24 淋しい発表会
巨大帆船に侵入してから、ザウターとティファナは船内を歩きまわっていた。
敵一団は甲板まで昇ったことが推測できるので、縄ばしごの途中で船窓を割って、そこから入りこんだ。
そこは船員(おそらく櫓をこぐ人夫たち)のための大部屋らしく、乱雑に散らかっていた。
未整頓でごみだらけで生活感まるだしの部屋である。
ティファナは露骨に鼻をつまむ。「港町の秘密基地よりくさいね!」
「そんなことより――」ザウターは目を細める。「なぜだれもいないんだ」
「かくれんぼ?」ティファナは鼻腔をふさいだままだったので「はふへんお?」と聞こえたが、どっちみちザウターは返事をしなかった。
そういえば、こんな古くさい巨大な船なのに船漕ぎオールが利用されている形跡はなく、帆もひろげられてはいなかった気がする。
風が微弱だったせいもあるかもしれないが、この帆船は潮流だけで進んでいるということか?
「ねぇ、かくれんぼなら鬼さんでもいいから、この部屋はでようよ?」ティファナが出口ドアをゆびさす。
不可解な状況なので慎重に動きたいところだが、ザウターも同意した。
理解不能でも、深刻な空気がなかったからだ。
じっさい廊下にでても、だれもいなかった。
かたむきに合わせて暗めのランプがゆらゆらし、船体のきしみが響く。
通路のさきまで明瞭に目視できるほどではないが、だれもいないことはわかった。
息づかいも感じられない。
「だれもかくれていないねぇ」ティファナがつまらなそうにつぶやく。
「用心しながらいくぞ。船の関係者なら、接触してもどうとでもなるだろう。問題はあいつらだ。沙漠の国の連中がいるのはまちがいないし、火の国の輩とも群れてるわけだからな。正面衝突は避ける」
「遊び相手が多いのはいいことだよ」ティファナが猫のようにほほえむ。
そこからしばらく、微に入り細をうがつ姿勢で移動をつづけたが、状況は変化しなかった。
乗組員との接触もなく、どの部屋も入室に辟易するほどの使用感はあるが、あやしさを解消するような発見はなかった。
これといった事件もなく、強いていえば偶然つまみあげた布が使い古しの男性下着で、ティファナが「わわわわわ!」とよだかのように悲鳴をあげたりしたぐらいだった。
ザウターは廊下のつきあたりの階段をさし示す。「この階にいても埒があかない。あがってみよう。船の関係者がいないのは謎だが――」
すると、ティファナが少しあごをあげた状態でまぶたを閉じている。
「どうした?」と問うと、「ん? ん? なにか聞こえる?」とティファナは目をぱっちり開けて、耳をそばだてる。
ザウターは意識を耳にかたむける。
まず寝ぼけた水夫がのこぎりをひいているみたいな木板のきしみが聞こえる。
通路を吹きぬけるゆるい風の音もする。
しかしそれ以外はよくわからない。
「どういう音だ?」とザウターが訊ねると、ティファナは「楽器かな……? 声?」と両耳のうしろに手のひらをあてながらうなる。
ぞうのものまねをしているみたいだ。
「うーん、よくわからないや」
ティファナに判別不能なら、おそらくザウターにはもっと無理だろう。
そもそも特別な音はなにも聞こえていないのだ。
「なにかわかりそうなら教えてくれ――とりあえず進むぞ」と声をかけると、ティファナは気をとりなおして「はーい」と跳ねるようについてきた。
そもそもティファナの場合、それが幻聴だとしても、真偽はきわめて確認しづらい。
時にティファナは惑星の運行音さえ聞いたと言い張るのだから。
階段をのぼり終えると、急に廊下がきらびやかになった。
水夫たちの生活臭みたいなものもなくなり、内装もふくめ豪華客船の様相を呈し、ティファナが「わぁ!」とうれしそうに身をよじる。
どちらかといえば虚飾はこちらなのだが、ティファナにとってはよごれた現実よりきれいなうそのほうがいいのだろう。
「富豪どもの道楽船なのかもしれないな」ザウターがつぶやいたが、ティファナは聞いていないようで、変わった形状の花瓶にいけられた大きなシャクヤクの花弁におそるおそる手をのばしている。
ザウターは考える。
どうみても新造船にみえる。
近々の祝祭のために造船されたのだろうか……仮にそうだとしても、そんな船がどうして内海をさまよっているのだろう……?
なにかもっと重大な錯誤があるような気がして、なんだか落ち着かない。
しかし疑惑がふくらむまえに、キン! という音色がして、ザウターとティファナはハッと硬直する。
思わず顔を見合わせた。
「なんの音だ!?」ザウターが訊ねると、「ピアノだよ。f♯だね、きれいな音」とティファナが余韻にひたるように目を閉じる。
音は通路のつきあたりの(上階への階段わきの)部屋から聞こえたようだ。
凝視すると、大きめの入口扉が開け放たれているのが確認できる。
ティファナは楽器の音色に敏感なので、鍵盤音であることにまちがいはなさそうだ。
ピアノの音が一音だけ自然発生的に鳴るということはまず考えづらい。
そこにはだれかがいるはずだ……ザウターはティファナに目で合図して歩きだす。
しかし、気配を殺す必要はなかった。
そのままつづけて、流暢な演奏が聞こえてきたのだ。
「おぉ!」とティファナが感嘆をもらす。
ザウターもその曲を知っていた。
作曲者は忘れたが、比較的有名な練習曲だ。
「うふふ、これで共演したいくらいだよ!」ティファナがうれしそうに〈魔女の角笛〉をくるくるまわす。
ザウターは口角をあげる。「そうなる可能性もあるから、準備しておいてくれ」
ザウターたちは扉まで忍び寄り、こっそり室内をうかがう。
ずいぶん高貴で格式ばった装いの演奏会場だった。
奥行きがあり、客席もたくさんあったが、人影は舞台上に三人分あるだけだった。
「淋しい発表会だねぇ」ティファナが口をおさえてくすくす笑う。
「沙漠の国の生き残り二人と、火の国の衛兵のようだな――」ザウターは目をこらして確認する。「王子二人はどこかでお留守番といったところか」
「む!? 一人はティファナのだいっきらいなちび女みたい!」ティファナがくちびるをとがらせる。
「不注意なことだな。音漏れに頓着しないとは……ひとつ苦情を申し入れないといけない」ザウターは胸もとからナイフをとりだす。
「どうせなら、あのちびっこがいいよ!」うふ、うふふとティファナは目を細める。
障害物もないし、女はこちらに背中を向けているので標的にしやすいことは確かだった。
「よし、リクエストに応えようか」
ザウターは呼吸をととのえて、しばらく神経を集中させたのち、音楽が鳴りやみ、連中に隙がうまれたのを見計らって室内にとびこむ。
そして、ハイエナのような目で狙いをつけ、小柄の女のうなじめがけてナイフを投擲した――。




