけら〈湖面の蝶〉を難破船の積荷のなかから拾っていた)とともに再度、どちらかといえば間接的にだが、盗賊団と接触することとなったが、こちらも最終的に、〈湖面の蝶〉については刺客の手にわたってしまったと推測できた。
バドやトレヴァからの情報をもとにすると、ほぼまちがいないだろう。
その代償にバドとトレヴァの命を救うことができたという見解もあるが、逆境のなかにあってそれで満足できるかといえばそうともいえないのが現状だった。
もっとも、望むものが理想のかたちで手に入ることはまずないものだけれど。
とにかくそんなこんなで、いまアルバート王子とディレンツァが〈はずれの港町〉の保安局に盗賊団とギャング団をめぐる一連の顚末――ギャング団に二人の死者および行方不明者がでたことの注進に赴いているのだった。
ルイは書面手続きが苦手だったので同行しなかったが、もっともディレンツァからすると、保安局の執拗な取調べにあうことでルイがかんしゃくを起こしたりして事態がややこしくなる可能性を回避できたので、要するに話はうまくおさまっているのである。
ルイは海岸をぶらぶら歩きながら停止された内海航路について思いを馳せていたが、ふとすると脳裏にうかぶのは悔しい思い出や、はがゆいできごとばかりで少しも愉快ではなかった。
その結果、ぼんやりと海や波をみつめることになったのである。
すると、よごれた仔猫がきて、ルイのすねあたりに頬ずりをした。
「ん? なに、どうしたの? おなかが空いたか?」
ルイはかがんで仔猫ののどをなでる。
仔猫はぐるぐるとくぐもった声で鳴いた。
「ごめんね、なんにももってないのよ。むしろ私が恵んでもらいたいぐらい」ルイが微笑すると、仔猫も似たような表情をした。
そして、親猫たちがたむろするほうに走り去る。
漁港が活発だった頃は、おねだりをすることで漁師たちが奮発してくれたのだろう。
ルイは暇そうなのら猫の群れをみつめながら、「ほんと、私たちだって困ってるんだから……」とひとりごとをつぶやいた。