37 心当たりのない町
砂利の斜面をのぼっている最中に、ルイは自然とアルバートにならんだ。
うしろはディレンツァである。
アルバートはおどおどと、ルイの機嫌をうかがっているようなそぶりをみせる。
そういうところがまた、ルイにとってはむしゃくしゃする要因になるわけだが、アルバートは知るよしもない。
いらいらしたものの、「王子、船酔いはもうだいじょうぶなの?」とルイは訊ねる。
「ありがとう、もう平気だよ。地に足がつくっていいよね」アルバートはへらへら笑う。
笑わせようとしているのかもしれないが、ルイが無反応だったため、アルバートはすぐ媚びへつらうみたいにうわ目づかいになった。
「けど、ここはどこなんだろうね。それにぼくらがのってた帆船はどうなっちゃったんだろう? 転覆でもしちゃったのかな?」
「わからないけど、そういえばディレンツァがさっき、なにか説明しかけたわよね――」ルイは頚だけふりかえる。
「……あまり気にするな」ディレンツァが目を閉じてつぶやく。「要するに、ここに、だれかのはたらきかけでみちびかれたというのが、私の憶測なのだな」
ルイもアルバートも黙りこむが、しばらく考えてルイが訊ねる。「ここにみちびかれたっていうのは、いわゆる強制力のある攻撃をうけたってことかしら?」
「あの帆船は魔力の産物だったってこと?」とアルバートもつづく。
「そういえば、まぼろしの歌がどうのって……」ルイはかさねた。
ディレンツァはルイをじっとみる。「私たちが遭遇した船体そのものは、まぼろしではないはずだ」
「そりゃそうよね。なにもかもまぼろしだったら、私もう自分で自分を信じられないわよ」ルイは舌をだす。
「ぼくなんかいまだに確信はもてないけどね」アルバートがあたまをかくと、「あなたは最初からうんうんうなりながら寝ていただけじゃないの」とルイがにらむ。
「魔法攻撃というほど、われわれに焦点をしぼったものではないのかもしれない」とディレンツァがつづけたので、ルイとアルバートはふりかえる。
ディレンツァが町のほうを見あげながらつぶやく。「ただ、いままで内海で起きてきた海難事故のほとんどは、この現象に起因するのだろう――」
すると、「おい、なにごちゃごちゃ密談してるんだ? ガキどもがぶつかるぜ?」と三人よりうしろを歩いていたレナードが指摘すると、その直後に子どもたちの群れが後方からディレンツァの両サイドをとおり、ルイとアルバートのあいだをぬって、歓声をあげながら前方に駆けぬけていった。
具体的に聞きとれない興奮の声のほか「みつかったみつかった!」と叫んでいる子もいたが、なんのことかはわからない。
ルイもアルバートも驚きで背筋をのばし、硬直してしまった。
子どもたちはそのまま町に向かって走っていった。
レナードのとなりにいるモレロが笑う。「ケケ、楽しそうじゃねえか」
「そうですね、さっき町を様子見してきたときも、子どもたちがいちばん自然でしたよ」しんがりのウェルニックがうなずく。
さきに坂をのぼり終えたジェラルドがふりむいた。
町に入るぞ、と顔で語っている。
ジェラルドの横には、マッコーネル船長とその手をひくベリシアがいる。
目前にひろがるのは、なんの変哲もない海辺の町だった。
不自然なおとずれかたをしているせいか、町が平然としていることがいちばんふしぎに思えた。
「……どうなることやらね」
ルイがつぶやくと、アルバートがなにかを話しかけてやめ、ディレンツァはふたたび目を細めた。
一行はそのまま中央広場までやってきた。中心に彫刻つきの噴水がある。
彫刻は上半身が人間の女性で、下半身が魚――人魚だね、とアルバートがつぶやいた。
人魚は優美なしぐさで壷をかかえており、そこから細くきれいな水流がある。
天気が晴れていれば、美麗な風景だったかもしれない。
曇っているのでわかりづらいが、時間帯は昼過ぎぐらいだろうか。
広場に集まっている人々は日常生活を送っている。
ただジェラルドたちが事前に視察してきたとおり、背格好や肌の色、服装などにばらつきがある。
職業柄というよりも出身地のちがいだろう。
あちこちを放浪していたルイでさえも初見の、原色でカラフルな衣装などもあり興味深い。
全員が思い思いに感想を述べあっているので、ルイはディレンツァに話しかける。
「ねぇ、私たちは空間移動したってことでいいのかな? 私にはここがどこなのかわからないけれど」
ディレンツァはルイをみる。
若干視線がするどく、ルイは緊張する。
「みちびかれたってそういうことなのかなって思って……」
「――ああ」ディレンツァは目を細める。「空間移動といえばそうかもしれないが、ルイが思っているようなことではないかもしれない」
ルイは小首をかしげる。
すると、ジェラルドが会話に入ってきた。「危険はなさそうだが、釈然とはしないだろう?」
「そうね、なんだかふしぎだわ」ルイは率直に答える。
語弊があるかもしれないが、それ以外に表現が思いつかない。
ウェルニックの発言をなぞっただけである。
「この町に心当たりはあるかい?」ジェラルドは二人に訊ねてくる。
「……あいにく、私はさっぱりだわ」ルイは降参のジェスチャーをする。
自然とディレンツァに視線が集まる。
「さきほどコンパスで確認したが、方角と地形などからかんがみると、ここは内海の西岸ではないかと思う。太陽がでていれば、もっと特定しやすいだろうが」
「え、西岸? 私たち、知らないうちに内海を渡航できたってこと?」ルイは眉をひそめる。
難関を自力ではなく、よくわからない流れに巻きこまれただけで突破できてしまったというのか――?
しかし、ディレンツァはルイの問いには答えず、ジェラルドが「そういえば内海の西岸沿いに人魚の伝説が残っている町があると聞いたことがあるな」と手を合わせた。「訪問したことはないが」
「〈珊瑚礁の町〉という。水の国の領内にあるちいさな町だ。私もおとずれたことはない」ディレンツァがうなずく。
「人魚……そういえば、ずっと歌がどうのって話題になってるけど、人魚の歌で船が座礁するなんて言い伝えも昔からあるわよね」のけ者あつかいされたみたいで若干むくれたルイがつぶやくと、ディレンツァが「それだな」と急にルイにまなざしを向けた。
ルイはまっすぐみつめられたことで少し照れて視線をそらす。
すると噴水のへりのほうで、レナードとウェルニックとモレロが、町人をつかまえて団交するのがみえた。
萌黄色の衣をまとった肌の浅黒い商人のような男だった。
ルイの視線につられて、ディレンツァとジェラルドもそちらをうかがう。
「火の国西部に多島海域があるが、あんな民族衣装の島もあるな」ジェラルドが目を細めた。
ルイは「ああ、故郷の領内の人なのね、なるほど」とうなずく。
ディレンツァはレナードたちを凝視している。
会話がうまくいったのか、談笑の様相をていしている。
あの人懐っこい三人組で折衝がうまくいかないようなら、だれも親しくはなれないだろう。
ふとみると、アルバートも噴水のへりに腰かけている、朝顔の新芽のようなかたちをした杖をもった老人と話しこんでいた。
気弱なくせに、あいかわらずの社交性の高さだ。
ベリシアも放縦なマッコーネル船長にふりまわされて、広場内をふらふらしている。
みんなが町にとけこみはじめていた。
「ねぇ、どうしようか?」と問いかけようとしたところで、ディレンツァがふいに萌黄色の衣の商人に向かって歩きだした。
ルイはジェラルドをみるが、ジェラルドは目を大きくしただけだった。
しかたないから二人で、ディレンツァについていくことにする。
ウェルニックがディレンツァの接近に気づき、会話をとめて顔をこちらに向けた。
レナードとモレロもおなじ反応をする。
しかし、ディレンツァは仲間たちには目もくれず、「こんにちは――」と商人に会釈した。
寡黙な魔法使いにはめずらしい行動で、しかも口調には親しみがこめられている。
背後にいるルイには、どんな顔をしているかはわからない。
商人は若干びっくりしたものの、すぐに笑顔になる。
彫りの深い顔つきだが、黒い瞳は大きく愛嬌があるので威圧感はない。
「こんにちは」
「唐突にもうしわけないのだが、私たちは人魚に用がある。居場所を教えてほしい――」
すると、ディレンツァはほんとうにだしぬけに要求した。
ルイをはじめ、まわりのみんなが呆然とする。
ジェラルドだけは微笑をうかべた。
「ん? ああ、人魚?」商人は呆気にとられたが、やがて海岸線にそってゆびさすと、「オレはみたことないけど、あっちにいけばいるみたいだ。目印は大きな家がある崖さ。その下の入り江だって……」そう説明してにっこりする。
「感謝する」ディレンツァは礼をすると、ルイとジェラルドをふりかえった。
レナードたちは様子をうかがっている。
「とにかく、ここから脱出しなければならない」ディレンツァがけわしい顔をする。
「私もそのほうがいいと思う」とジェラルドが同意した。
「――それで人魚なの?」ルイが訊ねると、ディレンツァは一瞬だけルイをみてうなずいた。
肯定なのだろうが意味がわからない。
しかし、ジェラルドが集合をかけたので、会話がとぎれてしまった。
「さっきの男――あの一風変わった商人だが――やはり外海の出身者らしい」レナードが話しかけてきた。「でも、なんだかいまいち会話が成立しなかった」
「そうなの?」ルイは驚く。「みんなで笑ってたじゃない」
「だってジェラルド王子のこと知らないんだぜ?」モレロがまざってくる。「不審がられそうだったから、あわててバカ話してごまかしたんだよ!」
「バカ話といっても、偏見をネタにしたブラックジョークですけどね。でもそういうのは、共通認識だったりしますから……」ウェルニックも苦笑する。
杖の老人の聞き役になっていたアルバートも、とまどいながらもどってきた。「あのおじいさん、話の内容がちんぷんかんぷんだったよ。どこの国のことだったんだろう?」
ベリシアだけはマッコーネルをひきつれてくるだけでせいいっぱいだったようで、だれかと接触するひまはなかったようだ。
「とりあえず出発ね? ありがたいわ……」そうもらして、胸にたまった息をはきだした。
マッコーネルは、じっと噴水の人魚の像をみつめている。
「いるぞ……」老人は小声でつぶやく。まるで回想しているような顔だったが、たまたまルイしかそれをみていなかった。「あいつが――」
ジェラルドとディレンツァはぼそぼそと相談をしており、しばらくするとジェラルドの号令でもって、全員移動を開始した。
目的地は人魚がいるのだという断崖である。
ルイには事情がよくわかっていないが、少なくともアルバートやレナードたちも同様にみえる。
ルイは歩きながらディレンツァのとなりにならぶ。
しかし、ディレンツァがあいかわらず無口なので、しばらく無言のまま歩いた。
広場をぬけ、ぽつぽつと住居がならぶ草原を通りすぎると、やがて眺望がひらけた。
左方に灰色の海がひろがり、右手には草原と遠くの森や山々がうかがえる。
未舗装だったが、歩きやすかった。
先頭のジェラルドも、まるで進路を知悉しているかのような堂々たる歩きかたをしている。
天気がよければ、もっと気分よく進めたかもしれない。
「なんだか雨がふりそうね……」
ルイがつぶやくと、ディレンツァがちらりとルイをみた。
会話をする機会だということがわかった。
だんだん態度や顔つきで、そういうことがわかるようになってきた。
「今夜は雨かもしれないな」ディレンツァが短く応える。「それまでには、かたづけたいところだが」
「ん?」ルイは頚をかしげる。「それって、人魚のこと?」
「ここがどこかということはあまり重要ではない。どうやってぬけだすかということが命題になるわけだ。おそらく、それを成し遂げた者は過去にはあまりいない」
ディレンツァは厳しい顔つきをしており、話しぶりなども平坦で低い声だったので、ルイは思わず閉口してしまう。
「人魚の真意が問題になる……」ディレンツァはそれだけつぶやくと、前方をにらむようにみつめた。
先頭のジェラルドの歩行がわりと速いこともあって、ルイはそのまま自然と黙ってしまった。
そもそも会話をしようとすると脚が遅れてしまう。
ルイは進行に集中することにした。
いずれディレンツァにせよ、ジェラルドにせよ、なにかしらつかんでいるようだからそれでいいではないか――漠然とそう考えたりもした。
いくつかの草原の丘をつっきって、ちいさな橋を何本かわたり、やがて一行は商人が話していた一軒家をみつけた。
空はだいぶ暗くなってきており、家の玄関にはランプがともっている。
もうすぐ日暮れのようだ。
ジェラルドがみんなを少しだけふりかえり、目で「行くぞ」と合図してきた。