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30 未知の人魚の印象

 パティが小ザルを追いかけて建物の裏手のほうへ行ってしまったが、冷静に考えるとパティを一人にするのは危険だっただろうか。


 しかしそれほど物騒なところでもないし、まさか崖から転落するといったようなこともないだろうから問題はないだろう。

 それになにより彼女は魔法使いなのだ。


 ステファンはパティをみていると、見た目も年齢も実妹より幼いこともあり、むやみに気にかけてしまう。


 ただせめて、バレンツエラが合流するまえに、高度な判断を要するような事態が発生することは避けたい。


 ステファンはいつも昂然としているようで、意外とパニックを起こしやすいのだ。


 そんなことを憂苦していると、目のまえで女性を相手にふざけているダグラスにふつふつと怒りがこみあげてきたので、とび蹴りを決意した。


 ダグラスは研究助手の女性が拒絶しないこともあり、調子にのって「きみの評判を聞いたからここまできたんだ!」だの「きみは人魚の生まれ変わりなの?」だの「きみに逢うために生まれてきたのかもしれない」だの、最大限に軽薄な口説きかたをしていたが、ステファンに背後からとび蹴りを喰らい、あたまから資料館の門柱に激突した。「げぶぅっ!?」


 それでも門柱にすがってたちあがるついでによろめいて、助手に抱きつこうとしたが、そこは助手がきれいに身をかわした。


「なんだよ、暴力反対!?」ダグラスがあたまをなでながら抗議すると、「ただのリスク回避じゃないの」とステファンは両手を腰におく。


 そこでもう少しお灸をすえてもよかったのかもしれないが、突如出現した男女二人に、助手が面食らっているようだったのでやめることにした。

 そもそも懲らしめることならあとでもできる。


「すみません、騎士にもときどき、へんなやつがいるものなんです――」ステファンは助手に向きなおり、ていねいに会釈した。


 ステファンが女性だったこともあるのだろうが、やはり枢機院の騎士団員という肩書きは相手に安心感をあたえたようだ。


 ダグラスもおどけて僭称する。

 助手は愛想笑いで応えた。

 厳戒態勢ではなくなったが、心をゆるしたという感じではない。


 ステファンはほくそ笑みながら、来意を告げる。


 今回の旅の過程と、内海問題に人魚が関係している可能性があるという経緯を、あいまいな部分は省いて説明した。

 

 助手はおそらくさほど理解できなかったのだろうが、ドアに手をかけて開けると、「遠路はるばるご苦労さまでした」と笑顔をつくった。


 あらためてみると資料館はわりと大きかった。


 本館も二階建てで、展示室や倉庫だけでなく、住居(宿泊施設)部分もあるらしい。

 附属しているそれらの建物も、遠目にみたとおり洒落ている。

 童話の挿絵にありそうだ。


 ステファンがそのことを賛美すると、「やはり人魚そのものの印象をよくするためではないでしょうか」と助手が微笑した。「こちらの施設は水の国と王都の助成金で運営されていますので……」


 わりと正直な意見でステファンは納得する。

 なにごとも、こぎれいさには動機があるものなのだろう。


 本館内部も洗練された美術館のようで、資料の配置にも乱雑さは少しもなかった。


 閲覧してまわるのが楽しみになってくるほどだ。

 ダグラスも清潔な空気にあてられたのか、さきほどまでの野性が落ち着いて、呆然としながらカメレオンのように目をあちこちに動かしている。


「しばらく展示をご覧になっていてください。先生を呼んでまいりますので……」助手が展示資料に手をかたむける。


 二人は雰囲気に呑まれながらうなずいたが、ダグラスがふと夢から覚醒するみたいに、びくっと動いた。「あ、そうだ!」


「はい?」助手は冷静で、むしろステファンのほうが驚いた。


「お土産があって――」ダグラスはごそごそと荷物をあさり、出発まえに市場で購入したアマリリスの花束をとりだした。「これ、あなたに似合うと思って!」


 助手は一瞬目を大きくしたが、「ありがとうございます。あとで花瓶にいけさせていただきます」と両手で受けとり、営業用の笑みでにっこりすると部屋をでていった。


「あれ……なんだか肩透かしの反応?」ダグラスがあたまをかく。


「そりゃそうでしょ」ステファンが冷ややかに笑う。「まちがいが多いから指摘するのも面倒だけど、とりあえず花束を荷物に入れておくのはどうかと思うわ。花にもよくないし、なによりあなたの匂いがつきそうでいや」


「む」ダグラスは口をへの字にする。「オレの薫りがいやだと!?」


「アブラムシとかいっぱいついてそう」ステファンは露骨に顔をゆがめる。「それにアマリリスは水の国の国花なんだもの。いくら旬できれいな花だって、そこらへんをさがせば生えてそうなやつをわざわざもらっても、そんなにおおげさに喜べないでしょ」


「む!」ダグラスは愕然とする。「そ、それはそうかもしれんが、そんなこと思わない娘であることを願う。ていうか、いまさら言わないでくれる、そういうこと?」


「パティに似合っていたからいいのよ」ステファンが鼻息をもらすと、ダグラスが「むぅ」とうなる。「まぁ、いい。贈りものは心がすべて!」


「それが下心のかたまりじゃ、もっとだめだと思うけどね」ステファンは懊悩しているダグラスをあしらって、展示をみてまわることにした。


 まずは部屋の中央にある〈珊瑚礁の町〉周辺のスケールモデルが目についた。

 資料館のある入り江をみると、縮尺のほどはわからないが、わりと複雑な箇所であることがわかる。


 崖は思いのほか切りたっていて高く、施設から海辺へ降りるには、崖に設けられた(わりとくねくねうねった)そば路を降りるかっこうで、浜辺のほうからみれば、施設は岸壁をこえた奥にあるという印象だ。


 鳥のように上空から俯瞰しないかぎり、施設はのぞめないかたちになっている。

 海面からはどうやっても施設をみることはできないのだ。


 入り江周辺の浅瀬は岩礁がちらほらうかがえ、崖には天然の洞穴のようなものがあるらしく、いわゆる人魚の住処として、かつては知られていたらしい。

 確かにかくれるにはうってつけの場所だろう。


「でもあれだな……人魚って、冷静にみても、あまりぴんとこないな」

 突然背後からダグラスがつぶやく。

 どうやら部屋の一角にある人魚の石膏像をながめているようだ。


「ぴんとこないってなによ?」ステファンが問うと、「要するに色気を感じないってことさ」とダグラスはまじめなトーンで答える。


「それが石膏だからじゃないの?」仕方なくステファンは応える。


「ふぅむ、そうなのかなぁ……」ダグラスはあごに手をそえて考えこむ。そういうときだけ、熱誠さが顔にあふれる。「露出もなかなかのものだが――」


「まぁ、もしくはどれだけ上半身が魅力的でも、やっぱり尾びれがついてると違和感のほうがさきにたっちゃうってことじゃない?」ステファンは腕組みする。「人間っぽさがあまりないっていうか、人間らしさをうち消してしまっているというか」


「ふぅむ……逆のほうがまだ人間っぽいのかねぇ」ダグラスが奇妙な説をとなえる。


 ステファンは上半身が魚、下半身が人間の生物を想像して、舌をだす。「なんだか気持ち悪いじゃない、やめてよね」


「人魚は人間らしくない……ふぅむ、人間らしさって難しいもんだな――」とダグラスが神妙な顔をする。


「どうなんでしょうね。人間らしさって、外面だけではかるものでもないかもしれないけど……」

 たとえば、思いやりの精神があれば人間らしさといえるだろうか。

 ステファンもよくわからなくなってくる。


「あの、先生がいらっしゃったんで、よろしければ応接にどうぞ――」

 すると、助手が顔をのぞかせてほほえむ。


 ダグラスは考究に飽きたこともあり、エサをみつけたのら犬のように反射する。「待ってました! いやぁ、オレはやっぱり、人間らしさは直感で判断したいね」


 その不分別な笑みをみて、「なんだかあなたみたいな本能まるだしにくらべると、モカのほうがずっと人間性がありそうよね」とステファンは毒づく。


「あれ、そういえばあの生意気ザルと愛しのパティはどこいったんだ?」ダグラスは周辺を見まわしてきょとんとする。


 ステファンはため息をつく。「まったく……あなたのせいで行方不明よ?」


 言ってみたものの、じっさいそうなっている蓋然性もあるといえるだろう。

 まだバレンツエラも合流していない。

 ステファンの二度目の吐息は、ほんとうに悩ましいものになった。

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