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34 音のない雨の詩

 窓のそとはすっかり暗くなっていて、室内もキャンドルがゆれているだけだった。


 そのときアルフォンスが選んだ題目は、失われた時代の物語だった。

 建国まえの失われた国の人々がいにしえの悪魔と戦い、傷つき、きずなを深め、幾多の冒険をして世界の安寧をとりもどすという叙事詩だ。


 もの静かな冒頭は、まるで心臓の鼓動のような低い声の朗読で、聴衆は一気に黙りこんだ。

 ダグラスですら神妙な面持ちをしていた。

 アクセントでつま弾くだけの古楽器も室内だと深く大きく響いた。


 言葉まわしや単語、慣用句なども古語が多く、また時代の世相みたいなものもふくめてパティには理解できない箇所もあったが、おごそかな雰囲気と巧妙な語りくちで、知らないうちに詩人の世界に惹きこまれた。


 静かな夜に、波紋ひとつないみずうみをみつめているみたいだった。


 ときどき、主人公たちの心象を表現した歌がついた。

 愛の詩もあった。

 

 複雑な旋律で難しく、聴いた直後に忘れてしまうような歌が多かったが、満月の砂漠を歩いているらくだの群れをみるような、遠い気持ちになるものばかりだった。


 どれだけの時間が過ぎたかわからないが、おそらく二、三時間は吟じていただろう。


 アルフォンスは淡々とした調子で結びのフレーズを唱えた。

 最後の弦の音色が宙に浮遊し、やがて消える。

 どこかべつの空間に吸いこまれてしまったかのようだ。


 本来は拍手をするべきなのだろうが、聴衆はだれも動けなかった。

 古い時代の言葉の奔流に圧倒され、金縛りになったかのようだ。


 詩人は微笑する。「今夜の題目は、王都ではまずとりあげません。初代太陽王マルサリスの賛歌の要素もあるが、基本的には禁じられた歌が多く、そもそも演目として所要時間が長く、演奏に適さないから。披露する気になったのは酔狂ですね」


 内容がほとんどわからなかったにもかかわらず、パティはなにかの秘密を聞いたような気分だった。


 まるで心のみずうみに小石が投げこまれたみたいな、そんな気持ちのゆらめきを、全員が感じているようだった。


 パティはステファンをみて、手もとでまるまって寝ているモカをみて、それからほかの人をみたが、全員ぼんやり夢をみているみたいな顔つきをしていた。


 ふと窓のそとをみると真っ暗だったが、どうやら雨がふっているようだ。

 ガラスに水滴がついている。

 霧雨らしく、音のない雨のようだ。

 アルフォンスが崖のうえでつぶやいた予言が当たった。


 もちろん天候の推移など、読むことができる人はたくさんいるだろう。

 風読みという職業もある。

 それでも場の雰囲気のせいもあってか、パティは今夜の詩人を魔法使いと呼ぶにふさわしいと思った。


「夜も更けたようだ。そろそろお開きにしましょう」と詩人がつぶやいたので、一同は解散した。


 パティはステファンとおなじ部屋になった。

 ダグラスもおとなしくバレンツエラとともにひきあげていったらしい。

 まるで催眠術にでもかかっているみたいだった。


 パティはベッドに腰かけて、ステファンが脱いだ服をたたんだり、髪をとかしたりしているさまをながめながら、ぽつぽつ会話をした。

 とりとめのない、四方山話だ。


 パティが髪を解いていると、「明日も結ってあげるからね」とステファンが笑った。


 髪に挿してあったアマリリスの花は、モカがほしがったのであげることにした。

 気に入ったらしい。


 ふとみると、ベッドサイドの花瓶におなじ花がいけられていた。

 おそらく、ダグラスの土産だろう。

 ダグラスもまさか女性陣の部屋に飾られているとは思うまい。


「でも、まさか詩人アルフォンスの朗誦が聴けるとは思わなかったわね。すごく得したはずなんだけど、なんだかずっとあとになってからじゃないと意味が理解できない、ふしぎなことが起きた気分よ」とステファンは今夜の宴についてそう感想をもらした。


 パティも同意してほほえむ。「たとえ話なのに、なにをたとえているのか、なにがたとえられているのかよくわからないみたいな難しさでした」


「芸術ってそういうものなのかしらねぇ……」ステファンがうなずいて、あくびをした。

 わりとだらしないあくびだ。

 酔いは醒めているようだが、まぶたが三重ぐらいになっている。


「もう寝ましょうか」パティはランプの灯りを少し落として、みずからも横になる。


 ステファンはすぐに寝入ってしまったようだ。


 疲労感はあったが、あたまが冴えているようで、パティはしばらく輾転としていた。

 まとまった思考にはならなかったが、漠然とした覚醒に縛られている。

 自分のあずかり知らないところで、なにかが始まっているような、そんな感覚がしてみょうに気持ちが昂ぶっていたのだ。


 落ち着くまでにどれだけの時間がかかったかわからない。

 むしろ、そうなるよりさきに眠りについていたかもしれない。


 それでも、ふと目を醒ましたとき、まだそとは闇につつまれていた――。

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