42 濃厚な雨の気配
心やすらぐピアノの音色にまざって、歌詞の聞きとれない高い音の歌声が聞こえていた――そして、それにだれかの話し声がまざり、そのあとドアの閉まる音も聞こえた――夢のなかでアルバートは、いろいろな音を聞いた。
徐々に覚醒してくると、ぼんやり寝ている場合ではなさそうな気がしてきた。
ルイの冷たい視線を浴びている感覚を味わい、アルバートが急に背筋をのばしてきょろきょろしたので、ソファのきしみが響いた。
しかし、ルイのすがたはみえなかった。
口をあけて寝ていたせいで、のどが乾燥していた。
かるくせき払いをすると、となりで寝ていたマッコーネル船長がむっくり起きあがってしまった。
「あ、す、すみません――その……」アルバートがとりみだすと、船長は「きたか――あの野郎が!」とごにょごにょ寝ぼけたが、それにともなってテーブルを蹴りあげたため、グラスや皿が派手な音をたてて散乱し、それによって床で折りかさなって寝ていたウェルニック、レナード、モレロが跳びあがるようにして起きた。
「あ、あの――」アルバートがなんと弁明すべきか迷っていると、「ねぇ、ルイがいないわよ?」と二階からベリシアが目をこすりながら降りてきた。
「え?」アルバートは言葉につまる。
しかし、起きぬけの直感がただしかったことを悟った。
「なぁ、だんなもいなくないか?」モレロがあくびをする。
アルバートはたちあがってピアノの部屋をのぞいたが、ジェラルドだけでなくディレンツァもいなかった。
すると、強い風で建物がきしんで、ガラス窓がガタガタと鳴った。
レナードが窓のそとをみる。「そとは嵐か――」
「外出したってことですか」ウェルニックがつぶやいた。
風が同意するように、ひょうと鳴る。
アルバートはみょうな焦りを感じた。
――そのとき、二階のベランダには、〈鹿の角団〉の頭目二人がいた。
ティファナは上空を見あげて小雨を顔面で浴びており、ザウターはそんなティファナをみている。
しばらくするとティファナが、「淋しいんだね」とつぶやきながらザウターをみた。
ティファナの真意はわからなかったが、ザウターも急な風雨に胸騒ぎをおぼえていた。
「とりあえず顔をふけ」ザウターは手ぬぐいを渡す。
ティファナはそれを受けとると、ほっかむりをするみたいにしてあたまに巻いた。
「さて、ここからは隠密行動だよ?」
急に話がすすんだ。
とりあえず、ザウターはうなずく。「下の連中も動きだしたようだしな」
ついさきほどまで、二人は大胆にもベランダから入りこんで、寝室のキングサイズのベッドで休憩していた。
ザウターはベッドに坐っていたが、ティファナはなにが根拠かわからないが、「だいじょうぶだいじょうぶ」と笑いながらベッドに横になった。
ぬいぐるみがたくさん置かれたベッドでぬくぬくとしていて、しばらくするとくぅくぅ寝息さえたてた。
ザウターはぼんやりと船出以降を回想し、ティファナが暗示した「この世界」について漠然と考えていたが、深夜をまわり雨の気配が濃厚になってきた頃、ティファナが突然むっくり起きあがったので思考が中断した。
それと同時に階下で足音がした。
ゆえに、二人はベランダに忍びでたのである。
手すりから慎重に身をのりだすと、入口のステップを降りたところに三人の人影がみえた。
ポーチランプに照らされた顔は、火の国の王子に、沙漠の国の魔法使い、それから小柄の踊り娘だった。
厄介な組み合わせである。
何事かを話し合っていたようだが、やがて三人は草原に踏みだして、崖のほうへと走りだした。
「残りの連中とは別行動をとる気か?」
ザウターは三人の影をにらんでいたが、すぐに闇にまぎれてみえなくなってしまった。
「あのちび女はきらいだけど――」ティファナは目を細める。「ふぅん。感じとれたんだ」
すると、ドアの呼び鈴がコロコロ鳴って、残りの連中が落ち着きなくどたどたでてきた。
あわてて雨具などを身につけるさまは、地に足がついていない。
まるで先行する三人に置いていかれたみたいにみえる。
「ねえ、こんな状況だけど、ほんとうに入り江に向かったの!?」「それしか考えられないぜ!」「とりあえず遅れをとらないほうがいい」「あ、足もとに気をつけて……」と残党たちはみょうに興奮した口調で会話したのち、おっかなびっくりといった足どりで草原へと踏みこんだ。
ふたたび、黒い影のかたまりが闇夜にまぎれていく。
ザウターがちらりと視線を向けると、ティファナは夜の散歩をする猫のように目を細めた。




