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33 不思議さのくさび

 頃合を見計らってパティたちは崖上を離れた。


 それまでのあいだ、とりとめのないおしゃべり(音楽や詩や王都の話)をし、ふっと沈黙がおとずれたときには、パティは海や空をながめ、アルフォンスはまるで砂山をまさぐる子どものように古楽器をつま弾いていた。

 詩作をしていたのか節附をしていたのか、とにかくそんな様子だった。

 モカはずっと眠っていた。

 ときどき強い風が、海から崖をつたい吹きあがった。

 ときどきとんびが鳴いた。


 内海の非情な一面を聞いたばかりだったが、パティはみょうに落ち着いていた。

 そして最後はずっと、絵本で読んだ最後の人魚の哀しい歌について想像していた。


 資料館にもどると、四時をまわっていた。


 ずいぶん長居してしまったので、心配をかけたとステファンに謝罪したが、「ああ、いいのよ。ここの先生にアルフォンスさまといっしょにいるんじゃないかって教えてもらったから、あんまり気にしてなかったわ」と手をふって笑った。


 パティといっしょにもどってきた美貌の詩人を、ダグラスはずっと目を細めてうかがっていた。

 おそらく男女の区別がつかないのだろう(女性であってほしいと望んでいることはちがいないが)。


 バレンツエラも追いついていて、ひと呼吸ついたところのようだった。

 パティが帰ってきたときは、貝殻のかたちのビスケットをつまみながら、助手が淹れてくれた紅茶を飲んでいた。


 顔を合わせるやいなや、同時に二人で「収穫はありましたか?」「首尾はどうだったね?」と訊ね合ってしまい、腹の底から笑ってしまった。


「みんなだれかに期待しすぎよね」とステファンも笑いながらあきれる。


 人魚研究家の先生の発案で、晩餐会が開かれることになった。「よかったら宿も提供しましょう」

 あまり表情が変わらないというか、むしろ表情がほとんどない先生だったが、ジェントルな対応だった。


「やった! 今夜はきみといっしょに過ごせるんだね!」

 ダグラスが助手の手をとろうとしたが、さらっとかわされた。


 モカがムキキと口を手でかくした。


 準備ができるまでのあいだ、パティは資料館を観覧した。

 ステファンは二度目だったがつきあってくれた。

 古い文献が汚損防止の目的で手にとれなかったため、新しい情報は確かになかった。


 発見といえば、(ステファンが買ってくれた)絵本の主人公マティスが、かつて実在した最後の人魚とおなじ名まえだったことぐらいだ。


 不死薬としての乱獲についてはふれられていなかったが、人魚たちが人間の環境開発によって徐々にすみかをうばわれたのは、おおむね事実のようだ。


 かつては内海の海岸沿いのどこにでも生息しているような勢いだったらしい。

 ただマティスが人間(の王子)に恋をしていたのかどうかはわからない。

 該当するような人物(王子)がいるのかもわからない。


 パティが話題をふってみると、「どうかしらね……ダグラスなんかは、人魚には欲情しないって話してたけど」ステファンはフンと鼻をならす。「まぁ、それが人間に変身すれば話はちがうのかしらね」


 人魚の石膏像をながめながらパティは思う。

(人魚と人間はおなじような思考をするのだろうか?)


 (アルフォンスに教えてもらった新鋭歌手だったという)ニーナの資料も少しだけあった。

 歌をうたう人魚というモチーフと、この地方で身投げした歌手という若干の類似性が記事になっている当時の雑誌のきりぬきなどだ。


 ずいぶん色褪せてかすれてしまっているが、当時の画家が描いたであろう肖像画も載っていた。

 悲劇を聞いたあとだからかもしれないが、線がほそく華奢で、薄幸の佳人という印象はつたわってきた。


 作曲家のエドバルドについての記載はなかった。

 したがって、顔かたちを示すようなものもない。

 しかしそれは王都に帰ればいくらでもみられるだろう。


「どうしたの?」ステファンがパティの手もとをのぞいてくる。「ずいぶん熱心じゃない」


「……人魚の歌って、どういうものだったんでしょう?」パティは記事を置いて訊ねる。「詩人のアルフォンスさん、そのインスピレーションをもとめてここにきたって話してました」


「え? そうなの? 人魚なんてもういないのにね」ステファンは目を大きくした。「でも、勝手なイメージとしてはソプラノよね。とにかく高くてきれいな声――」


 ステファンはふざけて、キンキンの高い声でオペラ歌手の歌真似をする。

 モカがびくっと反応した。


「そうですね」パティはうなずく。


 やはり女性歌手というとそうなってくる。

 だからこそ、ニーナは二重写しのあつかいになっているのだろう。


 そういえばアルフォンスは、崖のうえに坐って耳をすませていると人魚の歌が聞こえてくるような気がすると話していた。

 しかし、パティがあそこで聞いた自然の音(風や波の音、鳥の鳴き声)とはイメージが似ても似つかない。


 詩人は人魚、そして人魚の歌にどういう具体的な解釈をもったのだろう。

 披露される機会がなかったとしても、もし歌が完成したなら聴いてみたい気がした。


 食事会はにぎやかだった。


 バレンツエラが提案したことに端を発し、先生のおおざっぱな研究史にはじまり、やがてダグラスがいつもどおり如才なくべらべらとしゃべりだし、それにステファンやモカが応酬したり、バレンツエラがそれらを抑制させようとして失敗したりで、パティはずっと笑いっぱなしだった。


 なるべく手で口もとをかくしていたが、〈魔導院〉の教師たちがいたら、たしなめられるぐらい興奮していたかもしれない。


 いろんな話題があったが、特定のだれかの内面に踏みこみすぎることがなかったので、だれかが困惑するといったこともなく、ワインと麦酒が入ったせいもあり、バレンツエラと研究家の先生は本人らが自覚していないぐらいの大声でとりとめのない会話をし、ダグラスとステファンも助手をからめて絶好調だった。


 陽気な雰囲気にあとおしされ、パティはめずらしく社交的になり、端の席にいるアルフォンスに話しかけた。「うるさくってびっくりですよね?」


「そんなことはないよ」詩人は微笑した。「良い夜だ」

 声音もおだやかで、じっさい機嫌もよさそうだった。


 アルフォンスもアルコールを摂っているようだが、顔色ひとつ変わらない。


 その視線に沿って一同をながめてみると、赤ら顔で声高に話しこむすがたは、それがいき過ぎていないこともあるせいか、愉快で平和そのものだった。

 格式ばらず、肩のこらない空気がなんともいえずここちよい。


 悩みがないのではなく、悩みがあるのに気にしないでいられるから、良い夜なのだろう。

 パティはそんなことを思った。


「人魚ってよくわからないですね。なんだか考えれば考えるほど、全体像がよくわからなくなります」パティは率直に話す。

 さっきから熟考していたことだ。


 アルフォンスはうなずく。「きっと、この世の中のすべてがそんなふうなのだろうね」


「あ、そういえば展示室で、ニーナさんの肖像画を拝見したんです」パティは両手をあわせる。「きれいな人でした」


 アルフォンスは目を細める。「実物はもっと美しかったはずだよ」


「私が生まれるよりまえだから、なんだかおとぎ話みたいで、そのせいかちょっとふしぎな気持ちになりました」


「私たちをつないでいるくさびは、きっとそういうふしぎさなのだろうね」アルフォンスは横をむく。「距離や時間について想像するとき、私もそういう気分になることがある。遠く長い旅みたいなものだな――」


 パティはその後も、ぽつりぽつりと心情を吐露した。


 もともとひっこみ思案なこともあり、初対面の人にこんなにすぐにうちとけて会話をしたのは初めてかもしれない。

 フリーダとだって、無作為な会話をするくらいなかよくなるまで時間を要した。


 意見や感傷をしゃべりすぎかもしれない――明日の朝になれば、思いかえして恥ずかしくなったりして……それでも話さずにいられなかった。


 アルフォンスの返事は言葉少なだったが、それゆえに寛大さを感じた。

 まるで樹齢千年の大木のようだった。


 突然「お、どうしたの? なにこそこそしているの? 愛のささやき?」と、いつの間にそばにいたのか、ダグラスがあいだに入ってきた。


 目が坐っている。

 声がかすれている。

 完全に酔っ払っている。

 昨夜それで失敗したことは、もう忘れているにちがいない。


「ふふ、世界じゅうで交わされるささやきのすべてが愛の言葉だったらよいだろうね」アルフォンスがくすりと笑う。


 ダグラスはきょとんとする。

 クマの剥製でもながめているかのような目つきだ。


 しばらくして、言葉の意味をようやく理解したのかと思ったが、「いいなぁ、嫉妬!」とわけのわからない返答をした。


「ダグラスさん、水を飲んだほうがいいですよ?」パティは半ば強引に、ダグラスの口にグラスをかたむけた。


 ダグラスはうながされるままぐびぐび呑む。さすがに放置すると粗相をしそうでこわかった。


「あ、ごめんなさいね、急に視界から消えたかと思ったらこんなところにいたのね」

 すると、ステファンもやってきた。


 声が少しかん高く、ほっぺが赤い。

 まだ魅力的の範疇だが、これ以上飲酒すると鼻のあたまも赤くなり、道化メイクになるだろう。


「ステファンさんも水を飲みますか?」パティはさりげなくすすめる。


 しかし、ステファンは「あ、もしかして、こいつがなにかご迷惑をおかけしましたか?」とアルフォンスをみた。

 

 若干人の声が聞こえなくなっているようだ。


「迷惑? オレが? まさか! そりゃもう!」

 詩人よりさきにダグラスがわめく。

 なかなかの醜態だ。


 パティはどうしたらよいかわからず、やきもきする。

 モカがなんとかしてくれるかもしれないと目でさがしたが、小ザルは助手からりんごをもらって、ご満悦状態だった。


 がっかりすると、「オレはリクエストしてたんだよ、愛の詩をうたってくれるらしいから!」とダグラスがわめいたので、パティはぎょっとしてふりかえる。


 どういう流れでそういう話になるのか。

 稀代の詩人に気安くリクエストはないだろう。


 しかし事情を知らないこともあり、「え、ほんとうですか!? 聴きたい!!」と本来ダグラスを制止する役目のステファンも両手をくんで瞳をかがやかせる。


「あ、いや、そんな話にはなってないです――」パティがマナーの悪さを指摘しようとすると、「それでは要望にお応えしましょう。今夜の記念に」とアルフォンスが微笑したので、パティがいちばん驚いた。


 部屋を移して、アルフォンスの朗読・独唱がおこなわれることになった。

 王都で開催すれば、大きな劇場を満員にできるだろうから、観客がパティたちだけというのはぜいたくである。


 しかし、「環境や情況は、詩そのものとはなんの関係もない」とアルフォンスはほほえんだ。「相手が一人でも、歌うときは歌うものだよ」

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