38 メルヘンチックなそれ
「人魚はこの家ではなくて、崖の下にいるって聞いたわよね?」ベリシアがくちびるに手をそえながら訊ねると、「崖の下の入り江だって言ってたな」とレナードがうなずく。
玄関からみると、思ったよりも床面積がひろく、奥行きもある建物だが、可憐な一軒家だった。
初見でルイも思わず「将来はこんな家に住みたい!」とか、メルヘンチックな感想をもらしそうになってしまった。
「場所が場所だけに、人魚に関係した建築物だろう」ジェラルドがつぶやく。「なにかヒントがあるかもしれない」
「入るやいなや、美人なうえに屈指の好感度の誇るウェイトレスさんが、お茶でもいかが? なんて赤らめた頬でにっこりしてくれば、最高だけどな」
レナードがおどけると、ベリシアとウェルニックがそれぞれ、べつの種類のあきれ顔になったが、モレロだけが「チョコレートケーキもつけてくれよ!」と同調した。
「みんな余裕ね……」毎度のことだがルイは感心する。
アルバートがそんな様子をみながら、「確かに休憩してもいい頃合だよね」と期待に鼻をふくらませた。
ディレンツァをうかがったが、寄り道に異論はなさそうだった。
レナードとモレロが、まるで自分の家に入るような気軽さで三段のステップをあがり、あまり警戒することもなく、玄関ドアを開けた。
呼び鈴がコロコロ鳴る。
「お邪魔しまーす!」レナードが叫んだが反応はない。
レナードの小脇をくぐり、モレロがさきに入室した。
「だれもいないぜ――!?」モレロの声が響き、それをきっかけに全員が列になって、ぞろぞろ家に入った。
ルイは最後になってしまったので、なぜか背後が気になったりしたが、ただの気のせいでだれもいなかった。
帆船内にいたときから、なんとなくナーバスになっている。
「きれいにかたづいてるわね……」ルイは感嘆する。
だれかの住まいのようだが、入ってすぐにリビングがあった。
淡い色調のまるみを帯びた装飾的な家具が多く、カーテンもうすい桃色だった。
絨毯も高価なものが敷いてあり、どかどか侵入することをためらってしまう。
しかし、「おい、食いものがいっぱいあるぞ!」とレナードが奥の部屋――おそらくキッチンから叫んだ。
「あなたにはモラルはないの!?」とのベリシアのつっこみに、モレロが「ケケ、飢えにはさからえないさ」と舌なめずりをした。
リビングのソファにマッコーネル船長が坐っており、窓ぎわにはウェルニックが立っていた。
ジェラルドとディレンツァは部屋のすみで話し合っており、結果ルイのとなりにはアルバートが残った。
「ずいぶんロマンチックなおうちだよね」アルバートがうれしそうに目を大きくする。「だれが住んでるんだろう?」
ルイよりも無邪気に少女趣味な反応をしめすところに若干いらだったが、もめてもしかたがないのでやめておく。「ロマンチックなだれかが住んでるんでしょうね」
「ずいぶん大きいよね、部屋数も多そう」アルバートは不機嫌なルイを気にせず、状況にみとれている。
しかし感想が凡庸すぎて反応しづらい。
「わぁ、すごーい!」知らないうちにべつの部屋を見物しにいったらしいベリシアが耽美の声をあげた。
こっちはほんとうの夢みる乙女のそれである。
ルイが歩みよって、うしろからのぞいてみると、部屋の中央にりっぱなグランドピアノがあった。
掃除や手入れもいきとどいているらしく、ランプのあかりを美しく反射している。
大屋根や側板で、ルイの驚き顔も細長くゆがんでみえた。
「まるで鏡みたい!」ルイの賛美に、ベリシアがほほえんでうなずく。
「高価そうだね」アルバートがつづいて入ってきて、いかんともしがたい感想をのべる。
どうしてここで、みょうに現実的な言葉がでるのか、ルイはあきれて返事もできない。
「有名な演奏家の別荘とかかしら?」ベリシアがだれにというわけでもなく問いかける。
部屋のすみの物書きデスクにノートがひろげてある。
しかし、ノートよりもペンたての横にならべてある、ちいさな木彫りのふくろうらしき置物のほうが、ルイの目に入った。
年季が入っているが、眠そうな目に愛嬌がある。
文鎮かなにかだろうか。
アルバートが「さすがに人魚の家ってわけじゃないよね」と笑顔になる。
なぜ笑えるのかと責めたくなったが、「尾びれでソフトペダルは踏めないんじゃない?」とベリシアがほほえみかえしたので、ルイは口をつぐんだ。
「――そうでもないかもしれない」すると、背後からディレンツァがつぶやいた。
全員がふりかえったが、無表情のままだった。
ルイが眉をひそめたものの、アルバートがさきに訊ねた。「ここが人魚の家なの?」
ディレンツァはぐるりと室内をみて、最後に机に目をとめた。
そして、「おそらく無関係ではない」とつぶやく。
ルイとアルバートとベリシアは交互に目を合わせたが、だれもなにも応えなかった。
すると、リビングのほうからジェラルドが集合をうながす声がして、やがて全員ぞろぞろとそちらにもどった。
ソファではマッコーネルがあいかわらず背筋をのばして坐っており、ウェルニックはまだ窓辺にいた。
キッチンとの境目にジェラルドが立っており、レナードとモレロは見当たらない。
「あれ? あいつらは?」ベリシアが問うと、ジェラルドが「二階を調査してもらってる」とうなずいた。
そして目で合図すると、ウェルニックが部屋じゅうの燃料ランプをつけてまわった。
視界が明るくなり、部屋が暗くなっていたことを実感した。
じっさい陽がでていないのでわかりづらいが、もう宵の口である。
いつの間にか、テーブルにぶどう酒のボトルが空けられている。
グラスにそそがれている紫の液体が、みょうに生々しくみえた。
ルイがじっとそれをみていたせいか、ジェラルドが「少し休もう」とおだやかに提案してきた。
確かに休憩もなく歩いてきたこともあり、ふくらはぎはパンパンだった。
しかしそれ以上に、局面というのか境遇というのか、とにかく現状が夢のようにふわふわしているので、精神的な疲労感のほうが大きいかもしれない。
ルイがぼんやりランプをみていたら、あくびがもれた。
ふと満面の笑みのウェルニックと目が合った。




