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28 銀の水差しと昔日の大災害

 バレンツエラは宿泊施設を発ってから、まっすぐ元高官宅に向かった。

 足どりは昨日と変わらずちからづよい。

 この隊長には晴れたら気持ちがよいとか曇ると気分が重いとか、そういった感傷的な性質はまるでなく、年齢を経るにしたがって、さらに些事へのこだわりはなくなってきている。


 王都に寄せられる諸問題を片づけるという役割柄、結果として腹の虫がおさまらないような事態になることも多いので、何事も良かれ悪しかれ切り替えていかないとやりきれないという部分もある。


 バレンツエラの懸念は、雨がふると移動に支障をきたすということだったが、いまのところ風の具合からしても、降雨の可能性はないように思えた。


 一度おとずれていたこともあり、順路は迷わなかった。

 邸宅といえるほど広くも大きくもないが、門構えからして高潔な雰囲気がにじみでている家だった。

 昨日同様に女性の使用人がでてきた。


 面倒を避けるためダグラスにはかくしていたが、この使用人は若く、つつましやかな美女だった。

 もう一人のやや年嵩の女性使用人も、淑女で好感がもてる。

 元高官はつれあいを亡くしてからずっと、二人を雇い入れて暮らしているらしい。


 使用人に来意を告げると、客間に案内された。

 

 元高官は中央議会の政務官だったらしく、その名残りか、室内も格調高い様式の家財でまとめられていた。

 水の国は別名森の国、みずうみの国とも呼ばれるだけあって、装飾品も草花を模したものが多い。


 蝶がとぶ様子をかたどったような、奇抜な形状の銀の水差しもあった。

 ひとしきり視線をめぐらせてみたが、人魚に関係しているものは特になさそうだった。


「昨日はすまなかった、もう寝るのが早い老人なんでね」しばらくすると、元高官が使用人に手をとられ、入室してきた。「そのうちに寝たきりめざめなくなる」


 耳の周辺に白髪が残っているだけの老人だった。

 しかし威厳は損なわれていない。


 バレンツエラはたちあがって敬意を示す。

 元高官はにこやかに微笑し、ゆっくりと着座する。

 バレンツエラもそれにならう。

 使用人はお茶を置いて退室した。


「こちらも急に押しかけて、ご迷惑をおかけしました」バレンツエラは社交的な笑みをうかべる。「勅命ですが、唐突に〈珊瑚礁の町〉をおとずれることになったものですから……」


「なんの用事ですかな?」元高官はふしぎそうな顔をする。


「この町というより、人魚について調査にきたのです」バレンツエラは身をのりだす。「われわれに同行している〈魔導院〉の魔法使い殿の提言ですね」


「ふむ……」元高官は考えこむ。


「人魚が直截関係しているかはわからないのですが、われわれが究明したいのは、最近頻発している内海での海難事故なのです」


「はぁ……」元高官は感慨深く息をもらす。

 

 内海の諸事情が人魚とつながらないのだろう。


「この部屋にはりっぱなオブジェが多いですが、人魚のものはありませんね」とバレンツエラは陽気につづける。


「退官したあと、この町に移り住んだのは、妻が海辺に住みたいと要望していたものだからね」元高官は目を細める。バレンツエラは両目を大きくして、つづきをうながす。「確かに伝統的に人魚をあつかっている町だが、当然ながら私たちが移り住んだ頃には、人魚は伝説であってそれ以上のものではなかった。暇にまかせて資料館で書物など読んでみたことはあるが、さほど興味はもてなかったのでな――」


「なるほど」バレンツエラは大きくうなずく。


「人魚というのは堕天使の形態なのだという。はるか昔、空を舞っていたつばさをもつ人々が堕落し、地に落ち、魚の半身をもって水とともに生きるようになったというのだな。その起源は、いろんなかたちの暗喩でもって、いまでも表現されている――」


 恋に身をやつした人魚の悲話が残っているのもその一端だろう。


「姿容は美しいものとして描かれる。若い女性の上半身に、色とりどりのうろこをもつ下半身――絵画や彫像など、この町にも広場に設置されていたりするが、確かに流麗なものが多い。しかしあれが落魄の側面なのだとしたら、私には好きになれないということだよ。落ちぶれたからこそ美しいという見方は認められないのだ。物事を斜にみられない堅物というわけだ」


 元高官はほほえむ。

 バレンツエラも微笑する。


「ただ、人魚はかつて、この町の入り江によく群れをなして出没していたということで、岩礁で合唱しているすがたをみたという口伝もあるらしい。その歌はたいそう美しいものだったというから、それほどのものなら一度は聞いてみたい気もするな」


 元高官はゆっくり茶を飲んだ。

 バレンツエラもそれにしたがう。


「……もっとも、内陸の森や山を逍遥してみればわかるが、湖水地方は季節ごとに景観がすばらしい。彩りあふれた山々が湖面に反映されるさまは、時間帯によってもその表情を変え、言葉にできないよさがある。長年住んでも、実体のない伝説の人魚よりは、興味深く飽きないものだよ」


 バレンツエラはうなずく。

 じっさいそのとおりだと思うし、そのほうが健全な気もする。

 窓のそとはにぶく曇っていて、灰色の雲がうすくのばして固めたみたいにたちこめていた。


「内海に頻発している事件については聞き及んでいる。新聞記事も読んだが、王都在住の旧い友人たちからも何通か手紙をもらったりした」


「――その原因についてはどう思われますか?」突然本題に入ったので、バレンツエラは若干とまどったが、そのほうがありがたいので顔にはださない。


「私にはわからないよ。じっさいにその現場をみたわけでもない」元高官は顔色を変えず無表情のまま答える。職業柄そうだったものが癖になっているのだろう。「謎めいたものだといわれているようだが、私からすれば詭弁だな。相手が人間であろうと、海であろうと、容易に理解できないのが世の常だ――」


 そうして目をつぶり、しばらく黙りこむ。

 政務官として問題をかかえつづけた長い人生を回想しているのかもしれない。

 輻輳する気持ちは、どうやっても酌むことはできないだろう。

 バレンツエラは気長に待つ。


「内海にはいろいろある――今般の件にかぎらず」元高官は長いため息をつく。


「昨日のことのように憶えている災害がある。あの日は大雨だった。うずまくような暗雲が、まるで世界の終わりを表していて、もう二度と陽の光は拝めないような気さえしてくるような悪天候だった。私がまだ若いとき、王都で政務官になってさほど経っていない頃で、多忙をきわめていた時期のことだな。

 〈王の桟橋〉をはじめとする王都湾岸で、大災害が起こった。内海沖から謎の嵐が押しよせたのだ。嵐は夜から翌朝にかけて風雨と水害をもたらし、多くの人命が失われた。私は湾岸事務所で、行方不明者の整理に忙殺された。

 その後の牧師マイニエリの調査によって、精霊王水の蛇によってもたらされた被害だということだが判明したようだったが、その頃には私はもう疲弊して、事件から逃れることばかり考えていた。なぜこんなことが起こりうるのだろう――ただただそんな疑問ばかりが、しばらくあたまから離れなかった。

 しかしそう悲嘆していたのは、私だけではないだろうな。それによって女友だちを失くし、人生への諦観からか、若くして商売を引退してしまった旧友もいる。才能あふれる豪商だったんだがね、惜しい話だ。

 ほら、そこに銀の水差しがあるだろう――水の国につたわる慣習で、想いをよせる恋人に銀製の水差しにアマリリスをいけて贈るというものがある。私の友人もそのしきたりをなぞらえていたものだった……。優秀な人間ほど、ひとつのつまずきに弱いものだな。

 内海はそとの海に比べればずっとせまい。しかし、その周辺には大勢の人間が緊密に暮らしている。そういったむすびつきというか、いわゆる因縁のようなものは、やはり一筋縄ではいかないのだろう。

 内海はどちらかといえば人間の世界だ。だからいま、どのような有事があるにせよ……うむ、なにがあったかはわからないが、それが哀しみを帯びているような気がしてならない――」

 元高官は一息つくと、ゆっくりお茶を飲み干した。


 バレンツエラは共感を示したり、目を細めたりしながらその昔話を聞いていた。

 みずからの任務について、重要な材料が入手できたわけではなかった。

 どちらかといえば人生に関する智見であり、それにともなう推考だ。

 感傷ともいえるかもしれない。


 あまり湿っぽい思い出ばかりを語らせてはいけないので、その後バレンツエラは王都の現状や枢機院、中央議会の直近の様子などを、努めて明るい顔で冗談などまじえながら話した。


 同業種でなければわからない一種の言葉遊びのようなものだが、相手が高官だったこともあり、効果は上々だった。


 元高官の懐旧談にも耳をかたむけた。

 会話ははずみ、バレンツエラも上官たちの思わぬ興味深いエピソードなどを、ひとつふたつ耳にすることができた。


 頃合を見計らって、バレンツエラが退出を告げると、元高官が「ああ、そういえば――」と両手を合わせる。「いま、町に有名な詩人が来訪している。アルフォンスという筆名だが、ご存知かな」


「ええ、面識はありませんが……」バレンツエラはうなずく。「詩作はいくつか知っています。しかしそれ以上に、なにかと逸話の多いかたですよね」


 元高官は微笑する。「長期で滞在しているようだ。先週は朗読会など開いて招いてくれた。なんでも人魚の資料館に宿泊しているらしい。そちらに向かうなら、出くわすかもしれない。もし逢ったら、私からもよろしくつたえてほしい」


「承知しました」バレンツエラは最後に敬礼をして、宅をあとにした。

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