27 アマリリスの花束
パティが手紙に封をしているあいだに、ステファンは衣服と装備をつけ、鏡で着こなしをチェックし、髪留めを一度ほどき、クリーム色の長い髪を梳いてからふたつに分け、ゆるく巻いた。
全身の確認をするときに、鏡をみつめながら身体を左右にふっている動作がダンスの振りみたいで優美だった。
それからうすく化粧をし、表情の研究をしているかのように鏡をみつめたあと、イーと歯をむきだして口内を点検して身支度が終わった。「よし、今日もきれい!」
テンポのよさにパティはこらえきれず笑ってしまった。
モカもキキと鳴く。
二人と一匹が入口ホールに向かうと、ダグラスはようやく復活したようで、テーブルについて朝食をむさぼり喰っていた。
「ね、問題ないでしょ?」とステファンがあきれ顔で、もろ手をひろげる。
パティは苦笑で返した。
「隊長の報告書といっしょに郵送してもらったら?」
ステファンがカウンターで受付に話しこんでいるバレンツエラをゆびさす。
パティがそばまでいってのぞきこむと、封をした報告書を手渡しているところだったので、「これもお願いします」とパティは手紙を差しだす。
バレンツエラはパティの髪型の変化にはあまり気をとめず、「ああ、代金もだしておこう」と平然と対応した。
男性からするとそんなものなのだろう。
しかし、バレンツエラと連れだってテーブルまでもどると、食事を終えたダグラスが目を見開いて、「お、なにその髪型? めっきり都会的、それでいてかわいらしい!」とパティがひいてしまうぐらい好意的に反応した。「似合ってるじゃない、すごく。どうしたの、心境の変化? まさかオレのため!?」へこむまえより元気になっている。
「あ、いや……」パティは口ごもる。
そもそも、ほめられるのに慣れていないのだ。
「そんなわけないじゃない、なに寝ぼけてるの。あなたが死にかけてたから、いつもより支度に時間をかけられただけよ」ステファンが冷然とにらみつける。
「もうだいじょうぶなんですか?」パティは会話を髪型からそらしたくて訊ねる。
「ん?」ダグラスがきょとんとする。それから意味を察して親指をたてる。「愛とは決して、めげないこと!」
どうやら精神的にも回復しているらしい。
残酷なおとぎ話みたいな目にあったというのに、前非を悔いないというのは、気丈というのか、鈍感というのか――。
「ただのバカよね。そこで反省しないからおなじことをくりかえすのよ。ねぇ、動物だってそんなことないわよね?」ステファンがモカに語りかけると、小ザルはこっくりうなずく。
パティも微笑した。
簡易宿泊施設をでてから、全員で円陣を組む。
どんより曇っているが、当然ながら周囲では、住人たちが日常を謳歌している。
逗留している謎の一団に注意をはらう者もさほどいない。
広場周辺には、それなりに人が多く集まっている。
だれもが平然と過ごしており、トラブルに見舞われて、手をこまねいている漁場町にはみえなかった。
「私は昨日話したとおり、王都の元高官だった尊翁を訪ねてみようと思う」バレンツエラがかるく咳をして話しだす。
「早めにお休みになられていたから、お逢いできなかった方ね」ステファンの確認に隊長はうなずいた。
するとダグラスが、「オレたちはさきに人魚の資料館の助手の女性にアタックすればいいかな?」と問いかけた。
ステファンが冷ややかな視線をなげかける。
しかしバレンツエラが、「ああ、情報収集というよりはあいさつにいくようなものだから、みんなはついてこなくてもいい。むしろ、あまり大挙して押しかけないほうがいいのではないか。三人はさきに人魚の資料館へ向かっていてくれ。なにか発見があるなら早いほうがいいだろうしな」と提言したので、ダグラスは道化のような笑みをつくり勝ち誇り、ステファンはベーと舌をだした。
バレンツエラと別れると、パティたちは広場で目的地を調べる。
観光案内板があったので人魚の資料館をゆびでたどると、直線距離で湾岸沿いに5キロ弱だった。
「よかった、そんなに遠くないわね」ステファンがふりかえると、ダグラスがすでに視界から消えている。目で追うと、花屋の軒さきでうろうろしていた。「なに、なんなの!?」
「資料館のお手伝いさんに、お土産を買うんだそうです」パティが説明する。
「まだ顔をあわせたこともない相手に? どうせ玉砕するだけでしょうに、よくやるわね」ステファンがお手上げのポーズであきれると、モカがキキと同意する。
しばらく花屋を右往左往したのち、ダグラスは何輪かのアマリリスを軸につくった小型の花束を手にして帰ってきた。「おまたせ!」
「わぁ、きれいじゃないですか!」パティは両手をあわせて感激する。「ユリかな?」
「アマリリスはテッポウユリに似てるけど、ぜんぜん別ものなのよ」ステファンがつまらなそうに補足する。
「水の国で有名らしいんだよ。なにかと謂れのある花らしい」ダグラスが得意げに自慢する。
「ああ、国花ですね、そういえば」パティが動揺する。「出身者のくせに忘れてました。お恥ずかしい」
すると、小ザルが手を伸ばしてアマリリスを一輪ひきぬく。
ラッパ状の花弁が興味深いのかもしれない。
「あ、こら、ごめんなさい!」パティがあわあわすると、ダグラスが「いいよ、パティにあげたってことで」と手をふる。
モカはしばらく手でもてあそんだのち、飽きたのかパティの髪の編目にそれを刺した。
「え、え!?」びっくりして手をばたばたさせていると、「ああ、いいじゃないか、似合ってるよ。そのままにしといたら?」とダグラスが笑う。
ステファンもほほえんでいたので、パティはあきらめ、「あとでとるわよ?」とモカに言い聞かせた。
うす灰色の曇天ではあったものの、三人と一匹はときにふざけたり、冗談を交わしたりしながら出発した。
気分がはずんでいるのは、新しい髪形や、陽気な旅の仲間のせいだけではなく、ひとつの予感のためでもあったのは、そのときのパティ自身も理解していなかった。
それは這いつくばるようにして、なだらかな勾配をのぼってきたところで、急に視界が開けるような感覚で、要するに今回の任務の終局が近づきつつあることを肌が感じていたのだった。
昨日遭遇したのとおなじ子どもたちだろうか――ふと見やると、去りゆくパティたちに手をふっている一群がいた。
パティたちも手をふりかえす。
子どもたちは笑いながら思い思いにしゃべっているが、さわがしいだけで会話内容はわからない。
しかし、かれらのすがたが、なにかの残像のようにしばらく目から離れなかった。
パティは幼少期にそんな光景をみたような気がして、なんだかなつかしくなった。