22 嵐の夜の瀟洒な館
だれも話さなくなると、戸外より静かだと思われていたラウンジも、板のきしみやどこかを通りぬける風など、ぶきみな音で充たされていることがわかった。
べリシアは嵐の夜に、瀟洒な館にでも閉じこめられているみたいで落ち着かない。
ルイたちが出発したのち、しばらくは会話がはずんでいた。
もっとも、だいたいはテーブルをはさんだソファで、ふくろうのように背筋をのばしているマッコーネル船長の昔話に、ベリシアがつきあっていただけだったけれど、いまとなっては無言よりずっとよかった。
ジェラルドとウェルニックは室内を物色して、飲料と簡易食品をもってきて、カウンターで飲食していた。
アルバート王子はベリシアのかたわらで眠っている。
仔うさぎなみに無防備な寝方だった。
マッコーネルは真偽不明の昔語りをさんざんしたのち、急に黙りこんだ。
会話につかれたのか、なにかべつの思考にさいなまれたのかはわからない。
船長の話を要約すると、船長は若い頃、恋多き日々に辟易して船乗りになり、やがて王都の海兵隊に所属し、北の海や多島海へと遠征をくりかえし、竜や白鯨と死闘をくりひろげ、傷つき、仲間をうしない、数々のロマンスを生んだものの別離を味わい、武勲によるむなしい栄誉を得たのち、故郷にもどって漁師になったということだった。
ベリシアは相槌をうったり、褒めてみたり、共感したふりで悲しんでみたりしたが、マッコーネル自身は目のまえにベリシアがいることを理解しているのか、あやしい顔つきだった。
〈はずれの港町〉の漁業について語りだしたところで、アルバートが「むにゃり」と寝言をつぶやき、それをきっかけに船長は黙りこんでしまった。
そこでベリシアは内心ほっとしたものの、急に船内の物音が気になり不安になってしまったのである。
「おつかれさまです」いつの間にかウェルニックがとなりに立っており、小声で労をねぎらってきた。
ベリシアはその大きな手が差しだした水のグラスを受けとる。「レナードたちはうまくやってるかしらね? ずっとここにいるのも、なんだかいや。ルイのいいぶんもわかるわ」
「レナードはともかく、ディレンツァさんたちがなんとかしてくれそうですよ」
ウェルニックがにんまり笑う。
「確かにそうだけど……」ベリシアが考えこむ。なにか腑に落ちない感覚がある。
ウェルニックが片目を大きくする。「だいじょうぶですよ」
この大男は聖職者らしいというべきか、聖職者にしてはというべきか、周囲の人間の感情に敏感なところがある。
みずからも現状に疑問をもっているはずだが、ベリシアの渋面をなんとかしたいと思っているのだろう。
繊細というより純朴なのだ。
「おい――」ジェラルドの低い声がして、ベリシアたちは驚いてカウンターをみる。
あるじはグラスを手にしたまま硬直している。「船長はどうしたんだ!?」
え――!? ベリシアは正面に視線をもどす。「あれ!?」
さっきまでのマッコーネルが腰かけていたはずのソファが無人になっている。
ウェルニックも素で驚く。「いつの間に!?」
二人は室内を見まわすが、船長のすがたはない。
「ぜんぜん気づかなかったんだけど――」ベリシアが動揺し、たちあがる。
ウェルニックもグラスを置いて臨戦態勢になる。
ジェラルドがカウンターを跳びこえて近くまできた。
三人でもう一度、ソファを視認する。
高級牛革らしく、老人のいたくぼみ(形跡)はなくなっている。
マッコーネルが気まぐれであることは承知しているが、腰をあげた気配をかくせるような人物ではないし、そもそもそんなことをする性格でもないだろう。
冷静になるにつれ、心拍数があがってきた。ベリシアはくちびるをかみながら、ほつれた前髪をなおす。
船長の消失が、敵の攻撃といった外部的な要因によるものだとしたらおだやかではない。
じっさい油断していたことは否めないけれど。
「兆候らしきものはなにもなかった……」ジェラルドがつぶやく。「船長が足音を忍んで、べつの部屋にでていったということも考えられない」
「仮にそうだとしても、全員がそれを看過するということはないでしょう」ウェルニックがうなずく。
「でも、人がひとり消え去るってどういうこと――?」ベリシアはソファをにらむ。
だれかの物理的な攻撃とはいいがたい。
魔法のたぐいだとしても、そんなものはあまりみたことがない。
人を消失させる魔法なんていうものがあるのだろうか?
あるいはモレロがあやつるような一種の幻覚とか――。
ふと、ベリシアはアルバートを見下ろす。
沙漠の国の王子は安らかな顔で眠っている。
室内がにわかに殺気だったが、覚醒する様子はない。
ベリシアはふたたび顔をあげる。
若干怯え顔のウェルニックに、ジェラルドの真剣な横顔が目に入る。
あるじの眼光にも答えは見当たらない。
厄介なことになってきたのではないか――ベリシアは下腹部がズンと重くなるような恐怖をおぼえた。