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43 白魚のような美しい肌

 暗い草原を、雨にうたれながら黙々と移動していたが、ルイは興奮していた。


 眠りこけていたアルバートたちを置いてけぼりにしてしまったが、そもそもがまぼろしの空間ならそれでもいい気がする。


 夢のなかで夢をみているようなものだから、とにかく夢から醒めればなんだっていいのだ。


 ディレンツァとジェラルド王子が先導してくれているので、心細さは皆無で、むしろこちらのほうが安心感がある。


 ディレンツァもジェラルドも平然としており、なにかしらの確信を得ているようなところもあるようなので期待できる。


 ジェラルドの顔は自信にあふれている。

 やはり一国の王子たるもの、そういった自尊心は秘めていてもらいたいものだ――ルイは鼻息をもらす。

 アルバートにはみじんもない闘志である。


 やがて断崖にたどりついた。


 霧状の雨が、風にのって海のほうからうずまいてくる。

 崖下につづくそば路に入るまえに、遠くをみつめてみたが、空も海も真っ暗でなにもうかがえなかった。


 そば路は険峻で、ルイの耳には風雨が雨具のフードをたたく音と足音、それから鼓動だけしか聞こえてこなくなった。

 思いのほか崖は高い。

 4、50メートルはあったかもしれない。


 入り江までくると、黒い海のうねりに目をうばわれて、ルイは思わずのけぞってしまった。

 嵐がいま以上に荒々しくなったら、安全な場所はなくなるだろう。

 怪物の群れのようにみえる黒い岩塊の隙間をうめてひろがる潮流に、ルイは目を細める。


「こっちだ――」

 ディレンツァの声にふりかえると、崖にできた洞穴に侵入するジェラルドの背中がみえた。

 

 悪魔の切れあがった口のような亀裂状の穴だった。


 ディレンツァにひっぱられるようにして、ルイもおそるおそる入る。


 しかし、おぞましい地獄への入口かと思われた洞穴は、まばゆさで目がくらむような光で充ちていた。

 まるで長さの異なるキャンドルが無数にならんでいるかのように岩肌がキラキラとかがやいている。


「すごい――」ルイの感嘆に、「カンテラのあかりを拡散反射している」と先頭のジェラルドが答える。


「しかもツチボタルがたくさん集まっているようだ」とディレンツァが補足した。


 ルイは息をのむ。「異世界の名にふさわしいわ」


 三人は無言で歩いた。

 まるで宇宙を歩いているみたいだった。


 やがて、広い空間にでた。


 ルイのヒールが水たまりを踏む。天井からたれさがるたくさんの鍾乳石から水がたれ、ごつごつした岩場をぬって合流して小川になり、やがてみずうみへとそそぎこまれていた。

 それらの水でさえも光を放っている。


 そして、そのみずうみの中央の浮き島に――女性がいた。


 髪が長く、流れる水のようにつややかな毛質をしている。

 春の花のような淡い明るい色の衣服をまとい、うすい生地が幾重にもかさなったスカートを履いていた。


 ディレンツァの事前談話から一瞬人魚ではないかと錯覚してしまったが、スカートのさきからはつまさきがのぞいていた。

 白魚のような美しい肌だった。


 女性がルイたちに気づき、はっとした。


 その緊張感がつたわってきて、ルイも動揺する。

 ルイたちにおびえているそぶりさえあった。


「ねぇ、彼女が人魚とか、そういうことなの……?」ルイは小声で二人に訊ねる。返事をしてくれるなら、どちらでもよいと思った。「……足がちゃんとあるみたいだけど」


 しかし、男性陣ではなく女性が反応した。

 ゆらりと億劫そうに身体を動かし、それがルイには一瞬よみがえった死者を連想させた。


 そして、その動作とともに女性の意思が、低く重い声のようにつたわってきた。

 明確な意思表示としての拒絶だった。

 憎しみかそれ以上の負の感情が重みとして、ずしりと心にのしかかってきて、ルイは苦しくなる。


 女性の肩はうなだれているために落ちて、顔に長い髪がたれかかったため、表情がよくみえない。

 流れる髪は光をまとうようにきらめいていたが、面容は重く暗い印象だ。


 ルイが二の足を踏んでいると、ジェラルドが女性に語りかけた。「われわれはあなたの望む人物ではないかもしれない。しかし、ここにくるよりほかになかった。だから理解してもらえるとありがたい。われわれは――」


 しかし女性は、ジェラルドのおだやかな口調に最後まで耳をかたむけることなく、髪をふりみだすように顔をあげると、ルイたちをにらんだ。


 目が血走っていた。

 獣じみていて、ルイは思わず腰がひけてしまい、ジェラルドも絶句した。


 女性の憤怒はディレンツァに向いていた。

 なぜかわからないが、ディレンツァがあのふしぎな家で、ピアノにふれたことを厭わしく思っていることがつたわってきた。


 女性の双眸が燃えあがるように不快感を示し、そのせいかルイの顔や腕さえもじりじりと焼かれるように熱く感じる。


「なにこれ、熱い!?」とルイが叫ぶと、その瞬間に、ディレンツァが後方に弾きとばされた。


 まるで、猛牛に体当たりを喰らったかのようなとばされかたで、ディレンツァは岩壁に激突すると、そのまま水たまりに落下した。


 ルイは驚愕のあまり、それらを目で追うことしかできなかった。


 ディレンツァは水たまりに手をつき、よろめきながらもたちあがろうとしている。

 大事にはいたっていないようで安心した。

 しかし、予断をゆるさない状況ではある。


「ちょっと、どうなってるの……」ルイが歯ぎしりすると、ジェラルドが一歩まえにでる。「われわれはあなたに危害をくわえるつもりもなければ、あなたを妨害するつもりもない。あなたに接触するよりほかに、あなたと距離をとる方法が思いつかなかっただけなのだ」


 演説調で、よく通る声だった。


「われわれは内海を航行しているさいに、誤ってここに迷いこんでしまった。厳密にいえば、あなたをしてここにみちびかれたというほうが正しいのだろう。真意や意図がわからないため、われわれはそれさえも判別できない立場にいる。しかし、だからこそ、われわれには抵抗するすべもなかったのだ――」


 よどみなく流麗な語りくちで、少なくともルイはそれ以上にうまく交渉できる能力も自信もない。

 そもそもルイは、きっとジェラルド以上に現況を理解していないのだ。


 ジェラルドは淡々と折衝にあたっていたが、女性には変化がうまれなかった。

 身じろぎひとつせず、返事のひとつもない。

 あるいはそれは、説得できているということなのかもしれない。

 ルイには見守ることしかできなかった。


 ディレンツァがもどってきてルイにならんだ。

 全身ずぶぬれで顔色もよくなかったが、一瞬だけルイをみて、ちいさくうなずいた。

 大きなけがはないという意味だろう。


 ジェラルドがさらに声高になり、さらに一歩ふみだした。

 威圧感はまるでなく、高度な交渉術といえた。

 場数を踏んでいるのだろう。

 ルイもそれをみて、なんだか安心してしまった。


 しかしまさにそのとき、入口のほうからがやがやとやかましい喧騒が聞こえ、ルイがびっくりしてふりかえるとアルバートたちが入ってきた。


 思い思いにしゃべっているせいか明瞭に聞きとれないが、気の昂ぶりからか狂騒感がある。


 ルイはするどくにらみをきかせながら、口のまえにひとさし指をたてる。


 アルバートだけが敏感に察して、おびえた仔羊ような目になったが、レナードやベリシアたちは「どうしたんだ!?」「急にいなくなったから心配したのよ?」などとさらに声音を高くして話しかけてきた。


 いかにも無神経で野放図な集団の登場である。


 ルイは女性をふりかえる。


 せっかくジェラルドが巧妙な話術を駆使していても、謎の騒音集団の出現はよくない刺激に決まっている。


 案の定、女性は瞠目してアルバートたちをみて、おののいたしぐさをした。


 ジェラルドの声はもう耳に入っていない。

 女性はふたたび全員に悪意をこめた視線を向けた。

 その場にいる全員が動転するぐらいの拒否感だった。


 瞬間――ディレンツァが「身をかがめろ!」と叫んだため、ルイは条件反射のようにそれにしたがう。


 するとルイの全身が、半透明の水晶型の光の盾に守られた。

 いつか草原の国で一度みた魔法である。


 その光の盾のおかげで、ルイはディレンツァやジェラルドとともに、女性が放った不可視の衝撃波を無傷でやりすごすことができた。


 しかし、アルバートたちは防御体勢をとることさえできなかったため、もろに攻撃を喰らい、もんどりうって後方の岩壁だの水たまりだのにはじきとばされてしまった。


 悲鳴と喚声と驚嘆の声が洞内に響きわたる。


「なんだなんだ? ずいぶんなごあいさつじゃないかよ……」いちばん遠くまでとばされて、後頭部をおさえながらあぐらをかいているモレロがぼやく。

 天井の鍾乳石であたまをぶつけたあと、水たまりに落ちたらしい。


 アルバートやレナード、ベリシアもけっこうな距離をとばされており、重量級のウェルニックでも数メートルはころがったようだ。

 全員困惑の表情で、びしょぬれである。


 それでも女性の感情のみだれはおさまることなく、拒絶の意思表示はみえない衝撃波として、間断なくくりだされていた。


 光の盾が何度もそれを遮断していることで、ルイもそれをみることができた。


 手足をふりみだして暴れているわけではなく、むしろ目つき以外はおとなしいぐらいだったが、女性は狂乱状態だといえた。


「ねぇ、どうすればいいのかしら――!?」ルイは防御の衝撃でとびちる水滴に顔をしかめながらディレンツァをみる。


 ディレンツァは相貌をけわしくして歯を喰いしばっている。


 顔の輪郭にそって流れているのは、雨や地下水ではなく汗のようだ。

 光の盾の魔法によって消耗しているのだろう。


 このままあの女の人の機嫌がおさまるまで待つってわけにはいかないわよね……ルイは腹を決める。


 するとジェラルドと目が合った。

 どうやらルイとおなじことを考えているようだ。


 とにかく隙をみて跳びかかるしかない。

 容姿で判断するかぎり、女性はルイのような小市民ではなく、高貴で上品な淑女である。

 押さえつけて頬のひとつでも張れば、気落ちしておとなしくなるかもしれない。


 ジェラルドが「陽動作戦が必要だ」と低い声をだした。

 やはり同様の思考をしていたといえる。


 しかし戦術についていえば、聞こえはいいが、要するに矢面にたつ人間がいなくてはならないということだ。

 だれかがみずからを犠牲にしてでも、女性の注意(攻撃)を惹きつけねばならない。


 以前おなじくらい危急のさいに、アルバートを人柱にしたこともあったけれど――ルイはふりかえってみたが、遅れてきた組は全員、思いのほか後方にいた。


 アルバートにいたっては、まだたちあがっておらず、すねをおさえて顔をしかめている。

 岩か壁にでもぶつけたのだろう。

 かれらがルイたちの立ち位置までやってくるだけでも、なんらかの戦略が必要にちがいない。


 ルイは困惑する。

 動きようがない。

 これではまるで突然のどしゃぶりのなか、傘を忘れて雨宿りをしているみたいだった。

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