21 正体のわからない行列
みしりみしりと歩行にともなって、ときどき絨毯敷きの床板がきしみ、息をひそめて進んでいると、その音がいやに大きく響いているような気がする。
最初のうちは不安と緊張でルイの鼓動は高鳴っていたが、それでもようやくおさまりつつあった。
廊下はひろく、豪華客船という名にふさわしいだけの幅がある。
最上階の最後の客室ドアのまえに立ち、レナードが慎重にその様子を観察する。
注意深さは塗装職人のようですらある。
ドアにとりたてた物理的罠がないことを確認してから、ちらりとルイたちをふりかえった。
ディレンツァが注視してなければわからないほどかすかにうなずく。
微風にゆれる稲穂のような、ささやかなあごの動きだった。
それはドアに魔力を根源とする罠がないことを保障するものだ。
レナードはなぜかルイにウィンクをしたのち、すばやくドアを開放する。
予期したとおり、その部屋もまたもぬけの殻だった。
レナードが室内に踏みこみ、感触をつかんでから、ルイたちに手招きする。「いいぜ、問題なしだ――」
ルイたちはラウンジを出発したのち、レナードを先頭にして食堂と客室がつらなっている最上階を調査していた。
「エスコートは任せなよ」などと、ふざけた様子のレナードも、口調よりはずっと真剣に、そつなく注意深く先陣をきっていた。
背中からは集中力も感じられたし、責任感もうかがえた。
判断が必要な局面ではディレンツァをふりかえったし、その時機も的確だった。
それから一時間ほどを客室の踏査に費やしたが、これといった発見も、震撼するような展開もなかった。
もちろん肝試しのような緊迫感は絶えず鳥肌をもたらしていたが、(ルイが苦手とする)いかにも幽霊船といった種明かしはなかったのである。
定間隔に灯されているランプのあかりが充分足りていたので、うす暗がりに悪魔の牙が光るような妄想さえ湧かなかった。
おそろしいのはむしろ自然すぎる状況だった。
客室にはついさっきまで乗客がいたような形跡があり、たとえばそれはベッドのシーツのよれであったり、サイドテーブルの読みかけの本や、口がつけられた飲みものであったり、ワードローブにかけられた外套やドレスだったりした。
食堂や厨房においても、食材は腐ることなく、水瓶も透きとおるぐらいきれいだった。
清掃もいきとどいている。
食事や調理がいつでもできそうなほど準備はととのっていた。
――粛々と最後の客室の調査を終えた。
全員で顔を見合わせる。
「罠もなければ、敵もいない」レナードがどっかりとベッドに腰かける。
「謎はあるのに、それをとく鍵はないわね」ルイは腰に手をおく。
ディレンツァはサイドテーブルの本をとりあげて目を通しているようだ。
「まだ下の階もあるからすべての部屋をみたわけじゃないけど……ずっとこんな感じかしらね」ルイが口をゆがめる。
「まったくもって読めない流れだ。しかし、客室ってまだまだたくさんあるよな。こんな調子でやってたら、何時間かかるかわからないぜ?」レナードがぼやいた。「そういえば、いま何時頃だろう? 時間の感覚もまるでないな」
それからブーツのかかとでコツコツと床をたたく。
まるで古時計の長針のように響いた。
ルイは本をもとにもどしたディレンツァをみる。「ね、なにかご感想は?」
それにつられて、レナードもディレンツァをみる。
「――事前にあれこれ予想していた場合は肩透かしなだけで、さしあたって深刻でないのであれば、それはありがたいことだ」ディレンツァは腕組みする。
「そりゃそうだな」レナードが両手をうしろにつく。
そのままベッドに仰向けに寝てしまうのではないかという体勢だ。
「もっとも、物騒な気配は最初から感じられなかった」ディレンツァがつづける。「一般に騒がれていたような水難現象に巻きこまれたという印象は少しもなかったというべきか」
「そうね。なんとなくだけど、港町で聞いていたような絶望的な事故っていうような雰囲気はしないわ」ルイも同意する。「まぁ、このまま無事に終わるとはかぎらないけど……」
ディレンツァは返事をせず、レナードも口をつぐんだ。
しばらくの沈黙のなか、船のわずかなゆれに身をまかせたのち、ディレンツァがつぶやいた。
「……強いて気になるといえば、この船の構造がだいぶ古いってことだな」
「ん――えっと……?」ルイは口ごもる。
「旧式ってことかい?」レナードが訊ねる。
「ああ、正確にいえば、こういった船はもう造船されていないはず」
ディレンツァはカーテンの隙間から窓のそとをみる。
夜だからか、濃霧のせいか、とにかく真っ暗だった。
「なにそれ? どういうこと?」なんだか心細くなって、ルイは両腕をかかえる。
「そういえば甲板にいたときに横帆をみたが、オレの知らない国章だったな」レナードが天井をみた。「風がなかったから、はっきり確認したわけじゃないが……」
「そうだ」ディレンツァが目を細める。「あれはかつて王都にあった紋章で、現存するものではない。国章は国王の退位や国難後なんかに刷新されるからな」
「えっと……かつてあったって、そんなに昔なの?」
ルイが訊ねると、ディレンツァはゆっくりうなずいた。
「正確にはわからないが何十年もまえのものかもしれない」
「……これがただの漂流船である可能性はあまりないって言いたいんだな?」レナードが話をまとめる。
「うーん」ルイは頚をかしげる。「話のスケールが大きくなってきたような気がするけど、でも仮にそういう奇妙な船だったとして、それがどういうことなのかっていうのは謎のままね」
ディレンツァはうなずく。「そうだ。だから私にわかることといえば、この船のつくりが古いということだけだ。ただ旧式の古船だが経年劣化はないし、船内の物品や食料品、飲料もそうだが、船室に残された日誌の紙やインクは新しい――日誌も記載内容はありふれたものだが年代は不明」
ルイはサイドテーブルの本をみる。
「しかし、この船が旧式設計だとしても、そこまでふしぎではない。船内にやけに生活感があったり、新鮮な食材や飲料が保存されていることも、デザインが古いこととはかならずしも合致しないからな」
「古い時代の古い船を装っているわけか?」レナードが鼻をすする。「まぁ、仮にそうだとしても、それを演じてる人たちは見当たらないわけだが」
「でも、乗客や船員だけがいなくなるっていう現象も起こりえないことではないわよね」ルイはみずからの右頬をなでる。「べつの船に移って逃げちゃったとかさ」
すべてが生きている人間のしわざであるならば、なんとでもなりそうである。
しかし、そんな船に自分たちが乗り合わせているというのは、どういうことなのだろう?
罠でなければなんなのだ?
まるで列の正体がわからないまま行列にならんでしまったような気持ちがする。
「とりあえず、もう少し探索してみたほうがよさそうね」ルイが結論をだすと、レナードが深いため息を宙に吐いた。「ラウンジに残った面々は無事かねぇ――」




