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41 崖の下のたずね人

 パティが深夜にめざめたのは、最初は雨音のせいかと思った。


 しかし、しばらくして、枕もとに押しよせるさざなみのような波長の魔力を、全身で感知したからにちがいないことがわかった。

 まるでだれかに呼ばれたかのような気さえして、一気に覚醒したのである。


 気配を察したのか、ステファンが髪をかきあげながらパティをみていた。

 いかにもだるそうな目つきだ。

「どうした?」


「あ、すみません――」と謝罪したところで、近くでまるまって寝ていたはずのモカがいなくなっていることに気づき、パティははっとする。


 しかしすぐにベッドサイドのテーブルに立っているのをみつけた。


 アマリリスの花瓶の横にならんで、窓のそとをみつめているようだ。

 いつもおなじような顔つきなのでわかりにくいが、いつになく真剣な横顔にみえた。


 パティが黙っているので、ステファンが上体を起こした。「どうかしたの?」


 パティが答えに窮していると、ふいにモカが「キキ」とちいさく鳴いて、テーブルからぴょんと跳びおりた。

 そのままテテテと走りだす。

 昼間のように暴走しはじめたのである。


 パティはあわててベッドからおりてつかまえようとしたが、小ザルは器用にドアを開けて、でていってしまった。


「なにあれ? おしっことかじゃないわよね?」ステファンが呆然とする。


 パティは一抹の不安をおぼえ、「ちょっと心配なんでみてきます」とみだれる髪をゴムでむすんでから追いかけた。


「あ、待って、一人でいかないで――」ステファンが手をのばしたが、パティも動転していたせいでたちどまらず、つかまえられなかった。


 部屋をでて宿泊棟の入口までくると、ダグラスがいてパティは驚いた。


「あ、パティ――いまモカの野郎がどっかにいったか? うしろすがたをみかけた気がする」


「はい、急に跳びだしていっちゃって……」


 ダグラスは眉をひそめた。「突然、野性を発揮するよな、あいつは」


 パティは息をととのえて訊ねる。「あの、ダグラスさんはどうして?」


「ああ、なんか例の詩人さんが知らないうちにいなくなってたんだよ。で、隊長が気にして見まわりにいったんだけど、なかなかもどってこないから、しかたなくオレもってわけ。そしたら、あのちびザルをみかけたもんだから、面喰らってたんだよ」


「――あれ、なにやってんの?」すると、ステファンが追いついてきた。

 髪に手櫛しながら、「そとは雨ね、髪が湿気でモサモサだわ」と口をとがらせる。


 入口ドアを開けると、雨の匂いが鼻腔にひろがった。


 風も強く、草原をときどき吹きわたる音がざわざわ響く――そのせいか、なんだかどきどきしてきて、パティはつばを飲みこむ。


「あ、なんだ、そこにいたのか」ダグラスが素っ頓狂な声をだしたのでみると、テラスの雨避けの下にアルフォンスとバレンツエラがならんで立っていた。


 モカもアルフォンスの肩にのっていたので、パティは安堵する。


 二人と一匹は崖のほうをみながら佇立していた。


 三人が近寄ると、バレンツエラだけが気づいてこちらをみた。「ああ、すまない」


「いいっすよ、それよりどうしたんですか?」ダグラスが訊ねる。どことなく場の雰囲気が厳粛なので、ダグラスさえも真顔だった。


「ああ、詩人殿がな……」隊長も答えあぐねて眉をひそめる。「入り江が気になるらしい」

 ダグラスとステファンの顔が一気にゆがむ。


 確かに不可解で、なんとなく良い知らせとは思えない。

 パティはめざめた瞬間から、なにかしらの魔力を感じていたので、さらに閉口してしまう。


 するとアルフォンスがちらりとパティをみた。

 パティは狼狽してしまい、詩人は微笑する。


 詩人の肩にのっていたモカが、「キキ」と鳴いてとびおり、パティのところへもどってきた。

 そしてスカートをつかみ、腰に手をまわし、するするのぼって右肩までやってくる。


 おそらく部屋の花瓶からとってきたのだろうが、右手にアマリリスの花を一輪もっていて、それをパティの髪のゴムの結び目に挿してきた。


 いたずらのつもりなのか、謝罪のつもりなのかよくわからないが、突然のことなので怒る気にもなれなかった。

 ダグラスあたりがからかってもおかしくなかったが、重々しい空気に呑まれたのか、全員それを目で追っただけだった。


「こんな夜を待っていたような気がする……」しばらくすると、アルフォンスが真っ黒の空をみつめながらつぶやいた。「――行ってみようか」


 不穏な状況で、パティたちは声を発することができなかったが、だれも反対はしなかった。


 夜中にめざめたせいもあるし、遠くの空がうずまいているせいもあったのかもしれない。

 切れ間ない細かい雨がふっているせいもあるし、風がうるさいほど逆巻いているせいもあったかもしれない。


 しかしそれゆえに、そのために集まったことを全員が自覚してきていた。

 それはこの任務の転機になるできごとが起こるにちがいないという直感も内包している。


 アルフォンスを先頭に雨のなかを歩きだす。


 雨しぶきが風にのってきて、ときどき両目をふさいでしまう。

 バレンツエラとステファンが気をきかせて持参してきてくれた雨具がなければ、全身がびしょぬれになるところだった。

 ダグラスが用意していたカンテラがなかったら、視界も暗闇だった。


 パティは自分だけが衝動で行動しているようで痛恨の思いだった。

 しかし、そんなふうに自省していたら、濡れた草原に脚をとられてころびそうになって、しんがりのバレンツエラに「落ち着くんだ」と声をかけられた。


 夜の草原は、昼間とはまったくべつの顔をしていた。

 まるで路を少し踏みはずしただけで、果てしない深淵に落下してしまいそうな不安感が脳裏をよぎる。


 崖のうえまできたところで進路はわきにそれた。

 崖下へとつづくそば路に入る瞬間、海から吹きあげてきた風に煽られて面食らった。


 雨具のフードをモカが抑えつけてくれたので、顔を濡らさずに済んだ。

「ありがとう」顔をゆがめるパティに、小ザルは「キキ」と応える。

 それがとても能天気な顔にみえて、パティはみょうに安心した。


「すごい風雨だな? 嵐みたいだ! こんな予報だったか!?」ダグラスが吠えるように叫んだ。

 ダグラスは雨具のフードをかぶらないポリシーらしく、強制的にオールバックになっている。


「嵐の予報なんてなかったわね……でもこんな悪天候のなか、入り江におりるのはこわいわ」ステファンが口もとをゆがめる。


 海では、黒い波が大きくうねっている。

 パティはなぜか巨大な動物の胎内を想起した。


 先頭のアルフォンスは躊躇なくつき進んでいる。

 おそれを知らないちからづよい足どりである。


「パティはわかるのかい?」ダグラスが風に負けないように訊ねてきた。「これからなにが起こるのか!?」


「どうなるの!?」ステファンもつづけて叫んだ。


 嵐のせいで興奮しているところもあるだろうが、不安で狂騒状態といったふうでもある。

 なにか答えなくてはいけない。

 しかし、なんと答えるべきなのか。


 パティには具体的なことはいっさいわからない。

 だれかが自分たちを呼んでいる――そんな漠然としたメッセージ。


「たずね人がいる」すると、アルフォンスがふりかえらずに答えた。「君たちがさがしていた人だ」

 

 驚いて全員が脚をとめてしまった。


 しかし、詩人は少しも速度をゆるめずに坂をくだっていくので、みんな動揺を示しながらもあとを追う。


 だれもが言葉を発しようにも、なにをどう話していいかわからなかった。

 全員が無言のまま、崖の下までたどりつく。


 ごつごつとした岩塊が無数に横たわる岩場には、高いうねりの波がまとわりつくように押しよせてきており危険だった。

 油断すると、いまにも波にさらわれてしまいそうで、ステファンがさっとパティの手をとってくれた。


「足もとを照らせ、ころぶなよ」と警告しながら、バレンツエラが足場にあかりを向ける。


「なんだか海から巨大な白い手がにょきにょきでてきて、さらわれちまいそうな気がするな」とダグラスがみょうに生々しい想像をしたため、パティは全身がしびれるような恐怖を味わった。

 

 モカが「キキ!」とダグラスに歯をむいた。


「長居するのはよくないわね、いまより波がきつくなるかも――」ステファンがくちびるをかむ。


 荒波がくると、かくれる場所のない入り江は危険だろう。

 そもそも崖や岩が急峻なのは、何千年ものあいだ、波が岩をけずりつづけたせいもあるはずだ。

 高波にさらわれてしまえば、あっという間に海中へとひきずりこまれてしまうにちがいない。


 アルフォンスは目を細めて波のうねりをにらみ、大粒の雨をもたらす黒い空を仰ぎ、それから崖をふりかえる。


 その一連の動きが美しかったので、思わず見入ってしまったが、みんなすぐに崖に開いた洞穴に目をうばわれた。


 黒い岩肌に、さらに黒い穴があったのだ。


 そういえば資料館でみたスケールモデルにも洞穴が描かれていた。


 バレンツエラがカンテラで照らす。

 穴というより亀裂といった形状だったが、人が3、4人横ならびになっても入れるぐらいひろく大きかった。


 自然と崖全体が、巨大な怪物の顔にみえてくる。

 パティは何度か目をまばたかせる。

 この洞穴に入ることを考えて、となりでダグラスも息を呑んだ。


 アルフォンスはそんなパティたちを尻目に、迷うことなく洞穴に脚を踏み入れた。

 ダグラスがなにか話そうとしたがやめる。


 パティは詩人が洞穴をみながら耳をすませていたことを知っていた。

 おそらく声が聞こえるほうへ向かっているのだ。

 パティもまた、この洞穴内から、微弱な魔力による呼びかけを聞いていたのである。


「キキ」と肩の小ザルがうながしたので、パティもゆっくり脚を踏みだした。

 バレンツエラたちも顔を見合わせたのち、おそるおそるついてくる。


 内部は思いのほか広大だった。

 すみずみまでカンテラの光がとどかないぐらい天井も高かったし、幅も広かった。

 しかも石灰洞であり、つららのような鍾乳石や石筍が無数に存在していて、それらがあかりを反射して浮かびあがっていた。

 気温も下がった気がする。

 まるで早朝の静まりかえった大聖堂にいるみたいだった。


 パティは必死に、アルフォンスの背中を追いかけた。

 詩人は大股で迷うことなく進んでいる。

 周辺を観察する余裕がなかったが、視界はなぜかそとよりも明るい気がした。

 燈火の照りかえしのせいもあるだろうか。


 どれだけ進んだかわからないが、突然たちどまったアルフォンスの背中にぶつかった。


 パティは鼻のあたまをおさえて、「あっ」と悶える。

 モカが反動で落ちかけた。キキ。


「す、すみません――」とパティが謝罪したものの、詩人は硬直していた。

 驚いているらしい。


 パティが詩人の身体ごしに前方をうかがうと、そこにはまるで王広間のような威厳さをそなえた空洞の部屋があった。


 50メートル四方はあるだろうか。

 奥行きはもっとあるようにみえる。


 天井から地下水が無数の糸のようにふりそそぎ、ところどころでみずうみのようにたまり、そこから幾筋もの小川がうまれ、集まったり分かれたりしながらどこかへ流れている。


 鍾乳石やなめらかな岩壁が、カンテラの光を反射して、洞内は真昼のようにあかるくなっていた。


「うわぁ、なんでこんなにキラキラしてるの!?」背後でステファンが悲鳴みたいな声をだすと、バレンツエラが瞠目した。「われわれのランプだけではないな。よくみると岩肌にヒカリキノコバエだろうか――光虫が集まっている、それも大量に!」


「おい、あれは……」しかし、ダグラスが広間の中央をゆびさしたので会話が中断した。


 アルフォンスとパティはもう気づいていた。


 地下水が集まってできたみずうみの浮き岩に――まるで光の化身のように、人魚が一人、鎮座していたのである。

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[一言] おお、とうとう登場ですね!
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