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40 すてきな旋律の哀しい曲

 モレロの念願かなって、あるいはそれが全員の総意にも近かったかもしれないが、一軒家での夕食と宿泊をジェラルドが決定した。


 だれの家かもわからないことに抵抗があったが、メンバー間に安堵がひろまったことは否定できない。

 やはりいまから保存食料を頼りに野宿をするよりは、生鮮食品を口にできるほうがいいし、休憩にあたっては屋根があるほうがいいに決まっている。

 家主に対しての責任は、ジェラルドが請け負うことになった。

 アルバートは終始おどおどしているだけだった。


 レナードとモレロはさきを競うようにキッチンと倉庫をあさり、魅力的な食材や酒類をひきだす。

 エビやイカ、白身魚、貝類のほか、鮮度のいい野菜やフランスパンもあった。


「それじゃなんだか盗賊みたいじゃないですか――」ウェルニックが両手をひろげて神に懺悔したものの、ベリシアがそれらを加熱調理するのはとめなかった。


 なんだかんだで、ルイは貝類とエビを白ワインとトマトで煮たスープとガーリックトーストを満腹になるまで食べた。


「ほんとにおいしい。何杯でも食べちゃいそう。おなかが樽になっちゃうわ」ルイがその料理技術をほめると、「ふだんは味もわからないような連中が相手だからうれしいわね」とベリシアはにっこりした。


 ウェルニックがスープ皿をもちながら苦笑する。


 レナードとモレロはそれにくわえてソーセージなどの肉類も焼いていたし、麦酒なども飲んでいるようだった。


 しかし、ジェラルドやディレンツァもそれほど遠慮はしていないようにみえた。


 アルバートでさえもだんだんと声のボリュームが大きくなり、にぎやかで楽しい夕飯になった。


 みんな一抹の不安をかかえているはずなのに、レナードとモレロは旅路におけるそれぞれの失敗談についての冗談ばかり交わしていたし、ジェラルドもそれにのっかっていた。


 長らく無口なディレンツァと、なにをしゃべっても見当違いなアルバートとしか過ごしてこなかったので、そういう喧騒がなんとなく斬新だった。


 ルイは飲酒せずレモネードにしたが、食後すぐに眠気に襲われた。

 一気に食べすぎたせいか、疲労によるものか、あるいはよく笑ったからかはわからない。


 ベリシアは葡萄酒だったこともあり、口に手をあててあくびをしていたので、二人でさきに休むことにした。


 ジェラルドとディレンツァにその意をつたえ、二階にあがって複数のベッドがある来客用の寝室に入った。

 ここちよいベッドだったこともあり、いつ眠りについたのかさえ気づかないほどすぐに寝ついてしまった。


 ――そして、ふとルイは目を醒ました。


 部屋は暗かったが、ベリシアが手くばりしてくれたのか、ランプにうすあかりが点灯されていた。

 それでも視界がおぼつかない。

 カーテンが閉められているのでわかりづらいが、おそらくまだ夜だろう。


 よく寝た気がして意識がはっきりしてきたが、さほどつかれはとれていない気もした。

 左手で右の鎖骨あたりをマッサージしながらとなりのベッドをみると、ベリシアがルイに背を向けて寝ていた。


 顔はうかがえないが、つややかな黒髪がランプの光を反射していた。

 熟睡しているらしい。

 建物全体が静まりかえっていることをかんがみると、男性陣も飲酒を終えて寝ているのだろう。


 薄闇に目が慣れたので、ルイはそっとベッドからでる。

 床をふんだ音が思いのほか大きく聞こえて、一瞬動きをとめたりした。

 それくらいではベリシアが起きるわけもないのだが、なぜか気をつかってしまった。


 ルイはなんとなく一階の様子をみることにして、部屋をでた。

 となりの部屋(レナードがいうには家主のものと思われる大きなベッドがある)も静まりかえっている。

 ルイはこそどろにでもなった気分で、そろそろと階段をおりる。


 階下も照明が最低限におさえられているようだ――そう思った瞬間、ピアノの音色がかすかに聞こえた。


 ルイは階段の途中でたちどまって耳をすませたが、そら耳ではなかった。


 そのまま一階までおりると、やはりリビングで男性陣がちから尽きたように、思い思いに寝ていた。

 ソファでマッコーネルが横になり、そのとなりには坐った姿勢のまま背もたせに仰向けになり、あごをあげて大口をあけたぶざまなアルバートがいた。

 そのまま口にマスタードでも流しこんでやりたくなる。


 座卓の周辺にはウェルニックが寝そべっており、そこにかさなるようにしてモレロが両手両脚をのばして寝ていた。

 その右脚を枕にしてレナードも横臥している。

 三人とも絨毯にじかに寝ていた。


 ウェルニックなんかは謹厚で折り目ただしいイメージがあるので意外な光景ではある。

 もっとも、ベリシアかだれかがウェルニックは悪酔いしやすいと話していた気もする。

 確かに寝相と礼儀ただしさには関連性はない。


 卓上には飲み食い散らかされたあとがそのままになっており、床にもグラスや食べかすが散乱している。

 家主がみたら卒倒しそうである。


 そういえばディレンツァやジェラルドがいない――そう思ったところで鍵盤の音色がふたたび聞こえたので、ルイの意識はそちらに集中する。


 音はもちろんグランドピアノがあった部屋からだ。

 防音室なのか音色はとてもちいさく遠い。

 ルイは惹きよせられるように、その部屋のドアを開ける。


 やはりディレンツァがピアノのまえに坐っていた。

 しかも本格的に演奏している。

 音で無骨な連中がめざめてもこまるので、ルイは入ってすぐにうしろ手でドアを閉めた。


 闖入者を察知したはずだが、ディレンツァは中断することなく演奏をつづける。


 ルイは黙って耳をすました。

 目前に雪のちらつく荒野がひろがるような、静かで淋しい曲だった。

 ルイは目を閉じたまま、演奏が終わるのを待った。


 しばらくすると、ふっと曲が終わった。

 ルイは急に肩口をつかまれたかのようにびくっとしてしまう。

 沈黙がじわじわとひろがった。

 雪原にとりのこされたような気持ちになる。


 ディレンツァがゆっくりふりかえった。

 無表情だが、それはいつもどおりだ。


「哀しい曲ね」ルイは微笑する。「すてきな旋律だけど……」


「エドバルド――」ディレンツァは椅子からたちあがり、譜面板から楽譜をとると、そのまま物書きデスクまで歩いていって置いた。


 最初にみたときノートだと思ったものは五線譜だったようだ。

 ペンたての横の木彫りのふくろうが振動でゆらりとゆれる。


「夭折した作曲家のピアノソナタ――幼い頃に姉がよく弾いてくれた曲だ」


「そうなんだ……」ルイは少しとまどう。


 エドバルドという作曲家も知らなかったが、そもそもディレンツァに姉がいたことも、いまはじめて聞いたのだ。

 長く同行しているが、ディレンツァについては未知の部分が多い。

 ディレンツァはみずからの身の上話をほとんどしない。


 しかしルイは、個人的な話よりも演奏についてふれることにした。

「無知でもうしわけないんだけど、私はエドバルドって作曲家を知らないわ。ここはその人の家なの? 若くして亡くなったっていうのは……」


 よくみるとデスクの横にF三号くらいの肖像画がかけてあった。

 くせ毛で陰鬱な表情をした気難しそうな男の顔がななめ下をみている。

 エドバルドにちがいない、ルイはそう思った。


「ここがエドバルドの家なのかどうかはわからない。曲もそうだが、楽譜の署名で貴人の私物があることがわかっただけだ。急逝したことについては以前記録で読んだだけだな……事故によるものらしい」ディレンツァは卓上にうつむきながら答える。


 ここの家主がエドバルドだったとして、そこに自分たちがいるのはどういうことなのか……? 

 ルイは考える。


 その表情を読みとったのか、ディレンツァがつづけた。

「エドバルドが遠洋軍役船の船上楽師として外海に着任したさい、王都に帰還したちょうどそのとき暴風雨に巻かれて軍船が沈没する憂き目にあったらしい。本人は望まない任務だったようだが、当時王侯貴族にパトロンをもとめていた音楽家たちには、そういった負荷の大任は避けられないものだったという」


「――そういうのって、いまでもあるものね」ルイは相槌をうつ。「舞踏団だっておなじようなものだわ。なかなかみんな自由には生きられない」


「とかくエドバルドは繊細で世慣れしていない人物だったようだから、いろいろ難儀だったにちがいない」ディレンツァはルイをみて少し黙る。


「……それで?」ルイはたまらず訊ねる。「エドバルドのいきさつは、なんとなくわかったけれど?」


「つまりエドバルドはもう亡くなっている。正確には行方不明だが、そこから生還したという記録もないし、法的な期限を経て失踪宣告もうけており、王都には墓もある。だから、この家は、もっというとあの帆船もふくめたこの世界は、エドバルド自身に起因したまぼろしではないのではないか――と私は思う」


「……えっと、それって――」ルイは混乱する。「まぼろしはまぼろしでも、エドバルドの生みだしたまぼろしではないってこと?」


「ああ、つまり私は、エドバルドの関係者のつくりだした幻影ではないかと考えている」


「関係者――?」というルイのつぶやきに対する返答はなかった。


「私たちは呼ばれたんだ――さっきルイも話していたとおり、特殊な歌で」

 ディレンツァは真っ暗な窓をみる。


「人魚――が、その音楽家の関係者なの?」


 しかし返事はなかった。


「でも、どうして私たちを?」ルイは質問を変える。

 疑問は山のようにある気がした。


「おそらく、われわれを呼んでいたのではない」ディレンツァはうなずく。「だから、われわれは脱出すべきなんだ――」


 そのとき、あまりにも自然に、遠くから歌声が聞こえてきたので、ルイはすぐに反応できず、しばらくしてから、まるで白昼夢からめざめたかのように全身をふるわせた。

 女性のソプラノだろうか。

「あ、あれ――歌!?」


 ディレンツァはゆっくりうなずいた。

 歌声は錯覚ではないという合図である。


「いくぞ――」

 ディレンツァは窓のそとの真っ暗な空間をみつめてつぶやくと、颯爽と歩きだし部屋をでる。


 ルイもあわてて追いかけた。

 リビングで寝ている連中はそのままに、ディレンツァは足早に戸外へと向かった。


「あ――」起こさなくていいの? と問いかけようとしたが、ディレンツァはもうドアのそとだった。


 ルイは逡巡したが、ディレンツァを見失ってもこまると思い、追走する。


 もしかしたらアルバートたちも、歌声で起きるかもしれない。

 もっとも聞こえているのは、めざましというよりは子守歌のようなやさしい歌声だったけれど。


 ドアの呼び鈴がコロコロ鳴る。

 

 野外にでると、雨がふっていた。

 小雨が頬にあたり、ルイは顔をしかめる。

 すぐに髪が濡れて重くなった。


 空は暗雲におおわれ、目前の草原も一面真っ黒だった。

 ステップを降りたところに、ジェラルドとディレンツァがならんでいた。

 二人の背中がずいぶん大きくみえる。


 ジェラルドはずっとここにいたのだろうか――そう思ったところで、ジェラルドがふりかえってにやりとした。「崖の下にたずね人がいる」

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