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26 羊みたいな髪型

 翌朝目覚めると、朝靄にヒヨドリの声がこだましているような早朝帯だったけれど、ステファンはいなくなっていた。

 モカは置き忘れられたマフラーのように両手足をひろげて寝ている。

 パティは横向きになって倦怠感に耐えたあと、ゆっくり起きあがる。


 不自然な体勢で寝てしまったので、肩まわりが少しこわばっている。

 ひじを抱えて筋をのばしたのち、ベッドをでて窓を開けると空は曇っていた。


 全体的にうすい灰色だった。

 そして海の匂いがする。


 パティはあくびをしながら時間をかけて身支度をととのえ、入口ホールに向かった。


 テーブルにバレンツエラがおり、パティに気づくと片手をあげた。


「おはようございます」パティがあいさつすると、「ずいぶん早起きじゃないか。〈魔導院〉は厳しいのかい?」とほほえむ。


「いえ、私は院で飼っている動物たちの飼育係でしたから」パティが応えると、バレンツエラは紅茶をついで、すすめてきた。


 それに口をつけたことで、のどが乾燥していたことに気づいた。


「あの、ステファンさんは?」パティが訊ねると、バレンツエラは(昨日著述した)報告書を読み返しながら「ああ、走りにいったよ。日課なんだな」とうなずいた。


「すごいですね」パティが一驚すると、バレンツエラはちらりと目をあげて「まぁ、騎士には多いよ。ついでに昨晩のアルコールをぬきたいんだろう」と鼻を鳴らす。


 朝食はセルフサービスになっており、パンやら白身魚の煮つけやら魚介のサラダやらが陳列されていたが、パティは食欲がさほどなかったので、バターロールをひとつとサラダを少しだけ取った。


 パンをひと口サイズに切って食べながら、パティは訊ねる。「そういえば、ダグラスさんは?」

 そもそも昨夜帰ってきたのだろうか。


「ん? ああ――」バレンツエラは報告書からちらりと目を離し、部屋のすみをうながす。


 そこに宿泊客用ソファがあり、仰向けに沈みこむように腰かけたダグラスが、廃人のように横たわっていた。

 両脚もだらしなく伸ばされ、いかにも投げやりな様子で、両腕もだらりとし、指の一本一本にもまったくちからが入っていない。


 口もなさけなく開いており、ぼさぼさの髪が顔にかかっているため表情はわからないが、おそらく目も泥沼のようによどんでいるにちがいない。


 パティは口内のパンきれを咀嚼しながら、大きくした目だけで驚いた旨をつたえた。


「なに、いつものことさ――」


 バレンツエラが書面に目を落としながら話したところによると、ダグラスは自由時間に入るやいなや、町を物色してまわったが、あまり成果がなかったため、そのまま浜辺へと向かい、そこで二人連れの若い女性に狙いをさだめた。


 すでに調査任務は放棄され、目的は女性たちと楽しい夜を過ごすことにあった。


 一人は茶色の癖毛をした肉づきのよいよく笑う女で、もう一人は長いストレートの黒髪をなびかせた痩せて背の高い女だった。

 二人とも全身ほどよく日焼けしており、艶美な雰囲気だった。


 しかもダグラスのアプローチにも(特に癖毛の女性が)きわめて好意的であり、意気投合した三人はそのまま夕食に向かったのである。


 ダグラスは首尾よくナンパが成功したことと、女性たちが王都の使者である自分のことを敬慕しているようなそぶりをみせていることに上機嫌になった。


 徐々にうちとけて会話もはずみ、本来のおちゃらけた性格もだせるようになり、お楽しみの夜の予感がしていた。


 しかし、夕食後に酒をすすめたところで事態が変わってきた。


 二人の女性はまさかの酒豪で、なにかおかしいと違和感をおぼえたときにはもう遅く、二人は延々と杯をかさね、合わせて飲んでいるダグラスもひどく酔ってきた。


 ときどき焦点があわなくなり、女性たちの顔や身体がぐにゃりとゆがんで、ぶきみな魔物のようにみえたりしてしまい、ひやっとしたりした。


 そして、気づくとダグラスはテーブルにつっぷして寝ていたらしく、明けがた目を醒ましたときには、二人の女性のすがたはなく、ダグラスのまわりにはからになったビンやグラスが、前衛的なオブジェのようにならべられていたのである。


 当然、会計は未払いでダグラスもちだった。


 ダグラスは二重のショックで廃人化し、ふらふらと風にゆれるやなぎのような足どりで宿までもどり、ソファに沈みこんだのだった。


 バレンツエラはその顔つきをみたとき、老いぼれたヤギを連想したらしい。


 仕方なくたちあがって、水を注いだコップを差しだしたところ、ダグラスはそこまでの経緯をぼつりぼつり語ったのだという。


「その女の子たちは最初から奢らせるつもりだったんじゃないの?」

 さきにその話を聞いたステファンは興味なさげに、汚物をみるような視線で廃人をみながら、そう言い放ったそうだ。


「まぁ、本人は騙されてはいないと言い張っている。それでいいんだろうな」

 バレンツエラがそう締めくくった。


 パティはもう一度、ダグラスをうかがう。

 やはり憔悴しているようにみえた。


 なるほど、いそいそとでかけるまえに宣言していた「孤独と自由はよく似ている」を体現しているではないか――するとパティの関心深いぱちくりした目がおもしろかったのか、バレンツエラが微笑した。


 食事を終え、荷物を整理するために部屋にもどって作業をしていると、日課のジョギングを終えたステファンが入ってきた。


「おかえりなさい」パティがふりかえると、「あら、起きてたんだ」と笑った。


 汗をかき、心拍数も高いせいか、声も大きい。

 ステファンは髪を一度ほどいて、ふたたびむすんだのち、そのままシャツと短パンを脱いで身体を拭きだす。


 顔だけでなく、全身が汗ばんでいるものの、そのおかげか桃色に上気しており、同姓のパティからみても魅力的だった。

 しなやかな手脚だけでなく、わき腹にも贅肉はいっさいなく、ラインがとてもきれいだ。


 魅とれていると、ステファンがその視線に気づいたので、パティは「ダグラスさん、もどってましたね」と話しかけてごまかす。

 同姓にもかかわらず、なんだかのぞき見していたみたいでうしろめたい気恥ずかしさがあったのだ。


「しばらく動けないでしょうね、あのばかは。まぁ、ほっとけばいいのよ。そうだ、どうせ時間がかかるんだから、少していねいにおしゃれでもしましょうよ」とステファンが身をのりだしてきた。

 汗っぽいのに良い匂いがする。


 ステファンは挙動不審になっているパティをベッドに坐らせ、その髪に櫛をとおす。


 パティは最初照れていたが、そのうち全身のちからをぬくことができた。

 そういえばステファンには妹がいたというから、こういったやりとりに慣れていて、緊張しているのは自分だけなのかもしれない。


 ステファンは鼻歌など口ずさみながら、パティの髪をていねいな編みこみで結いあげてくれた。

 そのままパティを鏡のまえにつれていき、「どう?」と得意げに目を大きくする。


 髪が模様を描くみたいにぐるぐると巻かれた斬新な髪型だったのでパティは驚く。「すごい、羊みたい!」


「あはは、なにそのへんな感想。でもかわいいでしょ?」

 

 ステファンの満面の笑みに、パティはあいまいにうなずく。

 印象が変わったことは確かだ。


「〈魔導院〉には同世代の子とかいないの?」まじまじと鏡の自分をみつめるパティに、ステファンが訊ねる。


「いますよ」フリーダが脳裏をよぎる。


「おしゃれの話とかしないの? 男の子の話とかさ、だれが好きとか」ステファンはなんだか楽しそうだ。


 パティは「うーん」と考えこむ。

 

 フリーダはわりと衣服にもこだわるし、美容やメイクにも関心をもっていた気がする。

 先輩の薬師シャトレといっしょにそういった薬草の研究もしているとかいう話も聞いたことがある。


「私が動物と暮らす係だからかな? あんまり、そういう方面だけの話をすることはないですよ」パティはもそもそと応える。「男の子に関してはまったくないです」


 セルウェイやストックデイルがにぎやかにしているさまを回想したが、異性として好意をもつとかは想像できない。


「えー、もったいない。あなた、かわいいのに。にきびのひとつもないし」

 ステファンはパティの両ほっぺをつかむ。

 

 ほめられて悪い気はしないが、パティの男子のイメージはうるさいとかいじわるとかであって好意的なものはない。

 動物のほうが従順で癒される。


「あなたが本気をだせば男の子は黙っちゃいないわよ」ステファンがパティの瞳をのぞきこむ。


 からかっている目ではなかったが、パティはとまどっただけだった。「黙っていていいですよ、ほっといてほしいです」


 ステファンは「うーん、もったいないわ」とうなりながらみずからの支度にもどった。そして鏡越しにパティをみながら、「でも私も仕事柄、基本はナチュラルメイクじゃなきゃいけないのよ。とっても残念でしょ?」と不服そうに口をとがらせる。


 そのしぐさが子どもっぽくて、パティは噴きだしてしまった。


 それからステファンの準備が終わるまでのあいだに、パティは手紙を書いた。


 フリーダ宛てに経過報告と旅の順路を感想とともにかんたんにまとめて、院のほう(人や動物たち)に変わりがないことを祈っているという内容にした。


 毎日が新しい日だと実感するような環境のめまぐるしい変転に、筆をとることさえ忘れていたが、書きだしたら迷うことなく想いをしたためることができ、自分がこんなことを思っていたのかと驚いたりした。

 手紙は、みずからの思考を整頓するための作業だと自覚した。


 今後も移動をつづける可能性があるので返事はいらないとしておいた。

 マイニエリ師宛に特別伝言は頼まなかった。

 パティの心情については師につたえるまでもないだろうし、どちらかといえば質問したいことのほうが多い。


 ただそれをどう書いていいかもわからないし、回答も期待できないだろう。そんなふうに悩むぐらいなら訊かないほうがいいという判断だった。


 書いている途中に、伸びて寝ていたモカが起きてきて、インクで遊びだしたので、最後の署名のとなりには小ザルの手形を押しておいた。

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