39 たくさんのぬいぐるみ
子どもの頃にどこかの屋敷でかくれんぼをしたような(そんな経験があるのかいまいち記憶はさだかではないが)、感傷的な高揚感につつまれながら、レナードは階段をあがった。
壁紙はリビングとおなじクリーム色で、階段の途中には編みかごに入った草花が飾られており、照明器具も年代ものの古樹をモチーフにした情緒あふれるものが設置されている。
若い女性を連想させられる趣きがあった。
「ケケ、なんだかドキドキするな!」モレロが背後で高い声をだす。
モレロもそれなりの緊張感を味わっているようだ。
階段のさきには部屋がふたつあり、目で合図を交わしたのち、レナードが近いほうのドアを開けた。
一瞬なにかの気配を感じたような気がしたが、あくまで気のせいだったらしく、室内は無人だった。
「お、でっかいベッドだな!?」
モレロが目を大きくしたのち、助走をつけてとびこんで、キングサイズのベッドのスプリングではずんだ。
ごろごろところがりながらケケケケケケと哄笑する。
「おい、はしゃぎすぎだろ」と注意したものの、モレロの笑みが伝染して、レナードも笑顔になった。
「良い匂いのするふとんだな」モレロはつっぷした体勢で、鼻から息をスンスン吸う。
「変質者めいてるぜ?」レナードはにやにやする。
枕もとにはたくさんのぬいぐるみがあった。
犬や猫やそのほかの動物がひしめきあっている。
「細部へのこだわりが徹底してる。もちろん女性なんだろうけど、家のぬしは繊細な人物のような気がするな」レナードは腕組みする。「しかも金持ちだ」
モレロが上半身を起こし、窓のそとをみる。「だだっ広いベランダもあるな」
壁で区切られて全容はうかがえないが、ベランダには白いテーブルと簡易チェアもある。
これまたおしゃれな造形だった。
「仮に晴れていたとしたら、頭上には星の海って感じか……」
神経質な富豪だが、夢見がち――レナードは居住者を想像してみる。
みょうに着飾って化粧の濃い貴婦人は、王都には掃いて捨てるほどいたが、そんなふうな人たちはあてはまらない気がした。
「ちょっと明るい色合いの家具が多いし、若いかな? もしかして新婚さんだったりして――」
「まじか!?」モレロが急に背筋をのばす。「そんなところにズカズカあがりこんじゃっていいのか!?」
そして、なぜかまともなことを叫んだ。
レナードは目を細める。「いや、なんとなくだって。イメージでさ……どうみても単身者の家じゃなさそうだし、老夫婦って感じでもないだろ」
「ちくしょう、しあわせの園だってか!?」モレロがあたまをかかえる。
悲痛というよりなんだか楽しそうだ。
「可能性の話だって、そう興奮するなよ」レナードが微笑する。「とりあえず、となりの部屋を確認してから一階にもどるぞ――」
二人はしばらく室内を物色してから、隣室に向かった。
ドアを開けると最初の部屋よりは広めで、セミダブルサイズのベッドが4台ならんでいる。
「客用の寝室か?」「豪華だな!」レナードとモレロは思い思いにしゃべる。
白につる草模様の入った壁紙もおとなしめで、ベッドサイドのテーブルもシックで落ち着いている。
「なんていうか、まるでオレたちのために用意されたような部屋だな」レナードは腕組みする。
「食いものも飲みものもあったしな! 今夜はパーティができるぜ!?」モレロが両目をぱっちり開く。
ジェラルド王子がどう判断するかはわからないが、そんな虫のいい展開になるだろうか?
レナードはモレロの虫みたいな目つきをながめながら考える。
人魚がいるという断崖のそばに、どうしてこんな家があるのだろう――ここまでくると罠かどうかとか、そんな憶測さえ面倒で不毛な気がしてくる。
「まァいい。とりあえず異常なしってことで、一階にもどろう」レナードはパチンとゆびを鳴らす。「一応ベッドがたくさんあるってことも報告しようぜ」
二人はきびすをかえし、どやどやと階段をおりる。
そのさいに「なんだかハラへったなァ……」というモレロのぼやきが、やけに階段に響いたのと、「きゅるる」と、ちいさいのにみょうに反響するティファナのおなかの音が鳴ったのは、ほぼ同時だった。
ザウターは階段途中の男二人組に、腹の音を聞かれてしまったのではないかと危惧したが、二人組は気づかずに階下におりたようだ。
ティファナはえへへと照れながら、みずからの露出したへそまわりをなでる。
縦長のへそがぐにゃぐにゃと笑っているみたいに動く。
「しかたない」ザウターがため息をつくと、「そうだよねぇ」とティファナがぱっと明るい顔をする。叱責されると思ったのだろう。
しかし〈はずれの港町〉から隠密追跡をはじめて、ずっと満足に休憩さえしていないのだから、ザウターも責める気はなかった。
そもそもあの男二人であれば、気づかれたら気づかれたで交戦することもやぶさかではない。
むしろ好都合だったかもしれない。
さきほど敵一行がこの住居に入りこんだことを確認してから、ザウターとティファナは建物の裏手にまわりこんだ。
もちろん二人が用心していたこともあるが、やつらも追跡者に頓着していなかったようで、だれにも悟られずに済んだ。
裏口から見あげて「この家はなんだ……無人のようだが」とザウターがつぶやくと、ティファナが「いつか二人で、こんなおうちに住みたいね」とにこりとした。
ザウターがにらむように二階をみつめると、「晴れた日は陽あたりがよくて気持ちよさそうなのにねぇ……」とティファナが残念そうにした。
二階には、海に面した大きなベランダがあるようだ。
ティファナがもそもそとひとりごとめいたことを話しつづけていたが、ザウターはいつもどおり意に介さなかった。
「ねぇ、ベランダに行ってみようよ!」
すると突然、ティファナが手近な(薪入れ用らしき)木箱に跳びのり、さらに一階の窓枠を足がかりにし、手をめいっぱい伸ばしてベランダの手すりをつかんだ。
「おい、やめろ――」そしてザウターが制止する間もなく、のら猫のようなしなやかな動作でベランダに入ってしまった。
白いふくらはぎが猫のしっぽのようにゆれていた。
そして、手すりから身をのりだすと「ザウターもおいでよ! ほら、高いよ! 良いながめだよ!?」などと手招きしながら笑った。
ただでさえ高い声なのに音量も抑制がきかないので、ザウターはやむを得ず、おなじ経路で追いかける。
「静かにしないか、やつらに気づかれたら厄介だろ」ザウターは低い声で怒る。
少しきつく叱ったつもりだったが、ティファナは謝りもせず、「このベランダは二人のための場所だからだいじょうぶだよ」とうっとりした。
あまりにも悦にひたっているので、ザウターの腹の虫もおさまってしまった。
ザウターは腰に手をおいてため息をつく。「どういう意味かはわからないが、奇行はほどほどにしてくれ」
「ん?」ティファナはにんまりする。「二人っていうのはね、愛する二人っていう意味なんだよ?」
「……なんだそれは?」ザウターは神妙な顔をする。
ティファナには確かに、ザウターにはない特殊な感応力のようなものがある。
それは召喚士特有のものなのか、あるいは女性ならではのものなのか、それともティファナの独自性によるものなのかは判断がつかない。
しかしそれゆえに性質が、快不快や気分などでは推しはかれないほどに、変転してみえることがある。
ザウターはときどき、そんなティファナにふりまわされるのである。
「愛する二人? それには言外の意味があるのか?」ザウターはかさねて問いかける。
ティファナはウフフとふくみ笑いをする。「愛する二人は、愛する二人だよ」
ザウターはおちょくられたような気分になったが、怒りを抑えた。
ティファナの機嫌をそこねてもいいことはないだろう。
しかし、ティファナの物言いから察すると、なにかを看破しているふしがある。
すると、「ここは愛する二人の世界なんだねぇ」とティファナが満足そうにうなずいた。
猫のように目を細めている。
どうやらこの家のあるじのことだけではなく、ここにいたるまでの不可解な現象について、知悉したのかどうかはべつとして、なにかしら納得してはいるらしい。
「ここが危険なら脱出すべきだと思うのだが――」ザウターが話しはじめたところで、ベランダの部屋の入口ドアが開く気配がしたので、ザウターはティファナをかかえて物陰にかくれる。
ティファナが「うわぁ」と驚きつつも、うれしそうな声をだす。「強引なのもいいよねぇ」
室内に集中すると、どかどか入ってきたのは火の国のあざといスノッブ風の男と、奇妙な髪型のちび男の二人だった。
男たちは幼稚にベッドであばれたり、室内を物色しながらなにごとか話し合ったりしていたが、ベランダにでてくることもなく、やがて退室していき、どうやら隣室もおなじように調べたのち、うるさい足音を響かせながら階下におりていった。
その途中でティファナが盛大におなかを鳴らしたのである。
「いつもいいところでおなかが鳴っちゃう」ティファナがへそまわりをなでながら真顔で考えこむ。
ザウターは「そっちのほうがおまえらしいと思うぞ」と指摘しかけたが、やめておいた。
二人組の会話内容は聞きとれなかったが、二階の偵察にきたのはまちがいない。
そうするとやはり、やつらもこの家について把握してはいないのではないか――。
「ここはね、恋の歌の世界なんだよ」突然ティファナが話しだした。「歌い手の人は、この近くにいるの。だから歌が聴こえたんだね! そら耳じゃなかったんだ!」
ザウターは面食らう。
やはり意味がとれない。
恋の歌? 歌い手?
しかしそういえば、あの巨大帆船にのりこむまえ、ティファナが夢うつつの状態でそんなことをつぶやいていたような気もする。「オレにはなにも聞こえなかったけどな」
「恋の魔法だからね!」ティファナは笑う。「それにいまは歌ってないみたい」
そして、耳のうしろで手をひろげてうさぎの耳みたいにする。
あいかわらずティファナ流の説明なので理解不能だった。
問い詰める気さえしなくなる。
ただなんとなくわかるのは、この風景はティファナのいう「だれかの世界」なのだろう。それは確信ではなく予感のようなものだが、ザウターにも実感できた。
おそらく帆船に侵入したあたりで、知らないうちに惹きこまれてしまったにちがいない。
魔法にせよ、幻覚にせよ、おなじようなものだ。
「でも、それならオレたちは邪魔者じゃないのか?」ザウターはティファナのレベルに合わせて訊ねることにした。「二人の世界なら、二人だけで充分だろ?」
ザウターの問いかけに、ティファナは黙りこむ。
そして、右手のひらで右頬をなでる。
それからしばらく「うーん」とうなったあと、口をとがらせた。「好きな人が――おでかけなのかな?」